組織改革/人的資本

企業競争力を上げる「人的資本経営」

 

近年、大手企業のみならず中小企業においても「人的資本」(Human capital) という言葉が注目されています。

従業員を資本として捉える「人的資本経営」へとシフトさせた企業が、企業の競争力に磨きをかけている背景が影響しているためです。

しかし「人的資本経営は広い概念で理解できない」「具体的に何に着手すればいいか分からない」という声も一定数あります。

今回は人的資本経営が注目されている背景を踏まえ、企業競争力の向上につなげるための施策のヒントについて解説します。

 


1.海外で進む人的資本経営

人的資本という概念は新しいものではなく、一説には18世紀イギリスの産業革命時代にさかのぼるともいわれます。

海外では日本よりも先行して、「人的資本経営」を導入する動きが進んでいます。
欧州では2017年以降、企業に対して人的資本に関する情報の開示が義務付けられました。アメリカでも、米国証券取引所が上場企業における人的資本についての情報の開示ルールが30年ぶりに改定されました。

アメリカの知的財産に関するアドバイザリー企業であるOcean Tomoが発表した「Intangible Asset Market Value Study」によると、S&P500の市場価値の構成要素として、近年は無形資産が大きく増加しているのも見逃せません。

1975年には有形資産が8割ほどだったのが、2015年には逆転し、2020年には無形資産の割合が9割を超えていることがわかります。
市場価値の構成要素として無形資産が重視される傾向からも、人的資本が企業競争力に与える影響の強さがうかがえます

参考:OCEAN TOMO「Intangible Asset Market Value Study」

一方、日本の中小企業に目を転じると、人的資本をはじめとした無形資産に着目している企業はまだ少数という印象が拭えません。
逆の見方をすると、世の中の中小企業に先駆けて人的資本に着目すれば、数年後には大きな競争力につながる可能性があるともいえるでしょう


2.これまでの日本企業の考えヒト=コスト

次に、日本での人的資本経営の広がりを確認していきます。

日本では、2020年に経済産業省の「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」が通称『人材版伊藤レポート』と呼ばれる報告書を公表しました。これは、座長である伊藤邦雄(一橋大学CFO教育研究センター長)の名前に由来します。

人材版伊藤レポートでは、人材の価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる人的資本経営というあり方を提唱しています。

従来の日本企業は、従業員を「人的資源」(Human resource) と捉え、採用や教育費などは「費用」とする考え方が大半でした。
資源という言葉の通り、従業員が身に着けた能力を、いかに効率的に「消費」するかという解釈になります。そのため、人材に投じる資金はコストとして捉えられ、いかに支出を抑えるかがマネジメントの主眼になりがちでした。

経済産業省の提言で注目すべきは、従業員を「人的資本」(Human capital) と定義している点です。
資本である従業員に対して適切な「投資」を行うことで、現在よりも高い企業価値を生み出し、結果として企業優位性の源泉につなげる考え方です。


3.ヒトの成長が企業価値を増大させる

人的資本経営の考え方そのものには、多くの中小企業経営者も賛同することでしょう。
しかし頭では分かっても、現実的に人材に投資した時のリターンが想像しきれず、施策の手が止まるという企業が多いのも事実です。

日本企業の人的資本経営への取り組みとその効果について、2022年10月にアビームコンサルティングが興味深い調査結果を発表しています。

企業が自社の人材育成や戦略を社内外に公表する人的資本の「開示」、開示した内容に基づいて全社的に運用する「実践」について、どちらにも取り組んでいる企業は11%にすぎない現状が明らかになったのです。

ただし、売り上げが拡大している成長企業はマイナス成長企業と比べると、人的資本経営について「理解している」割合は1.82倍にもなっています。さらに、開示している割合は1.58倍、実践している割合は1.71倍の開きがありました。


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さらに人的資本経営に取り組む理由について、マイナス成長企業と成長企業で違いがあることも分かってきました。

マイナス成長企業の取り組み理由としては「企業ブランドの向上を期待できるから」という回答が最多になったのに対し、成長企業では、企業内部を意識した「従業員のエンゲージメントが高まると期待できるから」や「説明責任を通して経営層の意識を変えることができるから」という回答の割合がより高くなりました。

つまり、マイナス成長企業は「外部へのアピール」を重要視し、成長企業は取り組みを機に「内部の改革」に踏み込もうとする意思が強いといえます。

この結果から、人的資本経営は内部の改革に取り組むことが要諦であり、最終的には企業成長にも寄与することがお分かりいただけるかと思います。


4.人的資本経営における3つの視点と5つの要素

実際に人的資本経営に取り組むとは、一体何をすることなのでしょうか。
ここでは「伊藤レポート」で提言されている人材資本経営を進める上での3つの視点と5つの共通要素(3P・5Fモデル)の枠組みについて解説します。

