日本企業は本当に弱くなったのか――。その通説に真正面から問いを投げかけたい。現場力や技術力という強みを持ちながら、なぜ成果や利益に結びつかないのか。東京理科大学大学院経営学研究科技術経営専攻(≒専門職大学院・社会人ビジネスククール)で教鞭を執る岸本太一氏は、「その背景には理論と実務をつなぐ『設計力』と『俯瞰力』の不足がある」と指摘する。研究者として、また実務家と向き合ってきた立場から語られるのは、OJTだけでは補えない学びの意義と、日本企業が取り戻すべき自信の源泉。理論を“血肉化”し、イノベーションを成果へと変える道筋とは何か。前編・中編・後編を通して、日本企業の未来を拓くヒントを探っていきたい。中編では、岸本先生の講義スタンスや日本企業の現状を聞いた。
【中編のエッセンス】
中編では、理論と実務をつなぐ「橋渡し役」としての経営学者の使命が語られる。OJTの重要性を認めつつも、理論を知ることで実践の成功確率は高まると指摘。基礎研究に偏りがちなアカデミックと現場を結ぶ応用的立場の必要性を説く。岸本氏の講義は一方向のレクチャーではなく、事前課題とケースを用いたディスカッションが中心。理論を知識で終わらせず“血肉化”するプロセスを重視する。また、日本企業は実力を失ったのではなく「自信」を失ったのだとし、自国の経営システムを言語化し直すことが再生の鍵だと論じる。
【中編のキーメッセージ】
①理論と実務を結ぶ応用的な橋渡しも経営学の使命
②知識ではなく血肉化こそが理論を実務に活かす鍵
③日本企業が失ったのは実力ではなく自信である
もう、それから数十年経ちましたけれどね。実務家の方にとっても全く同じです。確かに OJT は非常に重要です。やはり例えば、社長になるためには社長を経験して、その中で育つことが大切になってきます。ただ、それ以外に座学で理論を深く学んでいると、自分がやろうとしていることを実現できる可能性が更に高まります。しかし、それを認識していない人は、 OJT がすべてで、「座学なんて意味がない」と言い出したりします。
経営学界の話も、関連するので少ししておきましょう。どちらかというと今のアカデミックの人がやっているのは、基礎研究に近い話です。要素分解をして、その要素がどう動くのかみたいなことを主にやっております。その一方で、実際にプロトタイプを作って実装していくような、研究を実務につなげる橋渡し役が、今の日本のアカデミックの世界の中ではすごく少なくなっていると私は思います。
そこの部分を橋渡しするには、会社の中で研究所とは別に新事業を創造するための開発部門を独立で存在させるのと同様に、応用研究や開発を専門にやって基礎研究を実装につなげていくような人が必要です。私はそういうフィールドで社会に貢献したいと思っています。創り上げた理論を実務の方が使えるような形で伝え貢献していきたいということです。そこに重きを置いています。
「実務家に貢献できる経営学者」とは、簡単に言うと、実践系経営学者(経営学の理論と実務を橋渡しする学者)や応用経営学者と表現できるようなポジションかな、と思って書いたというのが背景です。
大学院生時代にはテニススクールのコーチをずっと続けており、そちらに進む道も考えたことはありましたが、最後は「やはりテニスの世界では、自分の実力では飯を食ってはいけたとしても、社会に大きな貢献はできない」と判断しました。そして、その辺りぐらいから、「大学の先生ってどういうものなのか」を考え始めました。先ほどお話したように、私は大学に行くのをやめた経験を持っている一方で、座学が現実を変える実体験も保有していたので、多くの人がイメージするような先生ではなくて、自分なりに考えた世の中に貢献する別の大学の先生像があり得るのではないかと思うようになっていきました。
どちらかというと私は、テニスで言えばプレイヤーよりもコーチとしての能力に長けており、分析をし、理屈をつくり、人に対してわかりやすく体系立てて説明する能力が、自分が持つ能力の中では最も高いレベルにある、と思っておりました。そして、その能力は、テニスよりも経営の世界で活用した方が、また、実務家になるよりも大学教員の立場のほうが、社会に大きな貢献できるのではないかと判断したということです。
最近、理科大MOTの教員陣が集まってファカルティ・デベロップメント(大学教員の教育能力を向上させるための組織的な取り組み)と題する勉強会が開催されました。そこで、自分の講義のやり方を紹介するための資料を作ったばかりです。内容を簡単に説明させていただきますと、多分私が行っている講義は、通常の大学での講義と比べてかなり特殊だと思っています。
いわゆるレクチャーと呼ばれる、先生が一方的に話し続ける時間はほとんどありません。講義はほぼディスカッションのみで進められます。その一方で、学生には事前課題を提示し、講義の二日位前までに提出してもらいます。一例を挙げておくと、あらかじめ教科書の一部分を読んでもらい、そこに書かれている理論を、自分の会社や所属部署、自分の興味のある実例などに当てはめて分析してきてもらいます。その分析結果が記載されたレポートをケーススタディのケースみたいなものとして使って、講義では議論をしています。
