社員教育への投資は割に合う?賃金以上に生産性が上がる理由|大阪大学・渡辺周准教授

 

社員教育への投資は割に合います。大阪大学の渡辺周准教授は、近年の実証研究から、企業が従業員にトレーニングを施すと賃金は上がるものの、それ以上に企業の生産性が高まり、企業側も十分な利益を得られることが示されていると語ります。

前編では、新規事業や撤退を阻む「組織の〈重さ〉」と、組織を軽くする方法を紹介しました。後編では、企業が変わるための土台となる人への投資と、生成AIがもたらす変化への向き合い方を考えます。

本記事では、渡辺准教授へのインタビューをもとに、人的資本経営が重要だと考える理由、日本企業の教育投資の現状、「育てても辞められる」という懸念に対する実証研究の答え、生成AIの予測の難しさと過度に恐れなくてよい理由、そして中小企業の経営者が自分の時間を価値ある仕事に集中させるための投資について解説します。

この記事でわかること

・人的資本経営が重要だと考えられる理由――人への投資を促すこと

・日本企業の教育投資が少なく、さらに減ってきた現状

・研修で賃金が上がっても、それ以上に生産性が上がるという実証研究

・生成AIの10年先が予測できない理由と、過度に恐れなくてよい理由

・中小企業の経営者が「一見割高な投資」をすべき理由

取材協力:渡辺 周 氏

大阪大学大学院 経済学研究科 准教授(取材時)。2010年一橋大学商学部卒業。2015年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位修得退学。一橋大学大学院商学研究科特任講師、東京外国語大学世界言語社会教育センター助教、同大学大学院総合国際学研究院講師などを経て、2022年4月より現職。専門は経営戦略論、経営組織論。「企業が変わる」ことをテーマに、新規参入や撤退を促す要因・阻害する要因、組織の〈重さ〉、組織の年齢構成、経営者交代の影響などを研究。

聞き手:JOB Scopeマガジン編集部

人的資本経営が重要なのは「人への投資」を促すから

渡辺准教授が今注目するキーワードは人的資本経営です。学術的な文脈とは異なる形で語られることも多いとしつつ、人への投資を促そうとしている点に大きな意味があると考えています。

日本企業は、もともと従業員の教育への投資が少ないと言われてきました。「日本はOff-JTではなくOJTが中心」という説明もありますが、データで見ても他国と比べてかなり少ない状況です。渡辺准教授が見たデータでは、2000年代と比べて2010年代に入ってさらに教育投資が減っており、企業研修の現場でもその印象を受けるといいます。

日本企業が教育投資に消極的になる背景 内容
競争の激化 「競争が激しくなり、人への投資を含むさまざまな投資がしづらい」という声
転職の増加 離職率が上がる中で、「育てても辞められる」と教育に消極的になっている企業もあるのではないか(渡辺准教授の見立て)

出典:渡辺准教授への取材をもとに編集部作成

研修で賃金以上に生産性が上がる――実証研究の答え

「教育に投資しても辞められたら意味がない」「能力が上がると転職してしまう」「引き留めるには賃金を上げなければならず割に合わない」――こうした議論は昔からありました。人的資本理論を切り開いたゲーリー・ベッカーが提起した問題であり、2024年にノーベル経済学賞を受賞したマサチューセッツ工科大学のダロン・アセモグル氏も研究していたテーマです。

理論的にはさまざまな見方がありましたが、近年、データに基づく実証研究が出てきました。

企業が従業員にトレーニングを施すと 研究結果
従業員の賃金 能力が上がった分、上がる
企業の生産性 賃金の上昇以上に上がる
結論 企業は賃金を上げても、それ以上の利益を得られる

出典:渡辺准教授への取材をもとに編集部作成(渡辺准教授が紹介した近年の実証研究の知見)

転職が一般的になったとはいえ、ほとんどの企業では、例えば1年以内に辞める人の割合はそれほど高くありません。企業にも従業員にも、まだ転職のコストがあるからです。これが、OJTだけでなく公式な研修を提供して従業員の能力を伸ばす利点になっていると渡辺准教授は説明します。こうした学術的な研究結果とも一致するため、人への投資を促す人的資本経営は望ましい動きだというのが渡辺准教授の見方です(人的資本投資の考え方は、滝澤美帆教授や小野浩教授の解説記事でも紹介しています)。

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生成AIの10年先は「わからない」――だから前提にする

生成AIが経営や人事にもたらす変化について、渡辺准教授の答えの一つ目は「わからない」です。特に10年、20年の単位では予測できません。だからこそ、今予測しているのとは違う変化が起こることを前提に経営する必要があるといいます。

その理由として渡辺准教授が挙げるのが、半導体の性能向上を表すムーアの法則です。

期間 「18カ月ごとに2倍」とした場合の性能
3年 約4倍(予想できる範囲)
15年 約1,000倍
30年 約100万倍

出典:渡辺准教授への取材をもとに編集部作成(ムーアの法則を「集積回路上のトランジスタ数が18カ月ごとに2倍」とした場合の試算)

日常でスマートフォンやパソコンを使っていても、15年前の1,000倍になったという実感はなかなか持てません。2010年の時点で、今の生成AIの精度を予想できた人はほとんどいなかったはずです。指数関数的に性能が伸びる領域では、10年先は予測がつかない――それを前提に考えるべきだと渡辺准教授は言います。

