岸田文雄首相は、「官民挙げてリスキリングの推進を」とアピールしている。その影響もあって、リスキリングに取り組む企業が増えている。そうしたなか、「リスキリングの前にアンラーニングをすべきである」「アンラーニングがリスキリングの土台形成につながる」と説いているのが、経験学習の第一人者である青山学院大学経営学部教授・松尾 陸氏だ。
アンラーニングとは何か、どのような効果があるのかをインタビューしてみた。後編では、マネジャーに求められる育成力やビジネスパーソンとしての成長などについて語ってもらった。
人材教育の専門会社に任せるメリットは、ファシリテーターがプロなので、自然な形で「このままではいけない」という危機感を参加者に持たせるスキルを持っているという点です。これに加えて、別会社の人とは忌憚なく話せることが挙げられます。ただし、内製化する場合でも、ファシリテーターを育成して、本音で話せる場を作り上げる工夫をすれば、アンラーニングの研修プログラムは機能すると思います。できれば、他社任せにせず、マネジャー同士が本音で話せるコミュニティづくりを社内で作ってほしいと考えています。
実は僕にも苦い経験があります。だいぶ前のことですが、ある大手不動産会社の部長研修にサブ講師として参加しました。「部門を変革しよう」というテーマで年3回のアクションラーニング研修をしたのですが、変わった人は全体の2割ぐらいでした。「どうしてなのか」を考えながら、最終日のディスカッションを聞いていていたところ、研修テーマが腹落ちしていない参加者が多いことがわかりました。「本当にこれは大事だ」と思わせなければいけないのに、それができていなかったのです。
参加者からすると、「この忙しい時に、研修だなんて勘弁してほしい」「適当にお茶を濁して変わったふりをしておくか」…、そんな本音があるわけです。そこを乗り越えて、アンラーニングをしてもらうのは大変です。社内でアンラーニングを促す上で大事なのは、「このままではまずい」という危機感を持たせることです。
恐らく、ゴリゴリ系の指導でパフォーマンスを上げている人は、危機感は抱いていないはずです。そうした人に対して、「こういうやり方はもはや通用しない」「これからは変えていかないといけない」という危機感をどう醸成していくかがポイントになってきます。そこをしっかりとおさえることができれば、会社内でコミュニティを立ち上げても効果が上がると思います。
「他者を思いやる気持ち」と「自己成長の意欲」ですかね。育成熱心なマネージャーは、部下に対する関心が高く、自身が成長したいという学習志向性が高いです。部署異動のある組織では、部下がせっかく育てたとしても、何年かするといなくなるものです。「やってられない」と思うマネジャーもいるでしょう。
しかし、「マネジメントの父」と呼ばれるピーター・ドラッカーがこんな名言を残しています。「他人の育成を手がけないかぎり、自分の能力を向上させることはできない」と。他者を通して事を成し遂げるのがマネジメントです。部下を育てて、部下を通して成果を生み出すことができたら、それは自分にマネジメント力があるということになります。
「自分のマネジメント力を伸ばしたい」という学習志向性を持っている人であれば、部下が入れ替わっても成果を出し続けることが自分の力だと思えるはずですし、困った部下を育てることが自分の学びの糧になると考えます。
僕は、「指導するのが困難な部下をどう育てるか」というテーマでも研究しているのですが、ある看護師長さんに対するインタビューが心に残っています。その方が管理している部署に、発達障害傾向を持った新人看護師さんが入ってきたそうです。いくら指導してもなかなか成長してくれないため、その師長さんは、発達障害のセミナーを受講して、そうした傾向がある人をどう指導すれば良いかを学び、ノウハウや知識を職場のスタッフと共有したそうです。その結果、2年間かけて新人さんは、少しずつ成長することができたそうです。この指導経験を通じて「私自身が成長することができ、職場の育成力もアップしました」と語っていました。この看護師長さんの中では、「他人の育成」と「自分の能力向上」が同期しているのです。
