[JOBSCOPE]教授インタビュー解説

「やり過ごし」とは?組織の知恵とぬるま湯の正体|高橋伸夫教授

作成者: JOB Scope編集部|Oct 19, 2026, 5:38:05 AM

 

組織における「やり過ごし」とは、上司からの指示や持ち込まれた問題を、あえてすぐに処理せずにやり過ごす行動のことです。東京理科大学の高橋伸夫教授は、この現象を日本語の言葉で捉えて実証的に調べ、組織が限られた力を本当に大事なことに振り向けるための知恵として示してきました。

「上司の指示をすべて真に受けていたら、仕事が回らない」――多くの職場で、口には出さなくても感じられていることではないでしょうか。

本記事では、組織論の研究を長く続けてきた高橋教授へのインタビューをもとに、「やり過ごし」という概念の誕生と意味、やり手ほど自社を「ぬるま湯」と感じる理由、そして経営学を科学として捉え、カタカナではなく日本語で組織を見る大切さを解説します。

この記事でわかること

・組織の「やり過ごし」とは何か、どう生まれた概念か

・カタカナではなく、日本語の概念で組織を調べる意味

・やり手ほど自社を「ぬるま湯」と感じるという「体感温度仮説」

・経営学を科学として捉える――データに否定されるスリル

・経営用語をカタカナのまま使うことの弊害

取材協力:高橋 伸夫 氏

東京理科大学 経営学部 経営学科 教授、東京大学 名誉教授(取材時)。1957年北海道小樽市生まれ。1980年小樽商科大学商学部卒業、1984年筑波大学大学院社会工学研究科退学。東京大学教養学部助手、東北大学経済学部助教授、東京大学教養学部助教授、同経済学部助教授などを経て、1998年東京大学大学院経済学研究科教授。2023年より現職。専門は経営組織論。組織学会賞(高宮賞)、経営科学文献賞、交通図書賞を受賞。著書に『虚妄の成果主義――日本型年功制復活のススメ』(日経BP社)、『ぬるま湯的経営の研究』(東洋経済新報社)、『組織の思想史』『組織の不都合な真実――経営学は科学なのか?』(日本経済新聞出版)、『知らなかったでは済まされない 経営学の話』(高橋書店)など多数。

聞き手:JOB Scopeマガジン編集部

組織論を軸に、日本企業を見つめてきた研究

高橋教授の専門は組織論です。頼まれたテーマを幅広く引き受けてきた結果、公社の民営化や鉄道経営の資金調達、技術のライセンス戦略など、研究の領域は大きく広がりました。1989年度から続けてきた個人研究の研究キーワードは、100を超えるといいます。

約20年前に出版した『虚妄の成果主義』は、成果主義の導入が最盛期を迎えていた時期に、ほぼ一人で反対の立場を示した本としてベストセラーになりました(成果主義と人事制度の変更については、後編で詳しく解説します)。

若いころ、英語の理論ばかりを研究することに疑問を持ったとき、企業の人から「日本の会社が問題なのに、それを研究しないとは何事だ」と叱られたこともあるといいます。以来、高橋教授は、目の前の日本企業を研究し続けてきました。

「やり過ごし」とは――日本語で生まれた組織の概念

「やり過ごし」という概念の出発点は、組織の意思決定を描いたゴミ箱モデルです。ゴミ箱モデルでは、問題、解決策、参加者、選択機会という4つの要素が偶然に結びついて、物事が決まると考えます。

このモデルには、持ち込まれた問題が別の場へ移っていった後で決定が行われる「decision making by flight」という決定のパターンがあります。当時、これは「飛ばしによる決定」と訳されていましたが、高橋教授は、それでは意味が伝わらないと考えました(ゴミ箱モデルの仕組みについては、安藤良祐助教の解説記事でも紹介しています)。

年 「やり過ごし」研究の歩み
1982年 着想を得る
その後約5年 「やり過ごし」という日本語の名前を考える
その後約4年 企業に調査を依頼し、実施する。回答者の半数以上が「やり過ごし」を経験していた
1992年 論文として発表
20世紀末 国語辞典『広辞苑』に、この意味が新たに加わる

出典:高橋教授への取材をもとに編集部作成

上司の指示をすべて真に受けて処理しようとすれば、時間も人手も足りなくなります。重要度の低い指示や問題をやり過ごすことで、組織は限られた力を本当に大事なことに振り向けることができる――「やり過ごし」は、組織を動かすうえでの一つの知恵として捉えられるのです。

日本語の概念で調べることの意味

高橋教授は、カタカナの用語が中心になりがちな経営学に対し、「やり過ごし」「見過ごし」「ぬるま湯」といった日本語の概念で調査することを重視してきました。働く人が日常の感覚で理解できる言葉で尋ねるからこそ、組織の実態をつかむことができるのです。

やり手ほど自社を「ぬるま湯」と感じる――体感温度仮説

高橋教授は、数十年にわたる調査をもとに、組織の「ぬるま湯」について研究してきました。その成果の一つが「体感温度仮説」です。

同じ職場にいても、その「温度」の感じ方は人によって違います。高橋教授によれば、やり手の人ほど、自社を「ぬるま湯」だと感じやすいことが、データの上でも確かめられているといいます。

