>日本的経営の強さを再考する:組織論の第一人者が語る「やり過ごし」の効能と安易な制度変更への警鐘(前編)
経営学全般、特に組織論の第一人者として長年研究を続けてきた高橋伸夫教授。数多くの研究キーワードやベストセラー著書を持つ同氏が、日本の組織の本質や現代の日本企業が抱える課題を鋭く分析する。広辞苑に新たな意味を加えた「やり過ごし」の概念や、公社民営化・鉄道経営における資金調達の研究成果を振り返るとともに、目的が形骸化しがちな DX 推進の現状に苦言を呈する。さらに、欧米流の徹底的な責任追及とは異なる日本的運用の妙を説き、安易な流行に流されず、歴史に裏打ちされた日本的経営に自信を持つことの重要性を主張する。制度の変更が現場に与える重い責任を浮き彫りにし、経営者や人事責任者へ深い示唆を与える内容である。前編では、高橋氏の研究キーワードの多様性や経営学に対するアプローチなどを聞いた。
【こんな方に、ぜひ読んでいただきたい】
① 他社の流行や「右に倣え」の精神で新制度を導入することの危険性を学び、自社が長年培ってきた独自の仕組みや強みを再認識して、自信を持った舵取りを行いたいリーダー
② 成果主義やジョブ型雇用、DX の導入がもたらす副作用と運用の重要性を理解し、制度の変更が社員のメンタルに直結する重い職務であることを再自覚したい実務家
③ 組織論や社会科学に興味のあるビジネスパーソン・研究者 カタカナ言葉に頼らない日本語本来の概念による組織分析や、データ検証に基づいた「科学としての経営学」のあり方、組織の意思決定モデルを深く探求したい知識層
【前編のエッセンス】
東京理科大学経営学部教授・高橋伸夫氏は、組織論を軸に、成果主義批判、日本企業の制度、公社民営化、意思決定論など幅広い研究を展開してきた経営学者である。本編では、「やり過ごし」 「ぬるま湯」など日本語にこだわった概念形成の背景や、現場の実態を丁寧に捉える研究姿勢が語られる。また、コンピューターや統計学を活用した初期研究から、現在の組織論研究までの歩みを紹介。高橋氏は、流行する経営手法を無批判に導入するのではなく、日本企業が積み重ねてきた経験や制度を理解し、失敗から学ぶことの重要性を説いている。
【前編のキーメッセージ】
① 経営学は流行の理論を追うだけではなく、日本企業の現場で起きている問題を真正面から研究することが重要である。
② 「やり過ごし」など日本語にこだわった概念は、組織で起きる現象を正確に理解するための重要な視点となる。
③ 制度改革は目新しさだけで判断せず、失敗経験を記録し学習につなげる姿勢が企業成長には欠かせない。
目次

01組織論を軸に広がった研究領域と、日本企業への問題意識
高橋先生のご専門分野、ご研究領域を教えていただけますか。
経営学全般です。かなりキャリアが長いものですからね。経営学と名が付くものは大体皆研究してきました。元々の専門は組織論という分野です。ただし、割と頼まれると色々なことを研究してきた印象があります。
だから、経営学らしくないテーマも数多く取り上げました。例えば、公社民営化であればNTT の新規事業開発や鉄道経営と資金調達、技術経営でしたらライセンシング戦略(青色LED 訴訟)にも関わりました。
経営の話でいくと、もう随分昔になりますが、多分一番有名になったのは『虚妄の成果主義:日本型年功制復活のススメ』 (日経 BP 社)という著書です。20年ぐらい前の話ですが、それは当時ベストセラーになりました。ある程度年配の方でしたら、その著者としてご存知の方がおられるのではと思います。文庫にもなっています。

当時、成果主義が流行っていて、その絶頂期ぐらいの時に私がたった一人でというと少し大げさですが、反対していたのでそれで本を書いたわけです。経営関係の本としては、割と売れたし、評価されました。
科学研究費助成事業データベースを拝見しますと、高橋先生の研究キーワードが多数挙がっています。それだけ研究領域が広いということですね。先ほどのお話ですと、頼まれると「No」と言わない性格なのでしょうか。
多分理由は 2 つあると思います。東北大学経済学部で助教授(29 歳で着任)をしていた1989年度から、科学研究費(個人研究)を助成してもらっています。なので、毎年研究のキーワードを登録していくので、何十年も経った今は、すごい数になります。それが、まず一つかなと思いますね。もう 30年、40年ぐらいずっと登録しているわけですからね。キーワードの数も当然多くなりますよ。
