中小企業の財務管理(おカネのマネジメント)が重要なのは、企業の望ましい姿である「革新性と生産性の両立」のうち、生産性を支えるのが財務管理だからです。財務管理論を専門とする京都産業大学の中井透教授は、中小企業は人材や製品の質では大企業に引けを取らない一方、おカネのマネジメントでは差が大きいと指摘します。
M&Aは大企業だけのものではなくなり、事業承継の選択肢として中小企業のM&Aも増えています。中小企業庁が「M&A支援機関登録制度」を設けるなど、環境も整いつつあります。M&Aや事業承継で必ず問われるのが企業価値の評価であり、資金調達や経営戦略の策定にも役立つファイナンスの知識は、中小企業の経営者が身につけるべきものになっています。
本記事では、金融機関勤務や中小企業の経営指導を経て研究者となった中井教授へのインタビューをもとに、良い会社の条件である「革新性と生産性の両立」、財務管理を「フィルター」として使う考え方、ファイナンスの右腕が育たない理由、そして人への投資を企業価値につなげる視点について解説します。
この記事でわかること
・良い会社の条件「革新性と生産性の両立」とは
・中小企業が大企業と最も差がつく経営資源が「おカネ」である理由
・財務管理を「ブレーキ」と「レンズの保護」の2つのフィルターとして使う考え方
・ファイナンスを任せられる「右腕」が育たない理由と対策
・「人への投資をする余裕がない」が危うい理由
取材協力:中井 透 氏
京都産業大学 経営学部 マネジメント学科 教授(取材時)。慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了。広島大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了。博士(マネジメント)。1991年岡山商科大学商学部専任講師、2000年同教授を経て、2007年より現職。京都産業大学副学長、理事・評議員、経営学部長、大学院マネジメント研究科長、進路就職支援センター長などを歴任。日本財務管理学会会長・常任理事、日本経営財務研究学会評議員などを務める。近著に『物語でわかるスタートアップファイナンス入門』(中央経済社、2025年)。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
良い会社とは「革新性」と「生産性」が高いレベルで両立した状態
中井教授は、企業の望ましい姿を革新性と生産性が高いレベルで両立している状態だと定義します。
| 観点 | 革新性 | 生産性 |
|---|---|---|
| 意味 | 市場、つまり顧客が求めているものを的確に把握し、それに対応・適合できている度合い | 投入した経営資源を上回る産出結果がもたらされている状態 |
| 経営のスタイル | 市場への対応力に優れ、拡大や成長を志向する経営 | アウトプットがインプットを上回る効率性を重視し、安定や収益を志向する経営 |
| 関わる経営機能の例 | マーケティング、研究開発 | 財務管理(おカネのマネジメント) |
出典:中井教授への取材をもとに編集部作成
このうち、生産性を高めるうえで欠かせないのが、おカネのマネジメントです。ところが多くの中小企業やスタートアップでは、自社の製品やサービスを市場に提供して売上の成長を図る革新性の追求はなされていても、そのための資金調達や、調達した資金の効率的な運用の評価がおろそかになっているケースが少なくないと中井教授は言います。
中小企業と大企業の差が最も大きいのは「おカネ」
中井教授が「おカネ」を研究の軸に据えたのには、2つの理由があります。大学卒業後に金融機関に就職し、その後学び直したビジネススクールで、人・モノ・おカネ・情報・戦略を一通り学ぶなかで、最も自分に合うと感じたのが財務管理・ファイナンスの領域だったこと。そして理学部出身で、数字を扱うことが苦にならなかったことです。修士論文を書きながら受けた中小企業診断士試験に合格したことをきっかけに経営指導に関わるようになり、中小企業の経営者と接するなかで関心を深めていきました。
中小企業には情報開示の義務がなく、財務情報の多くはクローズされています。そのため中井教授は、経営者と近い距離で関係を築き、指導先の企業から教わりながら実態の把握に努めてきました。
そこから見えてきたのが、ヒト・モノ・カネの経営資源のうち、大企業との差が特に大きいのは「おカネ」だということです。
| 経営資源 | 中小企業の実態(中井教授の見方) |
|---|---|
| ヒト | きらりと光る優秀な人材がたくさんいる |
| モノ | 優れた品質の製品が多く、量では差があっても、質では中堅企業や大企業を凌駕する場合も少なくない |
