[JOBSCOPE]教授インタビュー解説

人的資本経営の課題とは?働きがい・測りすぎ・越境学習|和歌山大学・厨子直之教授

作成者: JOB Scope編集部|Oct 18, 2026, 6:46:09 AM

 

人的資本経営の課題は、①働きがいへの着目が不十分なこと、②測定そのものが目的化して現場が疲弊していること、③どこまで開示すべきかというジレンマ、の3つです。ポジティブ組織行動と人的資源管理を専門とする和歌山大学の厨子直之教授は、開示・測定に偏りがちな人的資本経営に「働きがい」の軸を取り戻す手立てとして、越境学習やキャリア支援の効果を研究で示しています。

心理的安全性、エンゲージメント、キャリア自律、ジョブ型雇用、そして人的資本経営――人事の世界では、次々と新しいテーマが注目を集めます。しかし、流行を追ううちに、何のための取り組みだったのかが見えなくなっている企業も少なくありません。

本記事では、厨子教授へのインタビューをもとに、人的資本経営の3つの課題、人事制度の複雑化が人事担当者にもたらすストレス、そして社員の働きがいと組織の創造性を高める投資として、兼業・副業を含む「越境学習」と、若手の「ゆるい職場」問題に効くキャリア支援について解説します。

この記事でわかること

・人的資本経営の3つの課題(働きがい・測りすぎ・開示のジレンマ)

・人事制度の複雑化が人事担当者のストレスを高める理由と、和らげ方

・越境学習がリーダーシップと組織の創造性を高める仕組みと事例

・オーセンティック・リーダーシップとは何か

・キャリア自律の高まりと、「ゆるい職場」を防ぐキャリア支援

取材協力:厨子 直之 氏

和歌山大学 経済学部 経済学科 教授(取材時)。2002年関西学院大学商学部卒業。2007年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了、博士(経営学)。専門はポジティブ組織行動、人的資源管理。経営行動科学学会 副編集委員長。民間企業や大学病院で、定量的なデータ分析やポジティブ心理学にもとづく人材育成の講演・研修も行う。主な著書に『経験から学ぶ人的資源管理〔第3版〕』(共著、有斐閣、2025年)、『こころの資本――心理的資本とその展開』(共訳、中央経済社、2020年)など。

聞き手:JOB Scopeマガジン編集部

人的資本経営とは――「開示・測定」と「働きがい」の2つの軸

人的資本経営とは、従業員の成長を通じて、企業の長期的な価値向上と持続的な発展を目指す経営です。複数の研究結果を統合して分析するメタ分析でも、人的資本経営が企業のパフォーマンスにつながることが示されていると厨子教授は言います。

内閣官房の「人的資本可視化指針」や、経済産業省の「人材版伊藤レポート」(持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会の報告書)は、人的資本情報の開示・測定と、人材の働きがいを二大軸として強調しています。ところが現実には、この2つの軸のバランスが崩れていると厨子教授は見ています。

人的資本経営の3つの課題

課題 内容 根拠・背景
① 働きがいへの着目が不十分 議論の中心が開示や数値化に偏り、働きがいに関わる取り組みはキャリア開発やエンゲージメントサーベイにとどまっている 日本経済新聞の関連記事を分析した計量テキスト分析(堂西晴香、2024年)
② 現場の疲弊(測りすぎ) 測定にまつわる人事や管理職の負担が増え、働きがいや価値向上という本来の目的が、測定そのものの目的化にすり替わっている 人事担当者向け研修で聞かれた声/ジェリー・Z・ミュラー『測りすぎ』
③ 情報開示のジレンマ 信頼を得るにはすべて開示するのが望ましいが、競争優位につながる情報まで明かせば他社に真似されるおそれがある 人事担当者から聞かれた「どこまで開示すればよいのか」という悩み

出典:厨子教授への取材をもとに編集部作成

① 働きがいへの着目が不十分

厨子教授が根拠として挙げるのが、2021年11月からの約2年分の日本経済新聞の関連記事を対象にした計量テキスト分析(堂西晴香、2024年)です。人的資本経営に関する記事は、次の5つに分類されました。

