[JOBSCOPE]教授インタビュー解説

日本型の人的資本開示とは?任意開示と法定開示の役割分担|神戸学院大学・島永和幸教授

作成者: JOB Scope編集部|Oct 15, 2026, 11:04:04 AM

 

日本型の人的資本開示を考えるには、グローバルに競争する企業と国内市場が中心の企業とで論点を分け、日本的経営の良さと変えるべき点を整理することが出発点です。神戸学院大学の島永和幸教授は、政府主導で急ピッチに制度化された今だからこそ、開示のあり方を自分たちで考える必要があると語ります。

前編では、人件費が「費用」として処理される会計の仕組みが人への投資を抑えてきたことと、「人的資本の会計時代の幕開け」の意味を紹介しました。後編では、日本の人的資本開示が抱える課題と、雇用のあり方をマクロの視点から考えます。

本記事では、島永教授へのインタビューをもとに、日本の人的資本開示が政府主導で進んだ経緯、グローバル企業とローカル企業で異なる論点、海外の開示動向、有価証券報告書と任意開示の役割分担、そしてジョブ型雇用と「リスク移転」の問題について解説します。

この記事でわかること

・日本の人的資本開示が「政府主導」「開示ありき」で進んだ経緯

・グローバル企業とローカル企業で、人的資本経営の論点が違う理由

・SEC・ISO 30414・ISSBなど、人的資本開示の国際的な動向

・有価証券報告書と統合報告書など任意開示の役割分担

・ジョブ型雇用を「リスク移転」とマクロ経済の視点から考える

取材協力:島永 和幸(しまなが かずゆき)氏

神戸学院大学 経営学部 教授(取材時)。1975年長崎県生まれ。1998年長崎大学経済学部卒業。2003年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了、博士(経営学)。同年神戸大学大学院経営学研究科助手、2004年神戸学院大学経営学部専任講師、准教授を経て、2019年より現職。専門は人的資本会計、サステナビリティ基準、国際会計。著書『人的資本の会計-認識・測定・開示-』(同文舘出版、2021年)で、グローバル会計学会2020年度学会賞(2021年)、日本公認会計士協会学術賞(2022年)を受賞。

聞き手:JOB Scopeマガジン編集部

日本の人的資本開示は「政府主導」で急ピッチに進んだ

島永教授は、日本で人的資本経営が本格的に議論され始めたのは、2020年の「人材版伊藤レポート」の公表からだと見ています。それ以前は、役員への女性登用や男女間賃金格差の是正など、法律で開示が義務づけられた内容をどうフォローするかが多くの企業の関心事でした。自社に合わせて人的資本の管理を戦略的に進める議論は未成熟だったのです。

その後、政府が「人への投資」を打ち出し、強力なリーダーシップのもとで人的資本経営とその開示が推し進められました。企業が価値の源泉として自発的に人的資本を語ったというより、日本にありがちな政府主導型で進んだと島永教授は言います。

しかも、非常に短期間で有価証券報告書での開示が制度化されました。本来なら、人的資本経営が業界や企業に少しずつ浸透する中で、開示のあり方について共通認識が育っていくものです。今回は内閣官房の非財務情報可視化研究会などでの議論が先行し、開示ありきで制度化が図られたため、一部の企業を除けば経営の実態が追いついていないと島永教授は見ています。

グローバル企業とローカル企業で論点は違う

島永教授は、人的資本経営を一律に論じるのではなく、企業の置かれた状況で軸を分けて考えるべきだと言います。

  グローバルに競争する企業 国内市場が中心の企業
特徴 グローバルで資金を調達し、工場を持ち、商品を売り、人材も管理する 日本の顧客に商品を売り、従業員も採用市場も主に日本
人的資本経営との相性 馴染みやすい。海外のライバル企業と比較されるため議論の余地がある 海外投資家に取り組みを理解してもらう必要性は相対的に低い
考えるべき論点 人材版伊藤レポートや価値協創ガイダンスなど高い水準を目指す 日本的経営の良さはどこか、何を変えなければ追いつけないかを整理する

出典:島永教授への取材をもとに編集部作成

欧州では人の移動が自由で、域内で労働力が行き来できます。米国は移民を受け入れる仕組みがあります。日本はそうではなく、労働生産人口が減る中で企業が何もしないまま生き残れるとは思えません。グローバルスタンダードの人的資本経営をそのまま持ち込むのではなく、日本の事情を踏まえて論点を整理する議論が欠けたまま今に至っていると島永教授は指摘します。東証スタンダード市場の企業や非上場企業では、人的資本経営という言葉自体がまだ浸透していないこともあります。

