シリーズ あの人この人の「働き方」
今回から4回連続で、パーソルイノベーション株式会社の代表取締役社長の大浦征也(おおうらせいや)氏に取材を試みた内容を紹介する。今回は3回目。
パーソルイノベーション(東京都港区、社員250人)は1973年に創業した大手総合人材企業パーソルホールディングス(資本金:174億円、売上収益:約1.4兆円、 国内人材業界 第2位 )のグループ企業。グループは150社以上で構成されている。人材紹介サービス、求人メディアの運営、転職・就職支援、採用・経営支援、副業・兼業・フリーランス支援サービスなどの提供をする。
大浦氏は2002年、株式会社インテリジェンス(現 パーソルキャリア 東京都港区、社員数7000人)に入社。人材紹介事業、採用支援の営業職としてスタートさせる。その後、キャリアアドバイザーとして転職希望者のキャリアカウンセリングやサポートに携わる。支援した転職希望者は管理職時代も含めて1万人を超える。2013年にキャリアアドバイザーの総責任者となる。法人営業部隊も含めた地域拠点の総責任者を経て、2017年4月から転職サービス「doda(デューダ)」編集長を務める。2019年に執行役員。2023年にパーソルイノベーション代表取締役社長就任。
パーソルイノベーション株式会社はパーソルグループの次世代の柱となる事業創造を目的として、2019年4月に事業を開始。フロントラインワーカー向けキャリア支援の『ピタテン』や採用管理システムや人材紹介会社向け求人プラットフォーム「HITO-link」、DX人材育成の『TECHPLAY』などを運営する。新たな事業開発や、デジタルトランスフォーメーションを推進、パーソルグループのイノベーションを加速している。
パーソルキャリア株式会社は、-人々に「はたらく」を自分のものにする力を-をミッションとし、転職サービス「doda」やハイクラス転職サービス「doda X」を通じて人材紹介、求人広告、新卒採用支援などを提供している。2022年5月にはプロフェッショナル人材の総合活用支援ブランド「HiPro」を立ち上げ、副業・フリーランス領域にも本格参入。グループの総力をあげて、これまで以上に個人の「はたらく」にフォーカスした社会価値の創出に努め、社会課題に正面から向き合い、すべての「はたらく」が笑顔につながる社会の実現を目指す。
目次
01 ―――
大浦征也 代表取締役社長
「混乱が生じたことで一部の役員たちからの厳しい目もありました。キャリアアドバイザーの統括組織の責任者である私が進めた以上、私の責任ですが、個人的には葛藤したこともありました。
この時にビジネスの世界や会社組織について考えることも多く、気づいたものもあります。これより前から、役員会にて事業部の実情や事業戦略を説明するために参加する機会が増えていました。部署の売上、収益をいかに向上させるかという視点で話を進める方が理解を得やすいと感じ取っていたのです。土日を営業日にするのも、経営の合理性に重きを置こうとしたためです。この頃は、頭の中がサラリーマン脳にきっとなっていたのでしょうね。
当時はいろいろと考えましたが、リーダーは強くなければいけないということをつくづく実感しました。一つは、精神的に強くないといけない。これは強引に無理に自分の考えを押し通すという意味ではありません。自分の弱さを認めるのも強さ。リーダーは自分を常に冷静に保ち、メンタルを維持していくことが必要です。
もう一方で、結果を出す力や業績を残していく力を持っていなければいけない。プレゼンテーションや交渉、見せ方が得意な人はいますが、当たり前のことですが、最終的にはやはり実績、結果を残さないと社内でも社外でも認められないでしょう。リーダーはその部署、そしてチームメンバーの実績を上げていく力、才能、技術を持っていなければいけない。これらの力がないと、組織の人も事業も守れないのです」
02 ―――
「dodaエージェント事業部で責任者を務めていました。2019年にアルバイトなどの求人を扱うメディア「an」のサービスを終えました。主力であったdodaと組織を統合し、さらに体制を整えようとしたのです。このような時、新卒時代から長年在籍したdodaエージェント事業部に戻り、執行役員になりました。
40代がスタートした頃だったのですが、これまでの経緯もあり、あの頃を思い起こしてもやはり、青天の霹靂(へきれき)でした。私に任せた経営陣の判断の理由や基準は今も正確に把握することはできません。当時、古巣のdodaエージェント事業部は成長度が少し鈍化していましたので、あらためてサービスの原点に立ち返り、成長軌道に乗せる必要がありました。そこで現場経験が長い私に、事業の立て直しを期待してくれたのかもしれません。あくまで私の想像でしかありませんが。