分類 内容
① 経営戦略・人事戦略・人事評価制度の連動(人材版伊藤レポートの指摘)
② 人的資本投資・情報開示
③ 人的資本の数値化・定量化
④ 女性活躍と賃金格差の是正
⑤ キャリア開発

出典:堂西晴香(2024)『日本経営学会第98回大会報告要旨集』をもとに編集部作成

このうち働きがいに関わるのはキャリア開発だけで、働きがいの施策もエンゲージメントサーベイにとどまっているのが実情だと厨子教授は指摘します。社員の能力や意欲を高める投資についても、サーベイの方法や、職務満足とコミットメントのどちらで測るかといった指標の議論は進んでいる一方、実際にどう高めるかという投資の面は課題が多いといいます。

働きがいを高める施策を考えるには、まず社員一人ひとりが仕事に何を求めているのかを知ることが出発点になります。

社員の働きがいの源泉を、価値観から把握する

働きがいは、一人ひとりが仕事に何を求めているかによって変わります。DEFiDEの「生成AIワークバリュー・スコア分析」では、従業員が仕事に求める価値観を分析し、働きがいを高める施策を考えるヒントを得られます。

▶ 生成AIワークバリュー・スコア分析の詳細を見る

② 現場の疲弊――測定が目的化する「測りすぎ」

人事担当者向けの研修では、「測定にまつわる人事や管理職の負担が増大している」という声が聞かれたといいます。厨子教授は、ジェリー・Z・ミュラー氏の著書『測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』(みすず書房、2019年)を引きながら、本来の目的である働きがいや価値向上が、測定そのものの目的化にすり替わっていると指摘します。

③ 情報開示のジレンマ――どこまで開示すべきか

有価証券報告書で人的資本の取り組みを詳しく書くようになった一方で、競争優位につながる情報まで明かしてしまうことへの懸念もあります。信頼を得るためにはすべて開示するのが望ましいものの、他社に真似されるおそれもある。「どこまで開示すればよいのか」は、多くの人事担当者が抱える悩みです(人的資本開示の考え方については、浅野敬志教授の解説記事でも紹介しています)。

人事制度の複雑化が、人事担当者のストレスを高める

働き方が多様化し、人事制度も多様化・複雑化しています。厨子教授は、これも指標化の問題と同じ構造だと言います。多様性への対応は重要ですが、個別の管理が増えれば人事担当者の負荷は増します。

厨子教授の2018年の論文「人事制度の複雑化が人事担当者のストレスに及ぼす影響――経営陣のリーダーシップによる調整効果の検証」(『経済理論』391号)では、人事制度が複雑になるほど人事担当者のストレスが高まるという結果が得られました。制度の多様化やダイバーシティの良い面だけでなく、こうしたネガティブな側面にも目を向けるべきだと厨子教授は言います。

経営者が人事担当者をパートナーとして尊重する

経営戦略と連動した人事戦略を策定・実行する「戦略人事」では、人事担当者が経営者のパートナーになる必要があると言われます。厨子教授は、経営者が経営戦略を策定する過程で人事担当者の自主的な提案や発言を促し、主体性を尊重して信頼関係に配慮しながら連携することが、人事担当者のストレスを和らげることにつながると考えています(戦略人事を担う人材については、小杉俊哉氏の解説記事でも紹介しています)。

では、社員の能力や意欲、働きがいを高めるには、具体的にどのような投資が有効なのでしょうか。厨子教授が研究を通じて効果を確かめているのが、越境学習とキャリア支援です。

働きがいを高める投資①――越境学習がリーダーシップと組織の創造性を高める

阪本学氏と厨子教授の共同研究(『経営行動科学』第35巻第3号、2024年)では、兼業・副業を含む越境学習が、リーダーのオーセンティック・リーダーシップを高め、それが組織全体の創造性を向上させることが定量的に示されました。

段階 内容
① 越境学習 兼業・副業などを通じて、所属組織とは異なる組織や環境を経験する
② リーダーの変化 オーセンティック・リーダーシップが高まる
③ 組織の変化 多様なメンバーの意見を取り入れた意思決定が進み、組織全体の創造性が向上する

