第3回
2023/06/01
目次
01 ―――
前回は、「10億円の壁」の人事のポイントをテーマとした。今回は、そのポイントの中でも大きなウェートを占める新卒採用をテーマに考えたい。この場合の新卒とは、主に大卒や大学院修士、専門学校、高専とする。
新卒採用者は、中途採用者よりは会社の社風や経営風土、経営方針や事業、職場の人間関係に同化し、なじみやすいと言われる。結果として、中途採用者よりは定着率は概して高い。それが、チームビルディングや各部署をつくりやすくするための要件となる。そして、10億円の壁にぶつかるベンチャー企業が苦しむ組織戦を可能にする。
ただし、1980年代前後から新卒で入社し、3年間で退職する人が相当数いることが問題視される。これは、従業員数(正社員と非正社員数の合計)が少ない企業になると顕著になる。
例えば、下記は厚生労働省の調査「新規学卒者の事業所規模別・産業別離職状況」の結果だ。平成15年から平成30年まで、大卒の新卒者の離職率を勤務する会社の規模別に示したものである。小さな会社は1000人以上(通常は大企業として扱う)の事業所の離職率が他と比べ、全般的に高いことがわかる。
02 ―――
最近は、新卒の採用活動をする企業の動きは「早期化」の傾向が目立つ。2024年4月に入社をする学生(卒業見込み予定者)を採用する採用は、23年3月の時点で全体の2~3割が内定となっている。これは、例年よりもやや早い。
特に内定を出すのが早いのが、ベンチャー企業、中小企業、外資系企業だ。この場合のベンチャー企業には、創業から日が浅いスタートアップ企業や10億円の壁にぶつかる企業も含まれる。
これらの企業は、3年の夏(22年7~8月)に学生にアプローチをするケースが多い。オーソドックスなスタイルが、次のようなものだ。
インターンシップや特別インターンシップは、広い業界や職種で実施されている。特にIT業界のプログラマーをはじめとした技術者を希望する学生を集めるものが多い。文系よりは、理系の学生を対象とした場合が中心となる。
なお、採用が最も早いのは3年の春(4~5月)となる。外資系企業で、特に金融機関やコンサルティング会社(戦略系)が多い。
1~2年にインターンシップを行っている企業もあるが、採用に直結のケースは少ない。この時期に内定を出したとしても、実際に入社するまでに2年以上がある。経営状態の悪化や経営方針の変更により内定取り消しをせざるを得ない時があるかもしれない。法律上、内定取り消しは深刻な問題になることがありうる。したがって、内定を出す企業は少ない。
大企業は例年、4年の3月以降から6月前後までに採用試験を行うケースが依然多い。4~5月に内定を出すケースが大半を占める。大企業の一部も、特にメーカーのエンジニアや研究職を志す理系の学生を獲得する場合は3年の夏からリクルーターがアプローチをしているとは言われる。ただし、その数はメガベンチャー企業やベンチャー企業、外資系企業に比べると少ない。
03 ―――
なぜ、大企業は採用時期を前倒して、3年の夏頃から本格的にスタートをさせないのかー。
結論から言えば、ベンチャー企業、中小企業、外資系企業が競合相手としては怖くないからだ。4年の春から採用活動をはじめても、獲得したい学生はエントリーしてくると思っているからだろう。
実際、優秀な学生は3年の夏から秋にベンチャー企業、外資系企業から内定をつかんだ後に、4年の春から一流の大企業やメガベンチャー企業にエントリーする傾向がある。ベンチャー企業、中小企業、外資系企業を模擬試験と見なし、一流の大企業を本試験と位置づけている学生もいる。内定を得たベンチャー企業、中小企業、外資系企業にいずれ内定辞退をする可能性がある。
この大手志向は高度経済成長期の1950~60年代から顕著だったが、2023年の現在も大きくは変わらない。
04 ―――
ここ10数年、エントリー者数は次のようになっている。関係者へのヒアリングで推定されうるものだ。
=プレエントリー 5~15万人、本ホントリー 5000~1万5000人
=プレエントリー 3~15万人、本ホントリー 3000~1万5000人
