ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)とは、人と人との関係性の中に埋め込まれた資源のことです。職場に置き換えると「社内の人脈」にあたり、東京都立大学の西村孝史准教授は、個人の力を組織力に変える鍵の一つだと考えています。
人的資本経営への関心が高まり、上場企業では2023年3月期から人的資本の情報開示が始まりました。その一方で、大手企業での人事実務の経験を持つ西村准教授は、人的資本経営の主導権が人事部から離れ、人事の存在感が低下する「人事の危機」が起きているのではないかと危惧しています。
本記事では、西村准教授へのインタビューをもとに、人的資本経営で起きている「人事の危機」、研究者から見た人的資本経営の3つのポイント、ジョブ型雇用の功罪、管理の個別化と人事データの倫理、ソーシャル・キャピタルの考え方、そして個人の力を組織力に変える3つの鍵について解説します。
この記事でわかること
・人的資本経営で起きている「人事の危機」とは何か
・研究者から見た人的資本経営の3つのポイントと、開示が期待外れになる理由
・ジョブ型雇用の功罪と、成果主義の二の舞を避けるポイント
・ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の意味と、人材マネジメントへの応用
・個人の力を組織力に変える3つの鍵
取材協力:西村 孝史(にしむら たかし)氏
東京都立大学大学院 経営学研究科 准教授(取材時)。大手企業で人事の実務を経験した後、研究者に転じる。一橋大学で博士号を取得。徳島大学大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部准教授、東京理科大学経営学部准教授、首都大学東京(現・東京都立大学)准教授を経て、取材時は東京都立大学大学院経営学研究科准教授。専門は人的資源管理論で、企業内のソーシャル・キャピタル、戦略人材マネジメント、リーダー開発、初任配置、限定正社員などを研究。共著に『1からの人的資源管理』(碩学舎、2022年)など。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
人的資本経営で高まる「人事の危機」とは
西村准教授が最も気になっているのは、人事のポジションが脅かされていることです。人的資本経営の舵取りをする部門が、人事ではなく経営企画部や財務部に移ってしまっているのではないか、と感じているといいます。
そのとき人事が担っているのは、自分たちが集めたデータを他部署に渡す「データ提供係」の役割です。本来、「人」を冠する人的資本経営であれば、人材のエキスパートである人事が中心となって、開示するデータや指標を考えるべきです。ところが実際には、経営企画部や財務部が経営陣と一緒に進めてしまっている。人事が本来の役割から後退している――それが「人事の危機」です。
西村准教授は、財務部門の側から見れば人的資本経営はむしろ追い風になっていると言います。人事部長が財務部長を兼ねるのはスキル的に難しい一方で、その逆はできてしまう。スキルや能力の違いが、主導権の差となって表れているのです。
研究者から見た人的資本経営の3つのポイント
人材マネジメントの研究者から見ると、人的資本経営も戦略人事も「何が新しいのか」という面があります。戦略と連動した人事管理は40年ほど前から言われており、投資家などの利害関係者に人に関する指標を開示しようという議論も10年以上前からありました。
そのうえで西村准教授は、守島基博教授が提唱した図をもとに、戦略から組織の業績に至るまでの経路を次のように整理し、人的資本経営のポイントを説明しています。
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| ① 戦略 | 企業として何を目指し、どう勝つか |
| ② 人事施策 | 戦略に合わせた採用・育成・評価・配置などの施策と、その組み合わせ |
| ③ 個人 | 人事施策の影響を受けた、個人の能力・行動・意欲の変化 |
| ④ 組織力 | 個人の人的資本が束ねられて生まれる、組織としての力 |
| ⑤ 組織業績 | 売上や生産性などの成果 |
出典:西村准教授への取材より(守島基博(2010)「社会科学としての人材マネジメント論に向けて」『日本労働研究雑誌』600号の図をもとに西村准教授が改訂した図を、テキストで再構成)
戦略を立てれば業績が上がるわけではなく、その間には必ず人事施策と、それによる個人の行動や意欲の変化が挟まります。この経路をもとに、西村准教授は人的資本経営の特徴を3つ挙げています。
- 戦略と人事施策のつながりを明確にする:どんな戦略に対して、どの人事施策をどう組み合わせるかを考える(経路の①→②)
- 個人の人的資本を組織力につなげる:一人ひとりの力をどう束ねて組織の力にするかを考える(経路の③→④)
- 個人が自律的にスキルを磨く:従業員一人ひとりが、自分でキャリアや能力開発を考える必要が出てきた
なぜ人的資本の開示は「期待外れ」になりやすいのか
ただし、1つ目と2つ目は研究者にとっても難しいテーマです。特に、個人の力を組織力に束ねる仕組みと、その組織力をどう指標化するかは、学者にも実務家にもまだよくわかっていません。そのため結局、平均勤続年数や男女別の勤続年数など、人事がすでに持っている指標を開示することになりがちです。「とりあえずデータを開示しておけばよい」となってしまうため、人的資本経営がバズワード化し、開示を期待外れと感じる人が多いのだと西村准教授は指摘します。
ジョブ型雇用は「功罪相半ば」――成果主義の二の舞を避けるには
職務を基準にするジョブ型雇用について、西村准教授は「功罪相半ば」だと言います。
| ジョブ型(職務給) | 日本型(職能給) | |
|---|---|---|
