バブルの崩壊によって、日本経済は大きな打撃を受けた。その精神的なショックも大きく、日本企業が生み出してきた良さの多くが失われてしまった感がある。特に大きな変化を余儀なくされたのが、人事部門だ。経営戦略と人事戦略を連動すべく手腕を発揮していた時代が、かなり昔の話として語られがちとなっている。再び人事部門が輝きを得ることができるのか。独立行政法人労働政策研究・研修機構 理事長の藤村 博之氏に聞いた。インタビューの前編では、人的資本経営に向けた取り組みのポイントや人事部の位置付けなどを語ってもらった。
人的資本という言葉が出てきたのは、1960年代の米国です。なぜ、そういうことが起こったのかというと、1957年にスプートニク・ショックと言われたのですが、当時米国とソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が宇宙開発競争を繰り広げていました。どちらが先に人工衛星を上げるかということで、結局ソ連のスプートニクという人工衛星が米国に先んじて成功しました。実は、スプートニクはこの前のコロナ禍の時に、ロシアから出てきたワクチンの名前でもあります。思わず、「またその名前を使うのか」と思ってしまいました。
つまり、宇宙開発競争で米国はソ連に後れを取ったのです。「なぜ自分たちが負けたのか」と原因を究明していく中で出て来たのが、「教育が悪かったのではないか」という話でした。社会主義国はとても教育熱心です。ほぼ無償でやっていましたからね。そういうソ連のやり方と比べると、米国のやり方が良くなかったのではないかとなり、そこで教育のあり方が議論になったわけです。そこで出て来たのが、人は利益を生み出す資本であるというヒューマンキャピタルの考え方でした。
折しも、当時シカゴ大学の教授であったゲーリー・S・ベッカー先生が1965年に、『人的資本(ヒューマンキャピタル)の理論』という本を執筆します。さらに、彼は1992年にノーベル経済学賞を受賞します。ですから、人的資本という考え方は、この分野で研究に携わってきた人間にしてみれば、「60年前にそういう議論をしていた。それが、なぜだかまた蘇ってきた」。そんな感じです。
どうして日本で、そういうことが言われるようになったのかと言えば、バブル崩壊後の不況から立ち直る過程の中で、ようやくその考え方が出てきたと私は見ています。日本は元々、人材育成に熱心に取り組んでいました。しかし、バブルがあり、その崩壊で不況になりました。バブル崩壊後の不況は、長くてかつ深かったんです。だから、企業はいずれも生き残りを賭けて、コストを下げなければいけませんでした。
売り上げが伸びない中で、利益を一定レベル確保するにはコストを下げるしかありません。人件費はコストの一部です。人に払う賃金はもちろん費用という側面があるのですが、同時に将来我が社を支えてくれる人たちを育成していく投資と捉えることができます。つまり、費用と投資という両方の考え方があったはずなのです。
にも関わらず、費用の面が強調されて、人を減らす、正社員が辞めても補充はしない、あるいは補充するにしても有期雇用の人たちでというふうに、非常にコスト面の人件費が強調されていきました。これが、1990年代半ばから2010年代ぐらいまで続いていたと思います。
しかし、仕事の注文は来きます。でも、注文をこなせるだけの人材が社内で育っていないことに気づきます。ならば、「外部から採用すれば良いのではないか」と思うものの、実は外部からも採用しにくかったりします。
その理由について、「日本の外部労働市場が十分発達していないから」と説明する人がいるのですけれど、そんなことはありません。日本の労働市場はしっかり機能しています。「なぜ採用できないのか」と言えば、自社が必要としているような人材は、別の会社で大切な仕事をしているわけです。その辺りをウロウロ歩いているわけではありません。だから、外から調達しようとしても難しいのです。ならば、内部で育てていくしかないというところに立ち返ってきたのが、伊藤レポートのきっかけなのかなと思います。
ただ、伊藤レポートは投資家向けに企業価値の一つとして人材があることをクローズアップしています。「それは悪いことではない」と思います。結局、人件費は投資の側面がありますからね。「人をしっかり育てていかないと企業価値は上がらない」、そこに気がついたのはとても良いと思いますが、伊藤レポートを読むと、すごく疑問が湧いて来てしまいます。どういう疑問かと言うと、人をどう育てるのか具体的な方策が見えてこないことです。
