[JOBSCOPE]教授インタビュー解説

人的資本の価値を高めるには?組織のゆとりと考え方の多様性|JILPT・藤村博之理事長

作成者: JOB Scope編集部|Oct 15, 2026, 12:11:44 PM

 

人的資本の価値を高めるには、社員が試行錯誤や挑戦をできる「組織のゆとり」が欠かせません。労働政策研究・研修機構(JILPT)の藤村博之理事長は、ギリギリの人員で仕事を回し、失敗を許容できない今の職場では人は育たないとして、人件費を「費用」だけでなく「投資」として捉え直す必要があると語ります。

バブル崩壊後、日本企業は人件費の削減を進め、人事部門も大きく変わりました。経営戦略と人事戦略を連動させ、人を育ててきた日本企業の良さの多くが失われてしまったのではないか――藤村理事長はそう問いかけます。

本記事では、人的資源論と労働関係論を専門とする藤村理事長へのインタビューをもとに、人的資本という考え方の起源、人件費の「費用」と「投資」、人材版伊藤レポートへの評価、人的資本の価値を高める「組織のゆとり」、「考え方のダイバーシティ」、従業員と一緒に考える経営、そして人事部が業務処理部門になった経緯について解説します。

この記事でわかること

・人的資本という考え方が生まれた背景(スプートニク・ショック)

・人件費の「費用」と「投資」の両面と、日本企業が費用面ばかり見てきた理由

・人的資本の価値を高めるには「組織のゆとり」が欠かせない理由

・見かけではなく「考え方のダイバーシティ」が大切な理由

・人事部が業務処理部門になった経緯と、戦略人事の起源

取材協力:藤村 博之(ふじむら ひろゆき)氏

独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT)理事長(取材時)。1990年滋賀大学経済学部助教授、1996年同教授。1997年法政大学経営学部教授、2004年同大学院イノベーション・マネジメント研究科教授を経て、2023年4月より現職。専門は人的資源論、労働関係論。ドイツとクロアチアでの長期の生活経験も持つ。

聞き手:JOB Scopeマガジン編集部

人的資本という考え方はどこから来たのか

藤村理事長によると、人的資本という言葉が出てきたのは1960年代の米国です。1957年、米国とソ連が宇宙開発競争を繰り広げる中、ソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに先に成功しました(スプートニク・ショック)。後れを取った米国で原因を探る中から出てきたのが「教育に問題があったのではないか」という議論であり、人は利益を生み出す資本であるという考え方でした。

シカゴ大学のゲーリー・S・ベッカーは、1964年に著書『人的資本(Human Capital)』を刊行し、1992年にノーベル経済学賞を受賞しています。研究者にとっては「60年前に議論していたことが、なぜかまた蘇ってきた」という感覚だと藤村理事長は言います(人的資本理論の詳細は、小野浩教授の解説記事でも紹介しています)。

人件費は「費用」であり「投資」でもある

日本企業はもともと人材育成に熱心でした。しかし、バブル崩壊後の長く深い不況の中で、売上が伸びないなか利益を確保するにはコストを下げるしかありませんでした。

  人件費の「費用」としての側面 人件費の「投資」としての側面
捉え方 今期の利益を圧迫するコスト 将来の自社を支える人を育てる投資
1990年代半ば〜2010年代の日本企業 強調された(人を減らす、正社員が辞めても補充しない、補充するなら有期雇用で) 軽視された
結果 仕事の注文は来ても、こなせる人材が社内で育っていない ―

出典:藤村理事長への取材をもとに編集部作成

必要な人材は外からは採りにくい

社内で人が育っていないなら外部から採用すればよい、と考えても簡単ではありません。「日本の外部労働市場が未発達だから」と言われることがありますが、藤村理事長は日本の労働市場はしっかり機能していると言います。採用できないのは、自社が必要とする人材は、すでに別の会社で大切な仕事をしているからです。だから内部で育てるしかない――その原点に立ち返ったのが、人的資本経営が注目されるきっかけだと藤村理事長は見ています。

人材版伊藤レポートには「現場で働く人」の姿が見えない

投資家に向けて人材が企業価値の一つであることを示した人材版伊藤レポートについて、藤村理事長は「人を育てなければ企業価値は上がらない」と気づいた点はよいと評価します。一方で、人をどう育てるのか、具体的な方策が見えてこないと指摘します。人は現場の第一線で仕事をしながら育つのに、その現場で働く人の姿が見えず、現場で何をすればよいかが語られていないというのです。