| 賃金の決まり方 | 就いている仕事(職務)で決まる | 能力の伸長に応じて少しずつ上がる |
| よい点 | 基準が明確で透明性が高く、納得感がある | 同じ仕事でも、頑張れば賃金が上がる |
| 注意点 | 仕事が変わらない限り賃金は上がりにくく、努力が評価されにくい | 基準があいまいになりやすい |
純粋な職務給では、同じポジションで同じ仕事をしている限り、努力が評価されにくくなります。スキルを高めたりOJTに打ち込んだりするインセンティブとして働きにくいのが1つ目の懸念です。
もう1つの懸念は、かつての成果主義と同じことが起きないかという点です。例えば、賃金や等級は職務給にしたのに、育成や評価、異動の方針は職能資格制度のままだと、人事の仕組みどうしに食い違いが生じ、人材マネジメントがうまく機能しません。人事制度全体の一貫性を保つことが欠かせないのです。
制度を部分的に入れ替えるのではなく、賃金・評価・育成・配置を一体で見直すことが、ジョブ型を機能させる前提になります。
賃金・評価・育成を「一貫性」のある人事制度に
ジョブ型を導入しても、評価や育成、異動の仕組みが従来のままでは制度どうしに食い違いが生まれます。DEFiDEの「JOB Scope」は、人事コンサルティングと人事クラウドの2軸で、経営に直結する戦略人事の制度設計から組織への定着までを一気通貫で支援する人事制度改革プラットフォームです。
管理の個別化と、人事に求められる「データの倫理」
個人が自分でキャリアや能力開発を考える時代になると、管理も個別化していきます。一律に管理することが難しくなる中で、個々の人材をどう束ね、どう管理する仕組みをつくるかが、人事にとっての大きな課題です。
もう一つ、DXやAIの時代に人事に強く求められるのが、どのデータとどのデータをつなげてよいかを判断する倫理観です。技術的にはさまざまなデータを集め、つなげることが可能になります。例えば、腕時計型の端末で社員の脈拍を測り、「上司と話しているときに脈拍が高いから緊張している、苦手なのだろう」と推測して異動に使う――技術的にはできても、それが許されるのかどうか。その判断を人事が下さなければ、データが不適切に使われてしまうと西村准教授は警鐘を鳴らします。
ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)とは?
西村准教授は、ソーシャル・キャピタルの考え方を人材マネジメントに応用することを提唱しています。学術的には「関係性の中に埋め込まれた資源や資本」と定義され、ビジネスの言葉で平易にいえば「人脈」です。直訳の「社会資本」では道路や公園などのインフラと混同されるため、一般には「社会関係資本」と訳されます。
相手を信頼して助け合う、情報を得る、困ったときに助けてもらう――こうした関係性そのものが資源になるという考え方です。西村准教授の研究では、人材マネジメントが主に影響を与えられる社内の人脈を対象にしています。
人材マネジメントは「社内の人脈」を変えられる
最もわかりやすい例が人事異動です。人事異動は、会社が人為的に人と人との関係性をつくり変えているとも見られます。
| 異動の種類 | 人脈への影響 |
|---|---|
| 職能をまたぐ異動 | それまでとはまったく違う職能の人たちとつながる |
| 同じ職能内での地域間の異動(例:東京本社から大阪支社) | 地理的に離れた拠点どうしの人脈がつながる |
つまり、人材マネジメントは社内の人脈に影響を与えることができる――これが西村准教授の提唱したいポイントです。そしてソーシャル・キャピタルは、個人の力を組織力に高めるメカニズムの一つだと考えられています。誰かから得た情報や、困っている人を助け合う「お互いさま」の関係が、部や課といった組織単位の力を底上げし、個人の総和以上の生産性や効率性につながるのではないかというのです。
個人の力を組織力に変える3つの鍵
個々の力を組織力につなげるために、西村准教授は次の3つを挙げています。
| 鍵 | 内容 |
|---|---|
| ① ダイバーシティ&インクルージョン | 人種や性別といった外形的な多様性ではなく、バックグラウンドやキャリアが多様なメンバーを組み合わせると、生産性が高まるとされる |
| ② 360度評価 | 部署のもともとの職務の規模(総和)と、360度評価の総和を比べれば、その差分を組織としての付加価値として捉えられる可能性がある |
| ③ 目標管理(MBO) | 部の目標を個人に分割するだけでなく、チームレベルの目標を設定することで、情報共有や助け合いが生まれる可能性がある |
戦略人材マネジメント(SHRM)とは?――「研究者の責任」という自省
戦略人材マネジメント(SHRM:Strategic Human Resource Management)とは、人事施策が企業業績にどう影響するかを、戦略や組織と人事施策の組み合わせ、人事施策どうしの組み合わせから検討する学問体系です。例えば差別化戦略なら教育訓練を充実させる、コストリーダーシップ戦略ならミスを抑える賃金体系にするなど、戦略に対応する人事施策の組み合わせが、売上や生産性に影響を与えると考えます。
これは人的資本経営で強調される「経営戦略と人事戦略の連動」そのものです。戦略人材マネジメントは1980年代から米国で議論されてきたもので、西村准教授は、それが「人材版伊藤レポート」をきっかけに日本で突然強調され始めたことに疑問を感じていると言います。
「一概に実務の人たちが駄目だというよりも、我々のアピール不足というか、人材マネジメント研究者の責任でもあると考えています。」
――西村准教授
研究者が長年同じことを言い続けてきたにもかかわらず実務に十分届かなかったからこそ、伊藤レポートが話題となり、結果として人事のポジションが相対的に下がってしまった――西村准教授は、そう自省を込めて語ります。
よくある質問(FAQ)