人は現場第一線で仕事をしながら育ちます。なのに、現場第一線で仕事をする人たちの姿が、あのレポートからは全く見えてこないんです。何かふわふわした話というか。「こういう人たちが何人いて、こういう人がこういうふうになっていくと人的資本の価値が上がるよね」という、ある種の机上の空論みたいなものがあって、実際にそういう人たちを社内で増やしていくには、現場で何をやれば良いのかという話が出てこないのです。これは、経済産業省主導でやっているからと言ってしまえばそれまでなのですがね。伊藤レポートに関しては、私はそういう評価をしています。
人的資本の価値を上げていくには、余剰人員を抱えないといけません。これが、私の結論です。今働いている人たちが、「こういうことをやると面白いよね」「こんな取り組みをしてみたらどうだろうか」とか、そういう試行錯誤を繰り返すことによって新しいものが生まれて来ます。
今多くの企業でそういう状況になっているかというと、残念ながらなっていません。バブル崩壊後の不況を乗り切るために、人をできるだけ減らしてギリギリの人員で回しています。そうすると失敗を許容できなくなっています。しかも、納期は厳しいとなると、現場では仕事ができる人にやってもらうしかありません。
本来、6~7割できるようになったときに、「次は君が主たる担当者としてこの案件を回してくれ。聞きたいことやわからないことがあれば申し出てほしい。周りでしっかりと支援するから」と、やらせてみることが必要です。そうしないと人は育ちません。ただ、それにはやはり時間が掛かります。100%はできる人材ではないので時間を要してしまいます。やってみたけれど上手くいかない、失敗する場合もあるでしょう。
失敗を許容する状況が作り出せていない中で、人的資本経営が本当にできるのだろうかと思ってしまいます。つまり、人材の価値を上げようとする時に、まず試行錯誤ができる、挑戦できることが必要です。挑戦するためには、失敗を許容する時間的な余裕が必要です。そこの部分ですね。
企業価値をどうやって測るかがポイントになってきます。やはり、経済産業省は株価で測りたいでしょうね。ただ、世の中で困っている会社や困っている人たちがいて、その困った状態を解決するような商材やサービスが提供できていれば、当然売り上げは上がるはずです。それによって企業価値も上がっていくはずです。
だから、まずは会社や個人が何に困っているか、どういう問題を抱えていて、それを解決して欲しいと思っているのか。そこが、まずわからないとどの分野に資源を投入すれば良いのかはわからないはずです。これは、昔から言われていることです。「マーケットをしっかりと見ましょう」と。マーケットというのは、困っている企業や困っている人の集合体です。何に困っているのかを把握できているかどうかです。それを把握せずに、「我が社はこういう技術を開発しました」「この技術を使ってこういう製品を作りました」「こういうサービスを提供します」「良いものですから皆さん使ってください」という言い方をして商品やサービスを売り出そうとしています。
それで、結局は売れなかったりする。挙句の果てに「こんなに良いものなのにどうして売れないのか」と悩んでしまいます。そもそもの出発点が違うんだろうと思います。この会社が、この個人がこういうことで困っているから、わが社の技術をこういうふうに組み合わせて使うと、困っている状態を解決できる。だったら、そういう製品とかサービスを開発していこうとなれば良いはずなのです。そこのまさに地道な努力が成否を分けていくように思います。
持っていると思います。ただ、具体的に何をすれば良いのかがわかっていないように思います。例えば、人材関係でダイバーシティマネジメントが良く指摘されます。いわゆる、多様性です。ただ、ダイバーシティマネジメントを現場で本当に実践しようとするとすごく面倒くさいです。
例えば、課長が号令を掛けて「右向け右」と言った時に、「どうして右なのですか、左では駄目なのですか」と言い出す人がいるのが、ダイバーシティです。そういう時に頭ごなしに、「今は右だ。右を見ていれば良いんだ」では意味がありません。「なぜ、左では駄目なのですか」と言う部下の言い分を聞いて、そこでしっかり議論して、場合によってはその部下が言うことに一理あるなと判断し、右ではなくて左に変えていく。こういうことが起こるのがダイバーシティなのです。それは、時間が掛かるし面倒くさいです。これを経営陣はわかっていないと思います。
