経済産業省は、2024年を「中堅企業元年」と位置づけ、成長意欲のある中堅企業に対する成長支援を推進している。具体的には、設備投資やM&A を促進する税制措置等を講じたり、新規事業を支援している。なぜ、このタイミングで中堅企業をクローズアップするのかが気になるが、それだけ重要性が高まっているのは間違いない。こうした中、20年余に渡り中堅企業の経営者にインタビュー調査を行ってきた研究者がいる。千葉大学大学院社会科学研究院の清水 馨教授だ。後編では、日本企業でイノベーションが加速しない理由や近著に込めた思いなどを語ってもらった。
多くの研究者が紹介されているイノベーションの例は、すでに確立して出来上がっているものばかりです。非常に血湧き肉躍るような嬉しいお話が山のようにあります。実は後ろ側を見てみると、失敗した製品や断念した開発プロジェクトであふれています。大きなこと、急成長したことばかりに注目してしまう気持ちもわかりますが、少なくとも私が見てきた中堅企業はそうではありません。誰にも気づかれないようなことであったり、自分たちで勝手に思い込んでいて何も手を付けていなかったことを見直し少しずつ変更して、より良いものや使いやすいものに変えていく連続なのです。
そもそも「イノベーション」という言葉には「成功した」という意味が含まれています。失敗したものはイノベーションと呼びません。成功例と失敗例と突き合わせれば、成否の分岐点が分かるはずです。つまり、日本企業に必要なのは厳密にはイノベーションではなく、新しい試みを続けることと、新しい試みに付随する失敗を積極的に評価すること、そのための失敗に寛容な姿勢です。他人の失敗を笑い叩く意識を捨て、挑戦を称え、自分がいかに長く飽きずに、そして諦めずに挑み続けていくかが大切になってきます。特に中堅企業はそうです。それが呼び水になって引き合いが増えたり、新たな案件が舞い込んできたりします。なので、ある程度は我慢してやり続けることが、オーナー企業でもあり、中堅企業のイノベーションの素だと見ています。
自社にとって情報と利益をもたらす良いお客さんを選び続け、そうでないお客さんとの取引を見直すことです。どうしても、売上のためだけにズルズルと付き合わされてしまっているのが実態であったりします。過去の恩義や祖業に縛られず時代の流れを冷静に見た上で「そこまでやる必要がない」と判断すれば、社長自らがお客さんに出向いて取引を断るとかして、とにかく良いお客様を選び続けないといけません。ただ、中堅企業の多くはなかなか難しいのだろうと思います。
そうですね。元請からの要求に応えることで精一杯で、他の仕事まで手が回らない企業が多いのではないかと思います。まずは、自社技術や生産能力を客観視するのも一つの選択肢です。元請に「あなたの会社の技術レベルはその程度だ」と洗脳されて無茶な要求を飲んできたのかもしれません。「長期的な信頼関係を大切にしたい」「苦しい時に救ってくれた恩義がある」という思いもあるでしょう。
いきなり「下請から脱却しましょう」という乱暴な議論には組しませんが、やはり元請以外の仕事を取りに行くファイティングポーズは取り続けたいものです。元請以外のお客さんから自社の感触とライバルの状況を知ることによって自社技術と生産能力(身の丈、身の程)を客観視できます。また、元請の真の能力も透けて見えるようになります。そうすれば次の手も納得して打てるのではないでしょうか。
もし自社技術が元請の評価よりも高いと判断すれば、元請との交渉で「できないものはできない」「その価格ではできない」と言えるようになります。自分たちの能力を正しく認めてくれないお客さんであれば、どんなに大手であっても売上が大きくても社長自ら断るのが、従業員への示しでもあります。その点を経営者の方々には問いかけたいです。
経営者は何を考えていらっしゃるのか。変化にどうやって気づくのか。その辺りは気になります。全てのモノが同じ速度で動いているとしたら、そして自分が同じ速度で変わるなら、変化に気づけません。そればかりか、ビジネスチャンスはないです。でも実際にはモノによってスピード感は変わってきます。お金は瞬時に世界中を動きますし、技術は30年に一度大きく変わりますが、無意識の価値観はなかなか変わりません。そこに人々は喜び、もしくは不安に思うので、何らかの機会と脅威が生まれます。まさに、ビジネスの本質になってきます。その変化の速度の差は絶対どこかにあるはずです。そこをどうやって見つけられるかが経営者の腕の見せ所になってきます。その辺りの嗅覚をどう働かせているのかも気になります。
そうです。「今何に困っているのか」「どれぐらい先を見ているのか」などを直接聞いています。大体は5年から10年先までですかね。その中で何を考えているのかということです。「実は資金繰りに困っている」「新製品の開発が行き詰っている」…、経営者の悩みや課題はさまざまです。
