人的資本経営は、もはや開示をどう進めていくかにテーマが移りつつある。背景には、2023年度決算から上場企業に課せられた人的資本情報開示の義務化がある。また、ESG投資やESG経営の広がりも大きな要因と言える。これに伴い、最近クローズアップされているのが統合報告書だ。あらゆるステークホルダーに自社の現状や方向性を説明する有効なツールとして注目度が高まっている。だが、単に流行っているから作成するでは意味がない。価値創造に向けた企業の本気度が伝わる統合報告書でなければ、ステークホルダーに何も刺さらないからだ。そこで、証券市場論と機関投資家論を専門とされる明治大学商学部の三和裕美子教授に企業とステークホルダーにおける今後の関係性や統合報告書の意義を聞いた。後編では、統合報告書の位置付けや新刊『投資家資本主義の未来 : ESG投資の行方』に込めた想いなどを語ってもらった。

01自ら試行錯誤しながら統合報告書を作成することに価値がある

レベルの高い統合報告書を作成するには、プロのサポートが不可欠になってくるのでしょうか。

やはり、「統合報告書アワード」で受賞される企業は本当にトップレベルのコンサルティング会社が入っています。ただ、中にはコンサルタントを使わず、社内で何とか頑張っている企業もあります。「これから統合報告書を作りたい」と思われている企業は、「自社の成長戦略をどう考えているのか」「経営者がどういうビジョン、夢を描いているのか」などをわかりやすくまとめようとして、全部を押し並べてジェネラルに書くのではなく、「自社はここがすごい」と言えるところをメインに持っていき、コンサルタントの力を借りずに、最初は自分たちで作ってみるというスタンスも良いのではと思います。

もちろん、自力でとなると大変です。ただ、自社の従業員が作成することによってスキルが身に付きます。例えば、東京証券取引所がプライム市場上場企業に対して、実質的に開示を義務化した気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)への対応も、コンサルタントに依頼すればすぐやってくれますが、社内にはノウハウが何一つ残りません。従業員がそれに取り組めば自分のキャリアにもなります。確かに、コンサルタントが入れば早いですし、楽です。しかも、中小企業のレベルだと統合報告書の作成を任せられる人材もなかなかいないかもしれません。それでも、まずは社内でトライしてみることです。他社の事例を真似してでも結構です。同業他社であるとか同じ規模の会社が、どう取り組んでいるのかといったところから始めて、「このあたりが目標かな」「この企業を目指そうか」という形で目標を設定して自分たちで動いてみてほしいです。勉強会とかも色々ありますし、それ関連の横のネットワークなども活用しながら、自分たちで考え試行錯誤しながらやっていくってのが本来の姿だと思います。

02統合報告書は自社を知ってもらう最適なツール

統合報告書は企業にとって、今後どんな位置付けになっていくとお考えですか。

もちろん、資本市場の投資家とのやり取り、コミュニケーションのツールとしての位置付けは引き続きあるはずです。それから、学生の就職活動にも役立ちます。何故なら、就活の時期が本当に前倒しになっているからです。そうした中でも、企業は「良い人材をできるだけ早く採りたい」という想いがますます強くなってきています。例えば、大学2年生の夏ぐらいからインターンシップに参加する学生もいたりします。本当に早いです。そういう状況で、企業からすれば自社のことを知ってもらう一番良いツールが統合報告書なのです。財務、非財務の情報や社長のメッセージ、ガバナンスなどが全部載っているからです。

私も大学の学生に、自分の入りたい企業を考える時は統合報告書を読むことを薦めています。現状では統合報告書は約900社の企業しか発行していません。すべての企業が出しているわけではないものの、もしその中に自分にとって興味のある企業が入っているなら、それは是非読んでもらいたいです。その内容を踏まえて、企業に逆質問をすることもできます。ですので統合報告書は就活生のコミュニケーションツールとしても位置付けられます。今後もどんどん拡大していくと思っています。

例えば、素材メーカーだと学生からすると接点がほとんどない、そうした企業が、「学生に自社を知ってもらうためにも、統合報告書を読んでもらいたい」と呼びかけていたりする例もあります。

