双曲割引とは、将来の利益よりも目先の利益を過大に評価し、時間がたつと好みが逆転してしまう人間の傾向です。鹿児島大学の安藤良祐助教は、双曲割引を持つ人が意思決定に加わると、組織では期限を超えて資源を食いつぶす決定が増えると指摘し、非合理さを受け入れたうえで計画や制度に「戦略的余白」を持たせることを提案しています。
夏休みの宿題を最終日まで残してしまう。重要だとわかっている案件ほど後回しになる――こうした傾向は個人の性格の問題に見えますが、組織の意思決定にも大きな影響を与えています。
本記事では、安藤助教へのインタビューをもとに、双曲割引の仕組み、それが組織の意思決定に与える影響をシミュレーションで探った研究、組織の規模と管理範囲による違い、そして期限超過を防ぐルールや、制度に「ゆらぎ」を持たせる戦略的余白のつくり方を解説します。
この記事でわかること
・双曲割引とは何か――「選好の逆転」が起きる仕組み
・双曲割引が組織の意思決定に与える影響(期限超過の増加)
・組織の規模と管理範囲によって、意思決定のパターンが変わる理由
・日本企業の「形式美」と、制度に「ゆらぎ」を持たせる戦略的余白
・組織の非合理さを生かす3つの提言と、最初の一歩
鹿児島大学 法文学部 法経社会学科 助教(取材時)。1985年宮崎県生まれ。北海道大学理学部物理学科卒業、同大学院理学院宇宙理学専攻修了(原子核理論)。2010年に九州旅客鉄道(JR九州)に電気技術系総合職として入社し、信号通信設備の保守などに従事。デロイト トーマツ コンサルティングでシステム開発のプロジェクトマネジメントに携わった後、鹿児島大学へ。九州大学大学院経済学府産業マネジメント専攻修了(MBA)。2024年より長崎大学大学院経済学研究科博士後期課程に在籍。専門は経営組織論。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
人は、同じ利益でも、手に入るのが先になるほどその価値を低く見積もります。これを時間選好と呼びます。経済学の標準的なモデルでは、価値は時間とともに一定の割合で割り引かれると考えますが、実際の人間は、直近ほど急激に価値を割り引き、遠い将来ほど割り引き方が緩やかになる傾向を持っています。この割り引き方が双曲線の形を描くことから、双曲割引と呼ばれます。
双曲割引を示した例として知られるのが、精神医学者のジョージ・エインズリーによるハトの実験です。すぐにもらえる少ないエサと、少し待てばもらえる多いエサを選ばせると、ハトは目先の少ないエサを選びがちです。ところが、どちらのエサも先の時点に設定すると、多いエサを選ぶようになります。
遠くから見ているときは大きな利益を選ぶのに、選択の時点が近づくと目先の利益に飛びついてしまう。これが選好の逆転です。休み初めには「計画的に進めよう」と考えていたのに、結局は最終日まで宿題を残してしまう――夏休みの宿題は、その身近な例です。エインズリーの著書『誘惑される意志』は、こうした人間の意志の弱さを論じています。
| 観点 | 標準的なモデル(指数割引) | 双曲割引 |
|---|---|---|
| 割り引き方 | 時間とともに一定の割合で割り引く | 直近ほど急激に割り引き、遠い将来ほど緩やかになる |
| 好みの一貫性 | 時間がたっても好みは変わらない | 選択の時点が近づくと、好みが逆転することがある |
| 身近な例 | ― | 夏休みの宿題を最終日まで残す、重要な案件ほど後回しにする |
出典:安藤助教への取材をもとに編集部作成
安藤助教によれば、一説には人の約8割に双曲割引の傾向があるとも言われます。意思決定に関わる人の多くがこの傾向を持つのであれば、組織の意思決定にも影響が出るはずです。
安藤助教は、前編で紹介したゴミ箱モデルのマルチエージェント・シミュレーションに、双曲割引を持つ参加者を組み込み、組織の意思決定がどう変わるかを分析しました(ゴミ箱モデルの仕組みと「見過ごし」「やり過ごし」については、前編で解説しています)。
