ワーク・エンゲージメントとは、仕事に関連するポジティブで充実した心理状態のことで、「活力」「熱意」「没頭」の3つの要素からなります。立命館大学の髙橋潔教授は、日本のエンゲージメントが低い背景には、ネガティブな情報の蔓延と「学習性無力感」という心理的なメカニズムがあると指摘します。
前編では、メンバーシップ型からパフォーマンス型を経てジョブ型へと変わる人事制度の変遷を紹介しました。中編では、組織の競争力を左右する「エンゲージメント」と、それを高めるリーダーシップについて考えます。
本記事では、髙橋教授へのインタビューをもとに、ワーク・エンゲージメントとエンプロイー・エンゲージメントの違い、日本のエンゲージメントが低い理由、エンゲージメントを高める「JD-Rモデル」とリーダーの役割、そしてビジョンを映像化して伝える「VCMDメソッド」について解説します。
この記事でわかること
・ワーク・エンゲージメントとエンプロイー・エンゲージメントの違い
・ワーク・エンゲージメントの3要素(活力・熱意・没頭)
・日本のエンゲージメントが低い理由――ネガティビティ・バイアスと学習性無力感
・エンゲージメントを高める「JD-Rモデル」とリーダーの役割
・ビジョンを映像化して伝える「VCMDメソッド」
立命館大学 総合心理学部 教授、立命館大学大学院 人間科学研究科 教授、神戸大学 名誉教授(取材時)。1960年大阪府生まれ。1984年慶應義塾大学文学部卒業。1996年ミネソタ大学経営大学院修了(Ph.D.)。南山大学経営学部および総合政策学部助教授、神戸大学大学院経営学研究科教授を経て、2017年より現職。専門は産業・組織心理学、組織行動論。人事評価やコンピテンシー診断など、企業と人のマネジメントに心理学の視点からアプローチし、近年はウェルビーイング経営の研究にも取り組む。経営行動科学学会元会長、日本労務学会元常任理事、人材育成学会常任理事、産業・組織心理学会理事などを歴任。著書に『ゼロから考えるリーダーシップ』(東洋経済新報社)など。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
「エンゲージメント」という言葉には、ワーク・エンゲージメント、エンプロイー・エンゲージメント、パーソナル・エンゲージメントなど、似た概念が複数あります。髙橋教授によると、今はワーク・エンゲージメントとエンプロイー・エンゲージメントが「二大巨頭」として混在して使われています。
| ワーク・エンゲージメント | エンプロイー・エンゲージメント | |
|---|---|---|
| 対象 | 仕事(ワーク) | 会社(従業員の自社への愛着・思い入れ) |
| 定義 | 仕事に関連するポジティブで充実した心理状態 | 従業員の仕事に対する関与や満足や熱意 |
| 提唱・代表例 | オランダ・ユトレヒト大学のウィルマー・B・シャウフェリ教授ら。日本では慶應義塾大学の島津明人教授が共同研究 | 米ギャラップ社の「Q12」(12の質問で測定) |
| 特徴 | メンタルヘルスを意識した概念で、バーンアウト(燃え尽き)の反対概念として生まれた | ビジネスの視点が強い。組織コミットメントや満足度などを一緒くたにしているという批判もあり、職務満足の延長に近い |
| 向いている使い方 | 働く人の心理状態の理解 | パルスサーベイでの定点観測 |
出典:髙橋教授への取材をもとに編集部作成
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| ① 活力 | 仕事に向かうエネルギーの高さや心理的な回復力 |
| ② 熱意 | 仕事への強い関与、仕事の有意味感や誇り |
| ③ 没頭 | 仕事への集中と没頭 |
日本のエンゲージメントの低さは、ギャラップ社の調査に顕著に表れています。取材時点の調査では、仕事への熱意を示すエンゲージメント率は日本がわずか5%で、145カ国中最下位でした。最新の2026年版でも、熱意を持って働く従業員の割合は世界平均の20%に対し、日本は8%にとどまっています。
| 調査 | 日本 | 世界平均 |
