行動経済学では、「人間は常に合理的な判断を下す」という考えに疑問を呈する。ならば、個人の集合体である会社や組織も、合理的であるとは考えにくい。それは、どれほど優秀なメンバーが集まり、自分たちは合理的な意思決定したとしても結果は変わらなかったりする。いわゆる、「合理性の落とし穴」。どうしても、組織は不合理な判断をしてしまうというわけだ。
そうした中、組織的な意思決定の合理性を限定する状況と、その状況下での意思決定の結果を解明する研究を進めているのが、鹿児島大学 法文教育学域法文学系 法文学部 法経社会学科 助教の安藤 良祐氏だ。むしろ、人間が持つ心理的特性を踏まえた上での組織づくりを進めていく意義を説いている。インタビューの前編では、組織論を研究するに至った原点や研究活動のアプローチなどを聞いた。
はい。もしかすると他の先生方とは少々変わったキャリアを歩んでいるかもしれません。小さい頃から「我々の世界がどう誕生し、どのように進化していくのだろう」との宇宙や素粒子といった物理学に興味を持っており、この分野の研究者になりたいとの夢を持っていました。そこで宇宙や素粒子が学べた北海道大学・大学院に進学し、結果的に原子核理論を専攻しました。素粒子は物質を構成する最小の粒になるのですが、原子核理論では、素粒子が集まった陽子や中性子から構成される原子核の性質や挙動を研究していました。
修士論文では、中性子過剰核を研究しました。これは自然に存在しない原子核で、宇宙での元素合成過程で生成されると考えられています。例えば、原子番号2のヘリウム原子核だと、陽子2つと中性子2つで構成された状態が最も安定していますが、さらに中性子を2つ、4つと足したときに原子核として体を成すか成さないかといったことを分析するのです。こういった元素の根源やその性質を研究していました。さらに、大学院の時には夏休み中の2カ月間に渡って、ドイツの重イオン研究所(GSI)で原子核の加速器実験を学ぶ機会があり、大変でしたがとても充実した時間を過ごしました。
もちろん、今は原子核の研究はしていません。ただ、どんな新しい発見があったのかたまにチェックくらいはしています。大学院修了後は、研究か就職かの道で悩みましたが、最終的に就職を選びました。ただし、リーマンショックの時期で就職活動が何かと大変だったのを覚えています。
直接的な接点は、ないですね。ただ、間接的にはリサーチスキルが挙げられます。仮説を立てて、実験やプログラミングで仮説を検証していく。それで仮説とのギャップを見て、「ここがこうだったから、次はこういう改善をしよう」などと進めていくプロセスを学べたところが、一番大きいと思います。
私のキャリアは、まず2010年に鉄道会社・JR九州に電気技術系総合職として入社したところから始まります。電気と言うと、線路上にある数千~数万ボルトがかかっている電車架線がイメージしやすいと思いますが、そちらではなく列車運行を制御する信号やシステムなど、弱電系の信号通信と呼ばれる部署に所属となりました。最初の配属先は、まずは現場を学ぶということで、熊本の工務組織でした。ここでは、例えば、トラックなどによって折損した踏切の遮断桿修理や信号機の電球交換などの保守業務や関連する工事監督などを担当しましたね。もう本当に現場の仕事です。それを2年ぐらい経験しました。
キャップは感じましたね。大学の研究室はもちろん、加速器研究所も経験したわけですから。アカデミックと民間事業会社の技術職は、かなり違いました。でも、どちらが良いとかではなかったです。実際、鉄道の仕事は本当に地域密着というか、地域のために働いている実感が強く、同僚も「安全・安定輸送を実現しなければいけない」という高い意識を持っていました。そこは、日本のすごいところだと感じていましたね。
と言うのも、大学院時代にドイツに訪れた際、鉄道のレールパスを買って、結構周遊していたんです。でも、日本と違って欧州では電車が結構遅れることが多かったんですよ。電車の定時制を考えると、日本の鉄道は現場に密着した社員の方々の日々の努力で支えられていると身をもって実感できました。
社会人時代を通じて現場から経営層までの意思決定を見てきましたが、やはり会社毎に規定や決まりが定められ、指揮命令系統はしっかり整理されていました。ただ、中を見ると意外とドロドロしていると言うか、特定の人間のパワーやしがらみのようなものを感じることが多々ありました。例えば、会議の場に課長や部長がいても業務や現場を良く知るベテラン社員が会議を回していたり、会議に先立つ根回しが大事だったりします。このように組織にはそのシステマティックさの中に、人間らしさがあることを多く経験しました。そこが研究の起点になっていると思います。
社会人時代を通して、縦では現場レベルから経営層レベル、横ではさまざまな部門・部署などの意思決定の現場に、時にはその主役として触れてきました。そこで感じたことは「意思決定のカオティックさ」です。状況は時々刻々と変わるし、意思決定に参加する人も流動的、さらに意思決定の会議の場で俎上に上がる問題も多種多様。そして、最終的な意思決定を経営層に付議する前に、優秀な関係者同士で議案を揉んだにもかかわらず、今一つしっくりしない。他にも、社内稟議を踏んでいく過程で責任の所在があいまいになったり、決定期限が近付いてしまったがためになし崩し的に妥協的な意思決定になってしまったりと、こういった状況を良くも悪くも経験してきました。
そうですね。例えば、稟議を起こした際には、当然課長や部長に稟議を回し、壁を突破していかなければいけません。その際に上席からは、「これはこちらの方が良い」とか「もう一回考え直してみてほしい」などと言われ、手直しをします。そして、再度稟議を回すためにアポを取ろうとするものの、「ここ1週間はいない」「時間が全く空いていない」などと言われ、なかなか前に進めなかったりします。結局、2週間後ぐらいに上席に修正案を説明しながら、その後もあれこれ指摘に対応するうちに、期限が近付いて最終的には最初の案に戻るみたいなこともあったりしました。その際は、大変な歯がゆさを覚えましたね。本来は一瞬で終わって良かったのではないということが、起こっていたわけですから。
