職場のウェルビーイングは、「仕事」と「関係」の2つの領域で、働くことが「快適」か「有意義」かという4つの次元から捉えることができます。立命館大学の髙橋潔教授は、生活全般を対象とするPERMAモデルとは別に、職場に特化してウェルビーイングを測る「WRCMモデル」を提唱しています。
前編では人事制度の変遷と職務評価、中編ではワーク・エンゲージメントとビジョンの伝え方を紹介しました。後編では、人材のアセスメントと職場のウェルビーイング、人事評価のこれからについて考えます。
本記事では、髙橋教授へのインタビューをもとに、タレント・マネジメントにおける採用と育成のトレードオフ、職場のウェルビーイングの捉え方とPERMAモデル・WRCMモデル、人事評価の「メッセンジャー機能」と3つの未来、そして人事が経営者の「右腕」になる意味について解説します。
この記事でわかること
・タレント・マネジメントで、採用と育成をトレードオフとして考える意味
・ウェルビーイングの定義と、PERMAモデルの5つの要素
・職場のウェルビーイングを4領域で測る「WRCMモデル」
・人事評価の「メッセンジャー機能」と、スーパー成果主義・戦略主義・貢献主義という3つの未来
・人事が経営者の「右腕」になるという考え方
立命館大学 総合心理学部 教授、立命館大学大学院 人間科学研究科 教授、神戸大学 名誉教授(取材時)。1960年大阪府生まれ。1984年慶應義塾大学文学部卒業。1996年ミネソタ大学経営大学院修了(Ph.D.)。南山大学経営学部および総合政策学部助教授、神戸大学大学院経営学研究科教授を経て、2017年より現職。専門は産業・組織心理学、組織行動論。人事評価やコンピテンシー診断など、企業と人のマネジメントに心理学の視点からアプローチし、近年はウェルビーイング経営の研究にも取り組む。経営行動科学学会元会長、日本労務学会元常任理事、人材育成学会常任理事、産業・組織心理学会理事などを歴任。著書に『ゼロから考えるリーダーシップ』(東洋経済新報社)など。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
タレント・マネジメントで髙橋教授が理解してほしいと考えるのは、外部から人材を獲得する「アクイジション(採用)」と、内部で育てる「リスキリング(育成)」のトレードオフです。どちらも同じ目的、つまり職務をこなせる人材を確保するためのものだからです。
| 仮に… | 起こること |
|---|---|
| 採用選考が完璧なら | 職務を十分にこなせる人材を調達できるので、育成は不要になる |
| 育成が完璧なら | どんな人でも教育で必要な能力を身につけられるので、丁寧な採用選考は不要になる |
| 実際は | 良い人を採り、良い教育をするハイブリッド。ただしトレードオフを意識すると、総額人件費の中でどちらにどれだけ力を割くかを考えられる |
出典:髙橋教授への取材をもとに編集部作成
今の日本では、リスキリングが極端に推進されていると髙橋教授は感じています。「人材育成に自信がある」と言ってきた日本企業にとっては自然な流れですが、トレードオフを意識すれば、アセスメントを通じた採用を丁寧にすることで、リスキリングのコストを有効に使えるという発想も生まれます。
人材アセスメントで評価する要素には、能力・職務遂行能力、行動・コンピテンシー、パーソナリティ、エンゲージメント・職務満足、メンタルヘルスなどがあります。今は評価要素ごとにアセスメントの方法がおおよそ固まっていますが、固定的な枠組みを見直し、自由な発想で組み合わせたり新しい方法を開発したりすることで、自社にフィットするアセスメントのあり方が見えてくると髙橋教授は言います。
世界保健機関(WHO)憲章では、ウェルビーイングを「病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも精神的にも社会的にも満たされた状態」と定義しています。ただ、医療の領域では健康寿命やQOL(生活の質)に関わる概念として捉えられることが多く、職場のウェルビーイングだけを取り出して熱心に取り組む例はまだ少ないと髙橋教授は言います。
現在最もポピュラーなのが、ポジティブ心理学の創始者マーティン・セリグマン教授が提唱したPERMAモデルです。
| 要素 | 意味 |
|---|---|
| P:Positive Emotion | ポジティブな感情 |
| E:Engagement | 物事への積極的な関わり、没頭 |
| R:Relationships | 良好な人間関係 |
| M:Meaning | 人生の意味や意義 |
| A:Accomplishment | 達成 |
出典:髙橋教授への取材資料をもとに編集部作成(元原稿の図をテキストで再構成)