Q. ソーシャル・キャピタルとは何ですか?
A. ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)とは、人と人との関係性の中に埋め込まれた資源や資本のことです。ビジネスの言葉でいえば人脈にあたり、相手を信頼して助け合う、情報を得るといった関係性そのものが資源になります。西村准教授は、社内の人脈が個人の力を組織力に変えるメカニズムの一つだと考えています。
Q. 人的資本経営で起きている「人事の危機」とは何ですか?
A. 人的資本経営の主導権が人事部ではなく経営企画部や財務部に移り、人事がデータを渡すだけの「データ提供係」になってしまっている状況です。西村准教授は、人材のエキスパートである人事が中心となって開示する指標を考えるべきなのに、本来の役割から後退していると指摘しています。
Q. ジョブ型雇用のメリットとデメリットは何ですか?
A. 西村准教授は「功罪相半ば」としています。仕事で賃金が決まるため透明性が高く納得感がある一方、仕事が変わらない限り賃金が上がりにくく、努力が評価されにくい面があります。また、賃金だけを職務給にして評価や育成を職能型のままにすると、かつての成果主義のように制度どうしが食い違うおそれがあります。
Q. 個人の力を組織力に変えるにはどうすればよいですか?
A. 西村准教授は3つの鍵を挙げています。バックグラウンドやキャリアが多様なメンバーを組み合わせるダイバーシティ&インクルージョン、組織としての付加価値を捉える360度評価の活用、そしてチームレベルの目標を設定して情報共有や助け合いを促す目標管理(MBO)です。
Q. 戦略人材マネジメント(SHRM)とは何ですか?
A. 戦略人材マネジメントとは、人事施策が企業業績にどう影響するかを、戦略と人事施策の組み合わせや、人事施策どうしの組み合わせから検討する学問体系です。1980年代から米国で議論されており、人的資本経営で強調される「経営戦略と人事戦略の連動」にあたります。
まとめ:人事は「データ提供係」ではなく、組織力をつくる主役に
- ソーシャル・キャピタルとは関係性の中に埋め込まれた資源で、職場では社内の人脈。個人の力を組織力に変える鍵の一つ
- 人的資本経営の主導権が経営企画や財務に移り、人事が「データ提供係」になる「人事の危機」が起きている
- 人的資本経営のポイントは、戦略と人事施策の連動、個人の力の組織力への転換、個人の自律的なスキル形成
- ジョブ型雇用は功罪相半ば。賃金・評価・育成・配置の一貫性が欠かせない
- 個の力を組織力に変えるには、多様なメンバーの組み合わせ、360度評価、チーム目標の設定が有効
後編では、戦略人事を実践できるCHROの条件と育て方、若手人事に期待される「データと現場」の両立、「成果=能力×意欲」に人事施策で働きかける考え方、そして中小企業の経営者へのメッセージについて解説します。
職場の「関係性」と「意欲」を、データで捉える
個人の力を組織力に変えるには、社員が職場の人間関係や仕事をどう感じているかを知ることが出発点です。DEFiDEの「生成AIワークバリュー・スコア分析」は、生成AIで従業員の属性や組織の特性に合わせた質問を作成し、組織の状態を迅速にきめ細かく可視化します。
▶ 後編:CHROはどう育てる?戦略人事を担う人材の条件と、「能力×意欲」に働きかける人事施策(内部リンク)
▶ インタビュー全文:高まる人事の危機 旧来の人事の役割に逆戻りしている(前編)(JOB Scopeマガジン)