あるいは、教科書の中で紹介されている理論的な内容に対して、理解ができなかった部分や反例がありそうな部分に着目し、疑問をつくってもらい、事前にメモとして提出してもらいます。そして、それらのメモに基づきつつ、こちらの方で問いを加工したり、更に深掘りする問いを提示しながら、当日のディスカッションを設計していきます。そういう形式で進めていくような講義になっています。
講義を設計する際に私が特に意識していることは、理論や教科書の内容を知ることと血肉化することは全く違うという点にあります。多くの人は、例えばマーケティングの4P(「Product(製品)」「Price(価格)」「Place(流通)」「Promotion(販促)」の4要素から成る、企業が市場で効果的に商品やサービスを提供するための基本フレームワーク)や5フォース(自社を取り巻く競争環境を理解するための5つの要因。「業界内の競合他社」「代替品の脅威」「新規参入者の脅威」「買い手の交渉力」「売り手の交渉力」を指す)といったフレームワークを、トリビア(雑学的な事柄や豆知識)やうんちくとして知っているだけで、血や肉にして使いこなせるレベルにまでは消化しておりません。それらを血肉化するためには、まずは理論を自分なりに要約し、きちんと理解をする必要があります。また、内容に対してあえて疑問を捻り出してみて、「本当にそうなのか」と自分で考えてみなければいけません。そして最後は結局の所、実際に理論を実例に当てはめてみて、それを使ってみるという作業が不可欠です。以上のような作業が、血肉化するためには必須になってくるので、先ほど紹介したような事前課題をやらせているわけです。
そういう意味では、講義はそれぞれの学生さんが事前にやってきた血肉化作業のレポートの集積で行っているディスカッションになります。ゆえに当日の議論は、課題を通じて事前に行ってもらった「理論はこういうものなのか」「こう考えれば良いのか」といった思考を、更に深める機会となります。ディスカッションは基本的には、私がファシリテーターを担当し、受講者全員で議論する形で回していくのですが、その中で同じ理論や内容、ケースでも、理解が深まっていったり、自分が想定した考え方だけではなく、「これもあるのか」と色々学べたというアンケート結果が出てくるのは、恐らくそういうプロセスを辿って理論を血肉化することを念頭に置きながら講義を回しているからだと思います。
そうですね。私自身の受講者としての経験においても、こういう風にやればただ単にトリビアとして知っているだけではなくて、自分の実務に使えるようになると実体験させてくれた講義は、実はそういったスタイルの講義でした。
まさに、師匠の伊丹敬之先生が一橋のMBA で行っていた「経営戦略」の講義が、そのスタイルでした。伊丹先生の講義は、私が学部 1年生の時に受けて大学に行くのをやめてしまった、ただ一方的にレクチャーをされる講義とは全く異なるものでした。「これは役に立つな」と痛感させられました。
学んだジャンルが経営戦略だったという点は、関係ありません。どんなことでも、何を教えるにしても、結局座学で学んだことをマネジメントの観点で実務に役立てるには、この講義スタイルが不可欠だと思いました。なので、そういったスタイルを取り入れているという背景があります。
この手の議論はよくされますが、「何が失われたのか」が語られないのが、問題だと捉えています。私自身の調査や研究、社会人ビジネススクールでの講義や企業研修等の経験に基づいて考えた場合、日本企業や日本経済の実力が失われたとは到底思えません。色々な現場を見ていても、ポテンシャルは相変わらずあります。海外も新興国を中心に私は見てきましたけれども、多くの国に比べて極めて分厚い技術や実力を持っています。はっきり言って、ポテンシャルがある国だと思っています。
その一方で、失われたものがないかというとあり、それは自信なのではないかと思っています。より具体的に言えば、自分たちが採用している特徴的な仕組みや打ち手に対する自信、もう少し堅苦しく言うと、日本的な経営システムを信じるという意味での自信です。そして、それらの背後にある合理性や編成原理も自覚できていないというか、理解できていない場合が多いです。言い換えれば、自分自身が失われた三十年だということ。それが、バブル崩壊以降の日本企業の一つの特徴だと思っています。
日本の企業が、今どういう経営の仕組みで動いているのか。それらの仕組みにはどういう利点と欠点があるのか。どういう原因と論理で成果へとつながっているのか、などといった日本企業の経営システムの得手不得手、メカニズムをきちんと理解することです。それが、突破口の一つになると思っています。