人的資本開示の国際動向――人的資本は「残されたピース」

島永教授によると、サステナビリティ情報のうち、最後まで残されたピースが人的資本でした。環境やガバナンスはかなり進んでいたのに対し、人的資本の基準づくりはこれからという段階だったのです。

年 主な動き
2018年12月 国際標準化機構(ISO)が人的資本報告のガイドライン「ISO 30414」を発表(島永教授が国内でいち早く紹介。2025年8月に第2版へ改訂)
2020年 米国証券取引委員会(SEC)が上場企業に人的資本の開示を求める規則改正を実施
2023年3月期〜 日本で有価証券報告書での人的資本・サステナビリティ情報の開示が義務化
今後 ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)が人的資本の基準を検討。グローバルの基礎となる基準はISSBがつくり、その上乗せ部分は各国でつくってよいというスタンス

出典:島永教授への取材をもとに編集部作成(ISO 30414の改訂はISO公表情報による)

グローバルの基礎の上に各国が独自の上乗せをしてよいのであれば、日本型の人的資本の開示がどうあるべきかを議論しなければならないと島永教授は言います(ISO 30414と国際動向は、岩本隆特任教授の解説記事でも紹介しています)。

有価証券報告書と任意開示の役割分担を

初年度の開示について、島永教授は企業間に温度差があったと見ています。すでに統合報告書を発行していた企業(取材時点で約700社)は、そこで作った図表を使って対応できました。一方、発行していなかった企業は急いで対応しなければならず、「詳細は統合報告書を参照」「サステナビリティレポートをご覧ください」とするパターンもありました。

島永教授が指摘するのは、有価証券報告書と任意開示の情報の区分や役割分担を決める必要があるということです。同じ内容を重複して開示すれば、「有価証券報告書だけでよいのでは」という話になってしまいます。

開示媒体 求められる役割(島永教授の問題提起)
有価証券報告書(法定開示) より重要な情報を、決められた場所に載せる
統合報告書・サステナビリティレポートなど(任意開示) 有価証券報告書では伝えきれない、自社の価値創造のストーリーを伝える
課題 両者の重複を避け、役割分担を決める。日本の会計基準の中で、人的資本やサステナビリティ情報の開示方法はまだ固まっていない

出典:島永教授への取材をもとに編集部作成

なお、日本ではサステナビリティ基準委員会(SSBJ)が2025年3月に日本版の基準を公表し、時価総額の大きいプライム上場企業から段階的に適用される予定です(統合報告書のあり方は、円谷昭一教授の解説記事でも紹介しています)。

ジョブ型雇用は「リスク移転」とマクロ経済の視点で

ジョブ型雇用について、島永教授はマクロ経済の中で企業が果たすべき役割から考えるべきだと言います。

「リスク移転」とは

米国の文献には「リスク移転」という言葉が出てきます。かつては解雇が難しいため、業績が悪化しても企業が社会の安全弁として給料を払い、リスクを負っていました。ところが派遣や非正規雇用を拡大する政策が進んだ結果、企業がもともと負担していたリスクが、非正規雇用の人たちに移転していったというのです。

島永教授は、時給1,000円で1日8時間、月20日働いても月16万円にしかならず、正社員の初任給より低く賞与もない、という例を挙げます。分厚い中間層が日本経済を支え、子どもの進学や部活動、そこで身につくコミュニケーション能力を生む余裕をつくってきました。それが失われれば、優秀な人材が進学やイノベーションを諦めざるを得なくなり、子どもの世代にも波及します。総務省の労働力調査(2025年10〜12月期)でも、役員を除く雇用者のうち非正規の職員・従業員は約36%を占めています。

雇用形態 人数(2025年10〜12月期)
役員を除く雇用者 5,866万人
正規の職員・従業員 3,740万人
非正規の職員・従業員 2,126万人(約36%)

出典:総務省「労働力調査(詳細集計)2025年10〜12月期平均」

AI時代のセーフティネットとしての企業

AIが普及し、データサイエンスなど高度なスキルを持つ人材はグローバルで奪い合いになる一方、仕事を奪われる人も出てきます。これまでのように正社員として雇っていれば、別のスキルを身につけて「こちらの仕事に移ってほしい」と言えました。「もう仕事がないので終わり」としてしまえば、その人たちがスキルを磨く場が失われます。

