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同志社大学商学部教授太田原準氏のインタビュー/草の根イノベーションに立ち返ろう(後編)

作成者: JOB Scope編集部|2025/07/2

米の高騰が続いている。政府は備蓄米を放出したが、一向に収まる気配はない。いわゆる「令和の米騒動」だ。各地の米どころでは、増産を目指す動きもあるが「農業従事者の高齢化が進んでいる」「後継者がいない」「利益が出にくい」など、現場はさまざまな課題を抱えている。果たして日本の農業は、大丈夫なのであろうか。そうした社会課題の一助に繋がるかもしない取り組みが、同志社大学のゼミ活動を起点に始動した。どんなプロジェクトなのか、日本の農業にどのようなイノベーションをもたらす可能性があるのか。同志社大学商学部 教授の太田原 準氏に聞いた。インタビューの後編では、プロジェクトの今後やアントレプレナー輩出に向けた動きなどを語ってもらった。

01農業労働力支援アプリ「アグリコ」を開発、全国へと展開

具体的にはどう進めていかれたのですか。

まずは、学生が作業記録を付けました。依頼者や作業者の記録を突き合わせて最適なチームづくりに向けた要件を定義していって,UIとUXまでは卒業論文として仕上げました。ただ、悲しいかな。商学部の学生ですからプログラミングのスキルは持ち合わせていません。それで定義した要件を携えて理工学部の情報システムデザイン学会の小板研究室にプレゼンに行ったのです。「私たちの代わりに作ってもらえませんか」と。そうしたら、首席クラスの優秀な学生たちが興味を持ってくれて、半年程度で試作品を作ってくれました。すぐに花木さんに見せに行ったところ、「これが欲しかった。俺の頭の中にあった構想がここにある。これを使いたいから教育研究で終わらせないでほしい」と高く評価していただけました。

それで、2024年6月に農業労働力支援アプリの開発を手掛けるスタートアップ企業「AGRI-PASS(AGRIPASS)」を立ち上げました。出資者は、私と理工学部の小板教授の二人です。代表取締役は、フリーのエンジニアとしてさまざまな開発業務を請け負っていた小板研究室卒業生の江南君に頼みました。彼だけが専任で、そのほかは大手企業に就職していった商学部と理工学部のOB・OGが副業として、役員をしています。そんな体制です。

社長の江南君は非常に優秀です。かなり工数があったのですが、とんとん拍子でシステムを開発していきました。それで、花木さんの異動先であったJA全農ふくれん(全国農業協同組合連合会 福岡県本部)がシステムの利用権を買ってくれて、そこからJA全農おおいたやJA全農兵庫に貸し出しをしています。さらには、北海道産農畜産物の販売・購買・営農支援を行うホクレン農業協同組合連合会にもトライアル版が入っています。そういう形で、我々の仕組みを使った労働力支援の仕組みが、日本全国へと広がろうとしています。

02第二フェーズとして集落営農法人の情報統合に挑む

「AGRI-PASS」を今後どう展開させていきたいとお考えですか。

現時点で、番割(シフトと作業チームの編成))を自動化することまではできました。でも、これはまだ第一フェーズの開発が終わったに過ぎません。当面の応急措置として請負システムのボトルネック解消のためのシステムを構築しただけです。

本丸はここでありません。これから何が起きるかを考えると,農業の後継者を作らないといけません。これが、大問題になってきます。何しろ、後継者がいないから耕作放棄となるわけです。

農作業請負業は,外部から素人労働者、ノンスキルワーカーを圃場にいれることですが,本来はまず営農集落の中、農家同士ないしは集落営農法人(集落単位で農業を営む法人)同士でできるだけ労働力やスキル、情報、農機などを共有しあうのが望ましい姿です。一つの集落で限界に来ているのであれば、近隣の集落へと範囲を広げるとかして営農情報を統合していくことが必要になってきます。それでもなお作業計画が埋まらなければ,農作業請負を使っていくという順番が本来の姿です。そのためには集落営農のデータ基盤整備を進めなければならない。それが本丸だと考えています。農家や集落営農法人の経営データを統合し,バーチャルな経営体を作っていくイメージです。

ただ、データ統合と一口に言ってもそれはなかなか難しい。農業はノウハウの固まりですから。それに手掛けている農作物も違います。当然ながら、繁忙期も異なってきます。それらを調整してシフト管理や作業計画を広範囲に統合するとなると、大変な作業になります。とてもではないですが、属人的にExcelでやるわけにはいきませんし、もっと言えば農家のおじいちゃんやおばあちゃんはExcelが使えなかったりします。それでも、データを統合するとなると、誰かが入力を代行するところから始めないといけないのです。システムも必要ですし、農家に1年間の農作業スケジュールをヒアリングに行って、いつどれぐらいの労働力が必要か、収穫はどれぐらい見込めて、幾らぐらい儲かりそうかなどといったデータもすべて入力しないといけません。