人的資本の価値を高めるには「組織のゆとり」が不可欠

「人的資本の価値を上げていくには、余剰人員を抱えないといけません。」

――藤村理事長

これが藤村理事長の結論です。社員が「こんなことをやってみたら面白い」と試行錯誤を繰り返すことで、新しいものは生まれます。しかし多くの企業は、不況を乗り切るためにギリギリの人員で仕事を回しており、失敗を許容できなくなっています。納期が厳しければ、現場では仕事ができる人にやってもらうしかありません。

人を育てるために必要なこと ギリギリの人員で回す職場で起きていること
6〜7割できるようになった人に、主担当として任せてみる 仕事ができる人にやってもらうしかない
わからないことは周りがしっかり支援する 支援する余裕がない
時間がかかること、失敗することを許容する 失敗を許容できない

出典:藤村理事長への取材をもとに編集部作成

人材の価値を上げるには、まず試行錯誤や挑戦ができることが必要で、挑戦するには失敗を許容する時間的な余裕が必要です。それがない中で、本当に人的資本経営ができるのか――藤村理事長はそう問いかけます。

企業価値の出発点は「困っている人」を知ること

企業価値向上のKPIについて、藤村理事長は、株価で測るという考え方もあるとしたうえで、世の中で困っている会社や人の困りごとを解決する商品やサービスを提供できれば、売上も企業価値も上がると言います。マーケットとは、困っている企業や人の集合体です。「良い技術でつくったから使ってほしい」ではなく、「この人のこの困りごとを、自社の技術をこう組み合わせれば解決できる」という地道な努力が成否を分けるのです。

見かけではなく「考え方のダイバーシティ」を

多くの経営者は人的資本投資の重要性を認識していますが、具体的に現場で何をすればよいかはわかっていないと藤村理事長は言います。その例がダイバーシティです。

課長が「右向け右」と号令をかけたときに、「なぜ右なのですか。左ではだめですか」と言い出す人がいる――それがダイバーシティだと藤村理事長は言います。頭ごなしに否定せず、言い分を聞いて議論し、一理あれば左に変える。時間がかかり、面倒なことです。

  見かけ上のダイバーシティ 考え方のダイバーシティ
状態 女性、高齢者、外国人など、多様な人が働いている 反対意見を持つ人がいて、それを言える
今の日本企業 進んできた 1980年代までのほうがあった。今は反論する部下がほとんどいない

出典:藤村理事長への取材をもとに編集部作成

ギリギリの状態で仕事を回していれば、「反論しても仕方がない」「黙ってうなずいたほうが波風が立たない」と思ってしまいます。人事担当者から「最近の新入社員はおとなしすぎる」と聞くたびに、藤村理事長は「新入社員がおとなしいのではなく、既存の社員がおとなしいのではないですか」と答えているといいます。新入社員は先輩の姿を見て、組織でどう振る舞うべきかを判断しています。新入社員は組織の鏡なのです。

自社の職場で、社員が反対意見を言えているかどうかは、社員の声を聞かなければわかりません。

「意見を言える職場」になっているかを、データで確かめる

考え方のダイバーシティがある職場かどうかは、社員が上司や職場に意見を言えていると感じているかで見えてきます。DEFiDEの「生成AIワークバリュー・スコア分析」は、生成AIで従業員の属性や組織の特性に合わせた質問を作成し、職場の風土や働き方への意識を迅速にきめ細かく可視化します。

▶ 生成AIワークバリュー・スコア分析を見る

従業員と一緒に考える――サカタ製作所の事例

中小企業にも、従業員と一緒に考えて成果を上げている会社があります。藤村理事長が紹介するのが、建物の屋根を固定する部材をつくる、新潟県のサカタ製作所(従業員約165名、取材時)です。

  1. 十数年前、36協定を守れないほどの長時間労働だった
  2. 社長が「残業をゼロにする」と宣言し、「どうすればゼロにできるか皆で考えてほしい」と呼びかけた
  3. 最初は「無理だ」という声が多かったが、職場ごとにグループをつくってアイデアを出し合った
  4. アイデアを少しずつ実現し、5年で残業がほぼゼロに。売上は変わらなかった

同社は毎年大卒を3〜4人採用し、「内定辞退はゼロ」だといいます。「あの会社に行くと面白い仕事ができる」という評判が広がっているからです。経営者が従業員をどれだけ信用するか――それが人的資本経営の基本だと藤村理事長は語ります。

人事部が「業務処理部門」になった経緯

1980年代までは、人事担当の取締役は副社長や専務であることが多く、人事部門出身の社長も珍しくありませんでした。5年後、10年後に展開したい事業を担う人材をどう確保し、誰にどんな経験を積ませるか――経営戦略と人事戦略を結びつけることは、どこの会社も普通にやっていたと藤村理事長は言います。