ともすると、情報開示は大企業・上場企業の話と捉えられがちです。中小企業にとって、情報開示は意味がないのでしょうか。

上場企業であれば、結局市場で誰でも株式を買えてしまいます。ですので、情報を開示しないという選択肢はないです。何故かというと、昨今はアクティビスト(株主としての権利を積極的に行使し、企業に何らかの影響力を及ぼそうとする投資家)の活動が非常に活発になって来ています。それだけに、上場企業のなかでも中小のレベルですとターゲットになりやすいからです。その際に、アクティビストはかなり詳細な事前の下調べをして企業にものを言います。アクティビストの要求に対して企業の経営陣が動揺しないように、事前にしっかりと情報開示をする必要があります。それによって中長期的なタイムスパンの投資家やアクティブファンド(特定の指数を上回る運用成績を目指す商品)も含めて友好的な投資家が買ってくれます。

上場・非上場に関わらず、開示するとなるとコストは掛かります。その際に考えたいのは、自社の事業戦略の中で、そのコストを掛けてどれぐらいの効果が得られるのかということです。効果というのは、戦略上の財務的な効果はもちろん、新卒採用を含めた人材獲得という意味もあります。従業員にとって「自分たちの企業の社会的な位置付けがどうなのか」「自分たちは誇りを持って働けるのか」が気になります。その意味での開示も大事になってきます。そうしたステークホルダーとのバランスを考えて開示する必要があります。

サステナブルな社会の実現を目指すために、テクノロジーと人的資本をいかに連携させていけば良いとお考えですか。

持続可能性という点で環境を考えたり、社会問題を考える上でも人的資本は大事です。ただ、人的資本の活用が今までと同じような従来型の活用の仕方に加えてDXAIを活用することで、将来的なシミュレーションをAIにさせることもあり得ると思います。それによって、人的資本のインパクトも継続できますし、投資家がAIで人的資本や資本市場を評価できるようになります。インパクトで評価と言った方が良いかもしれませんが、その評価モデルみたいなものをAI等で活用する時代がもう来ている感じがします。

03持続可能性を考えた投資をしなければいけない

投資家資本主語の未来_

三和先生は、今年5月に『投資家資本主義の未来 : ESG 投資の行方』(千倉書房)を刊行されました。どのような問題意識を持って執筆されたのですか。

機関投資家が、現在の資本主義社会の中でますます重要な位置付けであるのは間違いないです。岸田首相が「資産運用立国実現プラン」(2000 兆円の家計金融資産を開放し、持続的成長に資する「資産運用立国」を実現すると言う方針)を掲げている中で、機関投資家、特に資産運用会社という金融機関がものすごく大事なポジションになってきています。

1990年代に米国の学者、マイケル・ユシーム教授が「投資家資本主義」という概念を提唱しました。当時米国の株式会社は、機関投資家が発行済株式総数の半分以上を持っていました。要は議決権をそれだけ持っているので、機関投資家が経済を支配していたのです。その機関投資家は、純投資の投資家なので買って儲かったら売る、その経済的なリターンのみを考えていました。ですので、企業に対する要求も短期利益になりつつあり、経済全体が短期志向になっていました。それも当然です。ファンドマネージャーは四半期で自分のボーナスを判定されてしまうので、四半期でリターンを上げなければいけなかったからです。

極端に言えば、「売ってしまった後はもうどうでも良い」みたいなことが、投資家資本主義の欠点と言われていた中で、リーマン・ショックが起きました。その反省から「責任ある投資家」、すなわち投資家も会社の持続性、社会の持続性そして環境の持続性に責任を持とうという概念が生まれてきました。投資家が株式会社を支配すると経済全体を支配することができます。だからこそ、投資家が未来を考える必要があるという問題意識を持って書きました。

極端に言えば、「売ってしまった後はもうどうでも良い」みたいなことが、投資家資本主義の欠点と言われていた中で、リーマン・ショックが起きました。その反省から「責任ある投資家」、すなわち投資家も会社の持続性、社会の持続性そして環境の持続性に責任を持とうという概念が生まれてきました。投資家が株式会社を支配すると経済全体を支配することができます。だからこそ、投資家が未来を考える必要があるという問題意識を持って書きました。


