人的資本経営で社長がすべきことは、ヒトの優先順位を上げ、その分ほかのことを減らす覚悟を持って、自分の時間の少なくとも2〜3割を人に割くことです。慶應義塾大学大学院の清水勝彦教授は、社内にどんな人がいて何を考えているのかを社長自身が把握しなければならないと語ります。
前編では、戦略の本質は「トレードオフ」であり、人的資本経営は人事部の問題ではなく経営の問題だという清水教授の考えを紹介しました。では、経営者は具体的に何をすべきなのでしょうか。
本記事では、清水教授へのインタビューをもとに、「本社が重い」日本企業の課題、単純なジョブ型雇用に反対する理由、メンバーシップ型かジョブ型かも「戦略」である理由、人的資本経営で社長がすべきこと、心理的安全性が意味を持つ前提、そして人事責任者と現場に求められることについて解説します。
この記事でわかること
・「現場は強いが本社が弱い」日本企業の課題
・清水教授が単純なジョブ型雇用に反対する理由
・メンバーシップ型かジョブ型かも「戦略」――差別化の視点
・人的資本経営で社長がすべきこと
・心理的安全性の前提と、「教える」と「育つ」のバランス
慶應義塾大学大学院 経営管理研究科 教授(取材時)。東京大学法学部卒業。ダートマス大学エイモス・タック・スクールでMBAを取得し、コーポレイトディレクション(CDI)を経て、2000年テキサスA&M大学でPh.D.(経営学)を取得。同年テキサス大学サンアントニオ校助教授、2006年准教授(テニュア取得)。2010年より慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授。Strategic Management Journal、Journal of Management Studiesなどの編集委員。株式会社ドリコム取締役 監査等委員。著書に『機会損失』(東洋経済新報社)、『リーダーの基準:見えない経営の「あたりまえ」』『あなたの会社が理不尽な理由』(以上、日経BP社)など。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
清水教授が懸念する日本企業の問題は、長く言われ続けてきた「現場は強いが、本社が弱い」という点です。これは海外も同じで、米国企業がレイオフをするときは、ほとんどの場合、本社にメスを入れます。本社は放っておくと人が増えがちだからです。
一方、解雇が難しい日本企業では、本社が重く、非効率なまま残りがちです。業績が好調な時代には「安易に人を切らずに頑張っている」と評価されましたが、環境が大きく変わる今、本社が重荷になることが増えています。清水教授は、単に人が多いというだけでなく、本社の価値とは何かを突き詰められていないのではないかと指摘します。
ただし清水教授は、解雇できないことを言い訳にするのはおかしいとも言います。最初からわかっているのだから、それを前提に経営すべきだという考えです。
企業研修で「なぜ日本ではイノベーションが起きないのか」と問うと、「海外では成功すれば大きな報酬が得られるから」という答えがよく返ってくるといいます。しかし日本では、仕事で大きな失敗をしても、まず解雇はされず、給料もほとんど下がりません。リスクがほとんどないのだから、どんどんチャレンジすればよい――清水教授は、終身雇用という大きなセーフティネットがあるのに、守りに入っていることを残念に感じています。若い人がもっと会社を移ってもよいとも考えています。緊張感が薄いのではないかと感じるからです。
清水教授は、単純なジョブ型雇用には反対だと言います。マッキンゼーも、ハイパフォーマーは「どんどん異動させなさい」と提言しています。経営者を育て、戦略を柔軟に実行するには、人材の配置を柔軟に変えられる必要があるからです。
| 理由 | 内容 |
|---|---|
| ① 経営者を育てる | 経営に上がっていく人は幅広いことを知る必要があり、ジョブローテーションを通じて育てる |
| ② 戦略を柔軟に実行する | 環境の変化に合わせて戦略を刷新するには、人材の配置を柔軟に変えられることが欠かせない |
