ジョブ型雇用には、専門性を深められるという利点がある一方で、「担当外の仕事をしなくなる」「管理職になったときに全体を見られない」という2つの注意点があります。神戸大学の上林憲雄教授は、専門性を深めながらも視野を広く保つことが重要だと指摘します。
人的資本経営やジョブ型雇用が注目を集め、多くの企業が対応を急いでいます。しかし、経営学の視点から「個人の幸福と社会の善の両立」を研究してきた上林教授は、日本企業の人事が流行に流され、自信を失っているのではないかと危惧しています。
本記事では、上林教授へのインタビューをもとに、短期思考に傾く日本社会の課題、人的資本情報の開示が日本企業にとって追い風である理由、「人事は流行に従う」という問題、日本でジョブ型が定着しなかった歴史、ジョブ型雇用の2つの注意点、そして個と組織のバランスについて解説します。
この記事でわかること
・日本企業が短期思考に傾いている背景
・人的資本情報の開示が、日本企業にとって「追い風」である理由
・「人事は流行に従う」とはどういうことか
・日本でジョブ型が定着しなかった歴史と、ジョブ型雇用の2つの注意点
・欧米と日本の「個人主義」の違いと、個と組織のバランス
神戸大学大学院経営学研究科・経営学部 教授(取材時)。1989年神戸大学経営学部卒業。1991年同大学院経営学研究科博士前期課程修了。1992年神戸大学経営学部助手。1999年英国ウォーリック大学経営大学院でPh.D.を取得。2005年より神戸大学大学院経営学研究科教授。神戸大学大学院経営学研究科長・経営学部長、日本労務学会会長、日本経営学会理事長、日本学術会議会員などを歴任。2021年より経営関連学会協議会理事長、2023年より神戸大学大学院経営学研究科 人的資本経営(HCM)研究教育センター長。著書に『SDGsの経営学』(千倉書房、共編著)、『経験から学ぶ人的資源管理』(有斐閣、共著)、Japanese Management in Change(Springer、編著)など。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
上林教授がいま気になっているのは、企業を含めた日本社会全体が短期思考になっていることです。根気強く長期の視点で考えるのではなく、すぐに解決策を求める傾向が年々強まっているといいます。
背景にあるのは、1990年代以降に広がった米国流の市場主義です。上林教授はこれを「グローバル市場主義」と呼んでいます。市場主義そのものが悪いわけではありません。しかし、かつて「日本的経営」の強みとされた、共同体の中で皆が協力しながら働く意識が急速に衰え、その狭間で多くの人が苦しんでいる――それが職場の世代間ギャップにもつながっていると上林教授は見ています。
市場は需要と供給のバランスですぐに答えを出します。これまでモノ・カネ・情報は市場の原理で動いてきましたが、最後の砦だった「ヒト」も市場の論理で動くようになってきた。ジョブ型人事も、その流れと無関係ではありません。
上林教授によると、「人的資本(ヒューマンキャピタル)」という言葉自体は古くからあり、学術的にはいったん議論が一巡したテーマです。それが「人材版伊藤レポート」以降、改めてバズワードになりました。それでも上林教授は、この流れを悪いことだとは考えていません。
グローバル化で多様な人材が働くようになり、自社がどんな人たちで構成されているのかを外部に示す必要が出てきました。そして、日本にはもともと人を大切にしてきた土壌があります。だからこそ、人的資本の開示は日本企業にとってむしろ追い風だというのです。
「だから、別に恐れる必要はないんです。堂々と開示をすればいいわけです。」
――上林教授
人に関する管理の呼び方の変化にも、ヒトの捉え方の変化が表れています。
| 呼び方 | ヒトの捉え方 |
|---|---|
| 労務管理・人事管理 | 戦略や組織のパフォーマンスにブレーキをかけかねない、賃金を払うべきコスト |