| カネ | 資金調達の量も、調達した資金を運用するマネジメントの質も不足している |
出典:中井教授への取材をもとに編集部作成
だからこそ、中小企業におけるおカネのマネジメントは重要であり、必要不可欠だと中井教授は強調します。
財務管理は「2つのフィルター」――ブレーキ役とレンズの保護
中井教授は、おカネを「フィルター」として中小企業やスタートアップを見ています。このフィルターには、2つの役割が込められています。
| フィルター | イメージ | 経営における役割 |
|---|---|---|
| ① 濾過(ブレーキ) | タバコのフィルター(ニコチンを濾過する) | 「顧客のニーズがあるから」「イノベーションを起こさないと競争に負けるから」と革新性に偏りがちな経営を、本当に必要かシビアに見極め、無駄を取り除く |
| ② 保護 | カメラのフィルター(レンズそのものを守る) | 会社にとって大事な資金・キャッシュを守る。フィルターを通して見たときに、キャッシュが残っているかをチェックする |
出典:中井教授への取材をもとに編集部作成
革新性の追求そのものが悪いわけではありません。しかし、それが本当に必要な投資なのかを濾過し、キャッシュという大事なものを守る――財務管理には、この2つの機能が求められているのです。
投資の要否を見極め、キャッシュを守るには、自社の経営資源がどこにどれだけ投じられ、どんな成果につながっているかを数字で把握できることが前提になります。人への投資も例外ではありません。
人への投資とその成果を、数字で見える化する
おカネのフィルターを人への投資にも当てはめるには、人材に関する指標を財務とつなげて把握する仕組みが役立ちます。DEFiDEの「HRキャピタルダッシュボード」は、ISO 30414に基づく11領域58指標で人的資本を可視化できるサービスです。
ファイナンスの「右腕」が育たないのは、代替が効くから
「資金繰りやファイナンスを安心して任せられる右腕がいない」。中小企業の経営者からよく聞かれる声です。中井教授は、少し意地悪な受け止め方だと前置きしつつ、実は任せられる人がいるから右腕が育たないのではないかと指摘します。
| 業務 | 代替のしやすさ | 結果 |
|---|---|---|
| 営業・セールス | 基本的に代替が効かない。高度な仕事ほど自分でこなす必要がある | 成果を上げるための努力や改善が求められ、マネジメントのレベルも向上する |
| ファイナンス | 「税理士の先生に頼んでおけば問題ない」と代替が効いてしまう | 経営者自身も含め、専門的な能力を持つ人材が育ちにくい |
出典:中井教授への取材をもとに編集部作成
トップマネジメントでは通常、「わからないでは済まされない」ことばかりです。しかしファイナンスは「わからないでは済まされないことはない」領域になってしまっている、と中井教授は言います。
もっとも、成功している企業でもCEOがファイナンスに詳しくないケースは多く、それ自体は大きな問題ではないといいます。わかっている人がCEOのそばにいて、役割分担ができていればよいのです。「うちには専門家がいないから」で終わらせず、ファイナンスに詳しい人を社内で育てるか、外部から専門人材を迎えることを中井教授は勧めます。
「人への投資をする余裕がない」が危うい理由
人的資本経営の時代と言われながら、中小企業の経営者からは「人への投資をする余裕がない」という声も聞かれます。中井教授はこれを、経営者のマネジメントに対する認識の低さの表れだと見ています。
ファイナンスは生産性を重視します。人に対してどれだけの資源や資金を投入し、その結果がアウトプットにどう反映されるのか。その意識が低い経営者は、おそらく利益に対する感度も低いと中井教授は言います。非上場の中小企業やスタートアップでは「ROEを高めろ」と言われてもピンとこないのは仕方がない面もありますが、事業承継やM&Aのステージになると、必ず企業価値の評価が問われます。
経済産業省は2020年9月、「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の報告書、いわゆる「人材版伊藤レポート」を公表し、2022年5月にはその内容を深掘りした「人材版伊藤レポート2.0」を公表しました。これらは、企業が人材の価値を高めることで、企業価値を持続的に押し上げるという考え方を示しています。
企業価値が正当に評価されなければ、望ましい事業承継も、戦略性の高いM&Aも実現は困難です。そして企業価値を決定づけるのは、有形資産ではなく無形資産としての人材であり、人材が持つ価値そのものです。そうしたなかで「人材に投資する余裕がない」というのは困ったことだと中井教授は語ります。
