近年、日本企業でもジョブ型導入に向けた議論が活発化している。リモートワークの定着、働き方の多様化を踏まえると、ジョブ型は管理職にとって部下へのマネジメントがしやすいだけに受け入れやすいかもしれない。しかし、これが自律的なキャリア形成を加速するのか、日本企業もすべてがジョブ型雇用に移行するのかというと、法政大学キャリアデザイン学部教授の坂爪 洋美氏はまだまだ議論の余地があると指摘する。
インタビュー前編では、同氏にジョブ型に対する見解や管理職の実状などを聞いた。
目次
01ジョブ型とは何か、
その定義の理解が
議論の第一歩
近年は、人的資本経営や人的資本開示がバズワード化するほどの勢いです。坂爪先生は、この現状をどう捉えていますか。
人は企業が成果を上げるための大事な資源であることは、人材マネジメントに関わる我々にとっては至極当たり前のことと捉えていると考えていましたので、ここまで大きく取り上げられることに驚きを感じてしまいます。人材マネジメントに直接関わらない方々にとって、人が大事であり、人は企業が成果を上げていくために欠かすことができない存在だと、改めて認識されたことにはプラスの意味があると思っています。
情報公開という観点で言うと、ある会社の取り組みが色々な基準、数値といった客観的なもので公開され、比較ができるようになったことには、一定の効果があると思っています。一方で、数字は作り込めると言うと言い過ぎかもしれませんが、やはり企業には、自社の状態を少しでも良く見せたいという思いがありますので、数字を作ることを意識してしまう点には注意が必要です。例えば、女性管理職の比率を率上げなければいけないとか、今だと男性の育児休業取得率を上げなければといったことです。情報公開は良いきっかけではあるものの、「男性の育児休業取得率を上げる取得期間が短くなる」という現象が起きたりします。本来は男性が子育てに参画する良いきっかけとなるようにというのが、今回の法改正の趣旨であったにも関わらず、「まずは取り敢えず1日でも良いから取ろう」などと数字を意識した動きが起きがちです。そこはしっかりと目を配っていくことが必要です。ただ、どちらかと言えば私は情報公開についてはポジティブに捉えています。
坂爪先生は、ジョブ型に関してどのような考えをお持ちですか。
ジョブ型の議論をするときには、まず「ジョブ型が何なのか」をきちっと押さえることが必要です。慶應大学の八代先生は、ジョブ型の特徴として、次の5つを挙げています。まずは、ジョブ型は職務と給与を連動させることです。次に、Job Description(職務記述書)という形で仕事内容をきちっと明示することです。さらには中途採用が採用の中心になることや、その職務がなくなれば雇用の継続されなくなるといった点も特徴です。最後に職務があかない限り昇給・昇格ができなくなることです。
私は従業員のキャリア形成に高い関心があるので、これらの中で、Job Descriptionが明示されていくことに関しては、社員のキャリア形成に対してプラスの効果があると思っています。つまり、Job Descriptionが明示されて、この仕事をするためにはこういう経験が必要だということがしっかりと決まり、なおかつ社員に対して開示されれば、「私の経験はこの会社で次にこういうふうに繋がるんだ」「この会社にいると、こういうキャリアの可能性があるんだ」というように、なんとなくぼんやり見えていたキャリアの将来像が、今までよりも描きやすくなるのではないかと期待しています。そういう意味で言えば、ジョブ型は従業員のキャリア形成に対してプラスの側面を持ち込めうると思っています。
ただし、ジョブと雇用が関連づけられたり、新卒採用ではなく中途採用が中心となるといった点については、正直なところ、日本の特に大企業とは相性が悪いと思っています。最終的には企業の採用戦略・人材マネジメント戦略となるでしょうが、少なくとも、日本では新卒採用は続くでしょうし、そして社員の雇用は基本的に守るだろうという前提で言えば、Job Descriptionの明示は個々のキャリア形成にはプラスの側面があると思っています。
02自らジョブを選択し
キャリアを作る歴史は
まだ始まったばかり
坂爪先生の共著『シリーズ ダイバーシティ経営 多様な人材のマネジメント』では、「ジョブ型雇用」への安易な転換を危惧されています。この点に関してお考えをもう少しお聞かせいただけますか。
先ほどの話と重複しますが、職務と雇用が直結するジョブ型が日本で定着するかと問われれば、難しいと考えています。同様に、新卒採用を放棄することも考えにくいです。特に、大企業が新卒採用を放棄することはないと思っています。それが一つです。
