第26回
2024/11/19
目次
本シリーズでは、前シリーズ「ベンチャー企業がぶつかる「10億円の壁」をどう乗り越えるか!」「売上10億円を超えたベンチャー企業の管理職たちの奮闘!」の続編として、業界・業種を問わず、中小企業の2代目もしくは3代目の経営者の経営改革をテーマにする。特に「DX(デジタルトランスフォーメーション)への挑戦にフォーカスを当てる。ITデジタルの施策に熱心に取り組み、仕事のあり方や進め方、社員の意識、さらには製品、商品、サービス、そして会社までを変えようとしている企業をセレクトする。
第26回から第28回までは、EBINAX株式会社(エビナックス、東京都大田区)の代表取締役社長の海老名伸哉氏を取材した内容を紹介したい。同社は1946年に海老名鍍金工場として創業し、1953年にヱビナ電化工業株式会社として設立、2024年にEBINAXに社名変更した。電子機器などの各種素材に対する電気めっきや無電解めっきによる表面処理を主力事業としている。正社員は約100人。売上は、2023年で9億8千万円。
研究開発には創業期から力を注ぎ、特にプラスチック素材へのめっき技術開発、アルミナセラミックスへのめっきプロセス開発などで知られる。研究開発型企業になるために、2000年頃から工場やトイレを大幅改装するなどして、働きやすい環境を整備した。2002年には、世界で初めてめっき専門の開発拠点である「テクノマーク」を開設。2021年には、ものづくりのスペシャリスト集団としての志を同じくした中小企業7社と合同でモノづくりユニット「METALISM」(メタリズム)を結成した。
01 ―――
以下は、海老名伸哉社長の取材への回答
社長であった父(2代目)が2009年に59歳で急死し、3代目として後を継ぐことになりました。当時33歳で、常務取締役をしていました。それ以前に父とは後を継ぐことである程度の話しをしていたものの、あまりにも突然でした。日曜日に亡くなり、月曜日に私が社長になったのです。このような形で引き継ぐとは、想定していませんでした。あの頃、大きな病気はしておらず、入退院を繰り返すわけでもなく、前兆はなかったのです。
父は祖父(創業者)の後を継ぎ、社員やお客様にも恵まれ、業績を拡大していきました。規模が小さいこともあり、ワンマン経営の一面はあったのかもしれませんが、弊社の技術志向の体制や仕組みをつくり、安定した業績を維持できるようにした功績は大きいと思います。厳しさもありましたが、ハートのある人でした。
そのような良いところをさらに発展させつつ、一方でいかに全社員が経営の自覚や責任感を持ち、仕事に臨む集団経営にするか。そして、安定成長をするかー。このあたりに私はこの15年、力を注いできました。2024年の今、ある程度実現できていたり、達成したりした部分はありますが、課題も残っています。
たとえば状況に応じて権限移譲をしましたが、依然として私や役員、一部の管理職に権限が集中しているケースがあります。組織としてスムーズに動くために権限移譲は必要ですから、今後さらに検討し、問題があるところは正していきたいと考えています。
02 ―――
大学を卒業後、英国に2年間、留学しました。1年間は語学を、1年間はビジネスについて集中的に学び、帰国後、2002年にヱビナ電化工業(2024年にEBINAXに社名変更)に入社したのです。26歳の時に、父から10年以内には経営を任せたいと言われました。当時は、その言葉の意味は「対外的なことは父が行い、私が実務の総責任者になる」といったものに受けとめていました。
父は、「即断即決、即実行」がモットーでした。私や社員たちにも、よく言っていたことです。意思決定や仕事に取り組むうえで、確かにスピード感がありました。今にして思うと、生き急いでいたような印象もあります。中小企業の経営者を「せっかち」と評する方がいますが、ある意味でその典型だったのかもしれません。父を知る方とお会いしても、そのように語る時があります。犬は、人間よりも成長や老化のスピードが速いと言われます。父はあのくらいの速さで最前線を走り抜き、生きていたように思います。
03 ―――
04 ―――
05 ―――
社長に就任し、この15年で工場や社屋などハードをさらに整備し、社員が働きやすい職場をつくる試みをしてきました。今、後継者を育成するステージに移りつつあると考えています。私は今年(2024年)、48歳になります。父が、亡くなったのが59歳。社長ができる時間は、もしかすると一回り(12年)もないのかもしれません。
そのように意識し、今後の態勢を整えていきたいのです。3代目から4代目へ、を具体的に検討していく時期になっています。今の私は、後継者を育てる立場になったとも受け止めています。過去のことよりは、今後を見据えていく必要があるのです。
父の死から現在に至るまでを今回の取材で尋ねられると、そのようなこともあったなと振り返りつつ、あの頃が“思い出”に変わりはじめているようにも感じます。それほどに、この15年は私にとって様々なことと向かい合う日々だったのかもしれません。
06 ―――
現在に至るまでいろいろな経営上の課題はありましたが、1つは高品質の製品をつくり続けることができる態勢にすることでした。前々から弊社のお客様は私どもに高品質を求める傾向がありますが、最近はその傾向が一段と顕著になっています。
そのためにも、技術職のレベルをさらに上げる必要があります。1つの試みとして、ドクター(博士号)の技術者職を育成しようと考えています。一定の条件を満たせば、国内外の大学院の修士や博士課程に社費で学ぶことができるようにしているのです。すでにドクターの技術職が現れています。(前述したように)工場の設備や機器を最新、最高のものにしてきたのも高品質の製品をつくり続けるためでもあります。
もう1つの課題は、集団経営にシフトすること。これは、あらためて難しいと感じます。たとえば、経営者の目線と社員の目線は違う場合が少なからずあります。互いの立場が異なるのである程度は止むを得ないのですが、目線があまりにも違うと集団経営にするのは難しくなります。
あるいは、経営者の成長のスピードと社員のそれは異なるケースもあるでしょうから、ますます難しくなるのかもしれません。すると結果として、私やほかの役員、一部の管理職のところに権限が集中してしまう可能性があります。このような課題と向かい合い、どうすればいいのかと考え抜いてきました。
07 ―――
注意してきたのは、社員と直接話し合い、たとえば今の話はこうですよねとすり合わせをすることです。このすり合わせをしないと、目線が違うだけにこちらが想定していない方向に進んでいく場合がありうるのです。とはいえ、時間的な制約もありますからすり合わせが十分にできない時もあります。いまだに私自身、どうしたらいいのかとよく考えることです。
最近は、このようなすり合わせや話し合いは基本的には弟(常務取締役)に任せるようにしています。かつては社長であった父が対外的なこと、私が実務の責任者になるようにしていきたかったのですが、今度は私が対外的なこと、弟は実務の責任者をするようにしたいのです。
弟に任せるところは大いに任せていきますが、方向性が違う場合は何らかの話し合いをします。進んでいく方向がこちらから見て間違っていないならば、そこに辿りつくルートや手段、方法は任せるようにしています。このあたりにまで介入すると、育成が難しくなるかもしれないからです。
対外的なことは、たとえば新規の契約受注やほかの会社や団体との関係づくりです。弊社が進んでいく方向性を考え、決めていくこともあります。そのために、国内外の企業や団体の視察を繰り返しています。たとえば最近は半導体の市場の動向が動いていますが、これは日本の市場だけを見ていたのでは正確につかめないのです。