[JOBSCOPE]教授インタビュー解説

人的資本経営はなぜ目的化するのか?財務戦略と企業価値の視点|慶應義塾大学・保田隆明教授

作成者: JOB Scope編集部|Oct 18, 2026, 5:55:21 AM

 

人的資本経営の最大の課題は、それ自体が目的化し、その先にある「稼げる組織をつくる」という本来の目的を見失いがちなことです。コーポレートファイナンスの専門家である慶應義塾大学の保田隆明教授は、人的資本経営は最終的に財務指標につながる形で示されるべきだと語ります。

エンゲージメントの向上、従業員満足度の改善、パーパスの再策定――人的資本経営の名のもとにさまざまな取り組みが進んでいます。しかし、それらが何のための取り組みなのかが、ぶれてしまっている企業も少なくありません。

本記事では、投資銀行、起業、ベンチャーキャピタルを経て研究者となり、上場企業の社外役員も務める保田教授へのインタビューをもとに、人的資本経営が目的化してしまう理由、非財務指標が注目される背景、労働環境への投資という視点、組織と個人のパーパスのアライン、ウェルビーイングと企業価値の関係、そして組織論と財務戦略をつなぐ必要性について解説します。

この記事でわかること

・人的資本経営が「目的化」してしまう理由

・投資家が人的資本などの非財務指標に注目する背景

・「労働環境への投資」というKKRのエンゲージメントプログラムの視点

・組織と個人のパーパスをアラインさせる考え方

・ウェルビーイングと企業価値はリンクするのか

取材協力:保田 隆明 氏

慶應義塾大学 総合政策学部 教授(取材時)。外資系証券会社2社で投資銀行業務に従事した後、SNS運営会社を起業し売却。ベンチャーキャピタル、神戸大学大学院経営学研究科教授などを経て、2019年から約1年半、スタンフォード大学客員研究員として米国シリコンバレーに滞在し、ESGを通じた企業変革を研究。2022年4月より現職。上場企業の社外取締役・社外監査役も兼任(取材時)。専門はコーポレートファイナンス、ESG/SDGsを通じた事業変革など。著書に『企業価値に連動する 人的資本経営戦略』(2024年)、『ESG財務戦略』(2022年)、『コーポレートファイナンス 戦略と実践』(2019年)など。

聞き手:JOB Scopeマガジン編集部

人的資本経営の課題は「目的化」していること

保田教授は、人的資本経営の課題をそれ自体が目的化していることだと明確に指摘します。株式市場の出身である保田教授は、「企業は何のために存在するのか」と問われれば、富や利益を創出するために最適な組織体をつくることだと答えます。つまり、稼げる組織にすることこそが人的資本経営の真骨頂だというのです。

ワーク・エンゲージメントや従業員満足度を高める、パーパスを再策定するといった取り組みは大切です。しかし、それらが目的化し、その先にある利益や富の創出を見失っている会社が少なくない――それが保田教授の問題意識です。

なぜ人的資本が注目されたのか――非財務指標と株価

段階 内容
① 経営者の通知簿は財務諸表 経営は、収益性・生産性・成長性の3つで評価され、それを反映するのが株価
② 投資家は株価の先読み指標を探す 研究開発投資が多い会社や、無形資産の割合が高い会社の業績・株価のパフォーマンスが高いことが、学術研究でわかってきた
③ 財務諸表に載らない無形資産に注目 無形資産の多くは財務諸表に載らない。その代表的な非財務指標の一つが人的資本
④ 最終的には財務につなげる 人的資本経営は、最終的に財務指標・財務情報に直結する形で示していく必要がある

出典:保田教授への取材をもとに編集部作成

人的資本はあくまで、財務に表れない企業価値の源泉を示す非財務指標の一つです。財務指標とのつながりを見失うと、取り組みが目的化してしまうのです(投資家が人的資本に求めるストーリーについては、三和裕美子教授の解説記事でも紹介しています)。

「労働環境」も投資の対象――KKRのエンゲージメントプログラム

社員の能力や意欲を高める投資として、多くの企業が研修やリスキリング、啓発プログラムに取り組んでいます。保田教授が新鮮な視点として紹介するのが、米国の大手投資ファンドKKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)が投資先で行っているエンゲージメントプログラムです。