もう一つは、その都度何を登録したのか覚えていないということも言えます。割と新しい分野を掘っていたので、次から次へと増えて行ったのではないかと思います。
ただ、 「そんなに研究領域が幅広いのか」と言われると、どうでしょうか。他の先生よりは多少広いかなという気はしますけれども、基本的には経営学の組織論が中心だと思います。
高橋先生、今ざっくり数えても研究キーワードが 100 個以上登録されています。
まあキーワードはね。それは何かつけますから。だから、キーワード自体は増えると思います。

02「やり過ごし」に込めた、日本語で組織を捉える研究姿勢
本当にすごい数です。キーワードの中には「やり過ごし」 「組織学習」 「ゴミ箱モデル」「ぬるま湯」などが挙がっています。この辺りは、高橋先生らしいキーワードだと思うのですが、何か思い入れがございますか。
「やり過ごし」は『組織の不都合な真実 経営学は科学なのか?』 (日本経済新聞出版)という著書の中にも事情を書きましたが、もともと市民権がありませんでした。それがキーワードになった理由は、当時「ゴミ箱モデル」 (組織の意思決定が必ずしも合理的でなく、問題・解決策・参加者・選択機会の 4 つの要素が偶然に結びつくことで決定が行われるモデル)という、コンピューターシミュレーションのモデルがあり、その中で出てくる概念として「decision making by flight」がありました。

当時は、それを「飛ばしによる決定」と訳していた研究者もいました。それでは、意味が全く伝わりません。要するにこれは「問題」を解決せずに放っておくと(=やり過ごしていると)、 「問題」自体がしびれを切らして他の選択機会に飛んで逃げて行ってしまうという現象だからです。
「本当にそんなことがあるのか」というのを調べたくなって(1982年のこと)、構想10年と言いますか、 「やり過ごし」という言葉を思いつくまでに 5年、そこから「調査をさせてください」と言って、色々な会社に依頼をして、ようやく調査ができるようになるまでにさらに 4年掛かりました。それで、ようやく 1992年に論文が出たという感じですね。本当に 10年かかりました。
いざ調べてみると、やり過ごしているうちに、例えば上司の指示をやり過ごしているうちにその指示自体がいつの間にかなくなるといった回答が割と普通に出てきました。具体的には、回答者の半分以上の人が実は経験していたのです。それで、ようやく「やり過ごし」という言葉が市民権を得た感じがします。
そもそもやり過ごすというのは、今は私が使っている使い方の方が一般的になっているのですが、今みたいな使い方を昔はしていません。 「後続車をやり過ごす」という感じの言い方があったものの、 「ある状態が経過するにまかせる。厄介な物事と関係を持たないですます」みたいなニュアンスは、あまりなかったのです。広辞苑にも 20 世紀末になってから、その言葉の意味が加わったのです。なので、それまではその言葉自体もあまり皆は使っていませんでした。
「やり過ごしているうちに立ち消えになることがある」というような言い方で「やり過ごし」が行われているのかと調査して、それで「やり過ごし」という言葉を何とか定着させようと思い、一生懸命取り組んだわけです。私だけの原因ではないと思いますが、結果的には広辞苑に意味が採用されて良かったと思っています。広辞苑には、今しっかりと言葉の意味が書いてありますからね。だからその意味では、私自身割と日本語にこだわったつもりです。
皆さんもお気づきかもしれませんが、経営学はカタカナばかりなのです。それが当たり前になっています。普通だと、日本語の訳を考えるはずですが、それを考えることすらしなくて、今はすべてカタカナになっています。
しかし、日本で日本人相手に調査するのであれば、日本語にこだわって調査しないといけません。なぜなら、カタカナ用語を織り込むのであれば、長々と説明しなければいけないからです。ただ、説明しても多分伝わらないだろうと思いますよ。その点、 「やり過ごし」のような日本語のワードであれば割と類推できるので、理解できます。
なので、調査を実施する時には、やはり日本語にしっかりとこだわった方が良いです。「やり過ごし」や「見過ごし」、あるいは「ぬるま湯」もそうですけれども、そういった言葉を用いるのは、日本語を大事にした方が、より正確に調べられるからです。