| ③ 潜在力を試す機会を守る | 自分が何に向いているかは、やってみないとわからない。20代で本当にわかっている人はほとんどいない |
「経営企画は格好よさそうだが、営業はつらそう」と思っていた人が、実際に営業をやってみたら自分に向いていて楽しかった、ということはよくあります。日本経済新聞の「私の履歴書」でも、偶然配属された部署で頑張ったら成功した、という社長の話はよく見かけます。清水教授は自らを「配属ガチャ派」と称し、専門職は別として、世の中がジョブ型だからと導入してしまうと、人材の潜在力を試す機会が失われると言います。
清水教授は、メンバーシップ型かジョブ型かも、戦略そのものだと言います。一つの答えがあり、どの会社も同じことをすればよいわけではありません。
例えばリクルートはジョブ型ではありませんが、社員一人ひとりの適性を見て、配属の際にも「あなたにはこういう期待をしていて、だからこの部署に行ってほしい」と意図をきちんと説明し、納得感を共有しているといいます。清水教授は、ジョブ型かメンバーシップ型かという制度の議論ばかりで、社員をしっかり見て対話し、緊張感のある議論をするプロセスが飛ばされているのではないかと指摘します。成果主義の二の舞にならないかを懸念しているのです。
「どこどこの企業がこういうことをやっているから、うちの会社もこうしましょう」では、全く戦略ではないと言いたいです。
――清水教授
戦略には、どんな人がいるのか、どんな業界で、どんな競争相手がいて、どんな価値があるのかが、すべて反映されていなければなりません(戦略と組織構造から雇用の型を考える視点は、池上重輔教授の解説記事でも紹介しています)。
ジャック・ウェルチ氏は、人事担当役員はCFOと同等かそれ以上であるべきだと述べていました。しかし世界的に見ても、人事担当役員の序列は事業担当役員より下であることが多いのが実情です。新年のあいさつで「会社を支えるのは人」と語る社長は多いのに、人事担当役員の序列が低いのはおかしい、と清水教授は言います。そこで清水教授は、次のような切り分けを提案しています。
| 機能 | 担う部署 |
|---|---|
| 福利厚生、給与支払いなどの業務 | 人事総務部 |
| 戦略人事(戦略の一部) | 社長直轄の経営企画など |
清水教授は、人的資本経営を目指すなら、社長がコミットしなければならないと強調します。M&Aや営業は社長の仕事とされていても、人に関することは別の人に任されているケースがよく見られます。
清水教授は、ガバナンスが投資家と経営者の利益を一致させる仕組みであるように、社内でも経営者が向いている方向と社員が向いている方向を一致させることが大切だと言います。
社員が何を考え、何を大切にしているのかを知るには、日々の対話に加えて、客観的なデータも手がかりになります。
社員が「何を考えているか」を、データで把握する
社長が社員を把握し、経営と社員の向く方向をそろえるには、社員が仕事や会社をどう感じているかを知ることが出発点です。DEFiDEの「生成AIワークバリュー・スコア分析」は、生成AIで従業員の属性や組織の特性に合わせた質問を作成し、組織の状態を迅速にきめ細かく可視化します。
心理的安全性(サイコロジカル・セーフティ)は、1990年代にハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・C・エドモンドソン教授が提唱した考え方です。現場の人が上の人に、愚痴ではなく「こうしたらよい」と発言でき、上の人も価値ある意見を取り入れる。そうして社員の声が上に届くことが、経営者と社員の信頼につながります。
ただし清水教授は、あまり言われないこととして、達成したい目標が共有されて初めて、心理的安全性は意味を持つと指摘します。目標が共有されていなければ、自由に発言できる環境も成果にはつながりません。
人事責任者に向けて、清水教授は2つのことを伝えています。1つは、人的資本経営は社長のマターだということ。もう1つは、それを前提に、人事責任者には福利厚生や給与支払いなどの仕事に粛々と取り組んでほしいということです。
