>クリエイティビティがいかに生産性向上につながるかを考察する(後編)
働き方改革は、長時間労働の是正から生産性向上へとフェーズが移行しつつある。要は、どれだけの付加価値を生み出すことができるかが問われるようになってきたと言って良い。だが、生産性は簡単に高まるものではないだけに、どの企業も試行錯誤が続いている。こうした中、職場の物理的環境や情報技術の導入、人事施策がどのようにして職場の生産性やクリエイティビティにつながるのかについて研究しているのが、東京大学大学院 経済学研究科 准教授の稲水 伸行氏だ。働き方や働く場をどう変えていけば良いのか。インタビューの後編では、人事施策と生産性のつながりやクリエイティビティ向上への成功事例などを聞いた。
目次
01周りを巻き込み、自らのパフォーマンスも上げていくチーム設計が不可欠
人事施策は企業の生産性やクリエイティビティにどうつながってくるとお考えですか。
二点お伝えしたいです。まず人事施策という意味では、あまり金銭的なインセンティブというか、外発的な動機付けに振るような施策を打つのは良くありません。例えば、クリエイティビティを高めるために何か新しいアイデアが出たら報奨金を出しますみたいなことがあったりします。それはあまり薦められないということです。
人事施策から少しずれてしまうかもしれませんが、社内コンペみたいなことを実施する会社もあります。アイデア出しをしてもらうアイデアソン(アイデアとマラソンを掛け合わせた造語。新たなアイデアの創出を目的としたイベント)を社内企画として行い、何か良いアイデアを出した人たちに賞品や賞金を上げるという仕掛けでクリエイティビティを喚起しようという施策を展開する会社が結構あったりします。
最初のうちは皆盛り上がり、「ああだ」「こうだ」とやるのですが、結局最後に選ばれるのが1チームしかなかったりすると、「どうしてあのチームが選ばれたのかわからない」「自分たちのチームが選ばれなかったら、時間も労力も無駄だったのではないか」みたいな感じになりがちです。中には、経営陣に対する不信感が結構強くなり、クリエイティビティを高めるために行ったイベントであった割に、上手くいかなかったという例があったりします。そういうインセンティブを付けてクリエイティビティを発揮させようというのは、あまり良くないやり方だというのが、一つあります。
後もう一つは、これもまた人事施策一般からは話がずれるかもしれませんが、マイクロソフトという会社を調べていた時に、「結構面白いなあ」と思ったのが、いつでもどこでも働けるみたいな感じの働き方を実現しようとしているものの、単に働き方の施策だけだとあまりうまくいかなかったりするのです。
結局、そういういつでもどこでも働けますみたいなところに加えて、お互いがコラボレーションすることに対して、かなり危機感を持たないといけません。「もうお互いにコラボレーションをしていかないとこの会社は駄目だ」とか、「少なくとも自分のパフォーマンスを上げないといけない」というぐらいの危機感を持つことで、初めていつでもどこでも本当にコラボレーションしながら仕事をしていけるよう、変わっていけます。その結果として、生産性が上がったり、クリエイティブなアイデアが出てくるのだと思います。そういう切迫感をどう作っていくかということと、さらには評価体系も変えていく必要があります。
例えば、マイクロソフトでは単に自分さえ良ければ評価が上がるようにはなっていません。どれぐらいお客さんや同僚に対して、サプライズや良いインパクトを与えられたかを明確に評価しますというように、評価軸を変えていったんです。他の人を巻き込みながら仕事をしないといけないとマインドを変えることで、いつでもどこでもという働き方が実現して、その結果として生産性やクリエイティビティが高まっていきました。
整理すると、単純にインセンティブを与えるのはあまり良くないという話が一つ。評価の仕方もある種のインセンティブに関わってくるとは思うのですが、そこの評価の仕方やインセンティブの与え方でどのくらい他の人を巻き込めるかが、もう一つのポイントです。そういう設計を上手くやっていくと、チームとして周りを巻き込みながら自分たちのパフォーマンスも上げていけます。上手く設計すれば十分あり得るはずです。そういう人事施策を考えていくと良い気がします。
ワークスタイルやオフィスの変革は、近年注目される人的資本経営やウェルビーイングとどうつながってくるとお考えですか。
オフィス界隈の人はウェルビーイングと関係があると信じて研究しています。最近、その辺りもはすごくホットイシューになっています。仕事のパフォーマンスを上げれば良いだけではなくて、その人自身のウェルビーイングを高めていくオフィス設計をするとか、働き方もかなり密接に関係してきます。働き方を改革することでウェルビーイングに繋がっていくという研究も蓄積されつつあります。その辺りはかなり繋がってくる気がします。
