賃金制度の設計について
創業間もない企業でない限り、賃金制度がまったく整備されていないという企業は、おそらくそれほど数は多くないでしょう。
社員が労働を提供した対価である賃金は、労使間のトラブルに発展しやすい事項の一つです。多くの企業では、賃金規定は細かく定め、就業規則に提示しているかと思います。
一方、トラブル回避のために細かい支給ルールは策定しているものの、「自社は何に対して賃金を払っているのか」という根幹ポリシーは漠然としている企業は、意外に多いものです。
今回は賃金制度の思想や考え方に着目して、設計ポイントを解説します。
賃金はセンシティブなテーマなので、一気に制度改定するにはそれなりのパワーが必要です。ただし、人事制度のどこかを変化させるならば、賃金制度の変化は避けて通れないでしょう。
現実的に「自社の現在の賃金制度の何が問題で、どの部分なら見直しできるか」を想像しながら、ご一読いただければ幸いです。
1.賃金とは何か?
「賃金制度」とは、従業員への賃金支払いの根拠となるルールです。
賃金そのものは、社員側から考えると、働くことで企業からもらえる「外的報酬」に該当します。
アメリカの心理学者であるフレデリック・ハーズバーグが提唱した二要因理論によると、外的報酬が足りない時、人は不満を持ちます。しかし、過剰に与えられたとしても、モチベーションは上がりません。
もちろん、企業が分配できる原資にも限りもあります。その一方で、社員個人が必要と感じる賃金の水準は一人ひとり異なります。
つまり、外的報酬は多く与えれば、社員が満足し力を発揮するわけではないのです。つまり賃金は「“満足”ではなく“納得”」をめざすのが、ひとつのあるべき姿なのかもしれません。
2.賃金制度と他制度の関係
具体的に、賃金はどのように変化する(上がる・下がる)のでしょうか。
出発点は「個人の変化」です。
個人の変化が「人事評価」「等級」という他の人事制度を介して、最終的に報酬(賃金)に反映されます。
人事評価結果が直接賃金変化に反映されることもありますし、人事評価結果が等級変動に反映され、その後に賃金変化につながることもあります。
実はこの2つの制度を介して賃金が変動するのは、日本企業における賃金制度の特徴の一つです。有機的で一度に捉えることが難しい複雑さを持ち、場合によっては社員であっても「自分の賃金は何に対して払われているか」を明確に答えられないケースもあります。
欧米企業では「現在担っている職務」が変われば、賃金が変更されるシンプルな構造です。
なぜ日本企業の賃金制度の仕組みは、複雑なのでしょうか。
細かい点を挙げればキリががありませんが、大前提として日本企業の賃金制度は「会社への長期の貢献」という期待があるという点に集約されます。
そのため、基本給の決め方は「総合的な評価」や「能力評価」と曖昧な要素を用い、毎月の支給額が変動しないことがほとんどです。かつては、定期昇給やベースアップなど、人事評価を介さずに基本給が上がる仕組みも当たり前でした。
加えて、従来型日本企業が持つ年功序列の考え方も、この複雑性に加担しています。
「勤続年数が増える」ことは、能力が向上しているはずと考えます。その結果、基本給を上げ、退職金を上げ、日本企業において「長く務めること=賃金を上げること」という認識に置き換わってしまったことは否定できません。
3.賃金の構造とは
賃金は「基本給」「賞与」「手当」から成り立っています。
一つひとつ、内容と設計にあたって留意すべき事をお伝えします。
基本給とは
基本給とは「賃金」のベースとなるものです。
給与・棒給と呼ばれることもありますが、その名の通り基本となる給料のことです。
日本企業は「年功給」「職能給」「職務給」の3つの基本給が一般的で、複合的に組み合わせて運用していることが多いでしょう。
【年功給】
年功給は、学歴・年齢・勤続年数に支払う賃金です。
社員に対して生活面での安定感を与え、長期勤続による経験を促進するメリットがあります。また、マネジメントコストがかからない、リーズナブルな仕組みともいえます。
一方で、仕事の内容や能力の向上と無関係に賃金が上昇していくため、本人の意欲の向上に寄与しないだけでなく、若手社員を中心に周囲のモチベーションにも悪影響があることがデメリットです。
もちろん、高齢化が進む日本企業においては、年功給は総額人件費にも圧迫材料となります。そのため、近年では見直しや廃止の動きが加速している給与であることは、いうまでもありません。
【職能給】
職能給は、職務遂行能力に支払う賃金です。
社員の能力向上への意欲が喚起され、たとえポストがなくても能力が向上すれば賃金を上げることが出来る点がメリットです。新卒採用された社員も、仕事の成果は出せずとも、自身の能力を高めることで、賃金は上がります。
一方、能力は把握が難しいため、基準が曖昧になりがちです。そのため、年功的な運用に傾きがちになる点が注意点でしょう。
【職務給】
職務給は、現在遂行している仕事に支払う賃金です。
基準の明確さと「同一労働・同一賃金」の原則に基づいた、公平性と合理性がメリットです。高齢化や長期勤続化といった属人的条件の影響を受けることがなく、インフレの心配もありません。
一方で、上位等級の職務に就かない限りは賃金が上昇しないため、社員の能力開発意欲の低下が心配されるポイントです。また、職務を細分化して定義する設計や更新に、一定数の工数も発生します。
賞与とは