しかしバブル崩壊後、間接部門のスリム化で人事部の人員が減らされ、仕事量は変わらないまま、人事部は業務処理の部門になってしまいました。経営戦略を見ながら人を採用し、育てる余裕がなくなったのです。

戦略人事の原点は日本企業

1990年代後半から米国で注目された戦略的人的資源管理(戦略人事)やタレントマネジメントについて、藤村理事長は、その原点は経営戦略と人事戦略が結びついていた1980年代の日本企業だと言います。部門ごとに採用し、不要になれば辞めさせていた米国企業が、会社全体で人材を見るようになったのです。藤村理事長は、その背景には米国の人事部が社内での存在感を高めたいという思いもあったのではないかと見ています。

昔はよかったと言いたいわけではありません。以前はできていたことが、なぜできなくなったのかをしっかり見なければ、これからどう人的資本の価値を高めるかにつながらない――それが藤村理事長の考えです。なお、人的資本の開示については、従業員一人ひとりの価値を開示することはできず、資格や経験を持つ人の数などにならざるを得ないため、自ずと限界があると見ています(戦略人事の考え方は、守島基博教授の解説記事でも紹介しています)。

よくある質問(FAQ)

Q. 人的資本の価値を高めるには何が必要ですか?

A. 藤村理事長は、社員が試行錯誤や挑戦をできる「組織のゆとり」が欠かせないとしています。ギリギリの人員で仕事を回していると失敗を許容できず、仕事ができる人に任せるしかないため、人が育ちません。人的資本の価値を上げるには余剰人員を抱える必要があるというのが藤村理事長の結論です。

Q. 人件費は費用ですか、投資ですか?

A. 藤村理事長は、両方の側面があるとしています。賃金は費用である一方、将来の自社を支える人を育てる投資でもあります。日本企業はバブル崩壊後、費用の側面ばかりを強調して人を減らしてきた結果、社内で人材が育っていない状況に陥ったと指摘しています。

Q. 「考え方のダイバーシティ」とは何ですか?

A. 女性や高齢者、外国人など多様な人がいる見かけ上のダイバーシティではなく、上司の指示に対しても反対意見を持ち、それを言える状態のことです。藤村理事長は、意見を聞いて議論し、一理あれば方針を変えることがダイバーシティであり、時間がかかっても大切だとしています。

Q. 人材版伊藤レポートにはどんな課題がありますか?

A. 藤村理事長は、人を育てなければ企業価値が上がらないと気づいた点は評価しつつ、人をどう育てるのかという具体的な方策が見えず、現場で働く人の姿が見えないと指摘しています。人は現場の第一線で仕事をしながら育つため、現場で何をすべきかが重要だとしています。

Q. 人事部が業務処理部門になったのはなぜですか?

A. 藤村理事長は、バブル崩壊後の不況で間接部門のスリム化が進み、人事部の人員が減らされたのに仕事量は変わらなかったため、経営戦略を見ながら人を採用し育てる余裕がなくなったと説明しています。1980年代までは経営戦略と人事戦略を結びつけることが普通に行われていたといいます。

まとめ:人を育てる「ゆとり」と「対話」を取り戻す

  • 人的資本は1960年代の米国で生まれた考え方。日本企業はもともと人材育成に熱心だった
  • バブル崩壊後、人件費の「費用」の側面ばかりが強調され、社内で人が育たなくなった
  • 人的資本の価値を高めるには、試行錯誤や失敗を許容できる「組織のゆとり」が不可欠
  • 大切なのは見かけではなく「考え方のダイバーシティ」。新入社員は組織の鏡
  • 経営者が従業員を信じて一緒に考えることが人的資本経営の基本。人事部は経営戦略と人事戦略を結ぶ役割を取り戻す

後編では、失敗が許されない職場でイノベーションが生まれない理由、ジョブ型雇用への藤村理事長の見解、従業員を信じて共に考える経営、中小企業ならではの魅力、そして人を育てるうえで最も大切な「初任配属」について解説します。

経営戦略と連動した人事制度を、プロと一緒に

5年後、10年後の事業を担う人材をどう確保し、誰にどんな経験を積ませるか。経営戦略と人事戦略を結びつけるには、それを支える人事制度と運用の仕組みが欠かせません。DEFiDEの「JOB Scope」は、人事コンサルティングと人事クラウドの2軸で、経営に直結する戦略人事の制度設計から組織への定着までを支援する人事制度改革プラットフォームです。

▶ JOB Scopeの資料を請求する

▶ 後編:新卒の初任配属はなぜ重要か?「誰と働くか」が人を育てる理由と、ジョブ型・失敗できない職場への警鐘(内部リンク)

▶ インタビュー全文:日本企業の良さを再検証した上で、人的資本の価値向上につなげていく必要がある(前編)(JOB Scopeマガジン)