日経平均が一時は4万円を超えるなど、日本経済が活気づいてきている感があるが、どの企業も経営基盤はまだ脆弱であると言わざるをえない。バブル崩壊後の、「失われた10年」が20年に、さらには30年を迎えようとしている。この混迷はいつまで続くのであろうか。強力な組織、強固なリーダーシップを発揮しうる経営者、そしてそれを支える多様なマネージャーが今こそ求められている。そうした中で、不連続で不定形な時代を乗り越えていくためにも、新しい時代ならではの組織とリーダーシップが必要となると説いているのが、法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科 教授の高田 朝子氏だ。インタビューの前編では、人的資本経営やジョブ型経営に対する見解、強い組織の定義などを語ってもらった。

01日本企業は過去の成功体験から脱しなければいけない

「人材版伊藤レポート」の公表以来、人的資本経営がクローズアップされています。改めて、ビジネス競争に勝ち続けるために、なぜ人的資本が重要なのかを教えていただけますか。

元々、私たちの国は人を重要視する人本主義経営(人を大切にする経営)を掲げてきました。そういう意味では、今になって「人的資本経営だ」と言われても別に新しい感じはしません。それが本音のところです。地理的要件から、我が国は他国の侵入をそう多く経験してきませんでした。言い換えれば、長い間閉じたコミュニティで生活してきたのです。企業は似たような人種の似たような教育を受けた人びとが集まる場所でした。従業員を家族のように扱い、守り、長く働いて貰うことは人材確保の点において、とても合理的なやり方であったと思います。従業員にとって、会社は自分を守り育ててくれる場所で、長く勤めることは生活の安定と安心をもたらしました。従業員の価値が上がれば、結果的に会社も強くなる。お互いに利がある関係だったのです。

それが、企業の成長とともに市場を国外に求めたこと、そしてバブルの崩壊以降、国際競争の中で効率が最も大事になってきたことが、長期雇用を担保としたお互いに利のある関係を根本から覆すようになります。多くの場合、効率と教育や育成はトレードオフの関係になります。会社は社員を長期に抱え込むほどの余裕がなくなります。そして「自分のことは自分でやりなさい」という自己責任という言葉に置き換えるようになりました。人本主義の良さがどんどんなくなっていったのが、失われた30年での話なんだろうと思います。

ですから、今はまた人的資本と言ったところで昔に帰るというか、元々持っているところなので、あまり私たちにとっては違和感はありません。ただし、従業員の気持ちからすれば、かつてあったような「会社が自分を守っているという安心感」が全くない中で言葉が先行しているのが、人的資本経営の実態なのだろうと思います。

この人的資本経営の取り組みを企業価値向上につなげるためには、どうしたら良いとお考えですか。

今後というコンテクストでお話申しあげると、今私たちの国は強烈な過渡期にあります。そんな中で本来ならば捨てなければいけないのに、今でも大事にして考え方の基本となっているのが、過去の成功体験だと思います。これには2つの要素から考えます。まず、濃淡はあるにせよ人を大事にするというのは、元々のポリシーとして持っていました。ところが、ジョブ型雇用や成果主義がどどっと入ってきた中で戸惑ってしまっています。効率が重視されると、教育や育成の時間は評価がされにくいからです。

成功体験と申し上げているのは、日本は戦後復興やバブルまでのいわゆる日本が「Japan as No.1」だった時代の成功体験です。もちろん、これをリアルで知っている人は現在の企業の人員構成では少数派です。しかし、残りの大多数の人達は、これらの時代に作られた「行動の規則」によって教育されて来たわけです。日本が強かった時代の成功体験とそこで養われた考え方やノウハウが行動の規則として刷り込まれてきました。そして、その行動の規則の陳腐化のスピードが速くなって途方に暮れているというのが、今の我が国の姿です。

一番大事なことは、昔の成功体験を持っている方々が「新しいものをしっかりと取り入れよう」「新しいことを考えよう」とすることです。その人たちを意思決定の場所から外してしまうのが簡単なのですが、現実にはそうもいかないでしょうからね。新しい行動の規則を作ろうという意思を持ち、それを実行することが今最も求められています。

