近年は、経営学や経済学の領域においても心理的なアプローチが脚光を浴びいている。もはや、心理学は臨床と教育だけのものではなく、職場や産業でも応用されようとしている。日本において、その流れをけん引してきたのが、立命館大学総合心理学部 教授の髙橋 潔氏だ。産業・組織心理学、組織行動論の第一人者として広く知られている。未来が見通しにくい現代社会。特に日本は閉塞な状況を脱しきれず、未だにもがいている。人的資本経営の時代において、日本企業はいかに組織の競争力を高めていけば良いのかを髙橋氏に聞いた。インタビューの前編では、人的資本経営やジョブ型雇用への見解などを語ってもらった。
人的資本経営は根本の問題であり、とても奥深いと思います。2020年に「人材版伊藤レポート」が公表され、人的資本経営が提示された背景については、伊藤邦雄先生とも共有するところがあります。データやデザイン、知識など人がもたらす競争力の源は、「無形資産」と呼ばれています。それは、もう多くの方がご存知だと思います。無形資産が大切だというのは、論を待たないところです。特にデジタル技術が発展することによって、これまでとは違った意味で、無形資産が抜き差しならないほど大きな富の源泉となっています。これは、21世紀型産業の特徴であると認識されています。
ここからどうなっていくかを考えてみましょう。一般的にヒト・モノ・カネ・情報の4つが経営資源と言われています。このうち、モノは有形の資産になります。カネも有形の資産ですが、金融資本主義が行き過ぎたために、少し毛嫌いされているような印象です。「人材版伊藤レポート」は、この4つの中で、データやデザイン、知識などの無形資産が、ヒトから生まれることに着眼して、人材の問題として定義をしました。
人的資本はシカゴ大教授であったゲーリー・スタンリー・ベッカー氏が、1964年に著書『人的資本理論』で初めて言い出しました。これで、彼はノーベル経済学賞をもらっているので、非常によく知られた概念です。それだけに、人的資源を人的資本と定義するのは順当であったと思います。
近年では、米国のネブラスカ大学名誉教授のフレッド・ルーサンス氏が中心になって、『心理的資本理論』という書籍を執筆しました。それまでは、人的資本といえば経済学の範疇という感じでしたが、「心理的資本」(働く人が前向きに困難を乗り越えようとする力)ということで、心理的なものに関して広げた考え方を提唱しました。経済学か経営学かで微妙な差があるものの、ヒトが資本として成り立っていて、そこに対する投資をどう捉えるかという点では同じです。つまり、人的資本はこれまでの考え方にもマッチしており、我が国でこれが広がったのは、非常によくわかる流れです。
次に、少し世界を見てみましょう。実は、米国と中国では21世紀の産業競争力の大本は、ヒトだとは言っていません。情報(データ)だと定義しています。グーグル・アップル・フェイスブック(現メタ)・アマゾンのような米国のIT大手に、日本のデータはからめとられています。日本人の検索データやデジタルデータ、書き込みデータ、購買データは、タダで提供しているのに、データが必要な時にはIT大手にお金を払って、使わせてもらわなければなりません。それが巨額のデジタル貿易赤字を生み出しています。また、アリババの創業者であるジャック・マー氏は、「21世紀の石油はデータである」と言っているほどです。中国には情報系の会社が沢山あり、豊富なデータを掘り出してAIを使って精製できるので、「21世紀版のエネルギーの産油国になれる」と断言しています。
無形資産をどのように定義をするのかというところがポイントであって、情報のプラットフォームがある国ならば、「それは情報(データ)だ」とストレートに言えます。ところが、日本の場合には世界的に普及しているプラットフォーマーがないので、データが主体だとなかなか言えなかった気がします。なので、「人材版伊藤レポート」の中では、人的資本がこれからのこの国を担っていく産業財のような形になるのではないかと、認識されたのではないかと考えています。
翻って、人的資本経営をより展開していこうとすると、今のままでは我が国はなかなか難しいところがあると思います。実際に人的資本経営を、国際的な競争力を持つ形で展開しようと思ったら、ヒトが資産・資本として再定義されるのですから、人材が誰でも使えるような形で大規模で一律に探索できたり、記録できたりするシステムや仕組みを、国を挙げて構築する必要があります。誰でも簡単に人材にアクセスできるようなプラットフォームを作れば、人的資本が日本の競争力の源泉になるだろうと思います。できそうなのは、リクルートやパーソルあたりでしょう。ただし、東京で働いている人々の半分ぐらいの情報が、ほぼ無償で共有されないと使えません。となると、経済産業省や厚生労働省が肝いりの国家プロジェクトのような形で、人材情報プラットフォームを立ち上げないといけません。それが作れたら、本格的な意味で、海外と競争できるような人的資本経営ができるのではと想像しています。
人によって意見が色々あるかと思います。僕としては、ジョブ型雇用は、新卒一括採用や終身雇用、年功賃金などに特徴づけられる伝統的な日本的経営、すなわちメンバーシップ型雇用が立ちいかなくなってきたことへの、リアクションとして出て来ていると捉えています。積極的に「こういう方向に行きたい」わけではなくて、何か不都合や不満があって、それにリアクションしている。単に反応しているだけなので、確たる考えがあってそちらの方向に向かっているわけではないと思っています。