今お話しいただいた「やり過ごし」は意思決定論に絡みます。 「ぬるま湯感」や「日本型年功制(成果主義批判)は日本的な経営に対する考察といえます。他にも、冒頭で触れていただきましたが、公社民営化の研究も多いですよね。
そうですね。公社民営化も私にとっては大きな研究テーマです。最初は NTT の話でした。それは、1987年に東北大学経済学部に助教授として赴任した時に、科学研究費助成事業のチームに半ば強制的に入れられました。NTT 民営化全体の調査チームなのですが、私の担当は「新規事業開発になっている」と一方的に言われ、たまたま NTT の新規事業開発室に知り合いの方もいたので、一人で担当して研究し始めたわけです。
鉄道経営に関しては、当時会計検査院の特別研究官を併任していました。そこで「何か研究してください」と依頼され、本当は「財政投融資(国が政策目的を推進するため、財政政策の一環として行う投資および融資)の研究をしたい」と申し出たのですが、 「それは無理です」と断られてしまいました。
「それならば、財政投融資絡みで鉄道建設の資金調達スキームを調べたい」と希望したわけです。ただこれが結構難しくて、鉄道会社で資金調達のことを知っている人はごく一部しかいません。それで、 「コネクションさえつないでくれたら、あとは自分で調べに行くから」とお願いして、何人かを紹介してもらったという感じです。
色々と調査した成果は、 『鉄道経営と資金調達: 経営破綻を未然に防ぐ視点』 (有斐閣)というタイトルで出版されました。この本は、交通図書賞も受賞しましたが、出した時は結構驚かれましたね。 「高橋伸夫って鉄道も研究しているのか」 「同姓同名の人間がいるのでは」などと言われたものです。私自身は全然鉄道オタクでもないので、鉄道というよりは資金調達の話で入っていったという流れです。


03データと数理から迫った経営学研究の原点
高橋先生は、1980年に小樽商科大学商学部を卒業されています。著書などを拝見しますと、大学在学中からコンピューターを色々とご活用されていらしたのですね。
大学は割と大型のメインフレームコンピューターを使える環境でした。といっても、 「コンピューターで遊んでいた」と言った方が近いかもしれません。当時はパソコンなんて影も形もありませんでしたから、コンピューターで遊べるなんて、特別な感じで、結構好きでしたね。ただ、正直言って私自身は「コンピューターに関する才能がないな」と思っていました。
何しろ、周囲にはマニュアルも見ないでワーッと使えるやつがいましたし、私なんかは、とてもそういう人間にはなれそうもなかったので。好きだからやっているという感じ。それでも、一応使えるようにはなりました。
当時の国立大学に入っている教育用のメインフレームコンピューターは、三菱電機MELCOM-COSMO が多くて、私は学部、大学院、助手と大学は変わりましたが、そのシリーズだったので、割と抵抗なく使えていました。なので、コンピューターを使った、例えば調査データの統計処理やコンピューターシミュレーションは割と自然にやっていました。
ただ、それでキャリアを構築していこうという話ではなくて、あくまでも割とコンピューターが身近に使える環境にいたので気楽に使っていたということです。
東京大学教養学部で助手をされていらした時には、統計学がメインだったのですね。
当時は統計学教室と呼ばれる部署に所属する先生たちが統計学の講義を担当していていました。ただ、純粋な統計学者の集まりというよりは、例えば、著書『流通革命―製品・経路および消費者』 (中央公論社)で有名なマーケティングの先生である林周二先生(東京大学名誉教授)や日本経済史の権威、中村隆英先生(東京大学名誉教授)など、統計学を使うという人たちが統計学を教えていたわけです。
私もそこにポコッと入らせていただきました。だから、統計学のユーザーが統計学を教えていたような感じの雰囲気でした。
統計学の観点から経営学にアプローチされてこられたということでしょうか。
大学院時代の研究は、ほとんどが数理計量アプローチでした。数学のモデルを使っていたのです。もう、初期の頃の研究はそんなのばかりでした。数学のモデルを使うのは今の経済学と少し似ています。 数学のモデルを使って何かをやるとか、あとは計量的に何かやるというようなのが割と若い頃の専門でしたね。まあ、それを経営学の分野でやっていたという感じですね。
