JOB Scope マガジン - コラム

第31回「10年先を考えると、私たちの会社がどうなるかはわからない」

作成者: JOB Scope編集部|2024/12/12

第31回

中小企業 2代目、3代目経営者の デジタル改革奮闘記

「10年先を考えると、私たちの会社がどうなるかはわからない」

~NHKの映像編集を支える最大手の女性経営者の危機感~


2024/12/12



本シリーズでは業界・業種を問わず、中小企業の2代目もしくは3代目の経営者の経営改革をテーマにする。特に第DXへの挑戦にフォーカスを当てる。ITデジタルの施策に熱心に取り組み、仕事のあり方や進め方、社員の意識、さらには製品、商品、サービス、そして会社までを変えようとしている企業をセレクトする。

 

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今回と次回は、映像編集の株式会社白川プロ(渋谷区)代表取締役社長の白川亜弥氏にインタビュー取材をした内容を紹介したい。同社は、NHKの地上波から衛星放送まで様々なテレビ番組の映像編集と音響効果に関わっている。

具体的には報道では「おはよう日本」や「首都圏ネットワーク」「ニュース7」「ニュースウォッチ9」などの大型のニュースをはじめ、定時のニュース、あるいは「NHKスペシャル」「クローズアップ現代」など数々のドキュメンタリーや情報番組、エンターテイメントの番組では「鶴瓶の家族に乾杯」「ファミリーヒストリー」「ドキュメント72時間」などになる。正社員は286人(2024年8月現在)で、売上は19億円(2023年)。

 

 

 

01 ―――

NHKスペシャル」から「鶴瓶の家族に乾杯」まで幅広い番組の映像編集 

 

正社員286人のうち、260人前後がNHKの各番組にスタッフ(業界では「編集マン」と呼ぶ)として配属されています。編集マンは、NHK本体や関連団体、番組制作会社の記者やディレクター、カメラマンが撮影した映像を編集します。基本的には、それらの番組の編集をするNHK放送センター(渋谷区)の職場に自宅から直行直帰をしています。それぞれの番組の編集をする部屋やフロアに勤務しますので、「内勤」となります。

NHKで映像編集を請け負う会社の中では、弊社が最も多くの編集マンを派遣しているとNHKからも伺っております。そのご期待や信頼に応えることができるように、私たちなりに力を注いできたつもりです。

 

 

 

02 ―――

テレビ業界のあり方が変わる? 

 

1962年の創業時から放送局とは、NHKのみと仕事をしています。良質の番組をひたむきに制作する姿勢に私どもは強く共感するものがあり、編集マンを各番組に派遣する形でご協力をさせていただいてきました。今後もその思いに変わりはありません。

一方で、テレビ業界のあり方がしだいに変わる可能性がありえます。たとえば、NHKの一部の番組ではAI(人工知能)アナウンサーがニュースを読むようになってきました。それにともない、アナウンサーの仕事の姿勢は変わる部分があるかと思います。やがては、AI編集マンが登場することも考えられうるのです。その頃には、編集マンの仕事の仕方が変わるのかもしれません。

そこでこれまでの豊富な経験や実績を生かし、新規事業を始めることができないかと考え、社内で話し合ってきました。2022年から、その態勢をデジタルコンテンツ部を中心につくり始めています。たとえば、企業向けではPR映像、インタビュー映像、店舗イメージ映像、企業史、CM(Web、テレビ)など、個人向けでは自分史コンテンツ制作などです。

インターネットのビジネスも考えています。20~30代を中心に関心を持つ社員が増えているのです。新卒や中途の採用試験に関わりますが、面接でテレビ番組よりもインターネットの動画チャンネルを観る機会が多いと話す人がいます。時代は、変わりつつあります。テレビは数あるメディアの中の1つになり、かつてのように他のメディアを圧倒するような存在ではなくなりつつあるのかもしれません。そのことは、私たちは常に考える必要があると思っています。
 
 

 

03 ―――

白川プロの原点  

 

私の義理の父が、62年前(1962年)に創業しました。父は戦前、海軍軍楽隊に勤務し、1945年の終戦後は東京交響楽団に籍を置きました。当時は、テレビのワイドショー番組ではスタジオでバンドが生演奏することがあったようです。

バンドマンである父はテレビ局の社員と接したり、番組で自ら演奏する機会があったり、演奏者たちをマネジメントする時があったのです。ディレクターやプロデューサーなどテレビ番組の制作者の知人が増え、NHKとの関係もしだいに作られていきました。NHKはドキュメンタリー番組が多いので、その分野の制作者と接するケースが多かったようです。そして、映像編集の助手として関わるようになったのです。撮影ではフィルムを使用していた時代ですから、映像編集はフィルムを切ったり、つないだりしてまとめていくのです。

演奏者から編集マンになろうとしたので、随分と勉強したようです。担当する番組が増えてきたため、父が新たに人を雇い、NHKの制作者に映像編集を教えていただきながら育ててきました。そうしてゼロから経験を積んだ社員が一人前となり、NHKから番組の映像編集を任されるようになったのです。このあたりが白川プロの原点となるか、と思います。

 

 

 
 

04 ―――

創業期から現在にいたるまで 

 

父は創業経営者として優れた面があったように思います。人から愛されるタイプであったようですし、ビジネスでのよい機会を見つけるのは敏感であったみたいです。その後もお陰様でNHKからのご依頼が増え、社員が増えていきました。父が社長を退いた後は、放送業界で仕事を長年してきた人が弊社から招かれる形で就任します。その次も、同じく放送業界のベテランが社長になりました。