いかに大企業が強いか、わかるだろう。大企業が警戒するのはエントリー者数の多い一部のメガベンチャー企業(売上や正社員数で、大企業レベル。計20社程)でしかない。大多数のベンチャー企業や中小企業は、視界におそらく入っていないと考えられる。
ベンチャー企業や中小企業、外資系企業のほとんどはプレエントリーは最大でも2000人、本ホントリーは500人以下。平均はプレエントリーが300人、本ホントリーは100人以下と思われる。
プレエントリーが300人、本ホントリーが100人以下の場合、その少ない中から書類選考や適性検査、面接をして採否を決めざるを得ない。本エントリーが100人で、内定者を5人とすると倍率は20倍。
この倍率では労働力商品として内定者を捉えた場合、課題や問題点が少なくないはずだ。入社後、定着させ、育成していくためには50倍を超えた中で人材を選びたい。
大企業やメガベンチャー企業との間に、エントリー者数でここまで大きな差があると、通常はベンチャー企業や中小企業、外資系企業は次のいずれかの判断をせざるを得ない。
前倒しをして、3年の夏頃からはじめる
ベンチャー企業や中小企業、外資系企業の大半は前者を選択する。だからこそ、「早期化」なのだろう。早期化の本当の狙いは、大企業やメガベンチャー企業と時期をずらしたいからだ。そうしないと、前述のような「倍率50倍」を維持することは困難だろう。
10億円の壁にぶつかる企業の多くが、この倍率以下で採否を決めている可能性が高い。これでは、定着や育成は難しいのかもしれない。
05 ―――
ここで、母集団形成について考えたい。この場合の母集団とは、学生の数を意味する。
なぜ、母集団にこだわるのかー。ひとりでも多くの学生の中から、様々なふるいをかけて自社に合う人材を採用したいからだ。その場合の「自社に合う」とは、主に次のようなポイントになる。
基礎学力や学歴
現在までに力を入れてきたもの
特異なもの、不得意なもの
性格、気質
今後の方向性
これらすべてにおいて、現在在籍中の社員の平均的なレベルと完全に合う必要はなくとも、5~7割程においてつり合いやバランスがとれる人材でないと、定着は難しいのかもしれない。
22~23歳で入社した場合、せめて30歳までは在籍してもらいたい。この年齢になれば、大半の職種や職務においてある程度は戦力化しているはずだ。これで、はじめて「定着」と言えよう。
たとえば、本エントリーが100人と1000人の2社の企業があるとする。いずれも5人の学生に内定を出した。30歳の時点で2社はどうなっているか。
100人から5人を選んだ場合、倍率は20倍であり、自社には何らかのところで合わない人材であった可能性が高い。退職者は、3~4人にはなっているのではないだろうか。
一方で、1000人から5人を採用すると倍率は200倍。これは、人気のある大企業やメガベンチャー企業のレベル(実際は、倍率はさらに高い可能性あり)となる。このくらいになると、自社に合った人材と巡り合う可能性が高くなる。結果として同期の半数以上は30歳までくらいは在籍し、40歳前後まで同期の3~5割は残る。
つまりは、母集団形成は「倍率論」とも言える。やみくもに倍率を上げればいいわけではない。だが、ある一定水準を超えないと、意中の人材とマッチングはできないのも事実だ。その1つのバロメーターが、「50倍」と言えよう。
06 ―――
なぜ、大企業やメガベンチャー企業は定着させようとするのかー。それは、主に次のような理由からだ。
コスト削減
チームビルディング
仕組みづくり
定着率が上がると、採用コスト(求人広告費、書類選考や面接などに関わる社員の人件費、エントリー者とのコンタクトや通信費など)のほかに、社員間や部署間のコミュニケーションコストを大幅に減らすことができる。著名な人事コンサルタントは「定着率を高めることは、最大のコスト削減策」とも語る。
残る人が増えると社員間の意思疎通が深くなり、社内の雰囲気や風通しはしだいによくなる。このことは、チームビルディングや仕組みづくりをするうえでの土台となりうる。10億円の壁にぶつかる企業は、得てしてこの土台づくりができていない。にもかかわらず、チームを強引につくろうとするから、ひずみやきしきが生じる。
