以前から有能な実務家であれば自然に実践していることがしばしば指摘されてきたものの、従来の経営学では体系化されていなかった考えがある。それがパラドックスのマネジメントだ。さまざまな変化が劇的なスピード感で起こりうる今日では、対立や矛盾が共存した社会となっている。それは企業にも当てはまる。対立や矛盾はしばしばパラドックスの様相を呈しており、これをどう乗りこなしていくかが経営者に問われている。

近年発展が著しいパラドックス研究の日本における第一人者と称されるのが、京都大学経営管理大学院 教授 関口 倫紀氏だ。関口氏に、変化の激しい時代でのパラドックスのマネジメントやそれをベースとするリーダーシップの価値を尋ねた。後編では、パラドックス・マネジメントを習得する意義や中小企業経営者へのアドバイスなどを聞いた。

01エスノグラフィーを
活用して体感することが、
パラドックスを
理解する近道

関口先生は、京都大学で「パラドキシカル・リーダーシップ産学共同講座」の代表教員を務めておられます。こちらでは、どのような学びを提供されているのですか。

この産学共同講座は2022年11月に設置され、2024年1月から第2期となる養成講座を3時間×5回、オンラインで提供しています。まずは、パラドックスの基本的な考え方を説明して頭で理解してもらいます。ただ、複雑な概念でもあるパラドックスやそのマネジメントの仕方を頭で理解しようとすると難しいので、実践を通じて体感していきましょうということで、民俗学や文化人類学などで使われる「エスノグラフィー」という研究手法を用います。受講生は会社での管理職や経営幹部としてマネジメントを実践している方がほとんどです。その人たちがマネジメントの実務で今悩んでいる問題、何かモヤモヤしている問題がパラドックスなのではないかと捉えて、リサーチしてもらうわけです。

具体的には、観察やインタビュー、記録文書の収集などの手法を駆使しつつ、エスノグラフィーの基本を勉強しながら、自社の状況を丹念に調査していきます。それらを各自が持ち寄って、講座受講時に受講者同士からなる小グループで話し合い、わからないところをお互いに確認したり、アドバイスをもらったり、私たち講師陣とも質疑応答のやり取りをしたりして、「パラドックスとは何か」「パラドックスをどうナビゲートしていけばよいか」「パラドキシカル・リーダーシップを発揮するにはどうすればよいか」などについて、実践による肌感覚を通じて身に付けてもらいます。それが、パラドキシカル・リーダシップ養成講座の全体像です。

産学共同講座の特徴は他にもありますか。

連携先のアルー株式会社と一緒に学術研究もしています。養成講座を中心に実務家に対して学術研究を活用したトレーニングの機会を提供しつつ、同時にそこから得られる洞察やデータを利用した学術研究も実施することで、産業界と学術界の両方に貢献しようというのが産学共同講座の趣旨です。経営学におけるパラドックス研究はまだまだ発展途上なので、会社で働く実務家の皆さんの協力も得ながら、研究を前進させようとしています。そういう意味では私たち自身も択一思考ではなく両立思考を実践しています。

現在、世界におけるパラドックス研究に足りないのは、日本の事例です。海外の事例は、既に「両立思考」に載っている企業事例も含め、研究が進んでいます。日本では、私たちが先駆者となって、提供している養成講座での受講生からのフィードバックなどのデータを利用したり、企業からの協力を得たアンケート調査を実施したりして研究成果を世界に発信しようとしています。今後は、日本企業のパラドックス・マネジメントの事例をたくさん集め、これまでよく知られていなかったパラドックスのマネジメントの方法などについての新たな発見が得られとよいと思っています。

02リソースが少ない
中小企業にとって、
パラドックスは
重要な概念

中小企業の経営者がパラドキシカル・リーダーシップやパラドックス・マネジメントを学ぶメリットを教えていただけますか。

小規模な企業であればあるほど、パラドックスは間違いなく重要な概念になってきます。こうした企業はリソースが少ない中で色々なことをやらないといけないからです。その結果、どうしてもトレードオフのような状況が増えてきます。例えば、限られたお金をどこに投資するのかという話もそうです。既存の事業なのか、将来の投資なのかという選択もあるでしょう。人の問題でいくと、例えば大企業であれば新卒を一括採用して手塩にかけて教育していけば良いと言えるかもしれませんが、中小企業だと「ゆっくりと大事に育てたい」という気持ちがあったとしても、それだけだと時間を稼げないし、大企業ほど定着率が良くないので、積極的に中途採用で即戦力を採っていくという方法も必要です。これは、どちらを選ぶかという話ではなく、両方必要になってきます。