02オフィス学の観点からマイクロソフトやソニーに注目
オフィス学の観点からご覧になって成功している企業事例をお聞かせいただけますか。
どういう視点で考えるかによると思います。クリエイティビティとは、少しずれる気がしますが、元々私がオフィス学の研究を始めたきっかけは、日本マイクロソフトです。日本マイクロソフトのオフィスを調べた時に、「これって面白いな」と思いました。その後コロナ禍でも色々と調査をさせていただいたのですが、あの会社は2011年に東日本大震災が起きる直前ぐらいに品川のオフィスに移転しました。
今トレンドになっているABWの考え方を当時いち早く導入していたのです。それにMicrosoft Teamsみたいな、Web会議やビジネスチャットが可能なコミュニケーションツールも入れていました。なので、今多くの日本企業がオフィスの移転や刷新をする時に取り入れる要素を十数年前に展開していたわけです。
当時としては、すごい先端的なオフィスであるのは間違いありません。それが、近未来的な日本企業の働き方になるのではないかということで研究をしたわけです。あれから、10年ぐらい経って「遂にその流れが来たな」という感じでした。それが、オフィス学に取り組んだ一つのきっかけになっています。
後は、マイクロソフトの場合は結構本当にクリエイティブなところは、米国の本社が手掛けています。日本法人の場合だと、日本企業に対してマイクロソフト製品を売っていく営業やコンサルティングなどの業務が中心になってきます。そこでの生産性をどう上げていくのかっていった時に、1人の営業マンや1人のコンサルタントだけで、その人が持っている知識だけで売っていくのかとなると、かなり限界があることが見えていました。なので、すごく柔軟にチームを作りながら、売っていくみたいな体制を整えないといけないとなり、人事体系やオフィスも含めて2010年代前半ぐらいから変えていったという経緯があります。
実は、2010年ぐらいのマイクロソフトは、GAFA(米国の主要IT企業でGoogle、Amazon、Facebook、Appleの4社の総称)に完全に水をあけられて、「もはやマイクロソフトも終わった」とまで揶揄されていました。それが、クラウドにビジネスモデルを転換し、働き方も変えないといけない、働き方を変えるためには色々な制度を変えないといけないし、当然オフィスも変えないといけないという中で、品川オフィスを作ったわけです。そういった意味では、日本企業にとってはすごく考えさせられるところがあります。
どういう戦略で稼いでいくのかを考えて、そのためにビジネスモデルを変えて、ビジネスモデルに合うための組織作りをして、その組織に合うオフィス作りをして、制度を整えていく。日本企業でそれができている会社は、そう多くはなかったりします。そういった意味では、すごく参考になります。トップダウン的にそういう考え方ができるところは、日本企業としては見習わないといけません。なので、マイクロソフトはすごく参考になるオフィスの考えだと思います。それが一つです。
後はオフィスそのものとは違うかもしれないが、最近ちょっと面白いと思っているのはソニーです。ソニーも一時期に比べると業績がだいぶ回復してきました。ソニーは、NBF大崎ビル(旧ソニーシティ大崎)に技術系の大きな拠点があります。そこにコロナ禍前にBRIDGE TERMINALという名のコワーキングスペースができました。
ソニーの技術者たちのたまり場的な位置付けなのかもしれないのですが、そういった一角を作って、そこからいくつか面白い事業が出てきています。最近世の中では、ABWとか色々言っているものの、ソニーの場合だとABWはやっていないかもしれません。それよりも、技術者の方が、「これって面白いな」と思ったアイデアを形にしてみよう、実験してみようみたいな、その合間の時間や空間みたいなところが昔はあったのに、最近のオフィスはなくなっているという危機感から、誰でも自由に使えるスペースを敢えて作ったっていう話です。
やはり、ABWだとアクティビティに応じて「こうしなさい」「ああしなさい」「この場所を使いなさい」みたいな決まりごとがどんどん作られていきます。そうではなくて、「何にでも使っていいですよ」みたいな空間を敢えて作ることが大切です。それが、ソニーのエンジニアの人たちのクリエイティブ魂に火をつけたわけです。そういったことをやっている会社は異例と言えます。クリエイティビティの関係でいくと、ソニーのBRIDGE TERMINALは結構面白い取り組みだと最近注目しています。
03日本型のジョブ型があると期待したい
ジョブ型に関する見解をお聞かせいただけますか。
