日本農業は、意欲と能力のある「プロ農家」に農地をまとまった形で集め、平地と中山間地で政策を分けることで、成長産業になり得ます。元農林水産事務次官の奥原正明氏は、農業は農業界だけの問題ではなく、消費者を含む経済全体の問題であり、企業やビジネスパーソンも正しい知識を持って関わるべきだと語ります。
毎日食料品を買う私たちは、農業のことを「わかったつもり」になりがちです。しかし、生産の現場や流通の実態を、どれだけ知っているでしょうか。2024年夏以降、店頭から米が消え、価格が高騰した「令和の米騒動」は、食料の安定供給が当たり前ではないことを改めて示しました。
本記事では、農地や農協の制度改革に取り組んできた奥原氏へのインタビューをもとに、農政改革の成果と残る課題、「令和の米騒動」の背景、日本農業を成長産業にするための道筋、そして企業やビジネスパーソンが農業に関わる意味を解説します。なお、農業政策にはさまざまな立場や考え方があり、本記事は奥原氏の見解を紹介するものです。
この記事でわかること
・農政改革の成果――プロ農家が農地の約6割を使い、販売額の約8割を生産
・残る課題――農地の分散、多段階の流通、輸出
・「令和の米騒動」の背景にある、生産調整と備蓄制度の運営
・平地は農地集約、中山間地は別の政策――成長産業化への道筋
・企業やビジネスパーソンが農業を知り、関わるべき理由
元農林水産事務次官、前東京大学公共政策大学院客員教授。1955年生まれ。1979年東京大学法学部卒業、農林水産省入省。在ドイツ日本大使館での勤務(東西ドイツ統一時)、大臣秘書官、大臣官房秘書課長などを経て、2011年から5年間経営局長を務め、2016年農林水産事務次官、2018年退官。在任中は農地バンク制度の創設、農協改革、林業改革、水産業改革などに取り組んだ。退官後、東京大学公共政策大学院客員教授を務める。著書に『農政改革――行政官の仕事と責任』『農政改革の原点――政策は反省の上に成り立つ』(日本経済新聞出版)、『組織はリーダー次第――失敗する9タイプ』『農業政策は消費者のためにある』(信山社)など。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
前編で触れたように、奥原氏はドイツ統一の経験を原点に、意欲と能力のある担い手が自由に経営できる農業への転換を進めてきました。プロ農家向けの政策融資、農地の集積・集約の制度改革、農協制度の改革、流通の改革などです。
その結果、法人経営や大規模な家族経営といったプロ農家が、農地の約6割を利用し、農産物の販売額の約8割を生産するまでになりました。一方で、兼業農家が多く、高齢化が進んでいるのも日本農業の現実です。
| 課題 | 内容 |
|---|---|
| 農地の分散 | 一つの経営体の農地があちこちに散らばる「分散錯圃」により、大型機械やドローンによる農薬散布を効率よく使えない。農地バンク法の見直しなど抜本的な対策が必要 |
| 米の流通 | 農協の三段階の組織や卸売業者など、流通が多段階になっている。かつての食糧管理制度の時代の流通ルートが残っている |
| 輸出 | 農林水産物・食品の輸出額は拡大しているが、多くは水産物や加工食品で、米の輸出はまだ小さい |
出典:奥原氏への取材をもとに編集部作成
奥原氏は、退官後に手に入る農業の情報が報道中心で、量も質も十分ではないと感じたといいます。そこで、ビジネスパーソン向けに、農業の実態や制度、その歴史を伝える本を執筆しました。
経済団体で農業政策の説明会を開いた際には、100〜200社もの企業が集まったといいます。企業の関心は高いものの、農業全体の状況や参入の手続き、制度の歴史的な背景を知らずに事業を始めると、失敗しやすいと奥原氏は指摘します。逆に、それを知っていれば、事業はずっと進めやすくなるのです。
奥原氏が新たな著書に『農業政策は消費者のためにある』という書名をつけたのも、農業のあり方は農業界だけで考えても意味がなく、生産者と消費者を含めた日本経済全体の中で位置づけるべきだと考えたからです。
2024年夏以降、政府が一定量の備蓄米を持っていたにもかかわらず、スーパーの店頭から米が消え、価格が高騰しました。奥原氏は、この背景に2つの問題があると見ています。
| 背景 | 奥原氏の見方 |
|---|---|
| ① 生産調整 | 需要に合わせてぎりぎりの生産量に調整することを毎年続けてきたため、わずかな変動で供給が不足しやすい |
| ② 備蓄制度の運営 | 1993年の冷夏による「平成の米騒動」の反省から、国産米の政府備蓄制度がつくられた。しかし今回は、店頭から米が消えても備蓄米の放出が遅れた。奥原氏は、消費者への安定供給よりも米価の維持を優先したと受け取られても仕方がない運営だったと指摘し、運営上の問題を検証して今後の方針を明確にすべきだとしている |
出典:奥原氏への取材をもとに編集部作成
日本人は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ところがあり、米の問題への関心も薄れつつあると奥原氏は懸念します。戦後の安定した国際秩序と、日本の強い経済力という前提が揺らぎ、地球温暖化も農業生産に影響を与えています。食料安全保障を真剣に考えるべき時期に来ているというのが、奥原氏の問題意識です。
奥原氏は、2つの政策を進めれば、日本農業は成長産業になり得ると考えています。