人間はすぐには変化しません。何か薬を飲んで翌日から違う人になるなんてあり得ないわけです。ならば、どうするのかというと、簡単に言えばダイバーシティを進めることです。今までと違う人たち、今までの行動の規則を重視しない人びとを意思決定の現場に引きずり出して、そこで決めていくという仕組みを作り出していくことです。それが、凄く大事だと思っています。もっというと、これ無しには今後の日本企業は立ちゆかなくなる。現状維持ではもう対応ができないのです。

02意思決定の場に多様なリソースの人が関わるべき

企業価値創造、企業価値向上というアウトカムを導くために、どのようなKPIを設定すれば良いのでしょうか。

意思決定をしている時には、同じ属性の人たちがいることを避けるべきだと思います。色々なリソースの人、それは女性かもしれないですし、LGBTQ(性的少数者)の人かもしれません。いずれにしろ、今まで決めていたエリートコース以外の人たちを入れていくことです。

私は今、ある大手新聞社の経営改革に関わっています。その中の一つの指標として、女性のいない会議を作らないようにと働きかけています。会議というのは、基本的には意思決定の場です。そこが昔のパターンのまま、つまり、似たようなおじさんたちが集まって全てを決めるということだと、何も変わっていかないと私は思っています。

一番インパクトがあるのは、決める場所に色々な人がいるという状態を恒常的に作り上げることです。その会社も、改革に着手して3年目にようやく女性管理職比率が上向き始めました。

ジョブ型雇用の導入は企業にどのような影響をもたらすとお考えですか。

ジョブ型は一定数あっても良いと思っています。ジョブ型の方が好ましい人は多く居るに決まっています。ただ、全ての働き方ががジョブ型である必要はないのです。

ビジネススクールの学生たちに最近頻繁におきている話をしましょう。私の教える法政大学ビジネススクールの最も多い学生の年代は40歳代から50歳前半です。

女子学生のあるペルソナを紹介しましょう。彼女たちは、30代後半で入学してきます。本当は会社を辞めたいものの、今のままだと良い会社に転職できないから、MBAを得てキャリアアップをしたい、そんな学生たちです。その後、働きながら学位をとり、新しい仕事に就きます。その後、彼女たちが気にし始めるのは結婚です。様々な試みを経て次にライフイベントに向かう。これはこれで重要なことです。

そして、最近非常に多く見られるのは、男女共に40才前で親となりその後、何らかのタイミングで直ぐに実親の介護がはじまる。つまり、育児と介護のダブルケアをしなくてはいけない人びとの増加です。

このような状況では、ジョブ型で働いた方が自分の時間を確保できます。物理的に人本主義経営に代表されるメンバーシップ型の働き方そのものが、男女共にできない人が増えてきていくのは自明です。

有り体に言うと、人手不足の中ではジョブ型は拡大していきます。働き方の多様化を認めないとたちゆかないのです。純粋に人の手を欲するならば、国が海外から人を積極的に採用し、産業の多くの部分を彼らの手に委ねるという政策に切り替え、強烈に推進しない限り、人手不足は解消できません。しかし、国がそこまでして外国人を主要な働き手として受け入れるのかというと、受け入れないでしょう。それに、この円安の中で外から良い人を採れるかというと疑問です。そう考えていくと、ジョブ型をある程度認めざるを得ないだろうというのが私の見解です。

ただ、ジョブ型になった時に経験値がそれほどないので、ジョブ型からマネージャーをどう育成していくについては、もう少し考えていかないといけないと思います。

ジョブ型雇用の導入で人材育成にどんな影響があるとお考えですか。

ジョブ型雇用が成立するには、企業として「うちはジョブ型です」という割り切りをしないといけません。メンバーシップ型の振る舞いをジョブ型を選択した社員に求めてはいけないのです。看護師や税理士、公認会計士のように専門性が凄く高いジョブ型であれば、以前からずっとやってきたのでわかりやすいと思います。しかし、企業内でこれらの慣れ親しんだものとは違うジョブ型を始めるとなると、色々な問題が発生してくる気がします。

注意しなくてはならないのが、「なんちゃってジョブ型」を作らないことです。ジョブ型はスキルや成果で評価される働き方です。メンバーシップ型の視点で評価してはいけないのです。私たちは、ジョブ型の評価をつい慣れ親しんだやり方でしてしまいがちです。これは多く今後問題として露出するでしょう。人材育成についてもです。専門性を高める方向でジョブ型人材は育成すべきです。