どういう時間軸で物事を見ているのかもグルグルと変わっていきます。状況に応じて優先順位付けも変えていたりします。それらも観察させていただいています。他には、ヒト・カネ・モノ・生産などの項目をどうクルクルと変えているのかも勉強させてもらっています。
経営者にとって、何かを始めることの意思決定は簡単です。しかし、止めることの意思決定は難しいです。ただ、それは経営者にしかできないことであったりします。
例えば、売上と利益が出なくなったお客さんや見込みのない事業を止めるとか。たとえ過去にお世話になったお客さんであっても、会社の祖業であってももはや儲からないのであれば、そこを担当した従業員のこれまでの努力を無にしてしまうとしても、止めると決断を下せるのは社長だけです。それは、自社における能力の取捨選択です。それをやらないといけないことを常に頭の片隅に意識しておかないと、ズルズルといってしまう可能性があります。言い換えれば、自分のビジネスに感情移入しないということです。
もちろん、取捨選択のスピード感は業種によって違います。ネット系企業はすごく早いし速いです。だからといって、すぐに従業員を解雇するのではありません。「皆で勉強し直そう」と平気で社長が言っていますし、ご自身も専門の家庭教師をつけて勉強し続けています。思わず、「すごいなあ」と感心してしまいますが、能力の取捨選択は社長が号令をかけないとできなかったりします。
ビジョン、ミッション、バリュー(MVV)を明確にすること自体は悪いことではありません。自社独自の技術、もしくは提供する機能、特定のお客さんのいずれかを重視する姿勢を決めておくことは大切でしょう。技術を軸にして多様な産業と取引するのか、機能(例えば「包む」)を軸にしてあらゆる素材(紙、ポリ、木、金属、ガラス)を揃えるのか、特定のお客さんを軸として求められる技術と機能を提供するのか。企業が困難に直面した際に、守りたい優先順位があれば、決断を早く正確に効率良く下すことができます。
明確にし過ぎることが問題です。技術、ニーズ、お客さんの方針は常に変化し続けています。自社のMVVを全て固定すると動けなくなってしまいます。むしろ、軸以外はある程度柔軟にしておいて、いつでも変えられるぐらいな気持ちにしておかないといけません。「がっちり決めた瞬間に老化が始まる」とコメントされていた社長もいらっしゃいました。
その辺りは適当な回答をする経営者が多かったですね。だから、僕も聞いていて「大丈夫なのか」と思ったこともありましたが、「自分の会社はこうだ」なんて決めた瞬間にもう粗が見えてくるんだ、それは適当ではなく発想が柔軟なのだと気づかされました。
経営者が哲学を持ち、部長以上が共有し従業員が知っているのが理想です。ただ、その経営者が例えば30から60歳まで経営を続けたとしたら、誰も引き継げないんですよ。有能な社長過ぎるからです。あまりのカリスマ社長なので、一人でどんどん物事を決めてしってしまう。社員ももう喜んでついていくのですが、その社長が引退したら自分たちはどうなるのかという不安は隠しきれません。
社員も覚悟の上ならそれはそれですが、DNAを受け継げる会社にしていかないといけないと思います。100%コピーは無理でしょうけれど、「皆で変わっていこう」という意識を共有していってほしいと思います。その意味では、皆で繋いで行ける言葉は必要だと思います。
そうなんですけれど、誰しも危機に陥らない限り自分たちのMVVは意識しません。業績が急落した。お客さんが心変わりしてしまった。約束を反故にされた。お客さんが他社に買収されてしまった…。そうした話は良くあります。それはお客さんが悪かったのか、自分たちに才覚がなかったのか。世の中の流れがたまたまそうなったのか、それはいろいろ考えられるでしょう。
そうした場面に出くわして初めてMVVを見直したり、「やはり言語化しておいた方がいい」「ここだけは変えられない」みたいなことを考えるようになります。やはり、危機に陥らない限りはそこはあまり意識はされないと思います。
主に私の能力の制約で他にやりようがなかっただけです。苦しかったですよ。正直言えば、もっと立派なことを言う夢を持っていたんですがね。その夢を今のところ実現できていないというのが本音です。地味でしかなかったです。
中堅企業の経営者の中にも同じ気持ちを持った方がいらっしゃいました。表向きは、地道な努力と言っていますが、本当は一花咲かせたかったんです。「中堅企業と呼ばれても嬉しくもない」と言い切る経営者もおられました。「俺たちは大企業と肩を並べる会社にしたかったんだ。この歳ではもう無理だから、すごい悔しい」と語っていました。
従来までの経営学は、売り手の能力や資源を中心に見てきました。そうすると、能力や資源が沢山あれば良いということで、どうしても大企業オンリーの話になってしまうんです。それはそれでOKなのですが、中堅企業がどうやって生きていくのかいうと、お客さんとの差でしかなかったりします。