|---|---|---|
| 取材時点の調査(ギャラップ社) | 5%(145カ国中最下位) | ― |
| State of the Global Workplace: 2026 Report | 8% | 20% |
出典:Gallup「State of the Global Workplace」(取材時点の版、2026年版)
理由について、髙橋教授が第一に挙げるのは、政治や経済、社会全般が停滞し、ネガティブな印象や情報が世間に蔓延していることです。ニュースは嫌なことばかりで、ヒットするドラマやアニメにも怖い作品が目立ちます。人はポジティブなものよりネガティブなものに関心が向きやすく、これをネガティビティ・バイアスと呼びます。知らず知らずのうちに、私たちの内側にネガティビティが広がっていると髙橋教授は感じています。
その背景にあるのが、ポジティブ心理学の創始者として知られる米ペンシルベニア大学のマーティン・セリグマン教授が提唱した「学習性無力感」です。学習性無力感とは、避けられない不快な状態にさらされ続けると、自分では状況をコントロールできないと学習してしまい、本来はその場限りのはずの無力感が一般化して、あらゆる努力を無駄だと感じてあきらめてしまう心理状態です。
無力感を学習してしまうと、毎年咲く桜でさえ美しいと感じられなくなるように、明るいはずの世界が認知のフィルターで暗く不安に見えてしまいます。エンゲージメントの尺度で低めに出てしまうのは、ネガティビティ・バイアスや無力感という心理的な要素が作用した結果だと髙橋教授は考えています。
ワーク・エンゲージメントを高めるうえで、髙橋教授が紹介するのが、ユトレヒト大学のグループが提唱する「職務要求・資源モデル(JD-Rモデル:Job Demands-Resources model)」です。仕事の要求度と、仕事に使えるリソース(資源)とのバランスで、ワーク・エンゲージメントが決まるという考え方です。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 仕事の要求度 | 仕事の難しさや量、チャレンジの大きさ |
| 仕事の資源(リソース) | リーダーシップ、上司のコーチング、会社の資金、働きやすさなどの環境要因 |
| バランスが崩れると | 仕事で燃え尽きてしまう(バーンアウト) |
| バランスが取れると | ワーク・エンゲージメントが高まり、成果につながる |
出典:髙橋教授への取材をもとに編集部作成
会社としては、要求度の高いチャレンジングな仕事を任せるときこそ、投入できるリソースをうまく整えることが大切です。そして、JD-Rモデルではリーダーもまた組織のリソースです。一人ひとりのために、リーダーがしっかりコーチングをし、1on1ミーティングを定期的に行って、メンバーの仕事へのエンゲージメントを高める働きかけをすることが順当な考え方だと髙橋教授は言います。
エンゲージメントを高める取り組みは、まず社員の今の状態を把握することから始まります。
社員のエンゲージメントの状態を把握する
仕事の要求度とリソースのバランスがとれているか、社員がどんな心理状態で働いているかを知ることが、エンゲージメントを高める出発点です。DEFiDEの「生成AIワークバリュー・スコア分析」は、生成AIで従業員の属性や組織の特性に合わせた質問を作成し、組織の状態を迅速にきめ細かく可視化します。
髙橋教授は、リーダーシップを機能させるうえで最も重要なのがビジョンだと言います。情報が増え、状況が複雑になるほど、正確な判断は難しくなります。過剰な情報に圧倒されないよう、方向や方針を定めるのがビジョンの役割です。行き着く先をイメージできていれば、状況が複雑になっても迷子にならずに目標に到達できます。
なお、「人材版伊藤レポート」は同じことをパーパス(存在意義)という言葉で説明しています。髙橋教授によると、ビジョンは未来形(To-Be)、パーパスや経営理念は現在形(As-Is)ですが、特にこだわりがなければ同じようなものと考えてよいといいます。