そうして集めたデータを営農法人や農家単位で集めて,近隣地域の中で統合して、上手く組み合わせてその地域の作業計画に関するマスタープランを策定し、人をそれ通りに動かしていく。もし、穴が開いたら外部の労働力の請負で埋めていく。それによって、地域にある圃場の生産力の担い手を手当し、そのポテンシャルを発揮してもらうわけです。こうした活動を地域なのかJAなのか,あるいは自治体が推進していく。そんなビジョンを思い描いています。

03稼げる農業の仕組みづくりを目指す


まさに、無から有を生まないといけないということですね。

それをしないと日本の農業はダメになってしまいます。まさに、本田宗一郎が戦後の焼け野原を見て「バタバタ」を作ったような泥臭いことをやらないといけない段階に来ています。

具体的には、2025年7月から福岡の地域農協と連携して複数の集落営農法人が進めている農作業計画のデータ統合に着手する予定です。集落営農法人には、若い人もいますし、まだ動ける人もいます。また、農作物によって作業時期も異なってきます。個々の作業計画を繁閑散期が重ならないようにうまく組み合わせて、担い手を確保できるようにしていきます。それでも足りない部分は、農作業請負にお願いする。このデータ基盤整備と請負システムが出来れば相互に補完しあって,これからも集落営農は持続可能となります。これが今の時点での構想です。

これで、日本の農地をまずは守り、その上でどこをどう改善したら生産性を上げられるかを考え、それをベースに“稼げる農業の仕組み”を構築していきたいと考えています。実質所得が1000万円を超えるレベルになれば、「それなら後を継ぐか」と考えてUターンする人が出てくると思っています。そんな志のある若者を生み出していきたいです。有難いことに、このアイデアは農林水産業みらい基金が展開する「農林水産業みらいプロジェクト」に選ばれ、5000万円もの助成金を得ることができました。

「AGRI-PASS」によって、日本の農業にどんな未来がもたらされるとお考えですか。

今ある農地のなかには,律令制度の頃から続いてきた短冊形の区分田がまだまだ残っています。非効率な水田なのですが、これを一度でも辞めてしまうと戻りません。ここまで代々維持してきたものです。守っていかないといけませんし,守っていけば文化遺産,産業遺産となります。

水田の価値は、そこで獲れるお米の出荷額だけで計算してはいけないのです。食料安全保障も含めた多面的価値に基づいて計算する必要があります。先に話した9.1農業のように、圃場を守るためにも多くの人が人生の中で少しでも農業に携わっていく必要があります。収穫期に企業単位や町内会単位で稲刈りに参加するだけでも良いのです。そうしたことを少しやるだけでも、日本の食料自給率や米の生産力を守ることができます。米の価格も下げられるわけです。9.1農業のコンセプトは「あなたのライフスタイルに農的生活を1割取り入れませんか?」です。要は、人生の1割を農業に使って自分たちの食料安全保障を守っていきましょうという提案をしています。現状では農業政策のメインストリームではないですが,補完的に推進していく価値は十分にあると考えています。

そのような動きにAGRI-PASS社の開発するシステムが加われば,農業に関わってみようという人たちが増えるはずですし,効率よく機能します。何なら、農作業のお手伝いとして自分が一カ月に食べるお米をお礼にもらって帰ることもできるかもしれません。そういった形で、皆がWin-Winになっていけたらと願っています。

 

04文系と理系が融合し、現場の課題に向き合う姿勢が評価される


AGRI-PASS社の取り組みは、各方面から高い評価を得ています。どういった点が評価されているとお考えですか。

やはり、文系と理系が連携して展開していることだと思います。私たちからすると、研究が一番大事ですが、研究を通じた教育が本学における建学の精神です。やはり、同志社の「良心教育」に沿って学生のリサーチ・クエスチョンやアイデア、行動力を育成する場所としてスタートアップ、あるいはアントレプレナーシップ教育を位置付けているわけで,それの良い実例となっていると思います。

商学部の学生たちが発掘してきたリアルなニーズ、そしてそれをシステムに落とし込むまでの要件定義を文系が担い、それを理系が動くシステムとして試作する。そして、両者が協働して現場に実装し、使えるシステムにまで仕上げていく。この分業と協業が持つ教育効果の高さが評価されていると思います。文系だけではいつまで経っても絵に描いた餅で動く製品には至りません。理系に任せるだけであったら、「何に使うのか良くわからない」プログラムで終わっていたでしょう。本当にそれを必要としている人たちをイメージできず、実際にフィードバックをもらうこともなかったはずです。