転職が増えても、社内で人を育てる姿勢は捨てない
転職が増えると、従業員の教育に投資しても無駄ではないかと考えるのは無理もないことかもしれません。しかし中井教授は、企業内で人材を育成する姿勢は捨ててはならないと言います。早期のインターンシップで優秀な学生を囲い込もうとする動きの背景には、「すでに出来上がった優秀さ」を手に入れようとする意識が垣間見えます。それと同等か、それ以上に、入社後の人材育成・人材投資に注力すべきだというのです。
ヒトへの投資は財務諸表には表れにくいとされますが、代替データを使った研究では、若手の成長を重視する企業などで業績や株価が高まっているという分析もあると中井教授は紹介します。従業員の能力を伸ばし、社員が働きがいを感じる企業の企業価値は高くなっているのです。
ヒトに対する投資を促進するということに留まらず、投資効率を高めるためにおカネを含めたすべての経営資源について生産性の検証を行う経営が喫緊の課題であるといえるでしょう。
――中井教授
日本では「おカネ、おカネと言うな」となりがちですが、おカネというフィルターで生産性を追求することは、決して批判されるべきものではありません。むしろ生産性をおろそかにした投資こそが質の低下を招くのであり、それは経営資源のひとつである「ヒトへの投資」にも当てはまります(人的資本経営と財務戦略の結びつきについては、保田隆明教授の解説記事でも紹介しています)。
よくある質問(FAQ)
Q. 良い会社の条件とは何ですか?
A. 中井教授は、革新性と生産性が高いレベルで両立している状態を企業の望ましい姿としています。革新性は顧客が求めるものを把握し対応できている度合い、生産性は投入した経営資源を上回る産出結果がもたらされている状態を指します。
Q. 中小企業にとって財務管理が重要なのはなぜですか?
A. 中井教授は、中小企業は人材や製品の質では大企業に引けを取らない一方、資金調達の量と資金運用のマネジメントの質では差が大きいと指摘しています。財務管理は生産性を高めるうえで欠かせないため、重要だとしています。
Q. 財務管理の「フィルター」とはどういう意味ですか?
A. 2つの役割を指します。一つは、タバコのフィルターのように、本当に必要かを見極めて無駄を取り除くブレーキ役。もう一つは、カメラのフィルターがレンズを守るように、会社にとって大事なキャッシュを守る役割です。
Q. ファイナンスを任せられる右腕が育たないのはなぜですか?
A. 中井教授は、営業と違ってファイナンスは税理士などに任せることで代替が効いてしまうため、経営者自身も含めて専門人材が育ちにくいと説明しています。社内で育てるか、外部から専門人材を迎えることを勧めています。
Q. 中小企業は人への投資をどう考えるべきですか?
A. 中井教授は、事業承継やM&Aでは企業価値の評価が必ず問われ、企業価値を決定づけるのは無形資産としての人材だとしています。転職が増えても社内で育成する姿勢を捨てず、おカネを含むすべての経営資源について生産性を検証する経営が必要だと述べています。
まとめ:革新性に偏らず、おカネのフィルターで生産性と人の価値を高める
- 良い会社とは、革新性(市場への対応力)と生産性(効率性)が高いレベルで両立した状態
- 中小企業は人材や製品の質では大企業に引けを取らないが、おカネのマネジメントでは差が大きい
- 財務管理は、無駄を取り除くブレーキ役と、キャッシュを守るレンズの保護という2つのフィルター
- ファイナンスは代替が効くため右腕が育ちにくい。社内で育てるか、外部の専門人材と役割分担する
- 企業価値を決めるのは無形資産としての人材。社内で育てる姿勢を捨てず、人への投資も生産性で検証する
では、会社を「創る」こと、そして「続ける」ことに、ファイナンスと経営者はどう向き合えばよいのでしょうか。後編では、倒産を防ぐキャッシュマネジメント教育と、事業承継を円滑にする「Co-CEO(共同経営)」という選択肢を紹介します。
社員の働きがいと価値観を把握する
従業員の能力を伸ばし、働きがいを感じられる企業ほど企業価値は高まります。DEFiDEの「生成AIワークバリュー・スコア分析」では、従業員が仕事に求める価値観を分析し、育成や配置など人への投資を考えるヒントを得られます。
▶ 後編:Co-CEO(共同経営)とは?事業承継を円滑にする「時間差の共同経営」と、倒産を防ぐキャッシュマネジメント教育(内部リンク)
▶ インタビュー全文:目指すは、革新性と生産性が両立した状態(前編)(JOB Scopeマガジン)