日本でもずっと言われ続けているのは「現場は強いけれども本社が弱い」という話です。例えば、東大を退任されて早稲田大学に移られた藤本隆宏先生は、もう20年前から指摘されています。私も全く同感です。ただ、これは日本だけではなくて海外でも同様です。
米国企業はレイオフ(一時的な解雇)をします。「本社の従業員を2割減らします」という感じでレイオフをする企業のほとんどが本社にメスを入れます。つまり、本社は放っておくと人がどんどん増えてしまいがちなのです。一方、日本企業は解雇ができないこともあり、本社が重いままであったり、非効率さが残ったままです。
日本企業はレイオフができないので、業績が好調な時代では「安易に人を切らずに頑張っている」と言われていました。しかし、今のように景気が悪くなったり、あるいは環境がすごく変わってきてしまうと、これまでのやり方を大きく変えなければいけないのに、本社が重荷になることがすごくあると思います。単に人が多いというだけでなく、本社の価値とは何かを本当に突き詰められてないのではと感じます。
というよりは、解雇ができないことが最初からわかっているのだから、それを前提に経営をしなくてはならないということだと思います。言い訳にするのはおかしいです。また、逆もあり得ます。私は、若い人がもっと会社を変わったら良いと思っています。どうしてかと言えば、緊張感が薄いのではないかと思うからです。
企業研修などで「海外ではイノベーションが起きるのに、日本でなぜ起きないのか」という話をすると、「海外企業は物凄いストックオプションをもらえたり、給料がアップしインセンティブになるからではないですか」と発言される方が結構います。しかし、イノベーションでも何でも良いのですが、日本では仕事絡みで大きな失敗をしたとしても、まず馘(くび)にはなりません。本流から外れることはあるかもしれませんがね。給料も下がらないでしょう。多分、ボーナスが少し下がる程度です。基本的にリスクがほとんどないのです。ならば、どんどんチャレンジすれば良いのです。ただ、そう言うと「えー」と拒否されがちです。
せっかく、大企業に在籍していたり、終身雇用というすごいセーフティネットがあるにも関わらず、なぜだか守りに入ってる感が強くてとても残念でなりません。
私は、単純なジョブ型雇用には反対です。大手コンサルティングファームのマッキンゼーも、ハイパフォーマーは「どんどん異動させなさい」と言っています。要は、経営者を育てたり、戦略を柔軟に実行できるようにするためには、リソースアロケーション(経営資源の配分)というか、人の配置、リソースの配置を柔軟にやっていかないといけないのです。これは、ある意味当たり前の話ですよね。
もちろん、専門職はそれはそれで良いです。しかし、経営に上がっていく人は色々なことを知らなければいけないし、そういう人たちをジョブローテーションを通じて育てていこうとか、あるいは、より柔軟に戦略を実行したり、リニューに反映させるべきだとマッキンゼーは強く指摘しています。
大体、自分が何に向いているのかなんて簡単にはわからないはずです。例えば、「経営企画は格好良く見えるものの、営業は辛そう。だから経営企画で働きたい」とか。そういう人はいるでしょう。でも、実際に営業を経験してみたら、「すごく自分に向いていた」「楽しかった」と言う人もいます。日本経済新聞朝刊の名物企画「私の履歴書」では、そうした話を良く見かけます。社長になった人は、その会社に偶然入社して、たまたま配属された部署で頑張ってみたら成功しましたみたいな話ばかりではないですか。
中には、20代前半で「私はこの仕事を極めたい」という人もいたりします。それはそれで良いと思います。しかし、「世の中全体がジョブ型だから当社でも導入しよう」とやってしまうと、せっかくその人材が持っている潜在力を試す機会がなくなってしまうと私は思っています。20代で「自分はこれだ」と本当にわかっている人がいたら素晴らしいですが、私の経験ではほとんどいません。「やってみないとわからない」ことは多いのです。
ですから、私は配属ガチャ派(入社時の配属先を自分で選べない状況をカプセル玩具やソーシャルゲームの「ガチャ」に譬えたもの)ですよ。人を育てるために、あるいは経営としてより柔軟な戦略を持っていくために、人のローテーションは重要だと思っています。
