第1回
2024/02/09
本シリーズでは業界・業種を問わず、中小企業の2代目もしくは3代目の経営者の経営改革をテーマにする。特に「DX(デジタルトランスフォーメーション)への挑戦にフォーカスを当てる。ITデジタルの施策に熱心に取り組み、仕事のあり方や進め方、社員の意識、さらには製品、商品、サービス、そして会社までを変えようとしている企業をセレクトする。
記事一覧へ
これらは売上が10億円前後で、社員数で言えば100人以下が多い。大企業や中堅企業のような様々な仕組みが十分に機能しているとは言えない一面があるのかもしれないが、中小企業としては果敢に挑んでいると捉えることができよう。
今回(前編)と次回(後編)では、印刷会社の木元省美堂(きもとせいびどう)の木元哲也 代表取締役社長を取材した内容を紹介したい。
木元哲也 代表取締役社長
01 ―――
木元省美堂(東京都文京区)は1955年創業で、2024年で69年目を迎える。主に出版社から学習参考書・ドリルや医療専門書のデザイン、制作、印刷、加工、あるいは一般企業の販売促進ツールなどの企画制作、印刷、製造を請け負う。特に4色カラー印刷を軸とした印刷物の製造を得意とする。最近は中小企業をはじめ、企業や団体向けのウェブサイトやSNSの企画、デザイン、編集制作、運用、コンサルティングにも進出している。
3代目社長の木元哲也氏は1988年に新卒でソニーに入社し、2014年9月末まで27年間勤務した。主に証券業務、商品企画、事業戦略に関わり、部長職も務めた。2014年10月からは、2代目である父の後を継ぐ形で社長となり、2024年で就任10年目となる。当初から、約70人の社員とともに経営改革を次々と試みている。
売上は2代目の時に一時期、10億円を超えていたが、3代目に就任した時点で10億円以下となっていた。現在、1つの通過点として10億円に挑む。
02 ―――
木元社長は、父から後を継いだ頃の思いを振り返る。
「ソニーの在籍中、社長をしていた父の後を継いでこの会社(木元省美堂)の経営に携わることはほとんど考えていなかったのです。30代や40代の頃に時々、思うことはありましたが、当時の上司から、大きな仕事を任せられたりすることで迷いが消えていました。
父は父親(木元さんの祖父)の後を継ぎ、2代目の社長として会社を成長させてきたのですが、70~80代になり、体が弱くなりました。私が50歳のころ、父は容体を悪くし、入院しました。当時、ソニーは業績が悪化し、リストラをせざるを得ないようになっていました。私は部長職でしたが、いずれはほかの管理職の方と同じく、役職定年になっていくのだろうと感じていました。
このころ、80歳をこえても働く父の姿をうらやましく思うようになったのです。これまでの経験を生かすことで、木元省美堂の経営に役立つことができるのでないかな、と考えるようにもなりました。このようないきさつで2014年に父が社長を離れ、私がソニーを退職し、社長に就任したのです」
03 ―――
木元社長のソニー在籍中のかつての同僚の中には2024年の現在、60歳の定年を目前としながらも大きな仕事を任され、活躍する人がいる。一方で、50代半ばの役職定年で役職を解かれたり、退職後、再就職をしたりするケースもあるという。
同僚の奮闘に敬意を示しつつ、こう語る。
「50代で退職し、起業をする同僚は私が知る限りでは少ないのです。その意味で、自分が60歳を前にしても経営に直接関わることができることに感謝しつつ、責任を感じています。2022年に父は他界しましたが、経営者として残したものは私からすると大きいのです。弊社の中興の祖とも言えると思います。
現在の主な顧客や取引先の多くは、父が開拓したものです。戸田市(埼玉県)に大型の工場も建設しました。私が就任した時には、ある程度の経営基盤があったがゆえにこの9年間で人やITデジタルへの投資ができたのです」
水道橋事務所
04 ―――
父の経営者として優れていた点については、次のように語る。
「先の見通しがすばらしかったのではないか、と思います。経済や景気、社会の動向、業界や主な顧客の現状や今後の動きを確実に正確に捉えていました。そのうえで、木元省美堂は何をどうすればいいのか、を心得てもいたのです。
その1つが、先行投資のタイミング。たとえば、戸田市に大型の工場を設けたのですが、当時、大学生であった私は少々不安に感じました。相当な金額の投資をして建設するのですから果たして回収できるのだろうか、などと思ったのです。
父には、きちんとした裏付けがあったのです。大型の工場を建てるための資金は確かに巨額にはなります。その時点での多くの顧客とは信頼関係が強く、その後も印刷の発注を継続して受けることができると考えていたのだろう、と思います。さらに、新規の顧客も次々と獲得し、 継続して発注を受けることができる態勢ができていたのです。
一定のリスクがあり、先行投資したとしても、上手くいく公算が高いと判断していたのでしょうね。たとえば、主要な顧客からは「工場をつくり、稼働させることができるならば、こんな仕事を発注できうる」とも言われていたようです。
確かな裏付けを多数得ていたからこそ、10億円前後の印刷会社であろうとも、大胆な投資ができたのではないでしょうか。身内のことで恐縮ですが、先見性や判断力はすばらしい、と思います」
戸田工場
05 ―――
「私は父のように経営者としての実績があるわけではなく、ベンチャー企業の社長のように会社を自ら立ち上げたのでもありません。印刷業界に長くいたわけでもないのです。退いた父が私の経営に介入することはありませんでした。
それでも、すでに仕組みが出来上がった会社に入り、経営を担うことはやりづらい一面がありました。社員は誠実に仕事に取り組むタイプが多いのですが、私とともに汗を流してきた人たちではないですから…。父の側近ともいえる古参の社員がいたわけでもないのです。
