事業経営の失敗、中小企業診断士の取得、社会人大学院での学びを経て、経営戦略論の研究者となった九州情報大学教授・井上善海氏。その歩みを貫くのは、研究室にとどまらず企業の現場に足を運び、実務と理論を往復する「現場主義」である。AIやDXなど最先端の情報技術を経営に応用する「経営情報」の考え方から、事業承継、人材採用、M&Aまで、井上氏は中堅・中小企業が直面する課題を独自の視点で捉える。企業の成長とは規模を拡大することだけではない。「量」ではなく「質」を高め、自社に適した規模と仕組みを築くことこそ、持続的な企業経営につながる――。豊富な実務経験と研究、教育の実践から導き出された、これからの中堅・中小企業経営への提言を聞いた。前編では、井上氏の専門分野と研究アプローチの特徴などを紐解いていく。
【こんな方に、ぜひ読んでいただきたい】
① 事業承継や人材不足、DX、M&Aなど複雑化する経営課題に向き合いながら、自社に適した成長のあり方や経営の仕組みを考えたい中堅・中小企業の経営者や経営幹部。
② AI・DXを単なるIT導入で終わらせず、経営や組織、人材戦略と結び付けて成果につなげたい経営企画・DX・人事などの実務責任者。データを「情報」に変える視点を求める層。
③ 中小企業診断士、金融機関、支援機関、コンサルタントなど、中堅・中小企業の経営課題や事業承継、人材・イノベーション支援に関わる専門職。
【前編のエッセンス】
事業失敗の経験から中小企業診断士を経て社会人大学院へ進み、経営理論の重要性を実感して経営戦略論を専門とするに至った井上善海氏。自身の実務経験を背景に「現場主義」を貫き、現場の課題や企業連携・オープンイノベーションの研究に取り組む。経営理念と組織の仕組み双方の重要性を提唱し、「人を大切にする経営学会」副会長として優良企業の育成や見極めにも尽力。研究室にとどまらず現場と深く向き合いながら、多くの社会人大学院生を指導し、実務と学術の架け橋となる人脈と教育実績を築いている。
【前編のキーメッセージ】
①実体体験と理論の融合。事業経営の失敗と挫折を経て学んだ経営戦略理論を通じて、現場の実践と学術体系の融合の重要性を伝える。
②徹底した「現場主義」の追求。研究室にとどまらず現場へ足を運び、実務者との長期的な対話から本質の伴う経営研究を愚直に推進する。
③理念を仕組みへ落とし込む経営。「人を大切にする経営」を単なる精神論に留めず、企業経営の具体的な仕組みとして定着させる必要性を説く。
大きなくくりで言いますと、経営戦略論になります。その中でも、新しい事業創造、いわゆるイノベーションを専門としています。日本学術振興会の科学研究費助成事業(科研費)についても、イノベーション分野で3期連続して採択していただいています。
もともとこの分野が専門だったわけではなく、企業同士が連携する「産産連携」を研究していたところ、ちょうどオープンイノベーション(組織外部にある技術やアイデア、人材などの経営資源を活用し、新たな事業や高い生産性が見込まれる事業の創出を目指すこと)という流れが来たので、国に申請したら予算がついた、というのが実情です。ですので、企業間連携のようなテーマに関心があると言えます。
また、中堅・中小企業を専門にしているのは、単純に研究がしやすいからです。大企業は象の尻尾や鼻に触れる程度しか関われませんが、中堅・中小企業であれば、子犬の体全体に触れるように、組織全体を見ることができます。そのため中堅・中小企業を専門にしているのですが、実際には大企業から声をかけていただくことも多く、大手製鉄所で教育に関わらせていただいたりもしています。
もともと四十代前半の頃、九州情報大学に六年ほど在籍していました。当時は新設の大学で、経営情報学部も先駆けのひとつでした。その後、新しい環境に挑戦したいと思い広島大学へ移りましたが、最終的に九州情報大学から経営情報学部長への就任の依頼を受けて戻って来ました。
戻って改めて考えると、一般的な経営情報学部は三十年近く、ほとんど文系の教員が担ってきた歴史がありました。ただ、本学は文理融合を掲げており、AIやデータサイエンスの専門家も企業経営の専門家も揃っているので、これを活かすべきだと考えました。
私自身、経営戦略入門の書籍を二十数回増刷しながら出版しており、今回はシリーズ五冊目として『経営情報入門』を編集・執筆しました。従来の経営情報関連の書籍とは異なる視点を意識して作った結果、他大学でもテキストとして採用いただいているようです。改めて申し上げますと、私の専門は経営情報そのものではなく、経営戦略論です。