お客さんも能力を持っています。自分たちもそれ以上の能力を持っていかないとビジネスはできません。なので、売り手と買い手との能力差や機能差をどのぐらい自分たちの売りにしていくかです。そこをアピールしていけば、情報や利益がどんどん出てきます。そんな話をさせていただきたいと思いました。
私がインタビューさせてもらった中堅企業で特異なケースがありました。経営者がイケイケどんどんの方で、米国や中国にも一人で乗り込んでいました。ただ、孤軍奮闘したものの、ビジネスとしては成り立ちませんでした。その国の風習や商習慣を理解せずに、日本でうまくいったやり方をそのままに、ただただ「大和魂で行くぞ」と攻めていたからです。
やはり、商社や既に進出している日本企業と手を組んでいくとか、もっと策を練っていけば結果は変わったかもしれません。あくまでも結果論に過ぎませんが。現地で開催されている展示会への出展も同様です。中堅企業がいきなり単体でブースを構えるのではなく、最初はグループで出展していった方が良いと思います。
それこそ、製品がずば抜けていれば注目を集めることでしょうが、大抵はそうではなかったりします。この辺りは小出しにする方が良いと思います。最悪の場合には、その自慢の製品のアイディアだけを取られてお金をもらえないこともあったりしますからね。安易には考えないことです。
もちろん、支援メニューを活用するのは良いと思います。自治体や金融機関の担当者が熱心に対応してくださるのであれば、なおさら活用したいところです。ただし、自治体や金融機関は経済メカニズムだけでは説明できないさまざま力が作用するところなので、方針が変われば支援も変化していきます。それは予測不能でこちらのコントロールが利かないので、情け容赦なく理不尽に思うこともあるでしょう。信じていた支援が突然打ち切りになれば、中堅企業にとっても死活問題です。自分たちには安定した後ろ盾があると信じ込まないことが大切なのではないでしょうか。頼りにしすぎないことです。
大企業を対象とした研究だと、多くは自社の技術や経営者の才覚に多くのページを割きます。しかし、中堅企業の経営者の方々は口々に「何よりも大切なのは社員だ」と発言されます。
社員の教育と生活、社員を通じたお客さんに関する情報の収集が会社の生命線なのです。もちろん、経営者による情報収集も重要です。これは、中堅企業の経営者の一致した見解だと思います。そうしたコメントを聞く度に、やはり人事が大切になってくると感じています。
最近、気になっているのは「自分の成長」を気にする学生が多くなっていることです。これは、大人たちがキャリアプランを押し付けている弊害だと思います。「キャリアプランを描きなさい」と良く言っていますよね。そうした声を聞くと、「あなた自身は大学生の時に、自分のキャリアプランをしっかり作っていたのですか、どうして自分ができなかったことを、若者に押し付けるのですか」と聞きたくなってしまいます。
先ほどのMVVと同じで、あまりキャリアプランを考え過ぎるのはむしろ危険ですらあります。新しい課題に対して自分のキャリアプランに合うと思えば意欲的に取り組み、「私キラキラしてるでしょ」とアピールします。その一方で、合わないと思った瞬間に「コスパ、タイパが悪い」と言ってその課題から遠ざかります。本当は新しい課題の「パ」は見えないはずです。見えないから不安になり逃避したい気持ちは分かりますが、本当に逃げていては真の成長は望めないでしょう。キャリアプランは自分の経験や環境、人生のイベントなどでどんどん変わるし、希望と諦めの中で変えていくものです。
個人が組織に入るならば、組織の目的達成のために割り当てられた役割を果たすことが期待されます。組織として利益を生むためには「自分が」ではなく、お客さんや取引先、そして上司や同僚からの信頼が必要です。これが第一歩だと大学で教えなければならないと自戒を込めて思います。滅私奉公は前近代的である一方で、自分が判断基準になることも非現実的です。
大人は若者に自分たちができなかったことを押し付けるよりも、若者に毎日どういったお客さんの話を聞いてきたのか、お客さんは喜んでくれたのかを確認し、お客さんから「これっていつまでにできますか」と聞かれたときにどう答えるかをしっかりと教育することが必要になってくると思います。例えば、二重否定を発し続けるとやる気と責任感をなくしてしまうのでなるべく使わないように大人自身が意識を改める方が、長い目で見て大人も若者も生産的でしょう。常に社員が前向きな言葉を使い続けていけるような会社、職場にすることが企業経営者や人事担当者にとっては重要だと思います。
清水先生、貴重なお話をありがとうございました。
清水 馨氏
千葉大学大学院
社会科学研究院
教授
1992年3月慶應義塾大学 商学部卒。1998年3月慶應義塾大学 大学院商学研究科博士課程単位取得退学(2023年1月博士号取得)。2013年10月に千葉大学法政経学部教授に就任。2017年4月千葉大学大学院社会科学研究院教授に就任。現在に至る。