「メンバーシップ型かジョブ型か」も、戦略なのです。何か一つの答えがあって、どの会社も同じことをやればよいというわけではありません。例えば、リクルートという会社はジョブ型ではないですよね。あの会社がすごいのは、社員一人ひとりの適性を見ているし、それから配属に際しても意図をきちんと説明していることです。「あなたにはこういう期待をしていて、こういったことがあるのでこの部署に行ってもらいたい」といった、納得感が共有されています。
メンバーシップ型とかジョブ型とか言っていますが、個人的に思っているのは社員に媚びすぎていないかということです。もっと言うと、本当は社員のことをしっかりと見て対話をして、「あなたにはこういうキャリアを歩んでほしい」とか、あるいは「こういうことを経験する中であなたが一番やりたいことを見つけてもらいたい」とお互いに緊張感のある議論をしなければいけないのです。現状では、「ジョブ型だったら良いでしょう」とか、あるいは「メンバーシップ型だったら悪いでしょう」とか言って、プロセスのところを完全に飛ばしています。単に制度や結果だけを見ていると私には思えてしまいます。成果主義の二の舞にならなければいいのですが。
戦略には個別にどういう人がいるか、どのような業界なのか、どんな競争相手がいるのかとか、どういった価値があるのか…そういったものが、全部反映されていなければいけないのに、「どこどこの企業がこういうことをやっているから、うちの会社もこうしましょう」では、全く戦略ではないと言いたいです。
繰り返しますが、人的資本経営は人事の話ではないのです。トップの話です。これは、かつてゼネラル・エレクトリック(GE)のCEOを務めたジャック・ウェルチ氏も言っていますが、本来ならば人事担当役員はCFOと同等かそれ以上でなければいけません。ただ、世界的に見ても、そういう企業はあまりなかったりします。むしろ、人事担当役員の序列は、事業担当役員の下であったりすることが多いです。「これはおかしい」と言うのが、ジャック・ウェルチ氏の意見ですし、これは世界的な傾向で研究者も疑問を呈しています。
毎年新年のスピーチで多くの会社の社長が、「会社を支えるのは人」「人材が最も重要」などと挨拶していますよね。その割には、人を管轄する人事担当役員は序列で言うと、役員の中で下の方だったりしています。それは違いますよね。
そういう意味で言うと、今世の中で人事部とかCHROと言われてるものを、もう完全に分けて、福利厚生や給与支払いなどの業務は人事総務部が担う。いわゆる戦略人事は、戦略の一部になるので、そこは経営企画とかが社長の直轄部署として担う、そういう形に切り分けた方が良いと思います。
人的資本経営を目指すなら、社長がコミットしなければいけません。人事ではなくて、やはり社長が取り組むべきことです。M&Aや営業が社長の仕事とされていても、ヒトの仕事は別の人が担当しているといったケースを良く見かけます。人的資本経営を掲げてヒトに力を入れるのであれば、他のことを減らすしかありません。それが、戦略の基本です。ヒトの優先順位を上げると言うことは、別なことの優先順位を下げることですからね。それぐらいの覚悟でやらないと上手くいかないと思います。
「これもやりたい、あれもやりたい」のでしょうが、「当社は人を育て、人が活躍し、それで勝っていくんだ」と本気で考えているのであれば、メリハリを付けるべきです。社長の時間の最低でも20%、会社によっては30%をヒトに割いているところもあると思います。それぐらいは使っていかないと話にならないと思います。
ヒトが資本だと言うのあれば、社内にどういう人がいて、その人たちが何を考えていて、何が得意なのかを把握していないといけません。そのためにも、十分な時間を掛けるべきです。逆に、社長の想いもそういう人たちに知ってもらわないといけないと思います。
ガバナンス(統治)というと少し言い過ぎですが、結局ガバナンスとは投資家の利益と経営者の利益が一致すると言った話です。社内で言えば、経営者の向いている方向と社員の向いている方向が一緒にならないといけません。そういうことをしっかりやらないとダメなのです。
少し前にサイコロジカルセーフティが流行りました。日本語で言えば、心理的安全性です。これは本来、1990年代にハーバード・ビジネス・スクールのエイミー C. エドモンドソン教授が提唱したコンセプトで、現場の人たちが上の人に対して愚痴ではなくて、「こうしたら良い」「ああしたら良い」としっかりと発言できる。そして、上の人も現場の声を聞いて、価値のある提言や意見は取り入れていく。そうした社員が声を上げて、それが上に届くことが、最終的には経営者と社員の信頼に繋がっていくはずです。そういうのも含めて、ヒトに対する時間をしっかり確保することは、これからもっと重要になってくると思います。そして、あまり言われませんが、達成したい目標が共有されて初めて心理的安全性が意味を持つことも知らなくてはなりません。