実は大学卒業後、小規模な会社を事業承継しました。そこで会社を「膨張」させてしまったのです。成長ではなく「膨張」です。私の実力不足ゆえ、十一年目に結局バブル経済絶頂期に倒産させてしまいました。
倒産後、コンサルタントになろうと考えました。法的整理をした後だったので手元資金はゼロ。そこから中小企業診断士という資格の存在を知り、一心不乱に勉強して取得し、コンサルタント業を始めました。
コンサルタントとして活動する中で、著名なコンサルタントの多くがMBA(経営修士号)を持っていることに気づきました。履歴書に修士と書いた方が営業上有利だろうという、いわば“不純”な動機で、当時まだ社会人大学院が一般的でなかったため、福岡大学の昼間の研究型大学院に進学しました。
そこで目から鱗が落ちる経験をしました。自分が会社経営やコンサルティングの中で実践してきたことが、きちんと理論として体系化されていたのです。その理論を知らずに実践していたことに気づき、非常に面白く感じました。それから社会人大学院の教員としてのキャリアが始まります。
修士課程を終えたら肩書きだけ持ち帰るつもりでしたが、面白くなって博士課程まで進むことになりました。博士課程三年目のとき、九州情報大学(1998年設立)の教員に採用され、四十三歳で専任講師として着任しました。その後も広島大学、東洋大学、法政大学などで社会人大学院の教員を務めてきましたが、その中でも一番関心を持ったのが経営戦略論でした。
正直に言えば、動機は不純で「肩書きが欲しかっただけ」なのですが、結果としてこの分野にすっかりのめり込んでしまいました。
そうですね。会社経営を十一年ほど行っていましたので、大学卒業から大学院進学までは十五年ほど経っていたと思います。
そもそも大学入学自体も二年ほど遅れています。高校卒業後、東京に憧れて上京し、今で言うフリーターをしていました。当時、株式専門の新聞社でアルバイトをしていたときに、「大学卒だと給料が上がる」と気づき、二十歳のときに大学へ進学しました。
調べてみると、神奈川大学は当時大学紛争の余波で、学費を値上げできない事情もあり、国立大学より学費が安かったのです。「それなら自分でも学費を払っていけるのでは」と思い進学しました。選んだのは法学部。これが大きな誤算でした。当時は「法学部はつぶしがきく(今就いている仕事を辞めても他の仕事で活躍できる能力がある)」と言われていました。実際にはまったく法律に興味を持てず、勉強も本を読むのも嫌になってしまいました。
それでも、一応単位は取得して卒業しましたが、法律の知識はほとんど身についていない状態でした。それで会社経営を始め、結果的に失敗することになります。経営理論も実務経験もない状態でしたが、営業だけは得意だったため、案件をどんどん取ってきては会社の売上を伸ばし、膨張させてしまったのです。
倒産したのは1990年、戦後最低の倒産件数だった年です。倒産理由が特に見当たらないため、東京商工リサーチと帝国データバンクの両方から『放漫経営』という四文字の理由をつけられたほどでした。
福岡大学の大学院に進学した際、九州大学を定年退官された市村昭三という著名な先生が福岡大学に来られており、その門下に入ることになりました。日本経営財務学会副会長や日本経営学会理事をお務めになられた大家です。
その際、市村先生から「君はこれまで十分に失敗してきている。しかし人生は着地点が大事だ。着地点をきちんとつけるつもりなら、門下に入れてやろう」と言っていただき、それをお約束しました。以来、その約束を守るべく、着地点付けを心がけています。市村先生は今も九十七歳でお元気です。
ちなみに兄弟子たちはみな経営ファイナンスを専門とする先生ばかりで、私だけが経営戦略論を専門としています。ファイナンスは数字ばかり扱う分野で、私にはあまり面白く感じられませんでした。それでも器の大きな先生でしたので許していただき、経営戦略論の専門家として今に至っています。
法政大学在籍時には、イノベーション、つまり日本語で言う事業創造に関する研究・教育にも携わっていました。
いいえ、そちらではなく、政策創造研究科という社会人向けの研究型大学院に所属していました。この研究科には、官公庁出身の方や国のキャリア官僚OBの方が教授として在籍するなど、多様な人材が集まっていました。その中で私は経営分野を担当していました。私は昨年退任しましたが、残念ながらその時期に政策創造研究科自体も終了しています。