インベストメントチェーン(投資家と企業が同じ価値観をベースとして中長期的な価値向上を目的として協働することで、社会全体の富を増大させられるという考え方)の中の最終的な受益者は、国民年金を考えるとわかりやすいです。私たちが年金の保険料を拠出し、将来年金をもらうという構造の中で、そのお金は年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)という年金運用基金に入り、そこから各運用機関が運用していて、さらに企業に投資されていきます。その最終受益者である私たちがその仕組みをしっかりと理解しておかないといけません。

例えば、欧州だと市民が、「今後はこういう社会にしたい。だから機関投資家もこういう働きかけをしてほしい」と機関投資家に働きかけます。しかし、私たち日本人は何も言わないですよね。それどころか、私たちの年金を運用していることすら知らなかったりします。ですので、私たちもインベストメントチェーンの中にいて、委託した資金を機関投資家が運用していて、機関投資家が企業にどういう影響を与えているのかを知りましょうといった内容の本になっています。

今回の書著を通じて、読者に何をメッセージされたかったのでしょうか。

今や実体経済(モノやサービスの取引を通じて対価を得るような経済的活動)よりも金融経済(金融に関連する経済活動)が遥かに大きくなってきています。GDPよりもマネーが多くなってしまっているのです。マネーの部分の多くは機関投資家が売ったり買ったりして儲けているわけです。投資家が自分の四半期ごとの利益だけを考えていたら、実体経済に良い影響を与えるはずがありません。このような中で、「投資家も持続可能性を考えた投資をしましょう」というのが私のメッセージです。

04社会に向けた自社の取り組みを発信する大切さを理解したい

最後に中小、中堅企業の経営者や人事責任者へのメッセージをお願いいたします。

去年、大学3年生が就活を進めるにあたって私のゼミ「ESG(環境・社会・ガバナンス)投資から考える金融ESG(環境・社会・ガバナンス)投資から考える金融」でアンケートを取りました。その名の通り金融系のゼミなのですが、全部で19名のうち金融を志望していたのは5名。メーカー志望も5名いて、後はその他という位置づけでした。「どういう目線で就活をしようとしているのか」、あるいは「将来自分が働きたい会社をどう考えているか」を聞いたところ、志望する業種に関わらずZ世代の人たちは、自分が会社に就職することで、その会社を通して社会や地球に役に立ちたいという意識が非常に強いです。金融においても、「お金の流れを変えることで地球環境を変えたい」とか、それからメーカーだと例えば「素材メーカーに就職して地球環境を変えたい」などと思い描いています。最近の学生はそういう印象があります。

私はもう20年ぐらいゼミを担当していますが、以前と比べるとこうした傾向が強くなってきました。従来までは、「給与が高いかどうか」がメインでした。最近は違います。就活生は「企業のパーパス、存在意義は何か」を気にしています。経営者や人事担当の方は、「自社が環境や社会に向けてどう取り組んでいるのか」「こういうパーパスや存在意義の下で活動を進めています」ということを、学生も含めすべてのステークホルダーに伝えていくことが一段と重要になって来ていることをぜひ理解していただきたいと思います。

三和先生、貴重なお話をありがとうございました。


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三和 裕美子/博士(商学)

明治大学

商学部 教授

大学卒業後、1988年から1991年まで野村證券岐阜支店に勤務。その後同志社大学アメリカ研究科修士課程、大阪市立大学大学院経営学研究科博士課程を経て、1996年より明治大学商学部および大学院にて「機関投資家論」を担当している。1996年から1998年には米ミシガン大学にて客員研究員を務める。

主な研究分野は、機関投資家とコーポレートガバナンス、機関投資家のエンゲージメントとESG投資、資本市場と女性活躍、アクティビストが企業に及ぼす影響など。関連論文を多数公表している。

主な著書として、『激動の資本市場を駆け抜けた女たち』白桃書房(2022年)、『ファイナンス入門』(共著)、ミネルバ書房(2021年)、『DXと人的資本』(共著)、税務経理協会(2023年)、『投資家資本主義の未来 : ESG投資の行方』千倉書房(2024年)などがある。

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