また、昨今は自律型人材を育成しなければいけないと叫ばれていますが、中小企業にとっては、これもパラドキシカルです。頑張って投資して自律型人材を一生懸命育てても、その人に実力が付くことによって、他社から引き抜かれたり、自分でもっと給与の高い会社に転職したりするかもしれません。これも難しいところです。自律人材の育成と育った人材のリテンションを両立させなければなりません。

そういう形で色々なパラドックスがあって、それをやり繰りしていかないといけない状況は中小企業の方が多い気がします。そういう意味でも、パラドキシカル・リーダーシップの考えを身に付けるべきだと思います。

03対話を通じて
小さな進歩を
生み出していくことが、
組織作りのポイント

関口先生は、仕事上の向上心を通じた心理的に健全な組織の構築に関する研究も手掛けておられます。組織作りに関するアドバイスをいただけますか。

色々な会社の方とお話をして感じるのが、社内で組織変革を進めていても、社員へのフィードバックが少ないと言うことです。例えば、エンゲージメントサーベイを実施したとしても、やりっ放しみたいなことが多かったりします。一番大切なのは、将来を見通した時に、自分の会社や組織が少しだけでも前に進んでいる、良くなっている感覚をメンバーが持てるようにすることです。それが、エンゲージメントやモティベーションといった元気の源になってくるからです。小さくても良いので、進歩していく、前進していく。そうした考え方や意識、状況を作り出す。これがすごく大事だと思っています。

実は、これは私のオリジナルのアイデアではないです。米国の研究者であるテレサ・アマビールが、著書『マネジャーの最も大切な仕事――95%の人が見過ごす「小さな進捗」の力』(英治出版)で指摘しています。私もすごく大事だと思っています。

働く側からすると、会社がアンケートを取るだけでは、あまり変わっていないと感じてしまうかもしれないので、対話を通じて前に進んでいくべきです。また、エンゲージメントサーベイを行う会社も多いのですが、「今のスコアが3.4だから4にしましょう」といった議論が目立ちます。それは意味がないと思います。数字は数字で良いものの、大事なのは、それを題材にして肌感覚でどうなのかを対話を通じて共有することです。「うちの部署は残念ながらスコアが3でした」みたいな話になった時に、それで落胆して「4を目指そう」という変な方向に行ってしまい、「皆サーベイの時は心して対応するように」となると何のためにやっているのかがわからなくなってしまいます。

そういう数字が出た時には、「これってあなた方の肌感覚と比べてどうなのか」「数字が間違っているのではないか」「さらに改善すべき点はどこか」…、そういう対話を作り出すことが一番大切だと思います。その中で先程指摘したような、「少しずつ前に進んでいくためにはどうすれば良いのか」と皆で話し合って、導いた施策を実施していく。そんな形でサーベイや測定ツールを使っていくことが大切になってきます。

04トップダウン、
ボトムアップ、
制度・文化の三方向から
女性リーダー育成
を支援する

昨今は、ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン、いわゆるDE&Iに対する注目度も高まってきています。DE&Iに関する国際共著論文も執筆されていたり、女性エグゼクティブリーダーの育成にも尽力されている関口先生は、企業としての取り組みの現状をどう見ておられますか。

京都大学では2023年の秋から「女性エグゼクティブ・リーダー育成プログラム」を開設し、現在は会員企業から派遣された第1期生が受講しています。私はコーディネーター教員の1人としてこのプログラムの立ち上げと運営に携わっています。京都大学がこのプログラムを行っている理由は、女性のリーダーを増やしていくことは1つの企業の問題に留まらず、社会全体の課題であると強く意識しているからです。それだけに、大学が中心になり、志を同じくする会員企業と力を合わせて取り組んでいくことが大切だと思っています。女性リーダーの育成にもパラドックスが潜んでいます。例えば、社会的に重要だからと形だけ女性リーダーの数を増やして企業業績は向上しないという話になると、健全な経営とは言えません。大事なのは、ダイバーシティを高めて女性活躍推進も進めながら、企業業績も高めていくことを両立させることです。

ダイバーシティを高めれば、自動的に業績が向上するという話ではないのです。むしろ、ダイバーシティを高めれば高めるほど経営は難しくなります。問題は、その難しさをいかにプラスに変えていくかです。ダイバーシティは両刃の剣です。色々な考え方の人が集まれば、クリエイティビティも増すし、イノベーションも起こりやすくなるし、意思決定の質も高くなるというポジティブな側面がある一方で、サブグループができたり、差別や格差が生まれたり、互いが敵視しあったりして統一感がなくなってきます。ただダイバーシティを高めるだけだとこの2つが相殺されてしまい、大抵は悪い方向に向かいます。ダイバーシティがもたらす良い面を最大化させつつ、悪い面を最小限に抑えるためのマネジメントが重要になってくるのです。その方法として、インクルージョン施策やインクルーシブ・リーダーシップが経営学で議論されています。