統計学に関して言うと、当時は、そういう統計パッケージもメインフレーム用しかありませんでした。幸い、そうしたソフトを使える環境にいたので、調査票を回収してデータさえ打ち込んでしまえば処理ができるので、そういったようなことを趣味的にやりこなしていました。実際、お金は全然もらってなかったですから。
「データを提供してくれるのであれば、統計処理はこちらでします」。もうそんな感じでやっていました。調査させていただき、データをもらえるのであれば、処理自体は私がやりますからという感じでしたね。

04経営学者として積み重ねた研究成果を次世代へ
近年注力されておられる研究テーマは何ですか。
この質問には、どう答えようか悩みますね。もう結構な年齢なもので。もちろん、新しいテーマであっても言われればやりますよ。事実、何もやっていないわけではないです。しかし、今はむしろ、今までやってきたことをまとめようかと思っています。
『組織の思想史 知的探求のマイルストーン』や『組織の不都合な真実 経営学は科学なのか?』 (いずれも、日本経済新聞出版)という著書を出版したのもその流れです。

実は、昔経営学の中に文献学的な分野がありました。要するに調査をするわけではなくて、偉い先生がこんなことを研究していると紹介するという分野です。割とそちら側に近い感じなのが『組織の思想史 知的探求のマイルストーン』です。 『経営者の役割』 『経営行動』 『オーガニゼーションズ』 『オーガニゼーション・イン・アクション』 『組織化の社会心理学』などといった基本的な文献の解説を書いています。これはどちらかというと、私のことを知っている方からすると、意外な感じがすると思います。
一方、 『組織の不都合な真実 経営学は科学なのか?』は先ほどお話した数理計量的な切り口で書き散らしてきた、私の多くの論文をまとめた本です。
私自身、もうすぐ 69 歳になるのですが、今まで学者としてやってきたことをしっかりとまとめなければいけないという想いが強いです。
今挙げていただいた著書の紹介文には、高橋先生が組織の本質を語ることについては当代一の経営学者と称されています。
私自身は全然それを知らないです。恐らく、出版元の日本経済新聞出版の編集者がそういう宣伝文を考えたのではないでしょうか。

05組織の本質を探る、日本企業への継続的な問い
当代一の経営学者である高橋先生に改めてお伺いします。組織の本質とは何なのでしょうか。
繰り返しますが、 「組織の本質を語ることについては当代一の経営学者」というのは、私の言葉ではなく、編集者の言葉だと思いますので誤解のないようにお願いします。
「組織とは何か」という話は、著書『組織の思想史 知的探求のマイルストーン』で結構重点的に書いていますので、ご興味がある方はそちらでぜひ詳細をご堪能ください。
まあこの 40年、50年もの間、さまざまな学者が色々なことを言っていますが、結局は「今こんな風に皆が思っているよね」という組織の本質に関する着地点、統一的な見解があります。例えば、日本経済新聞出版の編集者が言いたかったのは、洋物ではなくて日本の組織、例えば『組織の不都合な真実 経営学は科学なのか?』という本の中でも書きましたが、なぜ、ぬるま湯的体質、ぬるま湯的経営を研究するようになったのかというと、それは企業の人が言われたからです。
はっきり言ってしまうと、そもそも経営学は輸入学問なので、若い頃の私は、英語で何て言っているのか良くわからないものを研究することには意味がないと思っていました。実際、そう発言したところ、企業の人からひどく怒られてしまいました。 「日本の会社が問題だと言っているのに、日本の経営学者が研究もしないとは何事だ」と言われたわけです。 「それならば、研究しますよ」という話になりました。
いまだに、というか、最近はもっとひどい気もしますが、やはり経営学は輸入学問的な色彩が強いので、 「海外でこんなことが流行っていますよ」的なことを皆言いたがるわけです。そうではなくて、 「日本の会社や組織でこんなことが問題だ」 「話題だ」とか、あるいは、 「ここはどうなっているのか」ということに関して問われれば、 「確かにそうだよね」という感じで、研究をしてきました。その意味では、割と真面目に、かつ真正面から取り組んでいるつもりです。
だから、ぬるま湯の話も、実はもう何十年も調査を行っています。皆「ぬるま湯は悪いことだ」と言っているのですが、実際に調査をしてみると、あまり悪い状態のことは指していなかったりします。
