人的資本会計とは?人件費が費用だと人に投資しない理由|神戸学院大学・島永和幸教授

 

人的資本会計とは、人のもつ知識・スキル・能力に着目し、人的資本を会計上どう認識・測定・開示すべきかを考えるものです。神戸学院大学の島永和幸教授は、人件費がすべて「費用」として処理されてきたことが、日本企業が人への投資に消極的だった一因だと指摘します。

多くの経営者が「従業員は最大の資産だ」と語ります。しかし、貸借対照表(BS)に人的資本は資産として計上されていません。なぜ人的資本は資産にならないのか――その問題意識から、いち早く人的資本の会計を研究してきたのが島永教授です。

本記事では、著書『人的資本の会計-認識・測定・開示-』で日本公認会計士協会学術賞などを受賞した島永教授へのインタビューをもとに、人的資本会計の考え方、人件費の会計処理が経営判断に与える影響、人的資本を資産計上する難しさ、非財務情報の開示が投資家との情報ギャップを埋める理由、そして島永教授が語る「人的資本の会計時代の幕開け」の意味について解説します。

この記事でわかること

・人的資本会計とは何か――「最大の資産」がBSに載らない理由

・人件費が費用として処理されることで、人への投資が抑えられてきた仕組み

・人的資本を資産計上する難しさ(測定と人材流出)

・非財務情報の開示が、企業と投資家の情報ギャップを埋める理由

・「人的資本の会計時代の幕開け」が意味すること

取材協力:島永 和幸(しまなが かずゆき)氏

神戸学院大学 経営学部 教授(取材時)。1975年長崎県生まれ。1998年長崎大学経済学部卒業。2003年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了、博士(経営学)。同年神戸大学大学院経営学研究科助手、2004年神戸学院大学経営学部専任講師、准教授を経て、2019年より現職。専門は人的資本会計、サステナビリティ基準、国際会計。著書『人的資本の会計-認識・測定・開示-』(同文舘出版、2021年)で、グローバル会計学会2020年度学会賞(2021年)、日本公認会計士協会学術賞(2022年)を受賞。

聞き手:JOB Scopeマガジン編集部

人的資本会計とは?――「最大の資産」がBSに載らない

従業員にかかるお金は、給与や年金、福利厚生など多岐にわたります。これらは「人件費」という名のとおり、販売費及び一般管理費の項目として、メーカーであれば製造原価の中にも含まれ、すべて損益計算書上の「費用」として扱われてきました。

統合報告書では「従業員は我が社の最大の資産です」という言葉がよく見られます。しかし、貸借対照表上に人的資本は計上されていません。会計は実態を映し出す鏡だと言われます。人的資本を資産と捉えるなら、会計システムの本来の役割として、人的資本をどう貸借対照表に載せていくかが問われることになる――これが人的資本会計の問題意識です。

  設備などの有形固定資産への投資 人への投資(人件費・教育費など)
会計上の扱い 貸借対照表に資産として計上し、複数年にわたって費用化する 原則として、その期の費用として損益計算書に計上する
投資と成果の関係 一対一でわかりやすい(お金をかければ設備が増える) 成果が出るまで時間がかかり、不確実
経営者の行動への影響 投資しても当期の利益は大きく減らない 投資すると当期の利益が減るため、抑制する動機が働きやすい

出典:島永教授への取材をもとに編集部作成

なぜ日本企業は人に投資してこなかったのか

日本企業は設備投資や有形固定資産への投資には熱心でしたが、GAFAや海外の大手製薬会社と比べると、人への投資や研究開発への投資は遅れているとよく指摘されます。そこに新型コロナウイルスの感染拡大が追い打ちをかけました。

島永教授は、その理由を会計の仕組みに見ています。人への投資や研究開発への投資は、当期の費用になってしまい、貸借対照表上の資産にならないからです。経営者が自分の任期中に利益を上げたい、ストックオプションの価値を高めたいと考えれば、費用を増やしたくないため、人への投資にはむしろ消極的になります。できれば人を減らしたいというインセンティブが働いてしまうのです。

「会計自体が経営者の判断を歪めてしまう可能性があります。」

――島永教授

人件費を削れば手っ取り早くコストが浮き、利益を計上しやすくなります。大手自動車メーカーのV字回復も、その一例だと島永教授は言います。一方で日本企業には、終身雇用や年功序列に代表される、人を大事にする思想も根づいていました。