ノーベル経済学賞受賞者のSimon1 は、人間にはその認知能力、計算処理能力には限界があることを「限定合理性」と名付けています。やはり個人では限定合理性から“コト”を成すのは難しいと言えます。そのために組織で意思決定して“コト”を成すわけです。3人寄れば文殊の知恵ということです。しかし、今まで話したとおり、なかなか文殊の知恵とは言えないことも多いのが組織の実情だと思います。そこで、一見カオティックに見える意思決定を何とかサイエンスできないものかとビジネススクールでの学びに着想を経て今の研究に至っています。
修士論文では、行動経済学をアイデアに、「なぜ組織が自滅的な意思決定をしてしまうのか」を考察しました。行動経済学はご存知のとおり、個人の不合理な行動を説明することに焦点が当たっており個人を対象にしています。ですので、行動経済学を組織論に適用するような考えは、私が知る限りはあまり見られませんでした。だからこそ、この領域を接続できれば面白いのではないかと思ったわけです。
はい、そうです。私がビジネススクールに在籍していた頃のゼミ指導教官であった永田 晃也先生(現・北陸先端科学技術大学院大学副学長、特任教授)は、大変素晴らしい指導者で、修了後も月に一度、自主ゼミという形でゼミのOBを招き、私たちの考えを議論する場を設けてくださいました。そのおかげもあり研究を進めることができました。2024年からは長崎大学大学院経済学研究科博士後期課程(DBA)に進学し、これまでの研究成果をさらに発展させているところです。
1. H. A. Simon: Administrative Behavior: A study of decision-making processes in administrative organization :1st eds (NY: Macmillan, 1947).
私の場合、経営組織論、意思決定理論、行動経済学などの分野を個別に研究しているというよりも、分野横断的に取り入れながら組織の意思決定を探求しようとしています。現在は、VUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:あいまい性)やBANI(Brittle:脆い、Anxious:不安、Non-liner:非線形、Incomprehensive:不可解)の時代という言説が流行るなど、現代社会に生きる人間が時代の不安定さに怯えている状況と言えるでしょう。このような不安定な状況での組織の意思決定理論の一つに、Cohen、March、Olsenのゴミ箱モデルというものがあります 2。ここでは、従来からある「考え得る選択肢から最も満足度の高いものを選ぶ」といった決定手法ではなく、意思決定はタイミング次第で偶然発生するものと説明しています。私は「このモデルをヒントに組織の自滅的な意思決定を行ってしまうプロセスが探求できるのでは」と考えています。
組織の意思決定を考えてみると、ミクロ的には、個人の選好からの影響が考えられます。選好とは、簡単に言えば、個人の好き嫌いと捉えていただいて結構です。組織の最小単位は当然“人”ですよね。例えば、同じ課であっても課長が変われば課の雰囲気が変わるといったことはよくあります。本来、課とは、営業、開発、人事、総務など、特定の組織機能を果たすために存在するもので、誰がトップになろうと機能そのものは変わらないはずです。しかし、トップの個性や判断が課のカラーに影響して、雰囲気はもちろん、業務効率や業績が変わることは良く経験することではないでしょうか。このような個人の特性が組織にとって重要なファクターなのではと考えています。
先ほど、社会人経験のお話をさせていただきましたが、通常は、4~5人ぐらいのグループで意思決定しながら仕事を進めていませんか。業務上、何か問題や課題があったら、グループで話し合いながら決定するのが、一般的なプロセスでしょう。ただし、組織で意思決定するといっても、最終的にはグループで決定権を持つ人が意思決定するわけです。予算、人事、各種KPIなどに対して責任や権限を持つ、それこそ課長だったり、部長だったり、最後は社長になるでしょう。
そうなると、やはり個人の選好、好き嫌いなどの属人性が必ず影響してきます。また、これは管理職に限った話をしているのではなく、一般社員も含みます。私は社会人経験の中で、そういった属人性を感じる場面が多々ありましたし、みなさんにも同意いただけるのではと思います。組織としてのシステマティックな中に属人性があるのです。こういった研究テーマは、これまであまり研究対象になっている印象がなかったので、新たな知見を深めることができるのではないかと考えています。
2.M. D. Cohen, J. G. March, J. P. Olsen: A Garbage Can Model of Organizationl Choice. Administrative Science Quarterly, 17(1) (1972), 1–25.
安藤 良祐 氏
鹿児島大学
法文教育学域法文学系
法文学部 法経社会学科 助教
1985年、宮崎県生まれ。鹿児島大学法文学部法経社会学科(経済コース)助教。専門は経営組織論、経営修士(MBA)。
北海道大学理学部物理学科を卒業後、同大学大学院理学院宇宙理学専攻を修了。修了後は九州旅客鉄道株式会社に入社し、信号通信関連の業務に従事。その後、デロイト トーマツ コンサルティング合同会社にて、主にシステム開発領域におけるプロジェクトマネジメントを担当。九州旅客鉄道在職中に九州大学大学院経済学府産業マネジメント専攻(ビジネススクール)を修了し、MBAを取得。「組織が不合理な意思決定に至るプロセスの解明」を主題とした修士論文により、「南賞・優秀賞(優秀論文賞)」を受賞。現在は、長崎大学大学院経済学研究科博士後期課程(DBA)に在籍し、組織の意思決定過程における不確実性・あいまい性・個人の時間選好に着目した研究を展開。シミュレーションや質的・量的分析を用いて、多面的な観点から組織の意思決定を探る。