| 提言 | 内容 |
|---|---|
| ① 平地はプロ農家に農地を集約 | リタイアする高齢農家の農地を、まとまった面積でプロ農家に貸し出す。大区画化を徹底し、機械やドローンを効率よく使ってコストを下げることで、「強い農業」と輸出の拡大につなげる |
| ② 中山間地は別の政策体系に | 条件の不利な中山間地は、平地とは別の政策で支える。現在の補助は「共同で何かをすれば出す」といった条件付きのものが多く、生産性の差を埋める形になっていないため、差を埋める補助へ見直す |
出典:奥原氏への取材をもとに編集部作成
平地での農地の集約をスピード感を持って進めれば、日本農業は成長産業になる――奥原氏はそう見ています(農業の担い手不足をデジタルの仕組みで解決する取り組みについては、太田原準教授の解説記事でも紹介しています)。
奥原氏は、食料の安定供給は国民全体の課題であり、農業界に任せきりにせず、経済界や消費者が自分事として関わるべきだと呼びかけます。そのためには、整理されたデータで現状を正しく理解し、政策の歴史を踏まえて、何を変えるべきかを考えることが欠かせません。
| 対象 | 奥原氏が求める関わり方 |
|---|---|
| 食品加工・外食産業 | 農業の現場との結びつきを強め、実際に農産物を使う立場から改善を求める。中間の流通は必要最小限にする |
| 輸出に関わる企業 | 農産物の本格的な輸出に取り組む。農業界と経済界が連携する |
| 報道 | 流通や輸出も含めて、農業の実態を伝える |
| すべての企業 | 事業の足かせになっている法律や制度があれば、国に対して「ここを直してほしい」と声を上げる |
出典:奥原氏への取材をもとに編集部作成
奥原氏は、食料の供給が不足すれば経済全体の足を引っ張るため、安定した供給体制は経済の安定に欠かせないと言います(商品が消費者に届くまでの流れ全体を見直す考え方については、河合亜矢子教授の解説記事でも紹介しています)。
農業に限らず、異業種への参入や新規事業を成功させるには、その分野の制度や実態を理解したうえで、事業を担う人と体制を整えることが欠かせません。
新しい事業を担う体制と人材を整える
異業種への参入や新規事業を進めるには、事業の優先順位に沿って役割を定め、適任者を配置し、育成していく仕組みが欠かせません。DEFiDEでは、人事制度や組織づくりの課題について相談を受け付けています。
奥原氏は、東京大学公共政策大学院で「霞が関における政策改革の手法」をテーマに教えてきました。改革の課題の設定、中身の詰め方、資料の作り方、スケジュール、抵抗する関係者との調整など、農業改革を題材にしながら、あらゆる政策分野に応用できる内容です。年金や健康保険など、時代に合わなくなった制度は、ほかにも数多く残っているといいます。
役所でも民間でも、リーダーが責任を持って仕事のやり方を切り替えることが重要です。リーダーは「警戒心と闘争心」を持ち、情報を集めながら、大胆かつ的確に決断し、実行しなければなりません。農業、組織、国家の運営に共通する停滞の要因は、責任のあいまいさにある――奥原氏の言葉は、あらゆる組織のリーダーに向けられています。
A. 奥原氏は、平地ではリタイアする高齢農家の農地をまとまった面積でプロ農家に集め、大区画化を徹底してコストを下げること、中山間地は別の政策体系で支えることを進めれば、日本農業は成長産業になり得ると見ています。
A. 奥原氏によれば、法人経営や大規模な家族経営といったプロ農家が、農地の約6割を利用し、農産物の販売額の約8割を生産するまでになりました。一方で、農地の分散や多段階の流通、輸出の拡大などの課題が残っているとしています。
A. 奥原氏は、需要に合わせてぎりぎりの生産量に調整してきた生産調整と、店頭から米が消えても放出が遅れた備蓄制度の運営に問題があったと指摘しています。備蓄制度の運営上の問題を検証し、今後の方針を明確にすべきだとしています。なお、米の需給や価格の動きにはさまざまな要因と見方があります。
A. 農業全体の状況や参入の手続き、制度の歴史的な背景を知らずに事業を始めると失敗しやすいためです。また奥原氏は、食料の安定供給は国民全体の課題であり、経済界や消費者が自分事として関わるべきだとしています。
A. 奥原氏は、食品加工や外食産業には農業の現場との結びつきを強めて改善を求めること、輸出に関わる企業には農産物の本格的な輸出に取り組むこと、すべての企業には事業の足かせになっている制度について国に声を上げることを求めています。
前編では変革リーダーの条件を、中編では改革への抵抗を乗り越える方法と人事を見てきました。責任と覚悟を持って仕事のやり方を切り替える――その姿勢は、農業の改革にも、企業の変革にも共通しています。
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▶ 前編:変革リーダーの条件とは?日本の組織を停滞させる「事なかれ主義」と、責任感を軸にしたリーダーの資質・育ち方(内部リンク)
▶ 中編:組織改革の抵抗をどう乗り越える?闘争心と警戒心、徹底した議論、「熟考か試行か」の判断と、改革を動かす人事(内部リンク)
▶ インタビュー全文:農政改革と組織論に学ぶ―責任と覚悟で切り拓く変革リーダーの条件(後編)(JOB Scopeマガジン)