「人を生かして事をなす」という意味を内包しているのが「人事」の仕事です。
その言葉の通り、人に関わることはすべからく人事の仕事になります。業務範囲が広くなりがちな反面、何でも仕事にできる可能性がある仕事といえます。このように捉えると、人事は「スペシャリスト」と思われることが多い職種ですが、本来的にはマーケティングや経営学など、実に広くて高い視点が求められるのです。ただし、現実的には目の前でやるべき仕事もあることに加え、人事管理上の基本知識も必要となるでしょう。人事という仕事に可能性は見出しつつも、目前の課題対処と本来的なビジョンとどう折り合いをつければいいか分からないという声も聞かれます。
今回の記事は、人事部門が抱えている課題から、将来的にどのような戦略や展望を持つべきかを考えていきます。
前回の記事『「人事」の真価をどう見出すか ~将来的な企業成長を左右する人事のあり方とは~』では、「多忙化」「孤立化」「エンドレス化」の3つのキーワードで、人事パーソンが置かれた厳しい現実を紹介しました。
一方で「会社や事業の成長に貢献できる」「新しいことにチャレンジできる」など、人事の仕事の魅力や兆しも確認できました。
では人事は何にチャレンジしようとしているのでしょうか。 今後2-3年で注力したいテーマについて、人事パーソンに聞いた調査結果を紹介します。
▼今後2-3年で注力したい人材・組織のテーマ ※複数回答あり
参考:【2023年版】人事部門の抱える課題|解決するためのポイントとは
この調査結果の上位項目を見ても分かるように「テレワークの推進」「長時間労働の是正」「オフィス環境整備」のような、時流を踏まえた喫緊の課題が並んでいます。
その一方で、上位項目には「次世代リーダーの育成」「戦略的な配置や異動」「育成制度の見直し」など、中長期目線で取り組むべき戦略課題も混在しています。
人事部門に限らず、ビジネスパーソンであれば、誰しもこのような「MUSTでやるべき目の前の課題」と「WANTとしてやりたい中長期の課題」のジレンマに、悩んだ経験はあるのではないでしょうか。
世界中で4000万部以上のベストセラーになり、日本企業の人材開発でも広く活用されている『7つの習慣』では、時間の使い方についての指南がされています。
課題を「緊急度」と「重要度」で4象限に区分し、スケジュールには「緊急ではないものの、重要な課題(大きな石)」という領域に入るタスクを優先的に入れるべきという考え方です。
しかし多くのビジネスパーソンは、「重要ではないものの、緊急性が高い課題(小さな石)」タスクをついつい優先的に取り組んでしまいます。すると、人の時間キャパシティ(『7つの習慣』では、キャパシティをバケツに例えています)は小さな石で埋まってしまい、大きな石が入るスペースがなくなってしまうのです。
もちろん、小さな石も取り組む価値が高い課題ではあります。
ただし、小さな石に取り組みつつも「次世代リーダー育成」や「人材開発戦略の見直し」など大きな石に取り組む時間を、意図的に捻出することが重要です。
目の前の実務に必死になる人事部門に少なからず衝撃を与えたのが、米国ミシガン大学の教授 デイビッド・ウルリッチが提唱した「戦略人事」という考え方です。
戦略人事とは「戦略的人的資源管理(Strategic Human Resources Management)」のことです。企業の経営戦略の目的達成を目指して、人的マネジメントを行っていくことを意味します。
戦略人事は、企業の経営目標や経営計画の実現と、人と組織マネジメントを関連付ける考え方です。 2000年代初頭には、従来型の日本企業での人事部門にはない斬新な視点といわれ、多くの企業に刺激を与えました。 ウルリッチ教授の著作である『MBAの人材戦略』には、戦略人事を提唱する前提となる「人事の4つの役割」についてまとめられています。
【図:ウルリッチの定義による「人事の4つの役割」】
「戦略人事」の考え方では、人事部門は管理業務に留まらず、経営者のビジネスパートナーとしての役割まで担っています。企業目標の達成のために、積極的に経営に参画する位置づけです。労務管理や給与支払いなどの管理業務、あるいは教育研修などを担当している人事の方は、「日常」ベクトルの、下部の2つの役割は親和性を感じるかもしれません。
ただし、前章の調査のような「緊急性は低いが重要な中長期の課題」に取り組むには、言わずもがなですが、「未来」ベクトルに入る上部2つの役割が重要となるでしょう。
例えば「戦略実現パートナー」では、経営目線に立ち、企業ビジョン・ミッションと連動させた人事戦略を描く必要があります。または「変革推進エージェント」としては、たとえ社員の痛みを伴う人事制度変革であっても、力強く推進することが求められます。
つまり、戦略人事を標榜するなら、人事部門は自社の経営戦略を深く理解することが前提になります。未来型の戦略人事を目指すなら、なおさらその視点は強く必要になるでしょう。「自分たちは経営戦略上の課題を、人的資産の面から解決する組織である」という当事者意識やプロフェッショナル意識を持つことが重要となります。
