経営環境がダイナミックに変わりゆく中、「人材」への注目度がますます高まっている。その流れに合わせて、人事の領域では心理的安全性やエンゲージメント、キャリア自律、ジョブ型雇用、人的資本経営などさまざまな概念がトレンドとして取り上げられている。人事が流行に従う面もあるのは否定できないが、それに左右されてしまい本質を見失ってしまっては意味がない。そうならないために、どうしたら良いのか。和歌山大学経済学部の厨子直之教授に、多様性が組織にもたらすメリットや女性・シニア活躍推進への方向性を伺った。

01多様性の確保に向けて、アンコンシャスバイアスが障害となる

多様性の確保は、企業の成長にどのようなインパクトをもたらすのでしょうか。当然、プラスに繋がるということで良いのですか。

プラスに繋がる場合と繋がらない場合とにわかれています。基本的には、多様性を高めることはプラスに繋がると思います。

どういう場合にマイナスにつながるのですか。補足いただけますか。

これは、過去の研究(小泉大輔・朴弘文・平野光俊[2013]「女性活躍推進施策が若年女性のキャリア自己効力感に与える影響」『経営行動科学』26(1)、17-29ページ)にあるのですが、女性の活躍と関連します。いわゆる、ポジティブアクション(格差解消に向け企業が独自に行う取り組み)という、女性活躍を拡大するような取り組みと拘束性の緩和(在宅勤務を認める、あるいは勤務地限定制度の導入)は、就業継続していけるだろうという女性の効力感(自信)が高まることが実証的に明らかとなっています。

同時に、ポジティブアクションをして育児休業制度を取り入れる、充実させるということは女性の就業継継続効力感にマイナスに作用していた結果も見出されています。これは、いわゆるアンコンシャスバイアス(無意識の思い込み、偏見)に関係します。結局女性にとって、育休や法整備、制度を充実させることが良いと思われがちですが、実は求職中も働きやすい取り組みをすることが就業継続に効くということです。何か思い込みで、「女性はこうだからこうすべき」だということで取り入れているダイバーシティ関連の作り込みはなかなか良い効果は期待できません。

ダイバーシティの推進に関する現状をどう捉えておられますか。

やはり、法制度や人事制度の充実だけではなくて、いわゆるアンコンシャスバイアスに対処する必要があるという気がします。「女性はこう思っているだろう」というか…。要するに結婚出産をしたら責任の重い仕事をしづらくなる、したくない」というのは、アンコンシャスバイスです。実は意外とそうではないという側面もあるので、一人ひとりの価値観や考えをきちんと分析し、本質を見抜いていく必要があるのではないかという気がします。

女性だけでなく他の多様な人材においても、例えば外国人でもそうです。「外国人だからこう」という認識を改めていく必要があると思います。

女性の活躍推進、管理職登用は、まだまだ加速していない印象があります。どうなのでしょうか。

前編でご紹介した人的資本経営の記事分析の結果でも、女性活躍や賃金格差は未だに出てきています。まだまだそのテーマが出てきているということは、諸外国に比べて女性の活躍推進や管理職登用が、全然加速していないということだと思います。

この課題に対する、先生なりの解決策はいかがですか。

ウェールズ大学トリニティセントデイビッド(UWTSD)MBAプログラムで、私が指導したMBA生の修士論文に、そのヒントがあります。男性育休を促進する要因について、男性育休経験者にインタビュー調査を行っています。その結果、「組織トップの関与」(育休取得推進の風土醸成、社長も育休取得など)、「共有可能な業務」(複数での業務共有や代行が可能)、「父親コミュニティ」(父親たちが育休について社内で気軽に話をできる任意のコミュニティ、経営層も参加)が特徴的なものとして明らかとなっています。ここでも制度の充実だけでなく、「トップの強力なリーダーシップ」、「柔軟な職務設計」、「コニュニティー形成によるに心理的な安心感の醸成」といった、休業中も職場や仕事に関する情報を共有できる組織的な支援がポイントになると考えています。