PERMAモデルでウェルビーイングを考えるのが順当とされていますが、生活全般の良さや質を中心に考えられているため、職場のウェルビーイングには疑問符がつくと髙橋教授は指摘します。
そこで髙橋教授が推奨しているのが、職場のウェルビーイングを4領域24項目で測り、偏差値化する「WRCM(ワーコム)モデル」です。
ウェルビーイングは伝統的に、次の2つで考えればよいとされてきました。
| ヘドニック・ウェルビーイング(ヘドニア) | ユーダイモニック・ウェルビーイング(ユーダイモニア) | |
|---|---|---|
| 意味 | 喜びや幸福、快適さなどのポジティブな感情を経験し、不安やうつなどのネガティブな感情がない状態 | 人生の意義や目的のために善い行いを積むような、良き生き方。不快や苦痛があっても、それを行うことに価値があると感じている状態 |
| 職場に当てはめると | 快適に働いている | 働き方が有意義である |
この「快適」と「有意義」に、「仕事」と「関係」の2つの領域を掛け合わせたのがWRCMモデルです。「関係」には人間関係だけでなく、社会や国際関係、自然環境など自分より大きな存在との関係も含まれます。
| 快適 | 有意義 | |
|---|---|---|
| 仕事 | 仕事快適 | 仕事有意義 |
| 関係 | 関係快適 | 関係有意義 |
出典:髙橋教授への取材資料をもとに編集部作成(元原稿の図をテキストで再構成。4領域24項目で測定し偏差値化する)
給与や労働時間、有給休暇などの条件がよければ、従業員のウェルビーイングは高まります。そして、職場のウェルビーイングが高ければ、労働条件にかかわらず、生産性が高く欠勤が少なくなると髙橋教授は言います。
ウェルビーイングの状態を偏差値で把握できれば、次にどんな支援をすればよいかが見えてきます。さらに、ユニットごとのウェルビーイングと生産性の関係、事業全体の利益や株価とのつながりまで把握する手立てになるのではないかと、髙橋教授は研究と実査を続けています。
人事評価の目的は、これまで大きく2つでした。昇進・昇格・賞与・配置などの処遇を決める管理目的と、能力開発や人材育成のための育成目的です。しかし、1on1ミーティングが広まり、成果の確認や育成を評価で行う意味が薄れる中で、新たな視点が必要になっていると髙橋教授は言います。
| 人事評価の目的 | 内容 |
|---|---|
| ① 管理目的 | 昇進・昇格・賞与・配置などの処遇を決める |
| ② 育成目的 | 能力開発や人材育成に生かす |
| ③ メッセンジャー目的(新たな視点) | 会社が何を大切にしているか(価値観・経営理念・経営哲学)を、従業員に実感を持って伝える |
出典:髙橋教授への取材をもとに編集部作成
評価を見れば、会社の中で誰が優遇され、何が評価されるのかがわかります。年長者が優遇されていれば前例と経験を重んじる組織、成績で処遇が大きく変わるなら成果を重んじる組織だと、従業員は感じ取ります。人事評価の仕組みは、会社の価値を映し出す鏡なのです。
従業員は、評価に一喜一憂するのではなく、会社が大切にしている価値観を評価から読み取る。人事部は、メッセンジャーとしての意味を制度に組み込む。それが髙橋教授の主張です。
髙橋教授は、人事評価の未来として次の3つの方向を挙げています。
| スーパー成果主義 | 戦略主義 | 貢献主義 | |
|---|---|---|---|
| 考え方 | 一握りのスター社員が引っ張る成果に対応し、客観的な成果をもとに処遇する成果主義の発展形 | DX人材や変革型リーダーなど、競争戦略・成長戦略に合った人材を高く評価する | メンバーシップ型を維持しつつ、成果ではなく組織への貢献を評価する |
| 例 | スーパーな成果を出した人を厚く処遇する | 経営戦略に合致した人を高く処遇する | 部下の育成人数、イノベーションの提案数、相談窓口の立ち上げなど、主体的な貢献を目標にする |
| メリット | スター社員の不満を解消し、厚遇できる | 人的資本経営の考え方に対応する | 目標管理の仕組みを大きく変えずに導入でき、働きやすい職場にもつながる |
| 注意点 | 他の社員の格差への不満。処遇格差を受け入れる競争文化が必要 | 外部・異能人材と内部の処遇の齟齬。人事制度の複線化が必要 | 企業の成果や成長につながらない可能性 |
出典:髙橋教授への取材資料をもとに編集部作成(元原稿の図をテキストで再構成)
それぞれに一長一短があり、どれを選ぶかは各社の判断です。自社に一番しっくりくる仕組みをつくり、自社の人事哲学を従業員に伝えていくことが大切だと髙橋教授は語ります。
評価制度に会社の価値観を込めて伝えるには、評価項目や運用を一貫して設計できる仕組みが欠かせません。