ジョブ型は良い取り組みではあるのです。ただ、人材育成といった側面から考えると一筋縄でいくものではありません。根本的なところで、人生をどうやって考えるのかを突きつけられるからです。これは、選ぶ社員にとっても受け入れる企業にとってもです。ジョブ型を選んだ社員が、人生のライフイベントであるとか、さまざまな経験や出会いがあって、マネジメントに興味を持ち始め、ジョブ型ではない人生を歩みたいと考えた人がいたとしても、次のラダー(はしご)を変える作業をどう行うか、どんな風に評価するのか。そのあたりを決めておかないと凄く混乱してしまうだろうと思っています。ジョブ型を導入した際に、企業は人材育成に多くのラダーを用意すべきだと思います。

03強い組織は意思決定の手法を柔軟に変えられる

強い組織を定義付けていただけますか。

強い組織とは、環境に対してフレキシブルに意思決定のやり方を変えられる組織だと思います。これが、最初に申し上げた成功体験という言葉とセットになるとややこしい事態を生じます。成功体験があるが故に、過去のやり方や意思決定を変更できなくなるからです。前例を踏襲することがファーストチョイスだという組織は強くなりません。予測の範囲内に世の中が動いていく場合は、それで対応ができたでしょう。しかし、今は変化のスピードが物凄く早い。想定外の事が世界的にも多く発生します。一つのやり方に固執しないで、色々なパターンを試してトライアンドエラーをしながら進めむことができるような組織こそが強いと思います。

トップの考えを変えるのは容易ではありません。特に中小企業の経営者は自分のスタイルにこだわりがちです。

心理学の用語に「一貫性の法則」(自分の行動や発言、態度、信念などに一貫性を持ちたいとする心理)があります。人間が何も精査して考えない時には幾つかのシチュエーションがあります。その中の一つが一貫性なのです。一貫性を守りたいというのは、人間の脳にとっては、とても幸せなことです。あまり考えなくて良いからです。苦しんで何かを作り上げなくても良いのです。一貫性とは何かというと、昔と同じようにすること、前例を踏襲することだと思います。昔の成功体験のおかげで、ここまで会社が大きくなったという意識を持っていたら、今さら新しいやり方をしたくないと思うのは、よくわかります。

やり方を変えることが、その人のアイデンティティまで否定しているみたいに勝手に脳内変換をされてしまう。そして、怒り出したり、頑なに守旧的行動にでる。これはとても良く見られる現象です。そんな場面に出会うと「人間だからしょうがない」と私は面白がってしまいます。それは面白いところでもあり、人間の愚かなところでもあります。やり方を変えることを自分の否定としてしまう。その結果、ますます現状維持に固執する。このサイクルが回ることが社長が変わらない理由の一つでもあると思っています。

それを変えるためには、「従来のやり方の否定=アイデンティティの否定」というサイクルを打ち破るだけの経験を社長がするのが一番なのですが。現実はいろいろ困難がありますね。

04後継者育成には、経験学習と観察学習が不可欠

中小企業にとっては後継者育成も大きな課題です。何かご提言がございますか。

特にファミリー・ビジネスの後継者においては、未だに「息子に継がせたい」と答える方が多数派です。もちろん、時代の流れともに多少は変わっては来ていますが。女性後継者の研究をしている中で気付くのは、男性後継者の方が、「後継者としての教育を受けた期間」が長いことです。

そもそも、我が国は長男の優位性が強い国です。ファミリー・ビジネスの長は一族の長を兼ねています。特に地方のファミリー・ビジネスでは、「娘はいつかお嫁に行ってしまうから」ということで、後継者の選び方が男の子に非常に偏ります。

後継者育成ということで申し上げるならば、男性でも女性でも、子供に継がせたいと思うのであれば、早いタイミングである種の教育を始めるべきです。これは、後継者研究の結果から思っていることです。管理職や役員になるには、全体を俯瞰して見ないといけません。目の前の特定部署のファクトだけでなく、会社としての未来予想図を考えないといけないのです。よって、育成という観点からすると俯瞰する立場へ視点を変える経験を時間をかけてさせることが重要です。