| 人的資源管理 | 一人ひとり個性や能力が違い、投資によって企業に大きな富をもたらしうる存在 |
| 人的資本経営 | コストではなく資本と捉え、しっかり投資し、長期的に育成する対象 |
「遅ればせながら」ではあっても、ヒトを資本と捉えて育成する視点が広く知られるようになったこと自体は、非常によいことだと上林教授は評価しています。
それでも、多くの企業は開示に二の足を踏んでいます。上林教授のもとには、開示に自信がない会社から相談が数多く寄せられているといいます。自社が実践している人的資本経営を正直に示せばよいだけなのに、それができないのは自信のなさの表れです。
米国の経営史学者アルフレッド・チャンドラーは、「組織は戦略に従う」と述べました。これをもじった「人事は流行に従う」という言い回しがあります。本来、組織は戦略に従うべきなのに、人事だけは戦略ではなく流行に従ってしまう――周りがやっているから自分たちもやる、皆と一緒なら安心という、護送船団方式のような姿勢には明確な戦略がない、という皮肉です。
「戦略人事」は、まさにこの状況を変えようとする言葉だと上林教授は言います。人の配置や育成は、経営や戦略の立案にも関わる重要な課題です。流行ではなく、自社の戦略に従って人事を考えることが求められています。
流行ではなく「自社の戦略」に従う人事制度を
他社の流行に合わせるのではなく、自社の戦略から必要な役割や人材像を描き、評価・育成・配置の仕組みに落とし込むことが戦略人事の出発点です。DEFiDEの「JOB Scope」は、人事コンサルティングと人事クラウドの2軸で、経営に直結する戦略人事の制度設計から組織への定着までを支援する人事制度改革プラットフォームです。
ジョブ型雇用とは、職務(ジョブ)の内容をあらかじめ明確にし、その職務を担える人を雇用する仕組みです。上林教授は、ジョブ型雇用も言葉が先行していると指摘します。日本企業はこれまで、何度か職務を軸にした仕組みの導入を試みてきましたが、うまくいきませんでした。
| 時期 | 取り組みと結果 |
|---|---|
| 1950〜60年代 | 職務給の導入を試みたが、定着しなかった |
| 成果主義の議論 | 成果を測る単位としてジョブが必要とされたが、うまくいかなかった |
| その後 | 日本の文脈に合わせた「人材育成型成果主義」へと修正され、改善が進んだ |
上林教授は授業で、学生にこう説明しているといいます。英米圏で「What’s your job?」と尋ねれば職務内容が返ってきますが、日本の親世代に「仕事は何ですか」と聞いても、明確な答えは返ってこないだろう、と。さまざまな業務を広く浅く担うジェネラリストが、日本の働き方の中心だったからです。
裏を返せば、これは「専門がない」ということでもあります。ジョブ型雇用によって専門性を身につけ、自分の専門を深めていくこと自体は、非常にポジティブに捉えてよいと上林教授は言います。
一方で、ジョブ型雇用を導入する際には、次の2つの点に注意が必要です。
| 注意点 | 起きやすいこと | 必要な姿勢 |
|---|---|---|
| ① 担当業務を狭く捉えすぎる | 専門外の仕事を頼まれると「それは私の仕事ではありません」と断ってしまう。複数の企業から、特に若い人に多いという声がある | 将来の成長の糧になる仕事にも、自ら関わろうとする |
| ② 管理職になったときのマネジメント力不足 | 自分が経験したジョブ以外を理解できず、全社的な問題を把握できない。コミュニケーションがうまくいかず、大きなコストが生じる | 深くなくてもよいので、専門外のことも幅広く知ろうと努力する |
上林教授は1つ目の注意点を、タレントのタモリさんの「やる気のある者は去れ」という逆説的な言葉になぞらえます。やる気のある人ほど自分のやりたいことしかやらず、他の作業や将来の成長につながる仕事を断ってしまう――ジョブ型雇用の注意点は、それとよく似ているというのです。