人への投資を怠ったツケ

島永教授は、人への投資をおろそかにしてきたことが、さまざまな業界でのトラブル対応の遅れにもつながっていると指摘します。組織風土として納期を守ることが優先されれば、「ここを点検しよう」と言っても現場では守られません。本来かかるべきコストを価格に転嫁せず、取引先の中小企業に負担を求めてきた構造もありました。今ようやく、労使と政府が価格転嫁を進め、人やAIなどに投資できる環境が整いつつあるといいます。

人的資本を資産計上する難しさ

ただし、人的資本を貸借対照表に載せるには、乗り越えるべき課題があります。

課題 内容
① 測定の難しさ 人的資本をいくらで測定するのか、という測定可能性の問題
② 人材流出の可能性 モノは自らなくならないが、人は優秀であるほど他社に移る可能性がある。時間とコストをかけて育てた人材が、競合に奪われることもある
③ 投資対効果の不確実性 ブランドや技術と同様、お金をかけても成功しない場合がある。一律の投資が、その金額に見合う収益につながるとは限らない

出典:島永教授への取材をもとに編集部作成

島永教授は、人材流出をネガティブに捉えるのではなく、人材がその国の中で好循環していると前向きに捉える発想の転換も求められていると言います。

投資は「中身」と「ストーリー」で語る

「一律で5万円ずつ投資します」では、効果があるのか疑問です。技術開発に「千三つ」という言葉があるように、無形のものへの投資は必ず成功するとは限りません。優先順位をつけ、「こうしたストーリーでいきたい」と伝えたうえで、その裏付けとして「これだけ投資する」と示すことが大切です。

「当社のパーパスはこれで、こういう人事制度を導入しました」だけでは、事実を述べているにすぎません。「将来これを目指すために、こういうことをやっている」と語られて初めて、人的資本開示は有効に働くと島永教授は言います。業種や個社の特性に合わせて、人的資本の戦略と実行のPDCAサイクルを回すことは、多くの経営者にとってこれまでやってこなかったことなのです。

非財務情報の開示が、投資家との情報ギャップを埋める

これまで財務会計では、貸借対照表・損益計算書・キャッシュフロー計算書という財務情報の開示で事足りていました。しかし21世紀に入り、それが通用しなくなりました。島永教授は、財務情報だけの「一本足打法」ではなく、財務情報で伝えられない部分を、ナラティブ(物語的)な説明やKPIなどの非財務情報で伝える時代になったと言います。

投資家が企業を過小評価するのは、会社に対して何らかの払拭できない不信感を持っているからだと考えられます。個社にとって重要な情報を積極的に開示し、企業と投資家の情報のギャップが埋まって不信感がなくなれば、株価も自然に上がっていく。そのために、非財務情報、とりわけ価値創造の源泉でありながら不足していた人的資本の情報が必要なのです。

さらに、人的資本に関するKPIが統計的に処理されていけば、「こういう会社はこの分野に投資すべき」「こういう会社は将来問題を起こして株価を下げる可能性がある」といった因果分析もできるようになっていくと島永教授は見ています。

人への投資を「費用」ではなく価値創造の源泉として示すには、まず自社の人的資本の状態と投資の中身を可視化することが出発点になります。

人への投資と人的資本の状態を、データで可視化する

人への投資を価値創造のストーリーとして伝えるには、人的資本の状態や投資の中身を指標で示し、継続して測定できる仕組みが欠かせません。DEFiDEの「HRキャピタルダッシュボード」は、人的資本報告の国際規格ISO 30414に基づき、11領域58指標のデータを企業規模に応じて可視化・レポートできるクラウドサービスです。

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「人的資本の会計時代の幕開け」とは――自分で考えること

人的資本の情報開示は各国で義務化が進み、国際規格ISO 30414(2018年策定)も登場しました。しかし島永教授は、「ISO 30414にこういう項目があるからそれを守る」「それさえ守っていれば問題ない」という受け止め方には疑問を感じています。

「人的資本の会計時代の幕開けと私が言っているのは、『自分で考えましょう』というメッセージです。」

――島永教授

与えられたものを鵜呑みにするのではなく、もっと重要なことがあるのではないか、優先順位が違うのではないか――そう問いかけているのです。

人的資本の課題は「社会問題の縮図」

例えば人的資本の会計には、生活賃金(Living wage)、つまり労働者が生活水準を維持するために必要な賃金の開示があります。しかし、コストが上がることを嫌って、人事はあまり語りたがらないといいます。