中小企業には、2代目や3代目の社長が多数いますね。その中には、20~30代で社長になった方がいます。私は、50歳で社長になりました。その意味ではこの9年間、苦闘してきたのかもしれません」
父は退任する前から、周囲にこう漏らしていたという。
「主要な顧客層である出版業界は雑誌や書籍などの紙媒体から、今後、ITデジタルの方向に進んでいく。それを踏まえ、木元省美堂も変わらなければいけない。そうしないと紙の印刷だけでは立ち行かなくなる。それでは、経営が5年も持たなくなるのかもしれない」
06 ―――
木元社長は、それを「父の残した1つのメッセージ」として受け止めている。
「父の世代はITデジタルに疎い人が多い。それでも、時代の先を見通していたのかもしれませんね。確かに父の予見どおりになっています。現在、出版業界は売上で言えば最上位のグループに位置する大手出版社数社はコミック(漫画)を中心にデジタル化を進め、それが多くの読者にスマホやタブレットなどで読まれています。業績も好調のようです。
これらの出版社は、引き出し(コンテンツ)が多い。総合コンテンツメーカーに近いものがあります。デジタル化をさらに進めると、一層に業績もよくなるのでないでしょうか。一時期、少子化の影響や活字離れにより、出版社の業績難を指摘する声がありましたが、少なくとも最大手のグループはデジタル化に上手くシフトしているように見えます」
このような懸念もあるという。
「ほかの多くの出版社は、一部の大手出版社のようにヒットする多数のコミックを編集制作、販売をしているわけではありませんから、雑誌や書籍の発行部数を減らす傾向があります。少子化が進み、雑誌や書籍を購入する人が減っているので止むを得ないのかもしれませんね。
弊社からすると、これは危機になりえます。発行部数を減らすのは印刷部数の減少となり、こちらに発注いただく部数が減ることを意味します。業績にマイナスの影響を与えかねないのです。私たちが業績を拡大しようとする際は、出版社のITデジタル化のサポートをすることで出版社との関係をこれまで以上に強くすることと同時に、出版業界以外の企業や団体にもアプローチしていく必要があるのではないか、と考えています。」
07 ―――
「父の後を継いだ時に、売上は10億円を下回っていました。10億円に達するためには、個々の社員や部署がバラバラに動くのではなく、組織として動き、稼ぐことができるようになるのが不可欠です。
父が経営をしていた頃は、社長と社員全員といったフラットな態勢になっていました。それほどに父の影響力やカリスマ性が強かったのでしょうね。ある意味で、管理職が育っていなかったとも言えるのかもしれません。これでは、各部署が組織として動き、稼ぐことができなくなる可能性がありえます。
弊社のような中小企業の場合、大企業のように全社を挙げて組織の力を生かし、安定的に業績を維持し、発展させる仕組みが十分ではありません。ですから、ビジネスチャンスをつかむために常にチャレンジする必要があるのです。
まずは、社内を把握するために約3カ月間かけて、全社員ひとりずつと面談を1~2時間ほどしました。社員間や部署間などのコミュニケーションがよくなると、社員のモチベーションが上がり、チームワークが機能するようになります。それにともない、業績も上がります。社内コミュニケーションの活性化は、すべてのベースにあるものと私は考えているのです。
面談では、現在の仕事や人間関係、部署や会社の現状や課題について聞いたのですが、社員たちからは不満が多く、ほかの部署への批判もありました。後継者として多少は歓迎されると思っていただけに、カルチャーショックでした。私が、そのような社員たちを抑えつける? いいえ、そんなことはしません。当社のような小さな会社では、社員たちに強く言えば早いうちに辞めていくことがありうるのです。経営する立場からすると、辛いところですね。
ストレスが最も大きかったのは、社員が辞めてしまった時です。個々の社員に仕事のノウハウなどが蓄積され、それを全員で共有しようとする態勢にはなっていませんでした。ひとりが欠けると、少なくともその部署の業務がとどこおってしまいかねないのです。お客様の仕事のご要望などに迅速に、正確に応えることができなくなる場合があります。
ソニーではその意味での共有は徹底されていましたから、このような問題は生じませんでした。この9年間、社員たちと一緒になり、仕組みを新たに作り直さないといけないという思いで走ってきました。そのために、社員に共感する、社員から共感されるという関係をつくることを大切にしてきました。「共感する、共感される」はソニーの頃に管理職の研修で学んだことでもあります」
08 ―――
「私や社員が互いに理解し、共感し合う風土にするために2014年から試みている改革の1つが、3カ月ごとに全社員を対象に行っている「ESアンケート」(従業員満足度調査)です。
特に上司や部下、配属部署や他部署の社員とのコミュニケーションの現状を確認するために実施しています。問題を可能な限り早く見つけ、解決に向けて迅速に対応をしたいのです。問題の状況によっては面談をすることもあります。
各々の社員は、自分の書いたことが非公開にされ、機密として守られることを信じて書いています。私の方から社員の名を伝えることはしません。上司にはたとえば、若い社員がこういう課題を抱え込んでいるようだから、気を配ってあげてほしいと言うようにしています。
私のリーダーシップは、父のそれとは正反対のように思います。父はある意味でワンマン社長でした。私が会社を継いだ頃は父の体が弱っていたこともあり、ぶつかることはありませんでした。私が30~40代で後を継いでいたら、状況は変わっていたかもしれませんね。私自身、そのころは中小企業の経営に自信があまりなかったのです。50歳で社長になったことがよかったのかもしれませんね」
後編に続く
ー関連ページ
経営改革プラットフォームとは
従業サーベイ機能を含めた、タレントマネジメントシステムの機能紹介