KKRのエンゲージメントプログラムの柱 内容
① 従業員に株を持たせる KKRが投資する会社の株を従業員にも持たせ、経営の効率化と企業価値の向上に参加してもらう
② 物理的な労働環境に投資する 工場の更衣室をきれいにする、古いトイレを改修するなど、手がつけられていないことの多い職場環境を整える

出典:保田教授への取材をもとに編集部作成(日本経済新聞「私の履歴書」でのKKR創業者の紹介による)

更衣室やトイレの改修は、通常は「費用」と考えがちです。それも含めて投資と考える――そこが、多くの日本企業ではまだ手がついていない視点だと保田教授は言います。

トップがすべきこと――組織と個人のパーパスをアラインさせる

人的資本経営とウェルビーイングの推進に向けてトップがすべきことについて、保田教授の答えは明確です。会社のパーパスを明確にし、そこに向けた行動指針を示すことです。パーパスが社員の行動の軸になり、それが明確であれば、ウェルビーイングやエンゲージメントの高い組織になっていくといいます。

「睡眠」に注目した企業の事例

保田教授が主催する産学連携の研究会では、社員の睡眠に注目している企業の発表が印象的だったといいます。人は会社の自分とプライベートの自分がつながった生活を送っています。睡眠不足ならプライベートも充実せず、仕事でもパフォーマンスを発揮できません。これまで個人の問題とされてきた領域にも手当てすることで、ウェルビーイングとパフォーマンスの両方が高まるのです。

ただし保田教授は、これは会社が私生活に「踏み込む」ことではないと言います。

  1. 組織のパーパス、ミッション・ビジョン・バリューを洗い出す
  2. 個人のミッション・ビジョン・バリューを洗い出す
  3. 両者が重なる部分を見つける
  4. そこにアライン(一致)させる形で経営する

睡眠の事例も、こうして見つかった個人と組織の共通項だと考えられます。組織と個人のウェルビーイングが両方高い状態を目指すことが大切なのです。

ウェルビーイングと企業価値はリンクする

ウェルビーイングと企業価値はリンクするのか、トレードオフなのか。保田教授の結論は「リンクする」です。

観点 内容
因果関係 ウェルビーイングが高いから業績が上がる場合も、業績が順調だからウェルビーイングが上がる場合もあり、因果の向きは正直わからない。そのため「リンクする」という表現が適切
学術研究 ウェルビーイングが高いと企業価値が高まるという関係を統計的に分析した研究が多い
トレードオフになる場合 コストをかけてウェルビーイングを高めても業績や株価が横ばいのとき。ただし効果が2〜3年遅れて表れるタイムラグもありうる
日米共通の傾向 人への投資がしっかりできている会社は、業績もついてきている

出典:保田教授への取材をもとに編集部作成

従業員が幸せに働いている状況で企業価値が下がり続けることは考えにくく、トレードオフのままでいることはなかなかないと保田教授は語ります(幸福度と生産性の因果関係については、小野浩教授の解説記事でも紹介しています)。

人的資本の取り組みを財務や企業価値と結びつけて説明するには、まず人的資本の状態を指標で継続して測ることが出発点になります。

財務とつながる人的資本の指標を、継続して見える化する

人的資本経営を目的化させず、財務指標や企業価値と結びつけて説明するには、人的資本の状態を指標で継続的に測定し、変化を追えるようにすることが大切です。DEFiDEの「HRキャピタルダッシュボード」は、人的資本報告の国際規格ISO 30414に基づき、11領域58指標のデータを企業規模に応じて可視化・レポートできるクラウドサービスです。

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組織論と財務戦略の断絶を埋める

保田教授は2023年から、慶應義塾大学SFC研究所と企業10社ほどで「企業価値に資する人的資本経営」をテーマにした研究コンソーシアムを運営しています。その成果をまとめたのが、著書『企業価値に連動する 人的資本経営戦略』(中央経済社、2024年)です。