確かに、見かけ上のダイバーシティは進んできました。女性や高齢者が増えてきました。外国人も今や普通に働いています。しかし、大事なのは考え方のダイバーシティです。「右ではなくて左では駄目なのですか」という反対意見を言うような人がいて、なおかつ、その反対意見を言える。それが、ダイバーシティにとっては必要です。
そういう意味で、私は1980年代ぐらいまでの日本企業の方が、ダイバーシティがあったのではないかと思っています。上司が理不尽なことを言ってきた時に、上司に対して食ってかかる先輩がいました。「そんなことを言われても困ります」「こういう状況でなぜそんなことを言うのですか」と上司に対して反論する姿が割と普通に職場の中で見られました。今はどうなっているかと言うと、そういう反論をする部下はほとんどいません。それはそうです。反論すると、時間が掛かります。もうギリギリの状態で仕事を回していますから、「取り敢えずは自分の担当の業務を終わらせたい」と誰もが思っています。
そういう働き方をしている中で、上司が変なことや現場の実態と乖離しているようなことを言って来た時に、「ここで反論しても仕方がない」「だまってうなずいていた方が波風が立たないから良い」と思ってしまいます。しかし、それはダイバーシティでは全くないのです。
最近人事の方とお話をすると、「近年の新入社員はおとなしすぎる。もう少しやんちゃな面があっても良いのに」とおっしゃいます。そういう方に対していつも私は、「いやいや、それは新入社員がおとなしいのではなくて、お宅の既存の社員がおとなしいのではないですか。新入社員たちは、この組織の中で自分がどう行動すれば良いのか、先輩たちを見て判断していますよ」と申し上げています。
上司が理不尽なことを言ってきた時に、反論せずに「はいわかりました」と受け入れている先輩を見れば、「この組織では反論してはいけないんだな」と思ってしまいます。その意味で言えば、新入社員は組織の鏡なのです。「そういうふうに思った方が良いのではないですか」とお伝えしています。
いただいた質問に戻ると、経営者の皆さんは人的資本経営の大切さをわかっています。「そうだよな」と。ただ、具体的に現場で何をやれば人的資本の価値が高まるのかはわかっていません。「人的資源の価値を高めるには、余剰資源を抱えなければ駄目だ」と経営者が思ってくれれば良いのですが、そこは多くの方はおわかりになっていないと思います。
頑張っておられる会社はありますよ。例えば、新潟にあるサカタ製作所です。ここは、大きな建物の屋根を固定する部材を作っている会社です。従業員は165名ほどです。この会社が面白いのは、社長が社内の問題解決のために従業員に考えてもらっていることです。実は、もう十数年前ですが、36協定を守れないような長時間労働の会社でした。「このままでは会社が立ち行かなくなる」と、ある時に社長が気づいて、2割・3割に留まらず、「残業をゼロにする」という声明を出しました。それだけでなく、「どうやったら残業がゼロになるか皆で考えてくれ」と従業員に呼びかけたんです。
従業員は最初、「それは無理です」と言っていたのですが、どうやら社長は本気だということで、職場ごとにグループを作って、どうやれば実現できるかアイデアを出し合うことにしたのです。それでも、「残業をゼロにしたら納期が遅れるからお客様に迷惑が掛かってしまう」という意見が多かったようです。「いやいや、何とか工夫しようよ」と声を掛け合っていったところ、従業員の中から色々なアイデアが出るようになってきました。それらを、少しずつ実現していった結果、5年で残業がほぼゼロになって、売り上げも全く変わらないというレベルまで到達しました。
結局は、経営者が従業員をどれくらい信用するかということです。中小企業の経営者の皆さんは、「うちの従業員は能力が高くない。勉強も嫌いだからうちのような会社に来ている」とおっしゃる方が多いです。しかし、学校の勉強と組織をどう変えていくかは違う話です。「一緒にやっていこうよ」と呼びかけていけばできるものです。
サカタ製作所は、毎年大卒を3,4人雇っていますが、「内定辞退はゼロだ」だと言っておられます。「あの会社に行くと面白い仕事ができる」「自分たちがやりたいことをやらせてもらえる」という話が広がると誰も内定辞退をしないんです。これは、人的資本経営の基本だと思っています。