この後は父が社員らからの求めに応じ、再び社長に復帰しますが、在任中に病死します。それで、白川プロ生え抜きのベテランの編集マンが社長となりました。生前、父が後継者として推したのです。それほどに信頼があり、編集マンとしての実績は豊富だったのです。10年程、社長を務めた後に退任し、会長となり、私が5代目として2020年に社長に就任しました。

私は、父の養子です。高校の国語の教師になりたいと思っていたのですが、大学4年時の教育実習で挫折を味わい、その夢をあきらめました。社会人として何をして生きていけばいいものか、と考えていた時期があります。社長(父)と私の母が昔からの知り合いであったことで映像編集といった仕事があるのを知り、興味を持つようになったのです。それで入社し、様々な先輩から学び、20年以上、多くの番組の映像編集に関わってきました。NHKに育てていただいた、とも言えると思います。

 

 

05 ―――

創業者と養子縁組で、娘となる 

 
父は奥様が他界し、お子さんがいなかったのです。晩年は、さびしかったのかもしれませんね。本社にいくと当時、社長であった父がいて時々話す機会がありました。喜んでいるようでした。ある時、NHK職員の方から「社長は、あなたを養子にするみたいですね」と聞かされました。青天のへきれきで、それ以前に1度も聞いていないのです。父に確認すると、「バレたか」と笑っていました。

その後、30代半ばになる頃までニュース編集部やBS編集部で編集マンとして仕事を続けましたが、「そろそろ、養子縁組をしよう」と言われたのです。そのようないきさつで、養子になりました。その後、父の死去にともない、役員になったのです。

当時は、先代(現在の会長)が社長をしていましたが、白川家の後継である以上、いずれは私が社長になると思われていました。実は、葛藤があったのです。父の実の娘ではありませんし、経営をいずれは担うと期待され、特別な教育を受けてきたのでもありません。管理職の経験はあったものの、経営に直接関わったことはないのです。

 

 

 

06 ―――

社長の娘になるうえでの葛藤と責任 

 

その頃、私よりも弊社の在籍経験が長い社員や編集マンの経験が豊富な人は多数いました。ある先輩社員に相談したところ、いろいろと教えていただきました。編集マンとして優れている人が社長になるわけではなく、社員たちをまとめ、正しい方向にリードし、会社を維持し、発展させられる人が求められているのだと感じたのです。そう思うと、気が多少楽になりました。

監査役の方からは、1人の社員の後ろには家族など少なくとも4人がいるのを常に忘れてはいけない、と教えていただきました。私は、経営を担ううえでの責任をあらためて思い起こしたのです。そして、外から見ても中から見てもいい会社をつくりたいと考えたのです。そこでまずは、社員が働きやすいように就業規則を整備しました。労働時間の管理や残業時間の削減、メンタルヘルスケアのあり方を見つめ直し、修正するべきところはよりよき姿にしました。

 

 

 

07 ―――

役員になる前となった後 

 
役員になるまでは目の前の映像編集をするのに一杯で、それでとりあえずはいいのだと思っていました。時間に追われ、次々と編集をしていくのでそのような感覚になるのかもしれません。会社に対し、うっすらとした不満を感じる時はあったのかもしれませんが、それを深く考える余裕はなかったのです。むしろ、いい仕事をしていればそれが次の仕事に結びつき、結果として白川プロの経営が成り立つぐらいに考えていました。

役員になった後もいろいろと改革を試みる際になぜ、こういう問題が生じるのだろう、どうしたら解決するのかと考えるものの、いい案が浮かばない場合がありました。それで東京中小企業家同友会に入会し、経営について学ぶようにしたのです。たとえば会員である各経営者が研修の一環として経営指針をつくるのですが、経営者仲間からいろいろと質問を受けます。そのやりとりで自社を見つめ直し、視点や視座を変えることの意味を知るのです。

このような学びを通じて今後のテレビ業界を考えるとNHKとの関係を従来どおり大切にしながらも、新しいビジネスにも着手しなければいけないと考えるようになったのです。こんな思いや覚悟を秘めて、社長に就任しました。
 



  08 ―――

白川プロは大海原をただよう大きな船  

 

就任時の私の問題意識の1つは会社のビジョンがあいまいで、社内に十分には浸透していないと思えることでした。白川プロは大海原をただよう大きな船、と社員たちには機会あるごとに言っています。社員数や売上は映像編集会社の中では大きい部類で、優秀な社員は多いと外からは見える場合があるようです。それはありがたいのですが、実際に中にいると、そうとは言えないと感じる時があります。この船はどういう荷物をどこに運ぶのかが、はっきりとはわからずに各社員が仕事をしているように私には見えるのです。

10年先や数十年先を考えると、白川プロが実はどうなるかはわからないはずです。座礁する可能性もありうるのです。しかし、長年、そのような危機を感じる機会が少なかったのです。役員や管理職、社員の中には、あえて改革をしなくとも今のままでいいと感じている人がいるかもしれません。そのような現状維持の空気が、社内にあるのかもしれない。私はそこに危機意識を強く感じていますので、改革を試みてきました。その効果であるのか、ここ数年は特に20~30代を中心にしだいに意識が変わりつつあるように感じています。

 

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著者: JOB Scope編集部
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