一般に、ビジョンやパーパスは言葉で表す定性的なもので、経営計画や数値目標という定量的なものとセットで示されます。しかし、言語も数量も、どちらも左脳の働きです。ビジネスは合理性を重んじる左脳主導の世界でした。
髙橋教授がビジョンを強調するのは、直観や感性をつかさどる右脳に働きかけなければ、本当に人を動かすことはできないのではないかという「逆張り」の発想からです。ビジョンとは日本語でいえば未来図であり、社会や組織、自分たちが将来こうありたいと思い描く夢のようなものです。重要なのは、利他的で社会性があること。フォロワーの頭の中にビビッドに像が浮かんで初めて、ビジョンは機能します。
日本では、用意された原稿を読む儀礼的なあいさつが多く、言葉で心をつかむのは簡単ではありません。そこで髙橋教授は、言葉に頼らず心を打つ工夫として、ビジョンの映像化を提案しています。いくつかの企業の基幹職研修では、一つ上のポストに就いたときの就任スピーチの前に、自分のビジョンを映像にして伝えてもらっているといいます。その映像に含める4つの要素が、VCMD(ヴィコマンド)メソッドです。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| V:ビジュアル | 記憶に残る画像や動画 |
| C:コピー | 長々と話すのではなく、短く力強いキャッチコピー |
| M:ミュージック | 心に響く音楽。最も重要な要素 |
| D:デザイン | コマーシャル映像のような魅力的なデザイン |
出典:髙橋教授への取材をもとに編集部作成
最も重要なのはM(ミュージック)です。流れる音楽によって映像の感じ方はがらりと変わります。髙橋教授は、ディズニーが動きに加えて音楽を非常に重視していることに着想を得ており、音楽があると伝わり方は大きく変わるといいます。映像を流した後に、自分の生の声で就任スピーチをすると、映像の余韻が残る中で感動とともに心に響きます。英語が流暢でなくても、映像の後に自分の言葉で思いを語れば、海外の従業員への影響力も大きく変わるといいます。
A. ワーク・エンゲージメントとは、仕事に関連するポジティブで充実した心理状態のことです。オランダ・ユトレヒト大学のシャウフェリ教授らが提唱した概念で、仕事に向かうエネルギーの高さを示す「活力」、仕事への強い関与や誇りを示す「熱意」、仕事への集中を示す「没頭」の3つの要素からなります。
A. ワーク・エンゲージメントは仕事を対象とし、メンタルヘルスを意識した心理状態の概念です。エンプロイー・エンゲージメントは従業員の会社への愛着や思い入れを対象とし、米ギャラップ社のQ12が代表例です。髙橋教授は、後者はビジネスの視点が強く、職務満足の延長に近いと説明しています。
A. 髙橋教授は、政治・経済・社会全般の停滞でネガティブな情報が蔓延し、人がネガティブなものに関心を向けやすいネガティビティ・バイアスが働いていること、そして無力感を学習してあきらめてしまう「学習性無力感」が背景にあると考えています。ギャラップ社の2026年版調査でも、熱意を持って働く従業員の割合は世界平均20%に対し日本は8%です。
A. 職務要求・資源モデル(Job Demands-Resources model)のことで、仕事の要求度と、仕事に使えるリソースのバランスでワーク・エンゲージメントが決まるという考え方です。バランスが崩れると燃え尽き、取れるとエンゲージメントが高まります。リーダーもリソースの一つであり、コーチングや1on1でメンバーを支えることが大切です。
A. 髙橋教授は、言葉や数字だけでなく、右脳に訴えるためにビジョンを映像化することを提案しています。記憶に残るビジュアル(V)、短く力強いコピー(C)、心に響くミュージック(M)、魅力的なデザイン(D)の4要素を含めるVCMDメソッドで、特に音楽が最も重要だとしています。
後編では、タレント・マネジメントにおける「採用」と「育成」のトレードオフ、職場のウェルビーイングを測る「WRCMモデル」、人事評価の「メッセンジャー機能」と3つの未来、そして人事が経営者の「右腕」になる意味について解説します。
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