出典:阪本学・厨子直之(2024)『経営行動科学』第35巻第3号をもとに編集部作成

越境学習に取り組む企業は増えており、本人だけでなく所属組織にも好影響があるという研究が多いと厨子教授は言います(創造性を高める職場づくりについては、稲水伸行准教授の解説記事でも紹介しています)。

オーセンティック・リーダーシップとは

オーセンティック・リーダーシップとは、自分の強みと弱みを認識し、倫理的・道徳的な視点を持ち、バランスの取れた情報処理を行うリーダーシップです。

要素 具体的な行動
自己認識 自分の強みと弱みを認識している
倫理・道徳的な視点 倫理的・道徳的な判断基準を持って行動する
バランスの取れた情報処理 独りよがりにならず、多様なメンバーの意見を取り入れて意思決定する
関係の透明性 フォロワーとの関係を透明に保つ

出典:厨子教授への取材をもとに編集部作成

慣れない環境に身を置く越境学習は、自分の強みや弱み、当たり前だと思っていた考え方を見つめ直す機会になります。それが、多様な意見を取り入れるリーダーシップにつながるのです。

越境経験を持つリーダーの事例

共同研究者の阪本学氏は、組織を行き来する越境経験を持つリーダーへのインタビュー調査を行い、オーセンティック・リーダーシップが発揮されるメカニズムを考察しています。厨子教授は、その中から2つの事例を紹介します。

事例 越境経験 変化・成果
① 異業種の経営層に参画したリーダー 所属企業とはまったく業界の異なる他社に、経営層のメンバーとして参画。文化や仕事の進め方の違いに戸惑い、越境先ではすぐには受け入れられなかった 戸惑いと気づきを通じて、リーダーとしての自己認識が更新された。多様なメンバーのアイデアや改善策を拾い上げることの重要性に気づいた
② 資産売却のタイミングを改善した組織 越境経験を持つリーダーが職場に戻り、資産管理部長が長年抱えていた、資産を売却する(キャッシュ化する)タイミングの課題に取り組んだ 入社3年目の社員の意見を取り入れ、機械資産ごとに賃貸収入、売却査定、償却の推移を月次で試算して最適なタイミングを算出。慣習で行き当たりばったりに売却していたころに比べ、賃貸収入の逸失や売り時を逃すことによる損失が大幅に改善した

出典:厨子教授への取材(阪本学氏のインタビュー調査にもとづく事例)をもとに編集部作成

2つ目の事例では、越境経験を持つリーダーが若手社員の意見を取り入れたことが、長年の課題の解決につながりました。多様な意見を拾い上げるオーセンティック・リーダーシップが、組織の創造性を引き出した例といえます。

経営者は越境学習の「目的と価値」を説明する

リーダーは多忙で、半日現場を離れるだけでも負担は小さくありません。越境学習は期間も長くなるため、経営者が目的と価値を説明しなければ、周囲も本人も納得しないおそれがあります。厨子教授も、特に本人が納得できるかどうかが重要だと言います。

もっとも、兼業・副業はおおむね当たり前のものになりつつあり、越境学習は以前より受け入れられやすくなっているといいます。

働きがいを高める投資②――キャリア支援で「ゆるい職場」を防ぐ

働く人のキャリア自律への意識は高まっていると厨子教授は見ています。

時期 出来事
1990年代 日本経営者団体連盟(日経連)が「エンプロイアビリティ(雇用される能力)」を提唱
2018年ごろ 経済産業省が「キャリアオーナーシップ」の考え方を打ち出す
現在 ビジネスの現場や大学教育でもキャリア自律が強調され、MBAの学生にとって転職・副業・兼業は当たり前に。大学生も、企業を選ぶ際にキャリア意識を持つ必要性を感じている

出典:厨子教授への取材をもとに編集部作成

若手は「ゆるい職場」から離れていく

一方で、成長の実感が湧かない職場から若手が離職する、いわゆる「ゆるい職場」の問題も指摘されています(古屋星斗『なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか』日本経済新聞出版、2023年)。

厨子研究室が2024年に、従業員1,000人以上の企業に勤める新卒1〜3年目の社員を対象に行った質問紙調査では、他の企業や他の業種と関わる機会や、キャリアの助言を得られる機会など、キャリアを自分ごととして考えられる支援があると、職場の「ゆるさ」の認知が下がり、ワーク・エンゲージメントが向上することがわかりました。