社員の人材育成は、チームや各部署でするものだ。個々の社員がひとりでがんばったところで、成長や成果には限界がある。チームや部署で、例えば上司や先輩が懇切丁寧に、責任をもって教えていくべきだ。人間関係がぎくしゃくしていて、育成はまずできない。
育成ができればチームや部署の、最終的には企業の業績は向上する。それが、社会への貢献となる。定着が進めば、失業者を減らすことにもなるだろう。社会が安定していくことにもなり、企業の社会的責任とも言える。これがブランド化になり、さらにエントリー者数を増やすきっかけとなる。
07 ―――
人材育成について、さらに深く考えたい。10億円の壁にぶつかる企業は、社員が独自の判断でバラバラに動く傾向がある。チームビルディングや組織づくりが、まだ発展途上であるからだ。
こういう状況下では、人材育成はなかなか進まない。社長以下、役員、管理職は自社の社員たちがそれなりに仕事をしている、と思うのかもしれない。確かにその通りなのだろう。
だが、それぞれの社員を1日や1週間、1か月間、半年や1年といった区切りで捉え、その期間のアウトプット(成果物や実績、記録)で比べると、大企業やメガベンチャー企業が大きく上回るだろう。3年、5、10年の期間で見ると、その差はさらに開くはずだ。
これは、一定水準以上の質の高い人材が定着率の高い職場で適度の緊張感を持ち、刺激し合い、仕事をしているからだ。定着率を高めると、そこは「密度の濃い競争の空間」となる。互いに競争し、刺激し合う。助け合い、支え合う。ライバル意識が強くなり、意見や考えが異なり、不満やストレスを感じる時があるのかもしれないが、それも常識的な範囲ならば人の成長には不可欠だ。
10億円の壁にぶつかる企業もまた、密度の濃い競争の空間をつくるように心がけたい。そのためには、定着率を上げることが必要だ。新卒採用においては学歴や学力だけではなく、性格や気質、人生やキャリア形成の考え方が自社に合う人材を選ぶことに重きを置くべきだ。性格を診断する適性検査を作成する企業があるが、そこから適性検査を購入し、試みるのもいい。「精度が相当に高い」と企業の採用担当者などからは頻繁に聞く。
08 ―――
今後、大企業やメガベンチャー企業とベンチャー企業と中小企業の採用力の差はますます開くと思われる。大きな理由は、次の2つだ。
働き方改革
賃上げ
働き方改革で特に残業の削減やテレワーク(在宅勤務など)を推し進める場合、財務状況がベンチャー企業や中小企業よりははるかによく、資金が豊富な大企業やメガベンチャー企業が有利だ。
賃上げは、確かに経済を活性化する起爆剤にはなりうるのかもしれない。だが、メガバンクをはじめとした大企業が次々と賃上げをしているようには大半のベンチャー企業や中小企業はできない。そのような財務状況にはなっていないためだ。
政府は、賃上げをこれからも継続させたいとしている。大企業やメガベンチャー企業がさらなる賃上げをすると、ベンチャー企業や中小企業の賃金との差はさらに開く。初任給の差は、一段とつくだろう。
少子化により、学生の数は減り続ける。少ない学生を獲得しようと、多くの企業が群がる。もともと、大企業やメガベンチャー企業は新卒採用において有利な立場である。働き方改革や賃上げでパワーアップした大企業やメガベンチャー企業の優位性が、これからはさらに強くなるだろう。
そこで劣勢なベンチャー企業が試みたいのが、ジョブ型雇用を前面に出した新卒採用だ。ベンチャー企業は、もともと中途採用に重きを置いた採用をするケースが多い。ほとんどの中途採用の場合、職務や職種で採用するために ジョブ型雇用の新卒採用は工夫をすれば、実は大企業よりも浸透しやすい。特に10億円の壁にぶつかる企業のように、あるところまでは組織化ができてはいるが、そこから先は苦闘している時にジョブ型雇用は突破口になりうる。
次回は、ジョブ型雇用による新卒採用や中途採用をテーマにしたい。
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