体感温度仮説と呼んでいるのですが、本人の体温が高ければお湯の温度はぬるく感じてしまいます。会社の中で割とやり手の人ほど、 「うちの会社はぬるま湯だ」と言いがちです。自分の体温ベースでお湯の温度との差で「ぬるま湯」だと感じるという体感温度仮説はデータ上で結構綺麗に出ていて、検証済みです。なので、そういった意味では、割と一つのことにこだわって、何十年もかけてデータを集めて研究しているつもりです。そういうしつこい経営学者がこれまで他にいなかったという意味では、確かに「当代一」なのかもしれませんね。

06変革の前に必要なのは、失敗から学ぶ組織文化
組織論の第一人者として、現代の日本企業の職場にはどのような問題があるとお考えですか。
これは、現代に限った話ではありません。戦争に負けた日本は戦後、自信を喪失した状態がずっと続いていました。それがバブルになるやいなや、今度は逆にやたら景気が良くなり、わけもわからぬ中強気になって、 「もう日本が一番だ」みたいな感じになりました。しかし、その後バブルが崩壊すると、また皆の自信がなくなってしまいました。こうしたことを長く繰り返しています。
私が『虚妄の成果主義:日本型年功制復活のススメ』を書いた時も実はそうでした。別に「すべてが良い」というつもりではまったくないのですが、実を言うと、色々な制度やシステムは良く考えられています。
だから、例えば私は駆け出しの頃に、企業の、例えば人事労務系のおじさんたちに食ってかかったことがありました。 「こんな簡単な話で良いのではないですか」と言うと、 「いや違う」という話をされてしまいました。それで、 「実際はどうなっているのか」という話を延々と説明されるわけです。
私の場合、得だったのは割と若く見えたこともあって、おじさんたちがかなり丁寧に教えてくれました。それで、もう怒られながらも、ああだこうだという感じで説明してもらっていました。
だから、実際に『虚妄の成果主義:日本型年功制復活のススメ』を書いた時もそう言われましたし、その他の本を執筆した際も言われました。特に何か新しいことをやっているとか、主張しているわけではなくて、昔からベテランの人事労務系の人だと皆こんな感じのことを言っている的なことを割と私が書いていました。
まあ何が言いたいかというと、一生懸命皆考えながらやっているわけです。それで一生懸命皆が考えて行動に移し、何となくまだ変えなければいけないことは沢山あるのは皆がわかっているものの、ある程度は落ち着いて、会社のシステムや制度ができていても、 「それ簡単に変えれば良いのでは」と言い出す人もたまにいます。問題は、変えた後どうなのかです。変えたけれどダメだった。もしそうなった時に「戻せますか」という懸念があります。
成果主義も実はそうでした。今でも「ジョブ型雇用の功罪」とか色々意見が提示されていますが、そんな人に投げかけたいのは「ダメだった時に本当に戻せるのですか」という疑問です。
これはもう昔、ある先生が言っていて、 「あっなるほどな」と思ったものです。確か、政治学の先生だったと記憶しています。日本の学界の悪いところは、要するに学説や理論が間違いだと分かった時に、それを徹底的に批判しておかないから、何十年か経ったらまた同じことを繰り返すんだと。簡単に言ってしまうと、成果主義的なアイデアや能力主義的なアイデアは、安易な人件費カット策なので、やるたびに失敗したと皆思っているのに、失敗した時に徹底的に叩いておかないから、不況が来るたびに、手を変え品を変え何度も復活してしまうんです。
なので、私が当時も思ったし、今でも思っているのですが、今採用しているシステムは、長年改善しながら使い込んできた割と良く考えられたシステムなのです。確かに、あちこち問題はあるかもしれません。しかし、改良もせずに、例えば他の会社もやっているからと、それを何か全く新しいものに変えてしまうというのはどうなんでしょう。従来の制度や取り組みを古いからとすぐ捨てしまっても良いのかと思ってしまいます。
例えば、昔、中堅企業の会社の社長と専務が研究室にやって来たことがあります。 「他の会社もやっているので、これから自己申告制度を導入しようと思う」とか言うわけです。「従業員規模はどれぐらいなのですか」と聞くと、 「まあ数百人ぐらい」というわけですよ。それを聞いて、私が言ったのは、 「会社によって違うかもしれませんが、多分御社は結構安定した感じがします。恐らく、従業員の顔も名前も一致しているし、大体人の経歴も皆ご存知なのではないですか」と聞くと、社長も専務も「知っている」と誇らしげに答えてくれました。であるならば……と私は問いかけました。