| 指標 | 双曲割引を組み込んだ場合の変化 |
|---|---|
| 意思決定の総数 | 減る |
| 受動的な決定(見過ごし・やり過ごし)の割合 | 減る |
| 能動的な決定(問題解決)の割合 | 増える |
| 期限超過の決定 | 増える |
出典:安藤助教への取材をもとに編集部作成
問題解決が増えるのは良いことのようにも見えます。しかし注目すべきは、期限超過の増加です。安藤助教によれば、全体の数%にすぎない期限超過の決定が、組織の資源の数十%を消費してしまうことがあるといいます。目先の案件に飛びつき、本来見過ごしたりやり過ごしたりできた案件にまで関わることで、決定が長引き、資源を食いつぶしてしまうのです。
前編で見たように、受動的な決定には組織の資源を節約する働きがあります。双曲割引は、その「やり過ごす知恵」を弱めてしまうともいえます。安藤助教は、目先の利益にとらわれず長期的な取り組みを続けるには、あらかじめ自分の行動を縛るコミットメントの仕組みが有効だとし、既存事業の深化と新規事業の探索を両立させる「両利きの経営」にも通じる論点だと指摘します。
安藤助教は、組織の構造によっても意思決定のパターンが変わることを、シミュレーションで示しています。ここでいう管理範囲(スパン・オブ・コントロール)とは、1人の管理者が直接担当する部下や案件の範囲のことです。
| 組織の構造 | 起こりやすいこと |
|---|---|
| 小規模で、管理範囲が狭い | 「見過ごし」が起こりやすい |
| 大規模で、管理範囲が広い | 「やり過ごし」が起こりやすい |
| 小規模で、管理範囲が広い | 期限超過が起こりやすい |
| 階層が多く、管理範囲が広い | 資源の効率が悪くなる |
出典:安藤助教への取材をもとに編集部作成
特に、少人数の組織で一人が多くの案件を抱える状態は、期限超過を招きやすいことになります。安藤助教は、こうしたシミュレーションの結果を実際の組織で確かめるため、アンケート調査による研究も進めています(取材時点では未公表)。
では、双曲割引による期限超過や短期志向を、実務ではどう防げばよいのでしょうか。安藤助教は、次のような工夫を挙げています。
| 工夫 | 内容 |
|---|---|
| 期限超過を防ぐルール | あらかじめ期限や撤退の基準を決めておき、超えたら見直す |
| 評価・インセンティブ | 目先の成果だけで評価せず、短期志向に流されない評価やインセンティブの仕組みを整える |
| ナッジ | 人の行動の癖を踏まえ、望ましい選択を自然に促す働きかけを取り入れる |
出典:安藤助教への取材をもとに編集部作成
目先の成果に偏らない評価の仕組みは、組織が長期的な取り組みを続けるための土台です。何をいつまでに目指し、どのように評価するのかを明確にしておくことが、短期志向への歯止めになります。
短期志向に流されない目標・評価の仕組みをつくる
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安藤助教は、組織の制度にも目を向けています。組織論の一つである新制度派組織論では、組織は効率よりも「正しく見えること」を求める周囲からの圧力によって、互いに似た制度や仕組みを取り入れていくと考えます。これを制度的同型化と呼びます。
安藤助教は、日本企業には制度や計画を最初から隙なく整えようとする「形式美」へのこだわりがあると指摘します。しかし、先行きの見えない環境では、完璧な制度をつくってから動き出すことは難しくなります。そこで提案するのが、制度にあえて「ゆらぎ」=戦略的余白を持たせることです。
| 戦略的余白の例 | 内容 |
|---|---|
| まず動き出し、後で直す | 全員の合意を待たず、多数決で動き出し、走りながら修正する |
| 指標を徐々に精緻化する | KPIを最初から作り込まず、運用しながら少しずつ精緻にしていく |
| 選択肢を残しておく | 将来の状況に応じて選べるオプションを、あらかじめ用意しておく |