島永教授は、人的資本の情報開示で解決すべき課題は、社会問題の縮図だと言います。だからこそ、単なる人事の問題に矮小化すべきではなく、経営者の問題です。人事・環境・技術・CSRなどと課題ごとに役割分担してきた「サイロ化」の歴史を統合するのが統合報告の理念であり、それがようやく動き出した――それが「人的資本の会計時代の幕開け」だと、期待を込めて語ります。

「利益3兆円」より「価格転嫁で利益1兆円」をアピールする時代へ

島永教授は、大企業の開示のあり方も変わっていくべきだと言います。「今期は3兆円の利益を上げた」ではなく、「利益は1兆円。取引先の中堅・中小企業への価格転嫁を進めた結果であり、それによって当社はサステナブルな経営を実現できている」とアピールする時代に入っているというのです。人的資本の会計は、情報開示を通じて、人権や地域の雇用を守り、日本経済の成長エンジンにつながる問題解決の一助になると島永教授は考えています。

あわせて島永教授は、本来なら市場で淘汰されるべき企業まで政策的に支えてきたことが、人材の移動や新たな価値創造を妨げた側面もあると指摘し、人的資本の情報開示を通じて「陰の部分」も洗い出す議論が必要だと問題提起しています。

よくある質問(FAQ)

Q. 人的資本会計とは何ですか?

A. 人のもつ知識・スキル・能力に着目し、人的資本を会計上どう認識・測定・開示すべきかを考えるものです。島永教授は、多くの経営者が従業員を最大の資産と語りながら、貸借対照表には計上されていない点に問題意識を持ち、会計が実態を映す鏡として人的資本をどう扱うべきかを研究しています。

Q. なぜ人的資本は資産計上されないのですか?

A. 人件費や教育費は原則としてその期の費用として処理されるためです。島永教授は、資産計上には、人的資本をいくらで測るかという測定の難しさや、優秀な人材ほど他社に移る可能性があるといった課題があると指摘しています。

Q. なぜ日本企業は人への投資に消極的だったのですか?

A. 島永教授は、人への投資が当期の費用となり貸借対照表の資産にならないため、任期中の利益を重視する経営者には費用を増やしたくない、できれば人を減らしたいというインセンティブが働くからだと説明しています。会計自体が経営者の判断を歪める可能性があるという指摘です。

Q. 人的資本の情報開示にはどんな意味がありますか?

A. 島永教授は、財務情報だけでは伝えられない人的資本の情報を非財務情報として開示することで、企業と投資家の情報のギャップが埋まり、不信感がなくなれば株価も自然に上がっていくとしています。

Q. 「人的資本の会計時代の幕開け」とは何を意味しますか?

A. 島永教授は、ISO 30414などの項目を鵜呑みにして守るのではなく、自社にとって何が重要かを自分で考えようというメッセージだとしています。人的資本の課題は社会問題の縮図であり、人事ではなく経営者の問題として、サイロ化してきた課題を統合して考えることが求められています。

まとめ:人への投資を「費用」から「価値の源泉」へ

  • 人的資本会計とは、人の知識・スキル・能力を会計上どう認識・測定・開示するかを考えるもの
  • 人件費が当期の費用として処理されるため、経営者には人への投資を抑える動機が働きやすかった
  • 人的資本の資産計上には、測定の難しさや人材流出などの課題がある
  • 非財務情報の開示は企業と投資家の情報ギャップを埋め、不信感を解消して企業価値の向上につながる
  • 「会計時代の幕開け」とは、与えられた基準を鵜呑みにせず、自社にとって何が重要かを自分で考えること

後編では、日本の人的資本開示が政府主導で進んだ経緯、グローバル企業とローカル企業で異なる論点、任意開示と法定開示の役割分担、そしてマクロ経済の視点から考えるジョブ型雇用と「リスク移転」について解説します。

人への投資を戦略として設計する

人への投資を「一律の費用」ではなく、戦略に沿った投資として設計するには、役割や育成、評価を一貫して見直すことが欠かせません。DEFiDEの「JOB Scope」は、人事コンサルティングと人事クラウドの2軸で、経営に直結する戦略人事の制度設計から組織への定着までを支援する人事制度改革プラットフォームです。

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▶ 後編:日本型の人的資本開示はどうあるべきか?グローバル企業とローカル企業の違い、任意開示と法定開示、「リスク移転」から考えるジョブ型(内部リンク)

▶ インタビュー全文:日本は今、人的資本の会計時代の幕開けを迎えた(後編)(JOB Scopeマガジン)

JOB Scope編集部

Written By: JOB Scope編集部

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