ステークホルダー資本主義のもとで、企業には従業員に対する社会的責任を果たす役割が改めて期待されています。地域の雇用を守ることも企業の重要な役割であり、単に「儲からないから撤退する」のではなく、地域を支えるビジネスモデルを考える必要があると島永教授は言います。だからこそ、ジョブ型雇用だけを取り上げるのではなく、マクロ経済の中で企業が果たすべき役割と、採用・育成・合わなくなった人への対応(教育や職業あっせんなど)をあわせて考えるべきだというのです(中小企業とジョブ型の関係は、藤本雅彦教授の解説記事でも紹介しています)。

自社に合った雇用のあり方を考えるには、ジョブ型の要素をどこにどう取り入れるか、全体像を押さえておくことが役立ちます。

ジョブ型の要素をどう取り入れるかを整理する

ジョブ型か否かではなく、自社の役割や地域での立場を踏まえて、どの職種・層にジョブ型の要素を取り入れるかを考えることが大切です。JOB Scopeでは、ジョブ型人事制度を設計するためのフレームワークをまとめた資料を無料で提供しています。

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中小企業も人材を開示すれば、流動性とミスマッチ解消につながる

島永教授は、中小企業には大企業で培ったノウハウや人脈を生かせる機会が数多くあると言います。人材の流れができれば、中小企業は販路を広げ、技術開発も進められるはずです。しかし現状では、それがうまくいっていません。

そこで期待されるのが人的資本の開示です。「こういう人材を募集している」「こうしたポジションが足りない」ということを、中小企業を含め多くの企業が開示していけば、人材の流動性が高まり、経済全体で労働力不足やミスマッチを解消できるのではないか――そこにも人的資本開示の役割があると島永教授は語ります。

よくある質問(FAQ)

Q. 日本の人的資本開示にはどんな課題がありますか?

A. 島永教授は、政府主導で短期間に、開示ありきで制度化されたため、多くの企業で人的資本経営の実態が開示に追いついていないと指摘しています。また、グローバル企業と国内市場が中心の企業とで論点を分け、日本的経営の良さと変えるべき点を整理する議論が欠けているとしています。

Q. 有価証券報告書と統合報告書はどう使い分けるべきですか?

A. 島永教授は、両者の区分や役割分担を決める必要があるとしています。同じ内容を重複して開示すれば「有価証券報告書だけでよい」となってしまうため、より重要な情報は有価証券報告書に、価値創造のストーリーは任意開示で伝えるなど、役割を整理することが課題です。

Q. 人的資本開示の国際的な動向はどうなっていますか?

A. 2018年にISOが人的資本報告のガイドラインISO 30414を発表し、2020年には米国SECが上場企業に人的資本の開示を求めました。ISSBも人的資本の基準を検討しており、グローバルの基礎となる基準の上に各国が上乗せしてよいというスタンスのため、日本型の開示のあり方を議論する必要があります。

Q. ジョブ型雇用の「リスク移転」とは何ですか?

A. かつては企業が業績悪化時にも雇用を守り、社会の安全弁としてリスクを負っていましたが、非正規雇用の拡大などによって、そのリスクが働く人に移っていったという考え方です。島永教授は、ジョブ型雇用もこうしたマクロ経済の視点から、企業が果たすべき役割とあわせて考えるべきだとしています。

Q. 中小企業にとって人的資本開示にはどんな意味がありますか?

A. 島永教授は、中小企業を含む多くの企業が「こういう人材を募集している」「このポジションが足りない」と開示すれば、人材の流動性が高まり、経済全体で労働力不足やミスマッチの解消につながると期待しています。大企業で培ったノウハウや人脈を中小企業で生かす流れも生まれるとしています。

まとめ:日本の事情を踏まえた人的資本開示を、自分たちで考える

  • 日本の人的資本開示は政府主導・開示ありきで急ピッチに制度化され、多くの企業で経営実態が追いついていない
  • グローバル企業とローカル企業では論点が違う。日本的経営の良さと変えるべき点を整理する必要がある
  • 人的資本はサステナビリティ情報の「残されたピース」。国際基準の上に日本型の開示を考える
  • 有価証券報告書と任意開示の役割分担を決め、重複を避けて価値創造のストーリーを伝える
  • ジョブ型雇用は「リスク移転」とマクロ経済の視点で考え、企業が果たすべき社会的役割とあわせて議論する

人的資本の開示は、海外の基準をそのまま当てはめるものではありません。日本の雇用や社会の事情を踏まえ、自社が何を、なぜ開示するのかを考えることが、日本型の人的資本開示への第一歩です。

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▶ 前編:人的資本会計とは?人件費が「費用」だから日本企業は人に投資してこなかった――「会計時代の幕開け」の意味(内部リンク)

▶ インタビュー全文:日本は今、人的資本の会計時代の幕開けを迎えた(前編)(JOB Scopeマガジン)