育て上手のマネジャーに、「せっかく育てた部下が異動でいなくなると、やっていられないのではないですか」と聞いたこともありました。その人は、「異動した先で活躍している話を聞くと嬉しいですし、頻繁に連絡をくれます」と言っていました。このマネジャーは、自分の部署さえパフォーマンスが上がれば良いという狭い考え方ではなく、「優秀な卒業生を送り出した」的な大きなものの見方をしているのですね。企業側も、人材育成のあり方を、そうした広い視点から捉え直し、前面に出しても良い気がします。そのためにも、育成実績をデータ化して「育て上手のマネジャー」をしっかりと認定してあげることが大事だと思います。日清食品グループでは、社員アンケートデータを基に「育て上手アワード」という表彰制度を設けているそうですが、こうした動きが広がることを期待しています。
しかし、企業に調査を実施させていただく時に、「マネジャーの育成力に関するデータをもらえますか」と聞くと、大抵は「ありません」と言われてしまいます。これは、パフォーマンスしか見ていない証拠ですし、だから、マイクロマネジメント系やゴリゴリ系が増えてしまうのです。今は、360度評価やエンゲージメント調査を実施している企業も多いようなので、そうしたデータもとにマネジャーの育成力をしっかりと見てあげて、優秀な社員を輩出していることを認定してあげることができるはずです。
育て上手のマネジャーを育てるためには、マイクロマネジメント系やゴリゴリ系のアプローチを止めてもらわなければなりませんから、やはりアンラーニングとセットにする必要があるでしょうね。しっかりと、育成力を見える化、定量化して、「この人たちは育成力Aランク、Bランク」「この人たちはアンラーニング中」と言えるようにすると同時に、Aランクの人たちの指導方法をオープンにして、マネジャーを対象とした教育プログラムに取り込むことも有効でしょう。また、「私はいかにゴリゴリ系から育成系にアンラーニングしたか」といった事例を共有することもおすすめしたいです。
成長とは何かと言った時に大きく言うと二つあると思います。これは、僕の著書『職場が生きる 人が育つ 「経験学習」入門』(ダイヤモンド社)で書いたことですが、一つは能力的な成長です。パフォーマンスを上げたり、価値を発揮する、何かビジネスで分析したり、人を上手く使ったりなど、そういう成長です。もう一つは、精神的な成長です。それは、「部下を成長させてあげたい」「お客様のためになりたい」という気持ちや、「社会のために役立ちたい」というマインドです。精神的に成長している人は、こうした他者志向や社会志向が高く、それが経験から学ぶ力の源泉になっています。
哲学者の西田幾太郎による『善の研究』によれば、善(良いこと)の条件は二つあります。一つは、自分の個人性や強みを活かすこと。もう一つは、それを社会のために役立たせることです。西田は、こうした個人性と社会性が合わさるとき、完全な善となると言っています。このうち、社会性は、精神的な成長と深く関連しています。自分のことだけでなく、社会や他者にも目を向けることができる人こそ、優れたビジネスパーソンだといえるでしょう。育成した部下がいなくなっても、「その人が成長してくれれば良い」「社会のために役立ってくれれば良い」と思えることは、精神的にも成長している証拠です。
「アイデンティティ」という概念を打ち出した米国の発達心理学者であるエリク・H・エリクソンは、「人間には8つの発達段階があって、世代ごとに課題がある」と言っています。エリクソンの理論によれば、ちょうどマネジャー層の多い壮年期の課題は「次世代人材の育成」です。「自分だけが良い」という時期もあるかもしれませんが、ある年齢になった時には、「人のため、社会のため」に仕事をするというマインドセットに切り替えていくことが求められます。そうしたマインドセットの切り替えも、大きなアンラーニング課題だといえるでしょう。
自分の強みを伸ばして成長し、「部下のため」「組織のため」「お客さんのため」「社会のため」に頑張りたいという気持ちを持っている人は、大きな仕事ができると思います。そうしたマインドセットが経験から学ぶ力になっているからです。能力的な面だけではなく精神的な面も持てるかどうかが、ビジネスパーソンとしての深みや成長に繋がるポイントではないかと思います。
ジョブ型には良いところも、問題もあると思います。以前から、僕自身は、ビジネスパーソンは「私はこれができる」という何らかの専門を持つべきだと思っていました。それは、資格を持つという意味ではなく、「この仕事に関しては自信がある」というプロ意識や能力をしっかりと磨いていくということです。「あなたは何ができるのですか?」と問われたら、「これができます」と具体的に答えられる人ですね。その意味ではジョブ型に移行することで、そうしたプロ意識が高くなると思います。