ジョブ型は、ある程度必要だと思っています。というのは、多分柔軟な働き方というか、テレワークやハイブリッドワークなどに基づいて自律的な仕事をする状況を作っていく上では、ジョブをしっかりと定義しないといけないからです。それに紐づいた成果を設定して、見ていかないと多分管理ができなくなってくる気がします。ただ、日本企業型のジョブ型みたいなものが、あるのではないかと思っています。それがどんなものかまではわかりませんがね。
最近だと、僕は「アイディールズ」(i-deals)について学生と一緒に調べていたりします。これは、従業員が「自分はこんな働き方をしたい」「こういう仕事に就きたい」と雇用者や上司と個別交渉して、合意を得るという働き方です。まさに、従来の日本企業のやり方とは一線を画しています。そういう流れが、今後も多分出てくるような気がしています。これを色々な企業が始めています。単にメンバーシップ型かジョブ型かという二者択一の話とも違う流れが働き方界隈では出て来ています。その過程で、もしかしたら日本企業のやり方にフィットするような新たな働き方が出てくるのかもしれません。
近年話題となっている人的資本経営は、日本企業にとってプラスの効果をもたらすとお考えですか。
現場レベルで見ると、人的資本経営が出てくる前と後ではやるべきことは、それほど変わっていないと認識しています。より人的資本の開示が進むことで、もしかしたらいわゆる人的資本や組織に関わり、組織マネジメントにしっかりと取り組んできた会社が、評価されやすくなっていくという状況を作り出せる気がします。そういった意味では上手く使えばプラスになっていく気はします。
04空いた時間や空間をいかに活用するかと発想すべき
最後に中小・中堅企業の経営者や人事責任者へのメッセージをお願いいたします。
これは、結構難しい問題です。実際に中小・中堅企業で、テレワークがどのくらいできているかにもよります。テレワークをすることで、実際にオフィスに出社する方が少し減ると、これまで使っていたオフィススペースの中に余剰が出きるはずです。そうすると、経営状態にもよるかもしれませんが、カツカツだと賃料などを考えるとその空いたスペースを他の企業に貸し出す会社があったりします。
できることなら、その空きスペースをすぐ返すとか、貸し出したりせずに、そこを使って何かに取り組むことができると本当は良い気がします。オフィスを変えてみることもしやすくなります。それが一つあると思います。
後は、似たような話ですが、まず生産性を上げていかないといけません。先日も東京都に政策提言をする機会がありました。なかなか中小企業だと難しいかもしれませんが、週休3日制も一つの選択肢です。最近注目されていて、マイクロソフトも生産性向上のために活用しています。
これまで5日でやらないといけなかった仕事を、とにかく4日で同じ成果を出すと考えた時に、何をやらないといけないのかを優先順位付けて、その結果として、「もうこれってやらなくても良い仕事だよね」というものをピックアップしてすぐ辞めます。そうすると、5日掛かっていた仕事が4日でできるわけです。実際、5日でやっていた仕事を4日に短縮するためには、どうすれば良いのかアイデア出しをするために、敢えて週休3日制を導入したという会社もあったりします。意外とそのぐらいの強制力でやって生産性を上げていくと1日余るわけです。
問題は、その一日で何をするかです。やはり、他の仕事や雑事を入れるのではなく、新しいテーマに取り組んでみる、今までトライしていないことをやってみる。そんな時間にすることが大事だと思います。なので、経営者側も浮いた1日を奪ってはいけません。上手く運用していけば、クリエイティブなことができるはずです。
世間で良く言われている、20%ルール(勤務時間の20%を普段とは異なる業務に充てても良いとする制度)も多分そういう話だと思います。ずっと5日間でやっていた仕事を4日に短縮して、残りの1日のところでクリエイティブなことをする。そういう好循環を上手く作り出せるようになると良いと思います。中小・中堅企業だと、なかなかそういうわけにはいかないかもしれませんが、頑張ってテレワークをしたり、生産性を上げる取り組みをしてもらいたいです。そういった時間や空間を捻出することが結構重要なのではないかという気がします。
稲水先生、貴重なお話をありがとうございました。
稲水 伸行氏
東京大学大学院
経済学研究科
准教授
2003年東京大学経済学部卒業。08年、同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。その後、東京大学ものづくり経営研究センター特任研究員・特任助教や筑波大学ビジネスサイエンス系准教授などを経て、2016年に現職に就任。専門は経営科学、組織行動論。近年は特に職場の物理的環境や人事施策が、どのようにクリエイティビティにつながるのかを研究。主な著書に『流動化する組織の意思決定』(東京大学出版会)。