でも、「AGRI-PASS」では文系と理系が一緒になって現場にシステムを持ち込んで、現場の方々に使ってもらいフィードバックを得ました。「使いづらいじゃないか」とかなり文句も言われました。学生たちは、半泣きで直していましたよ。「これが現場なのか」と言いながらね。そういうところが評価された気がします。やはり、現場で困っている人たちの課題に真正面から向き合っていったからこそだと思っています。

太田原先生は、現場で困っている人たちになぜそこまで手を差し伸べて、そしてまた学生たちに伴走し、泥臭いことも苦にせず活動を支援されているのですか。

二つの要因があります。一つは、研究者としての30代前半を当時東京大学にいらした藤本隆宏先生の研究プロジェクトで過ごさせていただいたことです。藤本先生は、1000回以上も製造業の現場を訪れてものづくりの本質を理論化された、素晴らしい研究者です。影響が大きかったですね。他にも京都大学の塩地洋先生の自動車ディーラーや中古車流通の研究から、あまり注目されない事例から重要なメッセージをくみ取る姿勢を学びました。

もう一つは、私のルーツに絡んできます。私の父である太田原高昭は農業経済学者でした。北海道大学の農学部で長い間、教壇に立っていたんです。ご存じの通り、北海道は農業が基幹産業です。農業セクターには、民間のコンサルタントを雇うような資金力はないので、どうしても大学を頼りにします。なので、「この地域はこれを作った方が良い」「この農協の指導者は素晴らしい」などと、農家の方たちと膝詰めで話をしている親の姿を,子供のころに見ていたのが大きいですね。子供の頃に現地調査やゼミ旅行によく連れていってもらいました。

そういう意味では、農業労働力支援アプリがホクレン農業協同組合連合会に本格導入されるようになったら、お父様に自慢できますね。

そうですね。もし、生きていたら「何て言ってくれたかな」と思ってしまいます。一つ面白いエピソードがあります。実は「AGRI-PASS」プロジェクトのパートナーである、理工学部の小板隆浩教授のお父さんは、私の父と北海道大学農学部や恵迪寮での同級生で親しかったんです。そんなことは、小板先生も私も全然知らずに一緒に仕事をしていた。不思議な縁を感じてしまいます。時を超えて、先代の想いを引き継いだ格好になっています。

05アントレプレナー輩出への土壌が整備されつつある


その小板先生と一緒にアントレプレナー輩出に向けて新規ビジネス開発プロジェクトの運営にも関わられておられますよね。その目的や概要をお聞かせください。

それが、「同志社ローム記念館プロジェクト」です。近年は、あちらこちらの大学でビジネスコンテストを開催していますが、本学はプロジェクト型教育を2003年に始動していますから、取り組みとしてはかなり早く先駆的であったと言えます。理系の学生を中心にこれまでに3500名ほどが参加し、400ぐらいのプロジェクトが立ち上がりました。いわゆる、PBL(プロジェクトベースドラーニング:プロジェクト型学習)として展開してきたのです。

それを、もっと進化させようということでPBLから「アントレプレナーシップ教育」へとシフトすることにしました。併せて、プロジェクトの支援パートナーとしてタナベコンサルティングを迎え入れ、彼らのクライアント企業の事業課題をお聞きし、それを学生らのアイデアで解決していく事業計画を作り上げてプレゼンするだけでなく、最終的には事業化するという、大学・学生・連携企業・タナベコンサルティングの4者がWin-Winとなる新規ビジネス開発プロジェクトを2025年から本格稼働させていく流れになっています。私たちには、文系・理系を越えて1つのチームとなることで、より革新的な新規事業が生まれるという確信がありますので、今から楽しみでなりません。

太田原先生からご覧になって、日本におけるアントレプレナー輩出の現状をどうご覧になられていますか。

私はさらに大きな動きに発展すると考えています。その理由は二つあります。一つは、副業が認められたことが大きいです。もう一つは、起業へのハードルが低くなっていることです。もはや、大企業に就職したら一生安泰という時代ではありません。にも拘わらず、多くが新卒で一斉に入社しています。初任給にかなり差がついてきていますが、それでもなおそうしています。学生たちも新卒で入社しても「どうせ3年ほどで辞めてしまうかも」と疑心暗鬼ですので、「これで良いのだろうか」と悶々としています。学生たちのモヤモヤは相当です。