「自己申告制度を導入したら皆疑うはずです。今までは「社長は、俺らのことを皆わかってくれている」と思っていたのに、自己申告制度を導入するとなると、 「なんだ、結局、何もわかっていなかったんだ」という話になりませんか。」
そう言ったところ、その場にいた専務が、 「社長、だからそうなのですよ」 「わざわざやることはないです」 「やった途端皆疑いますよ」とその場で言い出し、社長が「やっぱりそうだな」と納得するシーンがあったのです。
だから、 「何だか流行っているからうちの会社でもやるか」ではダメなんですよ。新しい施策には副作用が当然あることをあまり考えないでやってしまうと、今までせっかくうまく回っていたのに上手く回らなくなってしまいます。その意味では、 「何でもかんでも新しければ良い」という感じの話は気を付けるべきです。
また、日本の会社のやり方はずるい気がしてなりません。事実、何か失敗したとしても誰もがあまり口にしなかったりします。下手をすると、 「もっと良いシステムがあったので、こちらに変えることにした」などと言い出してしまいます。そうすると、何が問題なのかというと、失敗したという経験が何も残らなかったりしてしまいます。
「失敗した」と言えば良いのに、それを言わずに「もっと良いシステムがあったので、そちらに変えました」とか言って、こっそり昔の仕組みに戻したりするわけですよ。そういうのも本来あまり賢くありません。言うまでもなく、経験として残らないからです。失敗したら、 「失敗した」と言った方が良いのです。もちろん、色々試してみるのは構わないです。その時皆が失敗を認めないというのは、あまり良いことではないと感じています。
だから当時、 『虚妄の成果主義:日本型年功制復活のススメ』を書いた時も、人に聞かれれば「成果主義で失敗したら失敗したと言ってくださいよ」と言っていました。いいではないですか、それで。失敗したことを認めないと、結局また何十年か経って同じ失敗を繰り返してしまいます。失敗したら失敗したで修正すれば良いだけです。
しかし、その時に「いやあ、これは間違っていなかった」 「もっと良いものがあったのでそちらに変えるだけだ」などと多くの経営者は言い出します。それって全然学習としては残らないですよね。それはどの会社も大体似たようなものです。やはり経営を担う人たちは失敗したことを記憶しておかないと、成長しないという気がします。
端的に日本の会社は割と失敗したという記録を残したがりません。しかし、失敗したら失敗したと残した方が良いのではないかと私は考えます。そうしないと多分学習にならないし、成長しないということを理解する必要があります。

高橋 伸夫 氏
東京理科大学経営学部 教授
1957年 北海道小樽市生まれ。1980年 小樽商科大学商学部卒業。1984年 筑波大学大学院社会工学研究科退学。同年 東京大学教養学部助手(統計学)。1987年 東北大学経済学部助教授(経営学総論)。1991年 東京大学教養学部助教授(統計学・経営政策科学)。1994年東京大学経済学部助教授(経営学・経営組織論)。1996年 東京大学大学院経済学研究科助教授(経営学・経営組織論)。1998年 東京大学大学院経済学研究科教授(経営学・経営組織論)。2023年より東京理科大学経営学部経営学科教授(経営学・経営戦略論)・東京大学名誉教授。主要著書に、 Design of Adaptive Organizations: Models and EmpiricalResearch .(組織学会賞「高宮賞」受賞) 『ぬるま湯的経営の研究』 (経営科学文献賞受賞)、 『組織の中の決定理論』 『経営の再生―戦略の時代・組織の時代―』 『日本企業の意思決定原理』 『鉄道経営と資金調達』 (交通図書賞) 『虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ―』 『〈育てる経営〉の戦略―ポスト成果主義への道―』 『組織力―宿す、紡ぐ、磨く、繋ぐ―』 『ダメになる会社―企業はなぜ転落するのか?―』 『殻―脱じり貧の経営―』『経営学で考える』 『大学 4年間の経営学が 10時間でざっと学べる』 『[図解] 大学 4年間の経営学が 10時間でざっと学べる』 『組織の思想史―知的探求のマイルストーン―』 『組織の不都合な真実―経営学は科学なのか?―』 『知らなかったでは済まされない 経営学の話』などがある。