40歳から43歳の3年間、dodaエージェントの責任者を務めました。お客様やメンバーたちにも大変に恵まれ、社内外の環境もとてもいい状況が続き、おかげさまで業績もずいぶん伸びました。事業部員は3000人を超え、大きな主力事業となりました。私個人というよりも、特に部長たちを中心とした管理職が本当によくがんばってくれたおかげです。もちろん、メンバーたちも必死に顧客に向き合ってくれました。今でも感謝しています」
03 ―――
「人事という観点で見ると、結果として各部長やマネジャー、社員たちの配置はとてもよかったのかもしれません。部長たちは、ミドルマネジメントのモデルとも言える面々でした。3000人という規模になると、部長の力量で各部署がある程度完結しているべきです。それは、私が意図したものでありました。
それぞれの部長が当事者意識を持ち、「自分がしっかりしなければ」という思いでメン バーたちを統率し、チームビルディングをして取り組む。そのようになれば、おおむね上手くいくと思っていました。それができるような環境を作るのが、私の1つの仕事でした。
たとえば意思疎通で言えば、規模が大きくなると私がそれぞれの社員に日常的かつ直接 的にメッセージを伝えるのは難しい。それでは、組織として迅速に動けない。ですから、部長、マネジャー、リーダーというルートを通じて私の考えや思い、戦略戦術を伝えていました。逆に各部署からそれぞれの動きや問題、課題、意見、提案もこのルートを通して受け取るようにします。この双方向の繰り返しで、チームを作ろうと意識していました」
04 ―――
「1人の部長の下にメンバーが200人という大きな部署がありましたが、各部は平均100人程となります。それぞれの部長は、本当にそれぞれのやり方で結果を出してくれました。 100人から200人の規模を率いる時に、それぞれの部長がその時々のステージに基づく課題や問題点を見つけ出し、それを解決するためにメンバーらと向き合い、話し合う。個々のメンバーの力を引き出すようなマネジメントをしたり、リーダーシップを発揮したり、事業戦略や人事戦略などを状況に応じて作っていく。
こうしたことが各部できちんとできれば、事業部全体として上手くいくのではないかと考えていました。 だからこそ、そのあたりの考えを部長たちには特に繰り返し伝えていたのです。
権限も状況に応じ、部長たちにどんどんと譲渡していました。権限がないことにはどうすることもできませんから、大幅な権限委譲をしていたつもりです。それぞれの部長の考えやマネジメントの独自性も積極的に認めるようにしました。権限委譲や積極的に認める姿勢がなければ、のびのびと仕事をするのは難しい気がします。
次のようなことを徹底的に繰り返し行いました。部長たちへの説明を繰り返す。事業部全体や各部署の問題意識の共通認識を作る。実態や実情に応じた大幅な権限委譲、それぞれの部長やマネジャー、メンバーの個性や考えやそれぞれの部署の独自のマネジメントを積極的に認める。機会あるごとに、部長らを中心に各部やメンバーを称える。
部長をはじめ、事業部のメンバーたちからすると、これらの双方向や透明性を意識した試みについて思うところがあったのかもしれません。私としては、力を入れていたつもりです。部長たちは、40~50人いました。それぞれは、私が責任者になる前から優秀な人たちです。3年間、一緒に仕事をしていく中でさらに力をつけて、生き生きとしているように見えました。その姿勢や働きぶりには本当に感謝し、うれしく思っていました」
05 ―――
「20代の頃は、とことん働いて相当な量をこなしました。30代でそれを深めていったのですが、失敗体験もあります。40代になり、自分なりにキャリアを再構築していこうと強く思うようになりました。そのためには、dodaを離れようと考えたのです。得るものは、大変多くありました。部下たちにもお客様にもとても恵まれ、得るものはあまりにも多かったです。
ただ、役職も上がり、また同じ場所に居続けることで少なからず成長が鈍化するような感覚がありました。自分らしいスタイルで価値発揮することや、20代の頃のようにがむしゃらに事業創りに向き合うこともしたくもなりました。そこで考えたのです。どのような領域や分野でキャリアを再構築していくのがいいのか、と。
40代になってからは、「掛け合わせる」ことを意識するようになりました。たとえば、社内・社外の会社とジョイントをして、掛け合わせてビジネスを始めるようなことです。これまでの経験で社内外にもたくさんつながりやネットワークがありました。こういうものを生かし、新規事業を始めたいと考えたのです」
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