観点 内容
組織の「ぬるま湯」 変化への危機感が薄く、居心地はよいが、新しいことに挑みにくい状態
体感温度の違い 同じ組織にいても、人によって「温度」の感じ方が異なる
やり手ほど「ぬるい」と感じる 能力や意欲の高い人ほど、自社をぬるま湯だと感じやすい

出典:高橋教授への取材をもとに編集部作成

組織の「温度」をどう感じているかは、社員一人ひとりの意欲や価値観と深く関わっています。

社員が仕事に求める価値観を把握する

同じ職場でも、社員一人ひとりが仕事に求めるものや、組織の感じ方は異なります。DEFiDEの「生成AIワークバリュー・スコア分析」では、従業員が仕事に求める価値観を分析し、配置や育成、エンゲージメント向上の施策を考えるヒントを得られます。

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経営学は科学である――データに否定されるスリル

高橋教授は、近著『組織の不都合な真実――経営学は科学なのか?』で、2つのことを伝えたかったと言います。

伝えたかったこと 内容
① 経営学は科学である 検証し、データを取ることで、正しいか間違っているかを判定できる
② 日本語で分析する カタカナで済ませず、目の前の現象を日本語で分析する

出典:高橋教授への取材をもとに編集部作成

高橋教授は、「データによって否定されるスリルのないところには、科学は存在しない」と言います。データが理論と合わないなら、間違っているのはデータではなく、モデルの方なのです。

一方で、若手の研究では、質の低いデータに複雑なモデルを当てはめて「統計的に有意」と結論づけるものや、どのような仮説を検証したのかがわかりにくいものも見られると高橋教授は懸念します。他人の研究の追試は論文になりにくく、自説の追試は否定される恐れがあるため、追試がほとんど行われていないことも問題だといいます。

カタカナの経営用語から脱却し、日本語で本質を捉える

高橋教授は、テレビなどでカタカナの用語を並べて説明する経営学者の姿に違和感を覚えると言います。「カタカナの意味を、しっかりと日本語で言いなさい」「みんなで訳語を考えましょう」というのが、高橋教授の提言です。

例えば、マイケル・ポーターの「バリューチェーン」は、もともと「価値連鎖」と訳されていました。ところが今では、「価値連鎖」にバリューチェーンとふりがなを付ける文献も見られます。意味がわからないまま言葉だけを使う人が増え、訳語を定めるという大切な作業が行われなくなっているのです。「カタカナの方が高級に感じる」という傾向にも、高橋教授は疑問を投げかけています。

よくある質問(FAQ)

Q. 組織の「やり過ごし」とは何ですか?

A. 上司からの指示や持ち込まれた問題を、あえてすぐに処理せずにやり過ごす行動のことです。高橋教授は、ゴミ箱モデルの「decision making by flight」を日本語で捉え直してこの概念を示し、調査では回答者の半数以上が「やり過ごし」を経験していました。

Q. 「やり過ごし」は悪いことなのですか?

A. 必ずしも悪いことではありません。上司の指示をすべて真に受けて処理しようとすれば時間も人手も足りなくなるため、重要度の低い指示や問題をやり過ごすことで、組織は限られた力を大事なことに振り向けられるという見方ができます。

Q. 体感温度仮説とは何ですか?

A. 同じ組織にいても、その「温度」の感じ方は人によって異なり、やり手の人ほど自社を「ぬるま湯」だと感じやすいという仮説です。高橋教授は、数十年にわたる調査をもとに、これがデータの上でも確かめられているとしています。

Q. なぜ経営学を「科学」として捉えるべきなのですか?

A. 高橋教授は、経営学は検証し、データを取ることで正誤を判定できる科学だとしています。「データによって否定されるスリルのないところには、科学は存在しない」とし、データが理論と合わないならモデルが間違っていると考えるべきだと述べています。

Q. 経営用語をカタカナのまま使うと何が問題ですか?

A. 意味がわからないまま言葉だけを使う人が増え、訳語を定めるという大切な作業が行われなくなることです。高橋教授は、カタカナの意味を日本語で説明し、みんなで訳語を考えるべきだと提言しています。

まとめ:日本語で組織を捉え、データで確かめる

  • 「やり過ごし」は、ゴミ箱モデルの決定のパターンを日本語で捉え直した組織の概念
  • 重要度の低い指示をやり過ごすことは、限られた力を大事なことに振り向ける組織の知恵でもある
  • やり手ほど自社を「ぬるま湯」と感じやすい(体感温度仮説)
  • 経営学は科学。データに否定されるスリルのないところに科学はない
  • カタカナの用語を日本語で説明し、訳語を定めることが本質の理解につながる

では、組織が新しいことに挑み、成長していくには何が必要なのでしょうか。中編では、失敗を責めるのではなく学ぶ組織のあり方と、「どんな制度も運用次第」という考え方、そして目的から始めるDXについて紹介します。

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