原則として二点あります。一つは、人的資本経営は社長マターだという話。それを前提にして、もう一つは人事責任者には福利厚生や給与支払いなどの仕事に粛々と取り組んでもらいたいいという話です。自分が野球の選手であれば、しっかりと野球をするということです。
ちろん人事責任者(CHRO)が人的資本経営の中心になっても良いと思います。もし、人事責任者が中心になって、もっと当社のヒトのパワーを上げたり、あるいは「今3割ぐらいしかヒトを活用できていないのでこれを80%から90%にまで上げたい」と本当に思っているのであれば、経営者として取り組む覚悟が必要でしょう。その際には現場の人がどれだけ経営に参画する意識を持てるかがポイントになってきます。
三人のレンガ職人のイソップの寓話があります。「あなたはここで何をしているのですか」と聞かれ、「レンガを積んでいる」「家族を養うために大きな壁を作っている」「後世に残る大聖堂を造っている」と三者三様に答えます。「自分たちが会社を良くしていくんだ」「会社を動かしているのは我々だ」と言う意識を持ってもらわないといけません。そのためには何が必要かと言うと、そういう現場の人たちに会社として、あるいは人事として「どのような活躍をしてほしいのか」「それはなぜか」を伝えたり、本人と対話や議論をすることです。
教育には、「教える」と「育つ」という両面があります。世の中的に言うと、「教える」が多いです。ビジネススクールもそうなのですが…。ただ、実際には「育つ」というイメージを持つこともとても大切になってきます。要は、「教」と「育」の両方をバランスを取ってやっていかないといけないのです。そのときに、人事やマネージャーにありがちなのは、独りよがりになってしまうことです。「自分はこうやったから、あなたもその方法でいいはずだ」だと。それは間違いです。「この人に合ったやり方とはどういうものなのか」と突き詰めていかないといけません。
最近は皆がハラスメントに敏感なので、人事やマネージャーとしてもどう対応したら良いのかと悩みがちです。でも、おかしいですよね。できないことは「できない」と言わなければいけませんし、相手の言ってることがわからなかったら「わからない」と言うべきです。これは大事なことです。結局、その辺りも含めて、「自分はあなたに対してどういう期待をしているのか」「なぜこういうことを言うのか」といったことをしっかりと伝えていかないといけません。こうしたことに時間を使うことも戦略で言う「トレードオフ」です。
人事であれ事業部長であれ、今は「自分のミッションは何か」をもう一度考える良いチャンスだと思います。自分の仕事は価値を生んでいると誇れることが大切なのではないでしょうか。
清水 勝彦氏
慶應義塾大学大学院
経営管理研究科教授
東京大学法学部卒業、MBA(ダートマス大学エイモス・タックスクール)、コーポレイトディレクション(CDI)を経て、2000年Ph.D.(経営学、テキサスA&M大学)。同年テキサス大学サンアントニオ校助教授、2006年准教授(テニュア取得)。2010年より慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授。Strategic Management Journal、Journal of Management Studies、Journal of International Management、Asia-Pacific Journal of Managementの編集委員(Editorial Board member)。株式会社ドリコム(東証グロース)取締役 監査等委員。『機会損失』(東洋経済新報社)、『プロがすすめるベストセラー経営書』(日本経済新聞社、第1章)『リーダーの基準:見えない経営の「あたりまえ」』(日経BP社)『あなたの会社が理不尽な理由』(日経BP社)などの著書がある。研究室のホームページは、 https://shimizu-lab.jp/
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