「賞与」は、労働基準法の通達に、以下の通り定義されています。
「定期または臨時に、原則として従業員の勤務成績に応じて支給され、その額があらかじめ定められていないもの」と |
つまり、賞与はその支給の有無や算定方法について、法律での定めではなく、企業が自由に設計できることが特徴といえます。
実態として9割以上の日本企業に賞与制度があり、その算定方法は「考課査定により算定(個人別業績)」「定率算定(基本給全体が対象)」が過半数を超えています。
基本給をベースとしつつも、個人の業績評価の比率を多くすれば、結果的に年収における業績の反映比率を高める設計も可能になります。
このように、賞与の設計は企業の自由度が高いため、人事ポリシーを如実に反映しやすい賃金といえるでしょう。
もう一つの賞与の特徴としては、企業の人件費コントロールの調整弁としても使用できる点です。
業績が好調な時には賞与額を増やし、業績が不振な時は賞与を少なくすることができます。短期の成果を「宝の山分け」として分配する意味合いがあるのです。
なお、日本企業の賞与の支給時期が夏と冬に集中しているのは、一説によると江戸時代の商人が奉公人に配った「仕着(しきせ)」が由来とされています。
出費がかさむお盆と年末の時期に「生活を支援する」意味を込めているそうです。
手当とは
「手当」は、賃金のうち「基本給を補充する」ことと「生活を配慮し支える」ことを目的に支払われる諸費用です。
手当のうち残業手当や休日出勤手当など、労働時間に関する手当は労働基準法で定められていますが、それ以外の手当については企業が自由に設計できます。
「住宅手当」「役職手当」などよく耳にする手当に加え、「家族手当」「皆勤手当」「資格手当」など、実際に手当内容は各社バラエティーに富んでいます。
つまり、「どんな種類の手当があるか」を見れば、企業の「何に報いたいか」という考え方を理解することができます。
ただし、古くからある手当は、人事部門の人間でも算出根拠を説明できないという状況も少なくはありません。昨今は、手当は最低限の生活支援のもののみとし、使途不明な手当は廃止する動きも増えています。
4.賃金制度の設計ポイント
ここまで賃金の種類や特徴を説明してきましたが、仮にゼロから賃金制度を設計する場合のプロセスを紹介します。
賃金制度設計のプロセスとは
おおよそ、以下の5つのステップで賃金制度の設計は進めます。
- 報酬体系を決める
- 賃金水準の根拠を決める
- 基本給のレンジ(幅)を決める
- 昇給テーブルを作る
- 賞与テーブルを作る
設計で気を付ける点の一つ目は「採用市場で競争力があるかどうか」です。
企業は外部から人材を採用するためにも、また既存の必要な人材が離職してしまわないためにも、競争力がある賃金制度が求められます。
水準そのものが高いことだけではなく、何に対して賃金を支払うかという観点も重要です。能力か、態度か、成果か、勤続年数か……。
求める人材に対して魅力がある賃金の示し方ができるか、賃金変動の根拠を説明できるか、などに配慮しましょう。
もう一点気を付けるべき点は「総額人件費コントロール」の観点です。
企業は、人件費の総額が企業経営を圧迫しないよう、適正な水準にコントロールする必要があります。
そのため、管理指標として「労働分配率」に代表されるような、企業売上に占める人件費の割合を算出する付加価値指標を用います。
高度経済成長下の日本企業は、売上げと人件費の関係性に無頓着でした。業績が悪化してから人件費の捻出に苦慮し、結果的に分配方法がやや歪にならざるを得なかった反省を忘れてはなりません。
賃金の反映先の設計とは
賃金制度ができたら、具体的な運用方法、つまり「人事評価や等級を、賃金制度のどこにどれだけ反映させるか」を決めます。
前述した賃金の構成要素(基本給・賞与・手当)がメインの反映先になりますが、厳密には退職金やストックオプションなど、細かい点まで運用ルールを決めることが重要です。
この際、重要となるのが「月例給与」「賞与」への反映比率でしょう。
成果や業績評価結果など変動が強い要素を月例給に反映することは、日本企業ではあまり見られません。月例給が変動すると、社員は生活設計がしにくくなるからです。
つまり、能力やプロセス評価は主に月例給に反映し、成果評価は賞与に反映する企業がほとんどでしょう。
ただし評価制度同様、一般社員と管理職で反映方法・比率を変えるなど、企業ごとのメッセージ性を強めるケースもあります。
まとめ
日本企業の賃金水準が、OECDの加盟諸国のなかでも最下位のグループにあるというニュースを、最近見聞きした方も多いのではないでしょうか。
従来の日本企業は、従業員を「人的資源」(Human resource) と捉え、人件費や採用費など人にまつわるお金は「費用」とする考え方が大半でした。
資源という言葉の通り、従業員が身に着けた能力を、いかに効率的に「消費」するかという解釈になります。
そのため、人材に投じる資金はコストとして捉えられ、いかに支出を抑えるかがマネジメントの主眼になりがちでした。
しかし、経済産業省が提言する「人的資本経営」では、従業員を「人的資本」(Human capital) と定義しています。
資本である従業員に対して賃金を支払うのは、適切な「投資」をすることに他なりません。
社員にとって納得感が高い賃金制度を整えることは、将来的な企業競争力への投資と認識し、見直すべき点がないかどうかを確認するようにしましょう。