ただでさえ、先行き不透明なVUCAの時代。コロナ禍が混迷さにさらなる追い打ちを掛けた。組織の変革と個人の成長に向け、経営者や人事部はいかにリーダーシップを発揮していけば良いかが改めて問われている。

こうした中、リーダーシップ論やキャリア自律を専門とするTHS経営組織研究所代表社員の小杉 俊哉氏は、今や組織と個人の関係性に変化が生まれており、リーダーシップの在り方も新たなフェーズへと移行しつつあると説く。経営者や人事部にどのような視座が求められるのか。小杉氏にアドバイスを求めてみたい。前編では、「戦略人事」の現状や人事部が今後果たすべき役割などを聞いた。(後編はこちら another-window-icon

01漸く第一歩を踏み出した
人的資本経営

昨今の人事を取り巻くトレンドで、何か気になる点はございますか。

やはり、人的資本経営です。私も数社で社外取締役や監査役を務めており、情報開示にいろいろとアドバイスさせていただきました。テーマ的には、それが一番ホットですね。

結局、人的資本情報開示で言っているところは、企業として人は資源ではなくて資産とか資本であるということです。それは、実はどうでも良いと思っています。何故かと言えば、別に財務諸表で、資産の場に載せるわけでも、資本の場に移すわけでもないからです。結局、人件費で扱うかぎり、人は相変わらずリソースであり、コストなんです。要は考え方の話ですよね。

ただ、その根本のところが重要です。私も本当にもう20年以上前から「人と会社は対等だ」という話をして来ています。例えば、1999年に執筆した「人材マネジメント戦略―経営人事から発想する」(日本実業出版社)という本でも人的資本経営の話をしているんです。「リソースという扱いから今後はアセット、あるいは資本に移るようにならざるを得ないので、今までとは人材の見方を変える必要がある」と。

併せて、そこで述べているのが投資の対象になるので、ROI(投資収益率、投資利益率)が必ず問われるということです。なので、投資のリターンが薄いものについては、見直す必要が出てきます。これは施策もそうですし、厳しいことを言えば人そのものもそうなわけです。と、いったことを書かせもらっています。

なので、人的資本経営は全く新しい考え方ではないんです。そして、私だけでなくさまざまな人たちがずっとそのように伝えて来たにも関わらず、結局のところ日本企業は何も変わりませんでした。ここに来て、「人材版伊藤レポート」がそういうことを強制的に突き付けたことで「ついに」ということと、「やっとか」という錯綜する想いがありますね。そこまでやらないと重い腰を上げないのが日本企業ですから、「ようやくスタートラインに着きましたね」という感じです。

これで、第一歩が踏み出せるのではないかと言うことです。女性管理職比率や男性の育児休暇取得率、男女間の賃金格差はもう本当に序の口と言うか、ここから先が正念場になって来ます。

02遅々と浸透しない
「戦略人事」、
サイロ状態は旧態依然

小杉先生は、「戦略人事」をどう捉えておられますか。

これも全く新しい概念ではありません。「人的資本経営」と同様、先ほど取り上げた「人材マネジメント戦略―経営人事から発想する」(日本実業出版社)の中でも書いています。ところが、これもまた一向に浸透していません。

私が定義する「戦略人事」は他の方とは違うかもしれないですが、単純に、経営戦略に資する人的な戦略であると捉えています。経営戦略を実現するために連動すべき、人に関する戦略が「戦略人事」です。そこに尽きると思います。

企業の経営戦略に資する人事、経営戦略を実行するために企業が取っている人事は戦略的なのかというと、残念ながらそこは全く連動していないように見受けられます。皆「戦略人事」と言っていますけれど、現状を見る限り定着しているとは言えないのではないでしょうか。一部の先進的な企業が実現しているかも知れませんが、多くの日本の大企業は今一つピンと来ていないのではないかと思います。

もう25年以上前から指摘され続きて来た「戦略人事」が、近年改めて注目されている印象があります。いかがでしょうか。

それほど盛り上がっているとは感じていません。この20年・30年前とだいぶ変わって来たのは、さまざまな人事系ツールが出て来ていることです。「タレントマネジメントシステムではこのアプリ」「エンゲージメントサーベイではこのアプリ」と皆さん、色々利用されています。ただ、バラバラに使っているので統合ができていません。そこを「どうしようか悩んでいる」という声が圧倒的に多いです。

横串ししてくれるものがないということですか。

もともと、ERP(Enterprise Resource Planning)がそういうものだったはずなんです。現在も欧米の主要なベンダーを採用している会社は随分多いと思いますが、そこになかなか人事機能をくっつけることができないんです。たとえ、くっつけたとしても結局、自社に合わせてカスタマイズをせざるを得ません。これが莫大なコストを要します。それでも、使い出が悪くて情報を打ち込んだものの全く使いこなせない、情報を入れ込んだだけで精一杯、という話を良く耳にします。本当は、ERPそのものがスタンダード、ベストプラクティスとしてあるわけですから、そこに自社の人事制度や仕組みを合せて標準化していく方が効率的で便利なわけですよ。

にも関わらず、日本企業の場合はやたらとモディフィケーション(部分的な変更、修正)しがちです。それで、ベンダーを儲けさせてしまっています。一方、カスタマイズはしたけれど他のアプリとの互換ができないとか、人事という部門の中でも業務毎に別のアプリを使っている。そんな構図が見えます。