生成AIを過度に恐れる必要はない――ただし「変わる覚悟」を

一方で、渡辺准教授は生成AIに過度に悲観的、敵対的になる必要はないとも言います。雇用に変化が起きるのは確実ですが、理由は2つあります。

過度に恐れなくてよい理由 内容
① 人手不足が加速する 少子化で労働人口が減り、人手不足はさらに進むと考えられる。生成AIで大量失業が起きる事態にはなりにくい
② 技術の歴史 1810年代のラッダイト運動以来、技術が仕事を奪うと言われてきたが、実際には生産性が上がって経済が発展し、雇用も賃金も増えて社会は豊かになってきた(生成AIでも同じとは限らないが、極端な悲観論は考えにくい)

出典:渡辺准教授への取材をもとに編集部作成

ただし、全体としてはそうでも、職種によってはAIに代替される仕事もあり、データ入力のような単純な事務作業の求人はすでに減っています。また、仕事そのものは残っても、AIを使いこなせなければ仕事ができなくなることもあります。2024年のノーベル化学賞では、AIによって化学の研究手法が変わったことが受賞理由に挙げられました。

変わる覚悟を持っている個人であったり、組織にとっては変化というのはむしろチャンスだと思います。

――渡辺准教授

個人にとっては安心できない変化だからこそ、変化に主体的・積極的に対応していくことが必要だと渡辺准教授は語ります(変わるための「アンラーニング」については、松尾睦教授の解説記事でも紹介しています)。

中小企業の経営者へ――「一見割高な投資」が中長期の成長を生む

最後に渡辺准教授は、中堅・中小企業の経営者に向けてメッセージを送っています。中小・零細企業では、経営者がすべての中心となって会社を回している場面をよく目にするといいます。

仕事の種類 内容
大きな価値を生む仕事 その人にしかできない仕事
小さな価値しか生まない仕事 他の多くの人にもできる仕事
よくある状態 能力のある中小企業の経営者ほど両方を自分でこなそうとし、後者に前者が圧迫されている

出典:渡辺准教授への取材をもとに編集部作成

そこで渡辺准教授が勧めるのが、一見割高でも、経営者が本当に価値を生む仕事に時間を割けるようにするための、人材の登用やサービス、コンサルタントへの投資です。追加のコストと、それによって経営者がどれだけ高い価値を生む活動に注力できるかを比べてほしいといいます。

  1. 人材を登用したり、外部の専門家を活用したりする
  2. 自分でなくてもできる仕事が意外と多いことに気づく
  3. それを任せることで、経営者にしかできない仕事に時間を割けるようになる

短期的には費用がかかり、割高に見えても、こうした投資こそが中長期の成長と発展を考えるうえで大事だと渡辺准教授は語ります。前編で紹介した「計画を個人まで落とし込む」ことも、経営者が任せられる仕事を増やす土台になります。

よくある質問(FAQ)

Q. 社員教育への投資は割に合いますか?

A. 渡辺准教授は、近年の実証研究で、企業が従業員にトレーニングを施すと賃金は上がるものの、それ以上に企業の生産性が上がり、企業側も利益を得られることが示されていると説明しています。社員教育への投資は割に合うという結果です。

Q. 研修しても社員が辞めてしまったら損ではないですか?

A. 渡辺准教授は、転職が一般的になったとはいえ、ほとんどの企業では1年以内に辞める人の割合はそれほど高くなく、企業にも従業員にも転職のコストがあるため、公式な研修を提供して能力を伸ばす利点があるとしています。

Q. 人的資本経営はなぜ重要なのですか?

A. 渡辺准教授は、人的資本経営が人への投資を促そうとしている点に大きな意味があるとしています。日本企業は従業員の教育への投資が他国と比べて少なく、2010年代にさらに減ったというデータもある中で、人への投資を促す流れは望ましいと述べています。

Q. 生成AIで仕事はなくなりますか?

A. 渡辺准教授は、職種によってはAIに代替される仕事もあり、AIを使いこなせなければ仕事ができなくなることもあるとしつつ、少子化による人手不足や、技術進歩が雇用と賃金を増やしてきた歴史から、大量失業のような極端な悲観論は考えにくいとしています。変化に主体的に対応することが大切です。

Q. 中小企業の経営者は何に投資すべきですか?

A. 渡辺准教授は、一見割高でも、経営者が本当に価値を生む仕事に時間を割けるようにするための人材の登用やサービス、コンサルタントへの投資を勧めています。経営者でなくてもできる仕事を任せることで、経営者にしかできない仕事に集中でき、中長期の成長につながるとしています。

まとめ:人に投資し、変化を前提に、価値ある仕事に時間を使う

  • 人的資本経営の意義は、人への投資を促すこと。日本企業の教育投資は少なく、2010年代にさらに減ってきた
  • 実証研究では、研修で賃金が上がっても、それ以上に企業の生産性が上がることが示されている
  • 生成AIの10年先は予測できない。違う変化が起こることを前提に経営する
  • 人手不足や技術の歴史から、生成AIを過度に恐れる必要はない。ただし変わる覚悟を持つ個人と組織にとって変化はチャンス
  • 中小企業の経営者は、一見割高でも、自分の時間を価値ある仕事に集中させる投資を

「変わる」ことを求められる時代に、組織を軽く保ち、人に投資し、変化を前提に動くこと。それが、企業が変わり続けるための土台です。

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社員教育への投資を生産性向上につなげ、経営者が価値ある仕事に集中できる組織をつくるには、役割や育成、評価の仕組みを整えることが大切です。DEFiDEの「JOB Scope」は、人事コンサルティングと人事クラウドの2軸で、経営に直結する戦略人事の制度設計から組織への定着までを支援します。

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▶ 前編:組織の〈重さ〉とは?変われない会社の正体と、組織を軽くする「小さな組織」「計画の落とし込み」(内部リンク)

▶ インタビュー全文:「変わる」と「変える」をいかに上手くリンケージして経営するかが問われている(後編)(JOB Scopeマガジン)

JOB Scope編集部

Written By: JOB Scope編集部

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