もちろん、CHROが人的資本経営の中心になってもよいと清水教授は言います。「今は人の力を3割しか生かせていないので、80〜90%に上げたい」と本気で思うなら、経営者として取り組む覚悟が必要です。そのとき鍵になるのが、現場の人がどれだけ経営に参画する意識を持てるかです。
清水教授は、三人のレンガ職人の寓話を紹介します。何をしているのかと聞かれ、一人は「レンガを積んでいる」、一人は「家族を養うために壁をつくっている」、もう一人は「後世に残る大聖堂を造っている」と答えます。社員に「自分たちが会社をよくしていく」という意識を持ってもらうには、会社や人事が「どんな活躍をしてほしいのか」「それはなぜか」を伝え、本人と対話することが必要です。
| 教える | 育つ | |
|---|---|---|
| 中心 | 教える側が知識や方法を伝える | 本人が経験を通じて成長する |
| 陥りがちな失敗 | 「自分はこうやったから、あなたもこの方法でいい」と独りよがりになる | 期待や意図が伝わらず、本人任せになる |
| 必要な姿勢 | 「この人に合ったやり方は何か」を突き詰める | 「あなたに何を期待しているのか」「なぜそう言うのか」を伝える |
ハラスメントに敏感になる中で、対応に悩む人事やマネージャーもいます。それでも、できないことは「できない」、わからないことは「わからない」と言うべきだと清水教授は言います。期待を伝え、対話に時間を使うこともまた、戦略でいうトレードオフです。
人事でも事業部長でも、今は「自分のミッションは何か」をもう一度考える好機であり、自分の仕事が価値を生んでいると誇れることが大切だと清水教授は語ります。
A. 清水教授は、社長自身がコミットし、ヒトの優先順位を上げて他のことを減らす覚悟を持つことが必要だと述べています。社長の時間の最低でも20%、会社によっては30%を人に割き、社内にどんな人がいて何を考え、何が得意なのかを把握するとともに、社長の想いも社員に伝えることが重要です。
A. 清水教授は、単純なジョブ型雇用に反対しています。経営者を育て、戦略を柔軟に実行するには人材配置を柔軟に変える必要があり、また自分が何に向いているかはやってみないとわからないため、ジョブ型を一律に導入すると人材の潜在力を試す機会が失われるからです。専門職は別だとしています。
A. 清水教授は、メンバーシップ型かジョブ型かも戦略であり、一つの答えがあるわけではないとしています。他社がやっているからではなく、自社にどんな人がいて、どんな業界・競争相手の中でどんな価値を生むのかを反映して選ぶべきだとしています。
A. 清水教授は、達成したい目標が共有されて初めて、心理的安全性は意味を持つと指摘しています。社員が建設的に発言でき、上の人がその声を取り入れることは経営者と社員の信頼につながりますが、目標が共有されていなければ成果にはつながりません。
A. 解雇が難しい日本企業では、本社の人員が増えたまま非効率さが残りがちだという指摘です。清水教授は、単に人が多いだけでなく、本社の価値とは何かを突き詰められていないことが問題であり、解雇できないことは最初からわかっているのだから、それを前提に経営すべきだとしています。
人的資本経営は、新しい制度を入れることでも、指標を開示することでもありません。社長が人に時間を使い、社員と向く方向をそろえること。それが、人を資本とする経営の出発点です。
期待を伝え、対話を支える人事制度を
社員一人ひとりに期待を伝え、納得感のある配置や評価を行うには、役割や期待を明確にし、対話を支える人事の仕組みが欠かせません。DEFiDEの「JOB Scope」は、人事コンサルティングと人事クラウドの2軸で、経営に直結する戦略人事の制度設計から組織への定着までを支援します。
▶ 前編:戦略とは何か?「肉を切らせて骨を断つ」トレードオフの本質と、人的資本経営を人事部任せにしてはいけない理由(内部リンク)
▶ インタビュー全文:人的資本経営は、人事部に任せておく話ではない(後編)自分の仕事の価値を見直すチャンス(JOB Scopeマガジン)