キャリア支援の例 若手への効果
他の企業・他の業種と関わる機会(越境の機会) 職場の「ゆるさ」の認知が下がる
キャリアについて助言を得られる機会 ワーク・エンゲージメントが向上する

出典:厨子研究室の調査(2024年)をもとに編集部作成

越境の機会は、リーダーだけでなく若手にとっても、成長を実感し、キャリアを自分ごとにするきっかけになるのです(キャリア自律の時代の組織と個人の関係については、小杉俊哉氏の解説記事でも紹介しています)。

よくある質問(FAQ)

Q. 人的資本経営の課題は何ですか?

A. 厨子教授は、①議論が開示や数値化に偏り働きがいへの着目が不十分なこと、②測定にまつわる負担が増え、測定そのものが目的化して現場が疲弊していること、③競争優位につながる情報まで開示すべきかという開示のジレンマ、の3つを挙げています。

Q. 人事制度が複雑になると何が起きますか?

A. 厨子教授の研究では、人事制度が複雑になるほど人事担当者のストレスが高まるという結果が得られています。経営者が経営戦略の策定過程で人事担当者の提案や発言を促し、主体性を尊重して連携することが、ストレスの緩和につながるとしています。

Q. 越境学習にはどんな効果がありますか?

A. 厨子教授らの研究では、兼業・副業を含む越境学習が、リーダーのオーセンティック・リーダーシップを高め、組織全体の創造性を向上させることが定量的に示されています。本人だけでなく、所属組織にも好影響があるという研究が多いとされます。

Q. オーセンティック・リーダーシップとは何ですか?

A. 自分の強みと弱みを認識し、倫理的・道徳的な視点を持ち、バランスの取れた情報処理を行うリーダーシップです。独りよがりにならず、多様なメンバーの意見を取り入れて意思決定し、フォロワーとの関係を透明に保つ行動を指します。

Q. 「ゆるい職場」とは何ですか?

A. 成長の実感が湧かず、若手が離職してしまう職場を指す言葉です。厨子研究室の2024年の調査では、他社・他業種と関わる機会やキャリアの助言を得られる機会があると、職場のゆるさの認知が下がり、ワーク・エンゲージメントが向上することがわかりました。

まとめ:開示・測定に偏らず、越境とキャリア支援で「働きがい」を高める

  • 人的資本経営は、人的資本情報の開示・測定と、人材の働きがいを二大軸とする
  • 課題は、働きがいへの着目不足、測定の目的化による現場の疲弊(測りすぎ)、開示のジレンマの3つ
  • 人事制度が複雑になるほど人事担当者のストレスは高まる。経営者がパートナーとして尊重することが緩和の鍵
  • 兼業・副業を含む越境学習は、リーダーのオーセンティック・リーダーシップを高め、組織の創造性を向上させる
  • 他社・他業種と関わる機会やキャリアの助言は、若手の「ゆるい職場」の認知を下げ、エンゲージメントを高める

多様な人材の働きがいを高めるには、「この人はこうだろう」という思い込みを外すことも欠かせません。後編では、アンコンシャスバイアスが人事施策を空回りさせる理由と、女性活躍・男性育休・シニア活躍を進める組織的支援、そして流行に流されない「データに基づく意思決定」について紹介します。

必要な指標に絞って、人的資本を見える化する

測りすぎを避け、働きがいと価値向上につながる指標を一元的に把握するには、人的資本のデータを整理して見られる仕組みが役立ちます。DEFiDEの「HRキャピタルダッシュボード」は、ISO 30414に基づく11領域58指標から、自社に必要な人的資本の指標を可視化できるサービスです。

▶ HRキャピタルダッシュボードの詳細を見る

▶ 後編:アンコンシャスバイアスが人事施策を空回りさせる?女性活躍・男性育休・シニア活躍の組織的支援と、流行に流されない「データに基づく意思決定」(内部リンク)

▶ インタビュー全文:データに基づく意思決定の重要性を伝えたい(前編)(JOB Scopeマガジン)