専門性を深めることは、蛸壺(たこつぼ)にこもることではありません。上林教授は「針の穴から天覗く」という言葉を挙げ、一つの点を深めることで、かえってその深さから幅広い世界が見えてくるのが理想だと語ります。専門性という縦軸に、幅広い視野という横軸を併せ持つT型人材の育成とも重なる考え方です。
社員の自律性や主体性を引き出す人事制度は、長年考えられてきました。しかし、その意図が若い社員に十分伝わっているかは微妙だと上林教授は言います。組織全体のことを考えず、自分勝手な行動を取ってしまう若手に悩む声を、特に中小企業の経営者からよく聞くといいます。
| 欧米の個人主義 | 誤解された個人主義(わがまま) | |
|---|---|---|
| 前提 | 周囲や全体のことを理解している | 自分のことだけを考える |
| 他者との関係 | 自分がされて嫌なことは他人にもしない。他者の尊重と自己主張が両立している | 周囲への影響を考えずに自己主張する |
| 組織への影響 | 自律と協調が両立する | 組織の団結力や協調性が損なわれる |
上林教授は、ムラ社会の中で暮らしてきた日本人にとって「個」の概念は難しく、社会全体にまだ十分浸透していないと見ています。だからこそ人事やマネージャーには、主体性や自律性を引き出す仕組みと、組織として一丸となって協力し合う団結力の両方を、バランスよく引き出す役割が求められているのです。
A. 上林教授は2つの注意点を挙げています。1つ目は、担当業務を狭く捉えすぎ、専門外の仕事を「私の仕事ではない」と断ってしまうこと。2つ目は、管理職になったときに自分が経験したジョブ以外を理解できず、全社的な問題を把握できないことです。専門性を深めながら、専門外のことも幅広く知ろうとする姿勢が必要です。
A. 日本企業は1950〜60年代に職務給の導入を試み、成果主義の議論の中でもジョブを基本単位とする仕組みが検討されましたが、いずれもうまくいきませんでした。日本ではさまざまな業務を広く浅く担うジェネラリスト型の働き方が中心で、ジョブという概念があまりなかったためだと上林教授は説明しています。
A. 経営史学者アルフレッド・チャンドラーの「組織は戦略に従う」をもじった言い回しで、人事だけは戦略ではなく流行に従ってしまうという皮肉です。上林教授は、周りがやっているから自分たちもやるという横並びの姿勢には明確な戦略がなく、自信のなさの表れだと指摘しています。
A. 上林教授は、むしろ追い風だと述べています。日本企業にはもともと人を大切にしてきた土壌があるため、恐れる必要はなく、自社が実践している人的資本経営を正直に、堂々と開示すればよいとしています。
A. 上林教授によると、欧米の個人主義は、周囲や全体のことを理解したうえで、自分がされて嫌なことは他人にもしないという考え方です。他者の尊重と自己主張が両立しており、単なるわがままとはまったく異なります。人事やマネージャーには、自律性と組織の協調性の両方を引き出すバランスが求められます。
後編では、ワーク・ライフ・バランスの誤解と「ワーク・ライフ・インテグレーション」、神戸大学の人的資本経営研究教育センターの取り組み、長期視点での人材育成と若手の定着、そして人事部が長期戦略の礎となるための考え方について解説します。
「個」と「組織」の状態を、データで捉える
社員の自律性と組織の団結力のバランスを取るには、まず社員一人ひとりが仕事や職場をどう感じているかを知ることが出発点です。DEFiDEの「生成AIワークバリュー・スコア分析」は、生成AIで従業員の属性や組織の特性に合わせた質問を作成し、組織の状態を迅速にきめ細かく可視化します。
▶ 後編:ワーク・ライフ・インテグレーションとは?長期視点の人材育成で若手の定着を(内部リンク)
▶ インタビュー全文:流行に従うだけの人事から脱却を。もっと自信を持つべき(前編)(JOB Scopeマガジン)