女性リーダーに限って言うと、日本で女性リーダーの数が少ない原因は、女性が働きやすい環境になっていないことです。社会もそうですし、企業もです。その間接的な原因となっている女性に対するバイアスとかステレオタイプは、わかりやすいものであれば直しやすいのですが、無意識的に持ってしまっているものだと修正するのが難しい。例えば、リーダーシップについて思い浮かべた時にどうしても男性的で強いリーダーをイメージしがちです。そのようなイメージに支配されていると、女性がリーダーに選ばれにくくなります。しかも、それが起こると今度は女性がリーダーとして育つために必要な経験や機会を与えられないので、いつまで経ってもリーダーシップが身に付きません。さらには、そのような状況を見ている女性も自信がなくなり、リーダーになりたくないという消極的な態度を取りがちです。それを見ている男性側が今度は、「やはり女性はリーダーになりたくないのだ」とか「女性はリーダーには向いていないのだ」と考えてしまいます。まさに、堂々巡り、悪循環が起こってしまっています。

その課題を解決するために、何から着手していけば良いのでしょうか。

3点ほど挙げられます。1つ目はトップの女性の数を増やすことです。取締役や執行役員クラスの女性の数を増やすこと。トップダウンでそこから始めて女性に対するサポートをどんどん下におろしていくことです。2つ目は、ボトムアップで一般社員の女性の数を増やし、リーダーとしてのポテンシャルのある人のパイプラインを作って育てていくことです。

3つ目は、女性が働きやすい環境を作るために、女性を支援する制度を拡充し、企業風土も変えることです。例えば、女性が社内外でネットワークを作りやすい環境を整えたり、メンター制度などの仕組みを作ったり、ワークライフバランス施策を拡充するなど、女性にとって働きやすい制度を整備しつつ、男性的なバイアスのかかった風土を地道に取り除いていきます。

現在は、社会全体として女性リーダーを増やしていこうとする機運が高まっており、追い風が吹いているので、この勢いにうまく乗ることが大切です。トップダウン、ボトムアップ、制度・文化という3方向からの支援を一気呵成に打ち出すことで、女性リーダー育成の阻害要因が減少し、女性リーダーが育つ。それを見ている他の女性の自信やリーダーへの意欲が高まり、リーダーとしての育成機会が増える、それを見ている男性が女性へのバイアスやステレオタイプを弱める。その結果、ますます女性リーダーが増える、といったように、悪循環を好循環に変えることができれば成功です。

05自社独自の
マネジメント手法を探り、
競争力を高めていく

最後に中小、中堅企業の経営者や人事責任者へのメッセージをお願いいたします。

色々流行っているコンセプトや話題の手法、制度を勉強して導入したりすることは悪いことではないと思います。ただ、それにあまり捉われ過ぎずに、自分の会社として一番大切なものは何かを考え、それを実現するために試行錯誤を繰り返しながら自社にあった最も効果的なマネジメント手法を確立することを考えていただきたいです。

「両立思考」や「パラドキシカル・リーダシップ」が大切にしている前提は、この世の中に唯一の正解などないということです。ですから、流行り物のコンセプトに正解を求めても、そこに唯一の正解は存在しません。

自社が達成しなければならない大事なことが複数あるならば、それらのどれかを簡単に諦めることなく、すべて実現する方法はないか考えてみることです。そして、動きながら、試行錯誤しながら最も効果的な方法を見つけ出していくべきです。そうすることで、自社独自のやり方を確立していくのです。

人事ならば、先ほど話をしたように、自律人材の育成が大切だし、そのような人材が長く会社に留まることも大切だとすれば、その両方を実現する方法を試行錯誤によって見つけていくことが必要です。独自のマネジメントの方法や仕組みを作っていくことは時間がかかります。でも、時間をかけて作り上げた手法や仕組みは他社が簡単に真似できないので、それが自社の本当の強みにつながるのです。自社独自のマネジメント手法をぜひ探求していただきたいです。

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関口 倫紀

京都大学経営管理大学院 教授

大阪大学大学院経済学研究科教授等を経て2016年より現職。専門は組織行動論および人的資源管理論。欧州アジア経営学会(EAMSA)会長、日本ビジネス研究学会(AJBS)会長、国際ビジネス学会(AIB)アジア太平洋支部理事、学術雑誌Applied Psychology: An International Review共同編集長等を歴任。最近の共監訳書に、ウェンディ・スミス、マリアンヌ・ルイス(共著)『両立思考 「二者択一」の思考を手放し、多様な価値を実現するパラドキシカルリーダーシップ』がある。

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