その一方で、ジョブ型の怖いところは、仕事のスタイルや型ができてしまうと、そこで止まってしまい、「アンラーニング」がしにくくなるという点にあります。経験学習論では、異動経験が人を伸ばすことがわかっているのですが、ジョブ型だと、ガラッと世界が変わっていくという異動はしにくくなると思います。長期間にわたり同じ部署で働き、専門家意識が強くなると、「自分は知ってるんだ」と殻を作りがちで、仕事のスタイルや型が固定化してしまう危険性があります。その問題がクリアできれば、ジョブ型も良いと思うのです。
米国の組織論研究者であるドナルド・ショーンも、この危険性を指摘しています。彼によれば、プロフェッショナルには2タイプがいます。一つは、既存の理論やテクニックを駆使して「地質の硬い高地」を走ろうとするタイプ。要は、自分のノウハウや専門性にあぐらをかいてしまう専門家です。自分でパターンを持っていて、「こういう時はこうする」と決めてかかってしまいます。
もう一つのタイプは、ぬかるんだ低地をクライアントと一緒に転げ回りながら問題を解決していく専門家です。クライアントの抱えている問題を真摯に受け止めると、自分が持っているノウハウだけでは通用しないことも多いでしょう。そうした状況でも、新しい方法や解決策を追い求めていくからこそ、成長し続けることができるわけです。当然ながら、ショーンは、後者が真のプロだと言っています。
ジョブ型が機能するためには、そうしたぬかるんだ道を用意し、アンラーニングしながら自身のスキルをアップデートし続ける環境を提供する必要があります。つまり、特定のジョブ領域内で色々な刺激を与えて変化を促すことができれば、ジョブ型でも人は成長し続けることができると思います。
アンラーニングは、個人では取り組みやすいものの、チームや組織レベルになったり、その規模が大きくなればなるほど難しくなります。特に、大企業だと、どうしてもしがらみが多く、変化しにくいといえるでしょう。これに対し、中小企業は、トップがその気になれば、実験もしやすいはずですし、変われる余地は大きいと思います。
人事部門がトップを変えていく、その気にさせるという点も大事です。本当に戦略的な人事部門であれば、社長に影響力を与えて、「うちの会社でもアンラーニングをやりましょう」と提言できるはずです。
また、マネージャーのアンラーニングを支援して、任せる力をアップしていくことも重要です。管理職のマネジメント力を上げるのは、人事部門の中心的な職務の一つですから、手をつけやすい方策といえます。
もう一点おすすめしたいのは、人事部門の中で「実験的」にアンラーニングを進めていくことです。まずは、人事部のメンバーを集めて、「これまでどのようなアンラーニングをしたか」という経験を発表・共有した上で、「これから何をアンラーニングするか」を宣言するというワークショップを実施してみてはどうでしょうか。これならば、手軽に取り組めるはずですし、効果を確かめた上で、全社展開することもできます。
また、部門内の手続きやルールを見直して、「もうこれは止めても良い」「なくても問題ない」という謎習慣をリストアップして、廃止していくというアプローチもあります。この点に関しては、人事部門に異動してきたばかりの人や、他社から中途で入ってきた人が気づきやすい傾向にあります。そうした社員に「何か違和感を持ったことがありませんか?」とヒアリングすることが有効です。恐らく、会社側から聞かなければ本人も敢えて発言はしないでしょう。何故なら、嫌われたくないからです。そのうち、いつの間にか環境に慣れてしまったり、染まってしまいアンラーニングのチャンスが失われてしまいます。
以上のような方策を参考に、まずは人事部門が「実験的」に取り組み、「アンラーニング」の先陣を切ることに、ぜひトライしていただきたいです。
松尾先生、貴重なお話をありがとうございました。
松尾 陸氏
青山学院大学
経営学部 教授
1988年小樽商科大学 商学部卒業。92年北海道大学大学院 文学研究科(行動科学専攻)修士課程修了。99年東京工業大学大学院 社会理工学研究科(人間行動システム専攻)博士課程修了。博士(学術)。2004年英国ランカスター大学にてPh.D. (Management Learning)取得。岡山商科大学助教授、小樽商科大学教授、神戸大学大学院 経営学研究科教授、北海学大学院 経済研究院教授などを経て2023年から現職。『部下の強みを引き出す 経験学習リーダーシップ』(ダイヤモンド社)、『働き方を学びほぐす 仕事のアンラーニング』(同文館出版)など、著書多数。