03CHROの存在が重要に。
人材不足が大きな課題

経営戦略と人材戦略が連動していくために、人事部の役割がどう変わるべきであるとお考えですか。

これももう散々言われていますが、CHRO(最高人事責任者)の存在が重要です。さらには、「人材版伊藤レポート」でも「HRBP(HRビジネスパートナー)を各事業部門に張り付けて、HRをサポートするように」と言っています。ですが、まずはCHROになりうる人材が圧倒的に少ないです。それは何故かと言うと、企業内で人事としてずっとやってきた人だとCHROになりようがないからです。

敢えて厳しい言い方をさせていただきますが、バックオフィス、経営者や役員の補助機関的な位置付けてある限りにおいては、人事部長が執行役員になったからと言ってもCHROにはなれません。企業のトップや他の部門に対して、対等にモノが言えないからです。もっと言うと、一番なりにくい理由は、やはり人事しかやっていないということです。ましてや、人事の中でも特定の機能、たとえば採用しか経験していないとか、研修だけ、人事企画だけとなると尚更です。大きい会社だと業務が細分化されがちですが、人事のなかでまずは一通り経験することが必要です。

それから、現場の経験も絶対に必要です。営業を経験するとか、製造業であれば製造現場の経験も欠かせません。何故なら、現場の社員がどうなのか、現場の声を聞かなくて人事が務まるはずがないからです。その点で、労働組合の経験も有効です。なので、手っ取り早いのは他社を幾つか渡り歩き、さまざまなポジションを経験した上で人事部長となった方がCHROの候補として迎えられるという流れです。ただ、実際にはそういう人材は本当に少ないんです。圧倒的に枯渇しています。ほとんどが企業内で普通にキャリアを送ってしまっています。なので、ニーズに対してリソース供給ができていないと言うのが、一番大きな問題です。

現場に精通した人事がいないということですね。

これをもう25年以上前に、当時米国ミシガン大学の教授であったデイビッド・ウルリッチが著書「MBAの人材戦略」(日本能率協会マネジメントセンター)の中で指摘しています。彼は、人事の役割を4つに分けて定義しました。そこに、自身の経験を元にさらに一つ追加しています。

まず、一つ目が管理エキスパートです。人事サービスを提供したり、プロセス管理を行い効率化させるということ。どうも、ここばかりをやっている人事が多いのが気になります。二つ目は私が追加したものですが、システムデザイナー。新たな人事システムや組織の設計を行うということ。優秀な人事パーソンでもほとんどが、ここまでだと思います。でも、実際にはあと3つも役割が残っています。

三つ目が戦略パートナーです。経営者やビジネスラインとやりとりして戦略の具現化をサポートしていく。まさに、HRBPはその出先と位置づけられます。それから、四つ目が変革のファシリテーター。デイビッド・ウルリッチは変革エージェントと称しています。変革が求められない企業はありません。そうした中、横串に唯一見ることができるのが人事なので、変革の推進者、触媒、カタリストとしての役割を遂行する必要があるのですが、経験者はかなり少ないと言えます。最後の五つ目が従業員チャンピオンです。ここは日本企業で圧倒的に足りていません。社員の声を代表するという立場を持たないと、どんな人事施策を行っても社員には届きません。むしろ、逆効果になってしまって社員が辞めてしまったりします。以前の成果主義の失敗もそれが原因でした。結局、社員の声を無視して制度だけを変えてしまったということです。

人事としては、これら五つの役割を担う必要があって、CHROはそれを全部少なくとも分かっていなければいけません。できれば経験しているべきなのです。そういう視座で取り組まないと「戦略人事」は実現しないと思っています。

「戦略人事」は、今後日本企業に定着する可能性があるとお考えですか。

私は希望を持っていますよ。何故なら、転職を経てCHROとして成功している人たちが出て来ているからです。カゴメの有沢正人さんや元ロート製薬の髙倉千春さんなどは、非常に有名ですよね。もちろん、まだまだ数は限られていますが、そうした視座を持った方が登場されています。その人たちがモデルとなることで、若い人たちの中にもCHROやHRBPを目指す方が増えているという実感があります。良い流れになって来ているのではないでしょうか。


interview_4_banner

「戦略人事」を実現するJOB Scope
professor_6

小杉 俊哉

THS経営組織研究所 代表社員

慶應義塾大学SFC研究所 上席所員

ビジネス・ブレークスルー大学大学院経営学研究科 客員教授

早稲田大学法学部卒業後、日本電気(NEC)入社。マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学大学院修士課程修了。マッキンゼー・アンド・カンパニー、ユニデン株式会社人事総務部長、アップルコンピュータ人事総務本部長兼米アップル社人事担当ディレクターを経て独立。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授などを経て、合同会社THS経営組織研究所を設立。立命館大学大学院テクノロジー・マネジメント研究科客員教授、慶應義塾大学大学院理工学研究科特任教授などを歴任。現在、慶應義塾大学SFC研究所上席所員、慶應義塾大学大学院理工学研究科非常勤講師。他に、ふくおかフィナンシャルグループ・福岡銀行、ニッコーなど、数社の社外取締役・監査役を務める。

JOB Scopeを漫画で解説!
下のバナーをクリックすると、閲覧ページに移動します。

manga_banner

経営・人事に役立つ情報をメールでお届けします