では、現役の人事パーソンは人事の「4つの役割」について、どのように感じているのでしょうか。
現時点(2021年時)と5年後の優先順位について回答された調査を紹介いたします。
▼【現状と5年後に重視される人事の役割】
※編集部注釈:引用調査内の定義を、ウルリッチの定義上「理念・バリュー実現パートナー=変革推進エージェント」、「実務推進パートナー=管理エキスパート」、「従業員パートナー=従業員チャンピオン」と置き換えて解釈
現在、重視するものとして最も多く選択されたのは「1.戦略実現パートナー」(39.1%)でした。次に多いのが「3.従業員パートナー」(23.2%)で、「4.理念・バリュー実現パートナー」(19.3%)、「2.実務推進パートナー」(18.3%)についても、大きな差なく回答が分かれています。
5年後についても、現在と同様に「1.戦略実現パートナー」(38.7%)が最も多く選択されている状況に変わりはありませんが、次に多く選択されているのが「4.理念・バリュー実現パートナー」(23.6%)となっています。
結果のグラフを見るだけでは「現在」と「5年後」に大きな差は見られないと感じるかもしれません。しかし数値上では、わずかに「従業員パートナー」と「実務推進パートナー」の選択率が、5年後には減少していることが分かります。
さらに、現在重視している選択肢を選んだ回答者ごとに、5年後の選択状況はどのように変化したの結果も確認していきましょう。
【一番重視する役割 現在と5年後の選択の変化】
現在、一番重視する役割として「1.戦略実現パートナー」を選んでいた人のうち、5年後も「1.戦略実現パートナー」を選んでいたのは72.4%で、「4.理念・バリュー実現パートナー」は69.5%が同じ選択をしていました。
一方、「2.実務推進パートナー」と「3.従業員パートナー」は、それぞれ54.4%、53.5%と、同じ選択だったのは半数程度にとどまっています。
つまり、この2つを選んだ半数近くの人事パーソンは、5年後には重視する役割の優先順位が変わるという見通しをもっている傾向が確認できました。
この調査を実施した時期(2021年)は、ちょうどコロナ禍に該当し「テレワーク環境整備」や「勤怠管理のDX化」など、喫緊の課題を着手せざるを得なかった状況だったかもしれません。
その反動として、5年後のありたい姿が「未来志向」に偏ったのかもしれません。
いずれにしても、人事パーソンの多くは未来に目を向けたいという意向は確認できました。
「多忙化」「孤立化」「エンドレス化」の現状に留まり続けることをよしとせず、5年後には別のありたい姿を実現したいという意志表明ともいえます。
この先は、意向だけではなくどの程度実践に移せるかどうかで、人事の胆力やチャレンジ力が試されるのではないでしょうか。
ウルリッチの戦略人事のフレームで「未来志向」の人事の役割を担うのであれば、実践で参考にしたいのが諸葛孔明です。
言わずと知れた、三国志時代に活躍した蜀国の政治家、軍師です。
その努力と才能から巧みな戦略を生み出し、数々の戦に勝ち続けたことで天才軍師と呼ばれるようになりました。有名な「天下三分の計」では、正面から対等に戦えない相手に対し、実に巧みな戦略で弱小軍団に勝利を呼び込んだことで有名です。
諸葛孔明の戦略作りの視界は、まさに「正解がない人事の世界」のお手本のようなものでしょう。
「採用ブランドが弱い」「年功序列から脱却できない」「退職者が多すぎる」など、すぐに変化が難しい要素で悲観的になっているだけでは事態は変化しません。
重要なのは、どんな小さな一歩や奇策であっても、あるべき姿に向けて知恵を絞り続けることです。
時にはトライした結果のエラーがあるかもしれませんが、愚直にチャレンジを続けた先に、勝者の舞台が見え始めるのかもしれません。なお、このような「知恵と工夫で弱者が強者を脅かす作戦」は、諸葛孔明は蜀漢の初代皇帝であった劉備に進言したといわれています。
この関係性はまさに経営者と、戦略人事パートナーとしての人事部門の関係に近いのではないでしょうか。
現代はどの企業でも、モノづくりだけでは勝てない時代です。
人(社員)の力を最大限引き出す大胆な戦略を考案し、経営に進言することが求められているでしょう。
さらに、諸葛孔明は占星術、天文、地理、気象など幅広い学問を身に着けており、「学ぶにあらざれば以て才を広むるなく、志あるにあらざれば以て学を成すなし」という言葉を残しています。
学ぶことで才能は開花するのであって、志がなければ、学問の完成はないという意味です。
知識がないことには、経営者へ進言するに値する戦略は立てられません。
ただし、経営者や社員を実際に動かし、描いた戦略を完遂するためには「必ずやりきる」という志や信念が必要にもなります。
自由に夢が描ける「人事」というフィールドで、何を成すべきかをいま一度フラットに考えてみてはいかがでしょうか。