  HR(組織論・組織管理論)の領域 財務戦略の領域
これまで扱ってきたこと 人的資本経営、組織や人材のマネジメント 株式市場との対話、財務諸表、企業価値
課題 株式市場と対話した経験や、財務諸表に反映させる発想が乏しかった 人的資本を扱い始めたのは最近

出典:保田教授への取材をもとに編集部作成

両者の間には断絶があり、うまくコミュニケーションが取れていませんでした。そこで組織論と財務戦略を融合させ、経営戦略・財務戦略としての人的資本経営を示そうとしたのです。最近は、機関投資家がCHRO(最高人事責任者)に会いたがるという話も増えており、その準備として人事にも財務の知恵をつけてほしい、と保田教授は語ります(経営戦略と人的資本をつなぐ考え方は、円谷昭一教授の解説記事でも紹介しています)。

よくある質問(FAQ)

Q. 人的資本経営の課題は何ですか?

A. 保田教授は、人的資本経営それ自体が目的化していることだとしています。エンゲージメントの向上やパーパスの再策定などが目的になり、その先にある「稼げる組織をつくる」「利益や富を創出する」という本来の目的を見失っている会社が少なくないと指摘しています。

Q. なぜ投資家は人的資本に注目しているのですか?

A. 保田教授によると、投資家は将来の株価の先読みとなる指標を探しており、研究開発投資や無形資産の割合が高い会社の業績・株価のパフォーマンスが高いことが学術研究でわかってきました。財務諸表に載らない無形資産の代表的な非財務指標の一つが人的資本だからです。

Q. ウェルビーイングと企業価値は関係がありますか?

A. 保田教授は、リンクすると考えています。因果の向きは断定できないものの、ウェルビーイングが高いと企業価値が高まるという研究が多く、人への投資ができている会社は業績もついてきている傾向があります。効果が表れるまでに2〜3年のタイムラグがある場合もあるとしています。

Q. 人的資本経営とウェルビーイングの推進でトップは何をすべきですか?

A. 保田教授は、会社のパーパスを明確にし、そこに向けた行動指針を示すことだとしています。そのうえで、組織と個人のミッション・ビジョン・バリューを洗い出し、重なる部分を見つけてアラインさせる形で経営することが求められると述べています。

Q. 労働環境への投資とはどういうことですか?

A. 保田教授は、米国の投資ファンドKKRが投資先で、工場の更衣室やトイレの改修など物理的な労働環境に投資している例を紹介しています。通常は費用と考えがちな職場環境の改善も、エンゲージメントを高める投資と捉える視点です。

まとめ:人的資本経営を、稼げる組織づくりにつなげる

  • 人的資本経営の課題は目的化。本来の目的は、富や利益を創出する稼げる組織をつくること
  • 人的資本は財務諸表に載らない無形資産の代表的な非財務指標。最終的には財務につなげて示す
  • 更衣室やトイレなどの労働環境も、費用ではなく投資と捉える視点がある
  • トップはパーパスを明確にし、組織と個人のパーパスをアラインさせる
  • ウェルビーイングと企業価値はリンクする。組織論と財務戦略をつなぎ、経営戦略としての人的資本経営へ

後編では、日本企業のROEが低い理由、選択と集中と新規事業への投資、日立製作所の変革、ジョブ型雇用とリスキリングをパッケージで考える必要性、ウォルマートに学ぶアジリティ、そして中小・中堅企業が持つ俊敏性とファミリー企業の強みについて解説します。

個人と組織の価値観、ウェルビーイングの状態を把握する

組織と個人のパーパスをアラインさせるには、まず社員一人ひとりが仕事や人生で何を大切にしているか、ウェルビーイングの状態はどうかを知ることが出発点です。DEFiDEの「生成AIワークバリュー・スコア分析」は、生成AIで従業員の属性や組織の特性に合わせた質問を作成し、働く人の価値観や組織の状態を迅速にきめ細かく可視化します。

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▶ 後編:日本企業のROEはなぜ低いのか?利益率を下げる2つの理由と、ジョブ型×リスキリングで高める「アジリティ」(内部リンク)

▶ インタビュー全文:財務戦略と人的資本経営の融合が問われる時代に(前編)(JOB Scopeマガジン)