現場が本当に好きなのです。大手製鉄所を訪れて、工場で鉄がどんどん流れてくるのを見ると興奮してしまい、まるでテーマパークのようだとはしゃいでしまうほどです。隣にいる課長さんたちからは、スポーツドリンクを渡されて「倒れるぞ」と言われながら飲まされたりもします。それくらい現場が好きなのです。
ですから、研究室にはほとんどいません。研究室の表示板には「失踪」と書いてあるくらいです。教え子たちには、「研究の種は現場にある」といつも言っています。
教え子はほとんどが社会人の大学院生です。その中から、これまでに十九人が大学の専任教員になっています。大学教員になると給料が下がりますから、「行くな、行くな」と本人たちには言うのですが、それでも大企業の課長職以上の待遇を捨てて、学びの道に進む人が出てきます。
十九人という数字にも思い入れがあって、最初は「野球チームを作りたいから九人欲しい」と冗談で言っていたのですが、それを超えたので「次はサッカーチームだ」、さらには「ラグビーチームだ」などと言いながら、結果的には十九人になってしまいました。来年には二十人目が出る予定です。
私が積極的に勧めたわけではないのですが、修士課程で研究の楽しさに目覚めた人は博士課程まで進み、そうでない人は修士で企業に戻っていく傾向があります。教え子は大手飲料メーカーの部長をはじめ、私のところを出ただけでも百人以上が様々な企業で活躍しています。大企業からベンチャー経営者まで幅広く、こうした人脈が私自身の研究にも大いに役立っています。
経営者の勉強会や講演会などでもお付き合いがありますが、相性が合う方は熱心に学び続けてくださる一方、合わない方は自然と離れていかれます。
そうですね。事例として書籍や雑誌で紹介する企業についても、五年から十年ほどお付き合いを重ねてから初めて取り上げるようにしています。だいたい五年ほど関係を続けてみると、その企業が本当に良い会社かどうかが見えてくるものです。実際、その中には上場した企業もありますが、こうして時間をかけて見極めながらお付き合いするというやり方をしています。
その通りです。学会が主催する「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞という賞にも携わっており、この賞は内閣総理大臣賞や経済産業大臣賞などを対象企業に授与しています。元法政大学大学院政策創造研究科教授の坂本光司先生が始められたものです。
坂本先生が2008年にこの活動を始められた当初、私は「人を大切にするくらいで経営が良くなるものか」と批判していました。それが、いつの間にか巻き込まれる形で副会長を務めることになったのです。
とはいえ、実際に受賞する企業には本当に良い会社が多く、長くお付き合いが続いている企業も少なくありません。坂本先生は「人を大切にすれば経営は良くなる」という立場ですが、私は企業の仕組みの中に「人を大切にする」という理念を落とし込むことの重要性を主張しています。
寒天のトップメーカー、伊那食品工業の元会長の井上修さんも私と同じように懐疑的だったのですが、結局のところ、その活動に取り込まれているというのが実情です。
坂本先生が提唱を始める以前から、伊那食品工業はすでに人を大切にする経営を実践していました。ですので、坂本先生の活動に賛同する形になっています。私自身もかなり異なる意見を発していたはずが、気づけば副会長を引き受けていました。
井上 善海 氏
九州情報大学
経営情報学部
学部長/教授
神奈川大学法学部卒業後、会社経営、経営コンサルタントを経て、福岡大学大学院商学研究科で博士(商学)取得。
広島大学教授、東洋大学教授、法政大学教授を経て、九州情報大学経営情報学部長・教授。広島大学名誉教授。
日本マネジメント学会会長、人を大切にする経営学会副会長、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」実行委員会副委員長、「日経統合報告書アワード」審査委員(日本経済新聞社)。
『衰退産業の勝算』(幻冬舎)、『負けない戦略: 経営は勝つことではなく、負けないこと』『経営情報入門』『事業創造入門』『企業経営入門』『経営戦略入門(第2版)』(いずれも中央経済社)など編著書多数。