後継者のみならず、人材の育成において大事なことを2つ提示したいと思います。経験学習と観察学習です。まずは、経験学習です。文字通り経験から学ぶことです。意思決定は基本的に経験によって磨かれます。意思決定の精度は訓練によってのみ上がるのです。意思決定をして誤りがあれば修正する。そして、どう着地させるかの思考実験を繰り返しながら、再び意思決定をする。この一連の流れが経営には不可欠です。誰も最初から良い意思決定はできません。後継者には早いうちから意思決定に参画してもらうことが必要不可欠です。これは別に家族に限った話ではありません。誰かを後継者として育てようというのであれば、意思決定の場に早い段階で引きずり出して、意思決定を多く経験させるべきです。

観察学習は、他人が意思決定をしている場所を見て学習することです。私はリーダーシップが専門分野なのですが、リーダーシップは学問体系としては割と新しい領域です。リーダーシップの育成という考え方は、経営学からの視点です。非常に歴史が浅い。上に立つ者の振る舞い方の育成は帝王学という言葉で経営学の成立以前は表現されてきました。帝王学は多くの場合、血縁がある者間で伝授されます。大体は父親から息子にという話です。帝王学は何をしているのかというと、振る舞い方を見せるわけです。お父さんがどうやって政治を決めているのか、どのように臣下に褒美や報酬を配っているのか。横でその振る舞いを見学し、観察し、学習させているのです。これはすごく重要で有効な手法だと思います。

企業という観点で話すならば、男性の場合は帝王学に近い経験ができる場が社内にあります。典型的なのは、役員に近い部署に勤務することや、役員の鞄持ちの業務を行うことでしょう。この種の業務や部署は、伝統的に男性がアサインされることが圧倒的に多かったと言えます。彼らは若い時期から、「うちの社長は良い人なんだけど、役員会でこういうふうに恫喝するのか」「こういう良くわからない根回しをしているのか」などとトップの行動を観察学習する機会を持つのです。

さらには、最近こそ変わりましたが、夜の接待に立ち会うのもほとんどが男性です。お酒の場で重要なことが決まる。それ自体が良いか悪いかは別として、これを観察できるのです。子供がいる女性を夜の接待に連れて行くとなると、現状では上司の方が躊躇しがちです。接待のみならず、キツいと言われる仕事も同様です。これは、上司への優しさだということもできますが、私はむしろ“優しい虐待”だと呼んでいます。上司からすれば優しさのアピールかもしれないものの、気を遣われている女の人にとっては、あまり嬉しい話ではありません。キツい仕事は多くの場合、それ相応の果実があります。それらを機会損失することになるからです。こうしたケースで、私が必ず申し上げるのは、「本人に決めさせてください」ということです。

本人が「ベビーシッターに子どもを預けてでも、その会合に行きたい」とか、「キツいのは分かっていますがやってみたい」と言ったら、それはやらせれば良いのです。上司が思い込みで決めることではありません。本人が決めることなのです。そうすると、優しいおじさんたちは驚いた顔をします。「それで本当に良いんですか」と。

当然のことながら、経験学習と観察学習をしたからといって、全て実になるとは限りません。良いことばかりではないです。見なくて良いこと、経験しなくても良かったことも沢山あるでしょう。しかし、問題なのはその機会を奪ってしまうことです。機会は均等にあるべきです。多くの機会を与えて、そこから学習する。もちろん、能力によって得るものの差が生じて当然です。人材を育成することにおいて、簡単な道はありません。回りくどいようですが、自分で経験し、そこから学び取っていくという王道が結局は一番効果的なのです。



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高田 朝子

法政大学

イノベーション・

マネジメント

研究科 教授

立教大学経済学部経済学科卒業、その後モルガン・スタンレー証券会社勤務を経て、留学。1992Thunderbird国際経営大学院修了、国際経営学修士(MIM)。1996年慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了、経営学修士(MBA)2002年慶應義塾大学大学院経営管理研究科博士課程修了、博士(経営学)。2002年4月高千穂大学経営学部専任講師に就任。2003年月高千穂大学経営学部助教授に。2008年4月法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科准教授に就任。2011年4月現職に就く。専門は組織行動、リーダーシップ、ファミリービジネス。『手間ひまかける経営』(生産性出版)、『女性マネージャーの働き方改革2.0』(生産性出版)など著書多数。イオンディライト株式会社社外取締役

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