 

02シニア世代の活躍とリスキリングはワンセット

人生100年時代が謳われシニアの活躍推進、継続雇用に向けても色々な試みが見られます。いかがお考えですか。

これは、一般財団法人労務行政研究所の2023年の調査なのですが、高齢者雇用・シニア雇用の課題としてモチベーションアップが一番上位に挙がっています。結局、シニア雇用に移ったときに報酬が下がったり、あるいは仕事が全く変わってしまったりしています。その意味では、日本企業においてシニア雇用が進んでいるとは、まだまだ捉えられない気がします。特にシニア労働者の意欲を高められ、自律性を高めるような職場配置はまだまだ十分になされていないのではないかというのが、率直な意見です。

シニアのモチベーションをどう高めていけば良いのでしょうか。

本人の希望を聞きながら、次にどういう仕事を契約していくのか、賃金が下がった場合には下がった根拠が大事になると思うので、納得感を得るためにはジョブ型契約に移行していくのが一つのポイントです。あくまでも、単年度で契約を更新していく、そんなイメージです。

シニア世代の活躍には、リスキリングがセットになってくるのでしょうか。

それはもちろん必要になってくると思いますね。

企業に、シニア世代がリスキリングするための教育投資をしようという意欲がどれだけあるのか疑問です。

そこはまだ導入が進んでいないのが、実態だと思います。リスキリングに対する好意的な考えはあるものの、まだまだ浸透していない気がします。

03男性の育休取得と企業価値の向上につなげるには


男性の育児休暇取得率は現状、6割ほどになりました。ただ、なかには1日だけ休みを取得して割合を高めている企業もあったりします。こんな状況で企業価値の向上につながるのでしょうか。

1日だけ取得しても、それが育休に繋がっているのかというと、決してそんなことは言えないと思います。これは、男性・女性に限らないのですが、色々とビジネスパーソンと話したり、あるいは先ほど度紹介したMBA生の研究を見たりすると、三つのポイントがあることがわかります。

まず一つ目のポイントは、トップが強い想いを持っているかです。育休を推進する風土を作るとか、あるいはもう社長自身も育休を取得して、社員にも奨励するぐらいの気持ちがほしいです。それから、これはジョブ型とは逆行するのですが、業務を代替できる環境にあるか、他の人が自分の仕事をこなすことができるのかというのが、二つ目のポイントです。

三つ目は、コミュニティの存在が大きいです。男性社員が育休について気軽に話せるとか、あるいは、育休中の仕事がどうなっているかが、不安になるようなので、情報共有の場が欠かせません。そういう組織的な支援が男性・女性に限らず、活躍推進を進めるためにポイントになるような気がしています。

これだけビジネスにスピード感が要求される中で、半年間、場合によっては1年ぐらい現場を離れるというのは、正直言って浦島太郎になる部分もあります。

もう本人は、「本当に職場に復帰できるのか」「昇進できるのか」と不安だと思います。やはり、心理的な部分のケアが欠かせません。それによって、安心感を与えるということが大事な気がします。

04ジョブ型雇用への完全移行は難しい

ジョブ型雇用に関する厨子先生の個人的な見解をお聞かせいただけますか。

これは、多くの人がおっしゃっていることだと思いますが、「完全には移行しない」と考えています。基本的にはグローバル化やダイバーシティが進むに連れて、これまで日本企業が捉えていた従業員の年齢、能力などの属性によって報酬が決定される仕組みが、海外の人材には理解できないというか、受け入れられなくなってきます。そうなると、仕事の価値や達成した成果で評価し報酬を払うというジョブ型の人事制度への移行が進むはずです。あるいは進まざるを得ないというような言い方が正しいかもしれません。私はそのように考えています。