出典:安藤助教への取材をもとに編集部作成
安藤助教は、この考え方を野球にたとえて説明します。試合前に立てた作戦に固執するのではなく、試合の流れに応じて采配を変えていくように、組織の制度にも状況に応じて動ける余地を残しておくことが大切だというのです(二者択一を手放し、相反する要素を両立させる考え方については、関口倫紀教授の解説記事でも紹介しています)。
安藤助教は、同僚とともに、鹿児島市の令和7年度「大学連携による繁盛店づくりコンサルティング事業」にも関わっています。地域の事業者を支援する場でも、他の事例に倣って同じような施策をそろえようとする制度的同型化の圧力が働きやすく、それぞれの事業者の状況に合わせた余白をどう残すかが問われているといいます。
安藤助教は、これまでの研究をもとに、組織の意思決定について3つの提言を示しています。
| 提言 | 内容 |
|---|---|
| ① 期限超過の損切りルール | 数%の期限超過が資源の数十%を消費することもあるため、あらかじめ撤退や見直しの基準を決め、長引く案件を損切りする |
| ② 管理範囲の適切化 | 組織の規模や階層に応じて、1人の管理者が抱える部下や案件の範囲を見直し、期限超過や資源の無駄を防ぐ |
| ③ 受動的な意思決定の戦略的な活用 | 見過ごしややり過ごしを怠慢とみなさず、重要度の低い案件に資源を使わずに済ませる知恵として、意図的に生かす |
出典:安藤助教への取材をもとに編集部作成
安藤助教は、組織が合理的に動くことを前提にせず、非合理さを受け入れたうえで戦略的余白をつくることを勧めています。その最初の一歩として挙げるのが、計画の段階でバッファー(緩衝)を設け、何%のぶれまでなら許容するかを決めておくこと、そして定期的にチェックして、許容範囲を超えたら見直すことです(試行錯誤を前提に素早く判断を回す考え方については、原田勉教授の解説記事でも紹介しています)。
A. 将来の利益よりも目先の利益を過大に評価する人間の傾向です。直近ほど急激に価値を割り引き、遠い将来ほど割り引き方が緩やかになるため、遠くから見ているときは大きな利益を選んでいても、選択の時点が近づくと目先の利益を選ぶ「選好の逆転」が起こります。
A. 安藤助教がゴミ箱モデルのシミュレーションに双曲割引を組み込んだ研究では、意思決定の総数と受動的な決定の割合が減り、能動的な決定と期限超過が増えました。全体の数%の期限超過が、組織の資源の数十%を消費することもあるといいます。
A. 安藤助教のシミュレーションでは、小規模で管理範囲が狭い組織では「見過ごし」、大規模で管理範囲が広い組織では「やり過ごし」、小規模で管理範囲が広い組織では期限超過が起こりやすく、階層が多く管理範囲が広い組織では資源の効率が悪くなる傾向が示されています。
A. 制度や計画を最初から隙なく作り込むのではなく、状況に応じて動ける「ゆらぎ」を意図的に残しておくことです。多数決で動き出して後で修正する、KPIを運用しながら精緻にする、将来の選択肢を用意しておく、といった方法があります。
A. 安藤助教は、計画の段階でバッファーを設け、何%のぶれまでなら許容するかを決めておくこと、そして定期的にチェックして許容範囲を超えたら見直すことを最初の一歩として挙げています。あわせて、期限超過の損切りルール、管理範囲の適切化、受動的な意思決定の戦略的な活用を提言しています。
前編で見たように、組織の意思決定は、もともと合理的な手順どおりには進みません。その非合理さを否定するのではなく、前提として受け入れ、仕組みとして生かすことが、先行きの見えない時代の組織づくりの鍵になります。
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▶ 前編:ゴミ箱モデルとは?組織の意思決定が合理的に進まない理由と、「見過ごし」「やり過ごし」の意外な効用(内部リンク)
▶ インタビュー全文:戦略的余白が強い組織づくりのポイント(後編)(JOB Scopeマガジン)