その背景にあるのは、他の先生方も良く指摘されていますが、「日本ではジョブがない」と言われてきたことです。メンバーシップ型が立ち行かなくなったから、ジョブ型にしようというのも一つの流れですが、ジョブがなかったことが強みだった面もありました。仕事と仕事がクロスオーバーする。お互いに助け合うような気持ちがあるところが強みだったわけです。そういうことからすると、ジョブ型にシフトさせるには、仕事上の余分な重なり合いを整理して、ジョブをカチッと定義する必要もありますし、雇用の制度全体を変えないといけません。給料を上げるためにも、能力がアップするのではなく、ジョブを変わらないといけなくなりますので、大変な変革となってしまいます。
それだけに、人事としては面倒くさいし、やりたくないという気持ちが出てくるのだろうと思います。
そういう意味で、リアクションだと言っているわけです。「この先どうするのか」は、なかなか難しいところです。ジョブ型雇用と書いているので雇用の問題として考えていくのが筋ではあるのですが、人事制度に置き換えて考えてみたいと思います。人事制度として、給料と評価の問題をどのように捉えていくか。そういう問題に置き直した方がわかりやすいのではないかというのが、僕の立場です。
そうすると、人事制度の変遷が三つに整理できます。
一つは「メンバーシップ型人事制度」。これは、メンバーシップ型雇用で言われているところとも同じ流れですが、メンバーシップ型の人事制度の場合には、給与としては職能資格制度です。70年代から大企業を中心に、日本の組織に広く浸透してきたやり方です。当時であれば、人事考課という形で、成績と能力を二大要素として評価する仕組みが出来上がっていました。
バブル崩壊後に新たな人事制度が現れます。普通は成果主義と呼ばれているものですが、僕は「パフォーマンス型人事制度」と呼んだ方が良いと思っています。成果主義の流れでは、評価制度として目標管理制度(MBO:目標を設定し、達成度合いで評価を決める制度)と、360度評価が定着してきました。評価要素については、能力と成績の大きく2つを評価するのは変わりませんが、成績の部分が成果と名を変えて、目標達成率で評価を行う。また、以前は能力と言っていたものを、行動に着眼して360度評価でデータ化する。成果給の名目の下で、成果によって変動するボーナス部分の比重を高めていく。そんなあり方になっています。基本給は職能資格等級を維持しながら、成果給の比重をどんどん高めていったというのが、90年代の人事制度の流れであったと言えます。これに対する批判や不満が、その後もずっと尾を引いています。現在でも「成果主義は結果主義にあらず」とか、「成果主義のもとで成果ばかり言うな」といった感覚があります。最近はだいぶ慣れてきたので、そこまで表立って不満を言わなくなってきたかもしれませんが、やはり不満を解消しきれていないわけです。
2010年代の後半ぐらいから、ジョブ型雇用が話題になってきました。それに対応するように、「ジョブ型人事制度」と呼べるものが、はっきりと形をなしてくるように思います。これは、職務給という伝統的な給与体系のあり方です。そこでの評価は、人を評価するのではなくて、仕事を評価することになるでしょう。米国等で賃金を決める時に実施するのですが、職務評価(Job evaluation)という手続きがあります。担当している人が誰であれ、「この仕事は幾らなのか」と職務を格付けするプロセスです。賃金系のコンサルタント会社が熱心にやっているものです。そうした職務評価のプロセスが、日本でも今後はより一層入ってくるかもしれません。
実は、日本でも70年前ぐらいに職務評価を行っており、いつのまにか忘れられてしまいました。評価をする要素は、仕事の幅と責任です。どれほど幅広く仕事をやっているか、どれほど自分に責任があるのかを評価して、それが賃金に反映される仕組みとなります。
日本の場合はジョブがあってなさそうなので、ジョブ自体を格付けするのは困難です。だから、仕事の幅という中間的なものを使って職務と個人を紐づけし、職務を意識して一人ひとりの働きぶりを評価することになるでしょう。米国やヨーロッパで行っている、本当にジョブを評価する仕組みではなくて、そこに人が絡めるような評価のあり方を見い出していくのが、日本的なジョブ型の人事制度なのではないかと思います。
このプロセスの中では、直接的に成果や成績を評価することはしません。成果ではなくて、あくまでも仕事は何をやっているのかに着目します。だから、1on1ミーティングのような形で普段の成果の確認をして、ノーレーティング(段階評価をしないこと)の時代にも合いやすいと思います。
仕事の格付けをするのであれば、1年に1回のペースでもいけます。頻繁に評価をする必要がないので、個別の成果に対する評価を気にせずに、その人がどれほどの仕事の幅と責任を持っているのかを、職務を意識した視点で評価し、それに給与をくっつけていくのが、ジョブ型雇用に関わる人事制度の形になるのではと思いました。
今まではメンバーシップ型からジョブ型へという流れでしたが、僕はこんな形でメンバーシップ型からジョブ型との間にパフォーマンス型があって、それが修正されてジョブ型になっていくと見立ています。
高橋 潔氏
立命館大学総合心理学部 教授 ╱
立命館大学大学院人間科学研究科 教授 ╱ 神戸大学 名誉教授
1960年大阪府生まれ。1984年、慶應義塾大学文学部卒業。1996年、ミネソタ大学経営大学院修了(Ph.D.)。南山大学経営学部および総合政策学部助教授、神戸大学大学院経営学研究科教授を経て、2017年より現職。専門は産業・組織心理学、組織行動論。人事評価やコンピテンシー診断など、企業と人のマネジメントについて心理学的視点からアプローチ。近年、ウェルビーイング経営に関する研究にも取り組んでいる。経営行動科学学会元会長、日本労務学会元常任理事、人材育成学会常任理事、産業・組織心理学会理事、日本心理学会代議員などを歴任。著書に、「ゼロから考えるリーダーシップ」(東洋経済新報社)などがある。