会社の価値観を伝える評価制度をつくる
人事評価は、会社が何を大切にしているかを伝えるメッセージでもあります。自社の価値観や戦略に合った評価の仕組みを設計し、運用に定着させることが大切です。DEFiDEの「JOB Scope」は、人事コンサルティングと人事クラウドの2軸で、経営に直結する戦略人事の制度設計から組織への定着までを支援する人事制度改革プラットフォームです。
中小・中堅企業の経営者と人事責任者に向けて、髙橋教授は「右腕理論」を実践してほしいと語ります。人事担当者は経営者の右腕になり、経営者は自分の右腕を見つける、という考え方です。日本政策金融公庫総合研究所(旧国民生活金融公庫総合研究所)の『新規開業白書』では、右腕を「経営者を補佐するパートナー、重大な判断を下す際に相談するような人、もしくは欠けると経営が成り立たなくなるような人」と定義しています。
本田技研工業の本田宗一郎氏と藤沢武夫氏、ソニーの井深大氏と盛田昭夫氏のように、ビジョンを描く人と、お金や人事をコントロールする人のペアリングが企業を支えてきました。今では優良企業の多くが、CEOのもとにCFOやCHROがチームとなって経営を担っています(CHROの役割は、小杉俊哉氏の解説記事でも紹介しています)。
ベンチャー企業を対象に右腕の役割を尋ねた調査では、技術面・営業面・経営管理面といった実務の補佐に加えて、精神面での補佐がトップだったといいます。経営者は資金繰りや事業の行方など、さまざまな不安と重圧を一人で抱えています。そんなときに真剣に話を聴き、相談に乗れる人が傍にいなければ、しっかりした経営は成り立ちません。
「経営者も人の子で、理性でドライに割り切れない悩みを抱えるものです。」
――髙橋教授
補佐役は実務の専門性で選ばれがちですが、実務がわかり、心理も理解できる人材を選ぶのがよいと髙橋教授は言います。人事部は、経営者が孤独であることを理解し、ストレスや無力感に押しつぶされそうな経営者を親身に支えられる人材をどう供給するか、自分たちがどうトップを支えるかを意識する必要があります。右腕をキーワードに、企業戦略に資する人事の機能を捉えていく――それが髙橋教授からのメッセージです。
A. 髙橋教授は、職場のウェルビーイングを、仕事と関係(人間関係や社会との関係)の2つの領域で、働くことが快適か、有意義かという4つの次元から捉えています。職場のウェルビーイングが高いと、労働条件にかかわらず生産性が高く、欠勤が少なくなるとしています。
A. ポジティブ心理学の創始者マーティン・セリグマン教授が提唱したウェルビーイングのモデルで、ポジティブな感情(P)、エンゲージメント(E)、良好な人間関係(R)、意味・意義(M)、達成(A)の5つの要素からなります。髙橋教授は、生活全般を対象としているため、職場のウェルビーイングには疑問符がつくと指摘しています。
A. 髙橋教授が推奨する、職場のウェルビーイングを測るモデルです。快適さ(ヘドニック)と有意義さ(ユーダイモニック)に、仕事と関係の2つの領域を掛け合わせ、仕事快適・仕事有意義・関係快適・関係有意義の4領域24項目で測定し、偏差値化します。
A. 人事評価が、会社の価値観や経営理念、経営哲学を従業員に実感を持って伝える役割のことです。髙橋教授は、評価の仕組みは会社の価値を映す鏡であり、従来の管理目的と育成目的に加えて、メッセンジャー目的を制度に組み込むべきだとしています。
A. 髙橋教授は、スター社員を厚く処遇する「スーパー成果主義」、経営戦略に合った人材を高く評価する「戦略主義」、メンバーシップ型を維持しつつ組織への貢献を評価する「貢献主義」の3つの方向を挙げています。それぞれ一長一短があり、自社に合う仕組みを選び、人事哲学を従業員に伝えることが大切だとしています。
人事制度、エンゲージメント、ウェルビーイング、そして経営者を支える人事。心理学の視点から組織を見つめ直すことが、人的資本経営の時代に組織の競争力を高める道です。
人事制度の改革を、実際の画面で確かめる
評価制度や人材データを一元的に管理し、社員一人ひとりの状態を把握できる仕組みは、人事が経営者の右腕として機能する土台になります。DEFiDEの「JOB Scope」では、実際の画面を見ながら説明を受けられる個別オンラインデモを行っています。
▶ 前編:職務評価とは?メンバーシップ型・パフォーマンス型・ジョブ型へと変わる人事制度と、日本的ジョブ型の評価の形(内部リンク)
▶ 中編:ワーク・エンゲージメントとは?日本のエンゲージメントが低い理由と、ビジョンを「映像化」して伝えるリーダーシップ(内部リンク)
▶ インタビュー全文:人的資本経営の時代。組織の競争力を高めるためのアプローチを考察する(後編)(JOB Scopeマガジン)