3つの視点(Perspectives)

  1. 経営戦略と人材戦略の連動
  2. As is(現状)-To be(理想)ギャップの定量把握
  3. 企業文化への定着

第一に、経営戦略の実現を支える人材戦略を構築・実行すること、そして現状とのギャップを定量的に把握した上で定期的に見直しを行うことが重要です。

前提として「As is-To beギャップ」を把握するためには、従業員のデータを迅速に収集できるよう、あらかじめ人事情報基盤を整備しておく必要があります。

また、新たな人材戦略を企業文化へと定着させるには、経営トップが自ら積極的に発信し、直接従業員と対話することが有効とされています。

その中でも特に注目したいのが、一つめの「経営戦略と人材戦略の連動」です。
経営戦略と人材戦略は車の両輪のような関係で、連動し合って真の効果を発揮するからです。このため、同レポートでは「企業は自社のビジネスモデルや経営戦略に向き合い、自社に適した人材戦略を考える必要がある」と強調しています。

5つの共通要素(Factors)

  1. 動的な人材ポートフォリオ
  2. 知・経験のダイバーシティ&インクルージョン
  3. リスキル・学び直し
  4. 従業員エンゲージメント
  5. 時間や場所にとらわれない働き方

どの企業の人材戦略にも共通して取り入れるべき要素として、経営戦略の実現に向けて必要な人材ポートフォリオを策定すること、個人・組織を活性化するためにD&Iやリスキルを促進し、従業員が主体的・意欲的に業務に取り組む環境を整備することが挙げられています。

また、多様化する人材や働き方への対応、さらに事業継続の観点からも、従業員がいつでもどこでも働ける環境をつくることが求められています。

この中で人材資本経営実現の前提となるのが「動的な人材ポートフォリオ」です。
変化が激しい経営環境や新しいビジネスモデルに、柔軟に人材を対応させていく考え方です。従来型の画一的な採用や従業員教育を行っている日本企業には、視点を大きく変える必要があるでしょう。

そのためにも「将来的な目標からバックキャストする形で、必要となる人材の要件を定義し、その要件を充たす人材を獲得・育成することが求められる」とレポートでは述べています。


5.従業員エンゲージメントを経営の中心に置く

人的資本経営の中身を解説してきましたが、いずれの観点でも経営が一方的に施策を押し付けるのではなく、従業員からの賛同・コミットメントが前提となります。

そのためには、従業員エンゲージメントは不可欠な要素であり、従業員エンゲージメントが低下したままの状況では、どのような施策を打っても効果は見込めないでしょう。
愛着や信頼のない企業に対し、従業員は自身の知識や能力、つまり人的資本を余すことなく提供しようとは考えないためです。

人的資本経営を推進すること自体が、経営が「人材を資本と捉えている」という宣言に他なりません。様子見で施策に取り組むのではなく、経営戦略や経営ビジョンの大きな柱として人的資本経営を掲げることが、従業員エンゲージメントには刺激を与えるでしょう。

もちろんビジョンは掲げるだけでなく、実行して初めて意味が伝わります。たとえ今現在エンゲージメントが不十分な状態であっても、施策を遂行するプロセスが従業員との信頼関係を深めるきっかけとなる可能性があります。

従業員エンゲージメントは、何かの施策を打ったからといってすぐに向上するものではありません。最も避けるべきは、方針を掲げて施策が途中頓挫する事態です。
期待を煽られた従業員は落胆・失望してしまい、むしろ施策実行前よりも企業への信頼感が低下する懸念もあるでしょう。

 

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まとめ

人的資本経営はややもすると「流行り言葉」的になり、当面の施策に着手して安心してしまう企業が少なくないのも実態です。

企業の根幹となる経営戦略を支えていくのは、人の力です。今後の企業に求められるのは、自社の人材の価値を引き出し、力を発揮できるようにしていくことでしょう。そのためにも人的資本経営に向き合い、将来を見据えた経営を全社で進めていくことが望ましいです。

古くから「社風」のような法人格に人格を付与する文化がある日本企業にとっては、人的資本経営は決して流行りの概念ではありません。むしろ日本企業にとっては“古くて新しい”ような概念です。

人的資本経営を短期の流行と捉えるのではなく、将来あるべき自社の姿を考えていくきっかけとして捉え、「人の強み=企業の競争力」が成立する状態をめざしましょう。



JOB Scope編集部

著者: JOB Scope編集部

新しい働き方、DX環境下での人的資本経営を実現し、キャリアマネジメント、組織変革、企業強化から経営変革するグローバル標準人事クラウドサービス【JOB Scope】を運営しています。