そうした状況であるだけに、「自分たちがもし起業するとしたら何ができるのだろうか」と考える機会が、男女問わず、そして文系・理系問わず広がっていくと思っています。ですので、起業を志向する母集団が大きくなるはずです。それを後押しする方向で国も動いていますし、本学を含めて多くの大学がアントレプレナー教育に熱心に取り組んでいます。なので、これからは友人や知人に誘われて、「えいや」と起業にチャレンジする学生が増えていくと楽観視しています。実際、1回や2回失敗してもやり直せる仕組みがもう構築されています。それをもう少しマクロで広げていくことが大事なのではと思っているところです。

06硬直したジョブではなく、進化するジョブにしていきたい


ジョブ型雇用に関する先生の個人的な見解をお聞かせいただけますか。

大学院時代に、初めて学会に参加した折に,ある高名な先生に自己紹介した際、開口一番に「それで君は何ができるの?」と質問されました。つまり、私のキャリアは最初からジョブ型だったわけです。実際、そのすぐ後に龍谷大学の非常勤講師として初めて教壇に立ったのですが、誰も何も教えてくれず、今思っても嫌な汗をかくほどひどい授業をしていたと思います。まだ駆け出しである若造であるのに、学生からしてみればベテラン教授と同じ2単位をくれる大学の先生になったわけです。それに伴う種々の責任も新米だからと言って免責されません。私はジョブ型雇用の感覚は体で知っています。

一方で、メンバーシップ型雇用についても理解しているつもりです。今お世話になっている同志社大学は、着任した際に入社式という名の儀式があります。職員証も社員証と言います。昔は総長のことを社長と呼んでいたようです。これは、恐らく同志社ならではのエピソードだと思うのですが、ここにはやはり社風があって専門性を越えた、あるいはジョブを越えた何か、つまり「同志」というメンバーシップがあるんです。もちろん、大学教員なので社風一辺倒にはなりませんが、職員はもっと社風的なカルチャーに影響されていそうです。

私が言いたいのは、ジョブ型雇用かメンバーシップ型雇用かと、どちらか一辺倒ではなく、個人のうちにも組織のうちにも混ざり合うものだということです。ジョブ型雇用こそが近代的な雇用関係で、メンバーシップ型雇用は村社会で日本の雇用関係の抜きがたい後進性であるといった議論は、戦後何度も繰り返されて来ました。それが、令和になってもまだ続いているわけです。これはどこの国であってもゼロかイチの議論ではなくて、歴史的条件や業種の違いといった複雑な関係性の中で混在しているといった認識を私は持っています。

しかも、この手の議論は大抵は経団連(一般社団法人日本経済団体連合会)などに属する主要企業の人事制度を念頭に展開しているわけです。メンバーシップ型の本末は大企業です。農業や漁業、建設業、中小企業の事務から営業、あらゆるエッセンシャルワーカー(社会インフラの維持に不可欠な労働に従事する人々)のほとんどは日本でも昔から、「それで、君は何ができるのか」というジョブ型雇用と言うか、ジョブ型労働市場が大部分だと言えます。

経団連企業だって設立当初はジョブ型で始まっていたはずです。専門性を持った人々の分業とパートナーシップで始まり,会社が大きくなるに連れて競争上、新卒一括採用に乗り出します。これが、メンバーシップ採用の始まりです。その後、会社はますます大きくなり、カルチャーが育ち、定年まで勤め上げる人生の大きな部分をその会社で過ごす人々が増えます。給与は個人の生産性にではなく、組織内の分配制度に従います。最後まで務めると上手く辻褄が合うような制度です。

この仕組みがなぜ持たなくなったのかをあれこれ論証することは割愛します。ただ、言えるのはメンバーシップ型雇用が支配的な状況というのは、理論的な側面よりは歴史的条件によるものだということです。資本主義経済の経験値、人口構成の変化、ジェンダーギャップの解像度等々、そうした条件を挙げ出せば切りがありません。

最後に、中小、中堅企業の経営者や人事責任者にメッセージをお願いいたします。

“草の根イノベーション”をご自身も従業員にも、自分のジョブとするよう行動していただきたいです。ジョブ型雇用の先にあるものは、ジョブそのものをより良いものにしていくことです。硬直したジョブではなく、進化するジョブと言って良いでしょう。大変ですが、諦めずに続けていけば、小さな気づきを大きな変化に育てることができます。これができれば私も皆さんも日本も世界もより幸せになれると信じています。

太田原 準

同志社大学
商学部 教授  

専門分野は経営史、技術経営論。自動車産業を対象とした経営学・経営史の実証研究を行う。
2001年3月京都大学大学院経済学研究科修了(経済学博士)。龍谷大学、立命館大学非常勤講師や東邦学園大学専任講師、助教授を経て、2007年4月同志社大学商学部准教授に就任。
2013年4月から現職。

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