やや揶揄に近いような話になるかもしれませんが、最近はグローバルスタンダードや世界標準などの類の理論が流行ってきています。「世界標準にならなければいけない」とよく指摘されていますよね。そういう主張や論調が、バブル崩壊以降は過度に多い気がします。その傾向は経営学者にも見られます。日本の経営システムに関する言語化と世の中への発信は、経営学者が主に担わなければいけない作業でもあります。しかし、近年の経営学者からの発信は、例えばヒットした著書を見ても、海外のトップジャーナルに掲載された研究論文を色々と集めて、それらを整理した結果を分かり易く紹介するというタイプの方が多くなってきています。もちろん、その種の著書にニーズがあるからなので、決して悪いことだけではないと思います。実際、良いこともあります。
しかし、自分自身の特徴の理解を深め、自信を持つ上では副作用や逆機能が発生します。世界標準ばかり押しつけられてしまいますので・・・。世界標準というのは、正確に言えばアメリカンスタンダードに近いもの、もう少し広く言えば、欧米スタンダードに近いもの、と捉える必要がありそうだと個人的には考えております。今の国際的に有名な経営学の論文や著書、普及している理論の多くは、欧米企業や欧米発のグローバル企業の研究結果を基に創られたものが多いからです。
もちろん、万国共通に当てはまる内容は、当然ながらあります。しかし、日本企業と米国企業だと違う良さやつくられ方があるのですが、そこの部分はバブル崩壊以降は、あまり語られなくなりました。もっと言えば、そういうことを理解しよう、言葉にしていこうという作業自体もかなり下火になってしまったので、言語化してそれを共有することをもっと活発にやっていくことが、一つ目の解決の糸口になるのではと思っています。
経営はシステムなので、様々な分野の色々なところに日本的な特徴があり、良さがあるのではないかと思います。時間の関係上、一つだけ例を挙げておくと、イノベーションプロセスに関連する活動で言えば、米国企業が製品や工程を「標準化」する能力に強みがあるのに対し、日本企業はそれらを「アレンジ」する能力に長けています。
「標準化」と「アレンジ」は、どちらかが絶対的に優れているという関係にはありません。どちらにも一長一短があり、また両者の間には補完関係も存在します。例えば、コストを下げ、普及を進める際には、製品や工程の「標準化」は有効な手段です。しかし、新製品を生み出すためには、そもそも新しい製品設計や工程設計が不可欠です。そして、それらの新たな設計は、ゼロから生まれることはあまりなく、パーツレベルでみれば、既存の設計を「アレンジ」することで生み出され、それらの「アレンジ」された部品や部材等を統合することで、新製品は生まれます。簡略的に言えば、日本企業が製品や工程の「アレンジ」を担当し、そのアレンジの集積を米国企業が活用し、「標準化」を進めていく。例えば、そのような協業がありえ、iPhoneなどは、その協業による成功実例の一つです。
ではなぜ、日本企業は「アレンジ能力」に長けているのか。その主な原因は、他の経営分野の様々な仕組みや打ち手にあります。再び幾つか例を挙げておくと、例えば、長期雇用や長期取引を採用していると、既存の部品や部材をアレンジする経験は、特定の人や企業、系列に蓄積され易くなるため、アレンジ能力の向上が容易になります。逆に、短期雇用や短期取引を採用する米国企業では「アレンジ能力」は育みにくくなりますが、代わりに「標準化」のノウハウは、従業員や取引相手が頻繁に変わる状況に対応せねばならないため、活発に蓄積されます。
以上では、便宜上、製造業を想定して説明してきましたが、ここまでの一連の話はサービス業やコンテンツ産業などの他の産業にも、基本的にはほぼそのまま当てはまります。また、雇用や取引の慣行だけではなく、年功序列か成果主義かといった報奨の慣行やジョブローテションをするかジョブ型でいくかといった異動の慣行なども絡んできます。
要するにここで言いたいのは、日米企業が採用する慣行や仕組みには、絶対的な優劣の関係はなくて、一長一短がそれぞれあって、その長を活かすために他の慣行や仕組みと繋がり合って、「アレンジ」や「標準化」のような特有の強みを生み出しているということです。そして、このことを意識せずに、一部の仕組みのみに限定して外来のものを取り入れると、外来の仕組みの長所は発揮されず、むしろ元々あった強みを壊しかねません。健全な臓器でも、適合しない患者に移植すると、拒絶反応が発生する現象と似ています。
岸本 太一 氏
東京理科大学大学院
経営学研究科
技術経営専攻 講師
※肩書は取材時点。
2026年4月から准教授に昇任
平成14年一橋大学商学部卒業。平成17年一橋大学大学院商学研究科修士課程研究者養成コース修了。平成20年一橋大学大学院商学研究科博士後期課程修了。博士(商学)。同年一橋大学大学院商学研究科特任講師。平成21年東京大学ものづくり経営研究センター特任助教。平成23年より敬愛大学経済学部准教授、東京大学ものづくり経営研究センター特任研究員。平成26年より現職。著書に『中小企業の空洞化適応』(共編著、同友館。平成26年度〈第39回〉商工総合研究所 中小企業研究奨励賞〈経営部門〉を受賞)、『サービスイノベーションの海外展開』(共著、東洋経済新報社)、『日本型ビジネスモデルの中国展開』(複数章執筆担当、有斐閣)など。