ただ、中央大学の佐藤博樹教授は、メンバーシップ型雇用やジョブ型雇用は、理念系であって現実にそれが存在するものではないという言い方をされています。そういう意味ではまさに、日本なりのジョブ型、海外型のメンバーシップ型みたいな、そういう多様なあり方があっても良いと思います。

特に日本の場合は、教育システムが欧米のように職業教育の色彩の部分がほとんどないので、やはり新卒で経験者採用というのはまだまだやりにくいのが現状です。時間を掛けて、徐々に仕事にマッチングさせていくというような、メンバーシップ型の人材育成の仕方が、まだまだ重要であると思います。

他には、完全にジョブ型というのは難しいと思う理由は、特に次世代リーダーの育成に課題を抱えることにあります。次世代リーダーを育てることを考えたときに、短期間で飛躍的な成長を求めるような人事異動をどんどん掛けていかないといけないです。確かに、グローバルで人事制度が統一されると、海外への異動も掛けやすくなります。一方で、ジョブ型で注目されている働き方の一つとして、限定正社員(仕事内容や勤務時間、配置転換や転勤などの範囲が限定されている正社員)があると思います。限定正社員の場合は職務が限定されたり、あるいは勤務地も限定されたりするので、従来のような幅広いローテーションがなかなか掛けづらくなっていくと思います。

限定正社員の中でも、優秀な人は沢山いらっしゃると思います。キャリアの段階によって限定正社員と、いわゆる従来の無限定正社員、極端ないい方をすれば、辞令1 枚で「どこでも行って」、「いつでも働いて」、「何でもやる」、そういう無限定正社員との転換をフレキシブルにすることや、あるいは限定正社員という限られた職務の中でも、いかに次世代リーダーを育てていくかという部分が、今後ますます求められる気がしています。

最後に、中小、中堅企業の経営者や人事責任者にメッセージをお願いいたします。

一つだけ申し上げたいのは、データに基づいて意思決定をすることが、経営実践の現場において今後ますます重要になるということです。「人事は流行に従う」という言葉がある通り、どうしても流行り廃りに流されがちです。大企業が導入した取り組みは、すごく優れているように見えてしまいます。良く考えたら当然なのですが、そんな万能なものはないわけです。

私もここまでできる限りデータに基づいて、お話してきました。スタンフォード大学ビジネススクールの教授であり、組織行動論の第一人者として知られるジェフリー・フェファー氏が執筆した著書に、『事実に基づいた経営――なぜ「当たり前」ができないのか?―― 』(発行:東洋経済新報社)があります。企業によって起こる失敗は、世の中で広く信じられている通説を、十分に検証せずに鵜吞みにすることだと言います。

大企業と違って、特に中小・中堅企業の場合は社員の方との距離もかなり近くなってきます。様々なデータを収集しやすい環境にあるのは、大きな強みだと考えています。ですので、現場の貴重なエビデンスを見逃すのは、すごくもったいないことです。真摯に向き合って、それをどう自社ならではの持続的な価値に繋がっていくのかを議論することが、いわゆる人的資本経営で言われる人的資本情報の開示や測定と、それから現場に寄り添った働きがいという、両軸経営を実現する本質になると考えています。ぜひ、現場に溢れているデータを見逃さず、丁寧に分析して、より良い意思決定をしていただければというのが、私からお伝えしたいことです。

―厨子先生、貴重なお話をありがとうございました。

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厨子 直之

和歌山大学 経済学部

経済学科  教授

2002年関西学院大学 商学部卒。2007年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。専門は、「ポジティブ組織行動」「人的資源管理」。主な著書に『経験から学ぶ人的資源管理〔第3版〕』(有斐閣、2025年、共著)、『こころの資本――心理的資本とその展開――』(中央経済社、2020年、共訳)などがある。経営行動科学学会副編集委員長。民間企業および大学病院において定量的なデータ分析およびポジティブ心理学に基づく人材育成をテーマとする講演・研修を行う。

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