元々、それを色々な会社でやっていました。要はバブル崩壊後の不況が、日本の企業経営に大きな影響を与えたわけです。バブル以前、1980年代までは、例えば人事担当の取締役は大体副社長ないし、専務でしたね。人事部門から上がってきた人が社長をやっていたりというケースも珍しくありませんでした。
経営戦略と人事戦略を結びつけるというのは、要は我が社としては、5年後・10年後にこういう事業を展開したいという戦略があって、それを担う人材をどうやって確保していくのか、今いる人たちをここに配属して、こういう経験を積んでもらって、将来この分野で活躍してもらおうと考えていくことです。それは、どこの会社も普通にやっていました。
それが、バブル崩壊後の不況で、間接部門のスリム化が指摘され、まずは人事部から始めようということで人事部の人員がどんどん減っていったわけです。でも、やるべき仕事の量は変わりません。それで、業務処理の部門になってしまったのです。本来は経営戦略を見ながら、こういう人材を採用して、内部で育てていくことをやらなければいけないのに、それをやる余裕がなくなってしまいました。それが、1990年後半から2000年代、2010年代もそうでしたかね。そこまで続いてしまったんです。
そうした中で、戦略的人事管理という考え方が米国で出てきます。ストラテジック・ヒューマンリソース・マネジメントです。実は、これは元々日本で生まれたものです。1980年代の日本企業を研究すると、経営戦略と人事戦略がしっかりと結びついていました。ここで、タレントマネジメントも出てきます。それまでの米国企業は、各部門ごとに採用して、そこでいらなくなったら辞めさせる。こういうことを行っていました。でも、優秀な人材は世の中にそんなに沢山いるわけでもありません。それに、Aという事業部で活躍できなかったとしても、Bという事業部だったら活躍できることは往々にしてあります。だから、会社全体を見て人事管理をやっていこうということで、戦略的人事管理が1990年代後半ぐらいから米国で注目されるようになったわけです。繰り返しますが、これは元々の原点は日本企業です。でも、人事部の人たちはそういうことを知りません。だから、「米国での新しい考え方を日本でも」と言い出しました。
なぜ、米国の人事関係の研究者や人事部門がそこに注目したのかと言うと、これは私の見解ですが、米国企業の人事部の影響力向上につなげようとしたからです。もともと米国企業の人事部は、ファイル管理の部署と位置づけられていました。米国における女性管理職の比率は4割ぐらいです。そうした中で、男性が絶対手放さないポジションがあります。それは企業の中で、権力というかパワーを持っているところです。つまり、お金を牛耳る部門と経営戦略を考える部門です。ここは、男たちは絶対に手放しません。逆に女性が多い部門は、教育・人事・広報です。これらは会社の中で、あまり力がなかったりします。
ファイル管理の部署だった人事部が、会社の中でもう少し存在感を発揮したいといった時に、出てきたのが戦略的人事管理という考え方でした。これに日本企業も乗ったわけです。実は日本では元々人事部がしっかりしていました。その力が弱っていく中で、「このままではまずい」というので、米国で注目され始めていた戦略的人事管理に乗ってやっていこうとした。そういう流れだと思っています。
昔は良かったと言うつもりは決してありません。以前の日本企業はしっかりやっていた。でも、それができなくなっています。なぜできなくなっているのか。そこをしっかり見ないと、これからどうやって人的資本の価値を高めていくのかというところに、上手く繋がっていかないと思います。
例えば、従業員が1000人いたとして、その一人ひとりについて「こういう価値や能力を持っています」と開示することはできません。結局、何かある種の資格を持っている人が何人とか、こういう経験を持ってる人が何人いるというふうにしか開示できないだろうと思います。
投資家は、その数字を見てこの企業に投資するかどうかを決めるのかもしれませんが、私からするとそこには自ずと限界があると思っています。
藤村 博之氏
独立行政法人
労働政策研究・研修機構 理事長
1990年4月滋賀大学経済学部助教授に就任。1996年同学教授に昇進。1997年10月から法政大学経営学部教授に。2004年4月に同学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授に就任。2023年4月から現職。専門は人的資源論、労働関係論。