「ジョブ」を切り口に自分のキャリアを描くということは、根付いてくると考えています。ただ、日本の場合、特に大企業で働いて来た人たちにとって、「自分のキャリアを考えよう」と言われ始めてから、まだ10年前後でしか経っていません。「自分でジョブを選びながらキャリアを作る」こと自体が、ようやくスタートラインに立ったばかりと言っても良いでしょう。それにも関わらず、「これからはジョブ型だから、皆自分のキャリアのキャリアは自分で描き、自己責任で実現していこう」と言われても社員に混乱が起きてしまいます。移行期間にあるからこそ、丁寧なアプローチが必要です。
同様に、その本の中では、キャリア形成の形を「企業主導型」から「企業・社員調整型」へ移行すべきであると説かれています。この点に関して、少し補足をお願いできますか。
企業主導型であることが難しくなってきたこと、企業主導型ではなく、社員のニーズをふまえたキャリア形成の利点が見えてきたことという2つの論点があります。ビジネス環境の変化が激しくなる中で、企業が、長期にわたって多くの社員のキャリア形成を主導すること自体が難しくなりつつあります。また、社員の希望をある程度反映しながら、企業側のニーズと調整した方が、社員が活躍するだろうという期待もあります。労働力人口が減る局面に入ってきています。そういう意味でも、人材の確保・活躍を考えた際に、社員側のニーズを全く無視して企業主導型で押し切るということは得策ではなくなってきています。
今年「リスキリング」という言葉が非常に注目されています。社員に新たなスキルの獲得を求めるものですね。新たなスキルを獲得する学習への意欲は、やらされるよりも、自分の今後のキャリアに必要だと思える時の方が高いでしょう。一方で、完全な個人主導になってしまうとそれはそれで難しさも出てくるので、企業のニーズと個人のニーズの調整が非常に大事になってきます。
ジョブ型の広がりは、企業が取り組む「キャリア自律」にどのような影響を及ぼすとお考えですか。
海外の企業にインタビューにいくと、あるジョブの仕事内容や必要な能力が明示されていて、今どこのポストが空いているかも、社員がパソコンの画上で確認できるようになっていることが少なくありません。このような企業であれば、「次に私はここに行きたい」「この仕事に就くために、自分に必要な仕事経験はこれ」という形で、今所属している企業の中で自分のキャリアを考えていくことが、比較的容易であるように感じます。ですので、ジョブ型にはそのような社内でのキャリアの見通しを立てやすくする力があると考えています。同時に、そのような情報を用いて社員が自分のキャリアを考えることから、自分のキャリアを考える力を付けるきっかけにもなるでしょう。ですので、ジョブ型はキャリア自律を支援する可能性があると捉えています。
ただ、一方で、現状を振り返るとまだ日本の場合には、そこまで個人のキャリアに対する意識も、それを受け入れる職場も育っていません。例えば、部下が自己申告をして他の部署に行こうとしても上司は反対したり、強く感情を害してしまうといったことが起きてしまいます。制度はあっても、運用がうまくいかないということが多々あるので、長期的にはプラスの側面はありますが、そこに向けてまずは個人の意識情勢や管理職のマネジメント改革、職場風土改革をやっていく必要があります。
03部下のキャリア形成支援が
管理職に丸投げされている
坂爪先生の研究キーワードに管理職があります。部下のキャリア形成支援に悩む現場管理職が多いようですが、経営者や人事にできることがあるのでしょうか。
「部下のキャリア形成支援は管理職の仕事なのか」というところに立ち戻っても良いと思います。キャリア形成という言葉が意味することは幅広く、例えば「3年後・5年後の部下のありたい姿を管理職の皆さん一緒に考えて、作りあげてくださいね」といったところから管理職に任せる会社もあったりします。私は、「それも管理職の仕事なのか」という気がしてなりません。部下に2年後、3年後にはこうなりたいというビジョンがあれば、「今の君の仕事はそれに対してプラスになるよ」といったことを管理職は説明しなければいけないと思います。ただ、「どうしたら良いか全くわかりません」という部下に対して「そうか一緒に考えよう」というところから管理職に求めるのは、丸投げ過ぎではというのが、私の基本的な立場です。
「管理職にそこまで求めるなら、管理職の仕事の何かを減らしましょう」と言いたいです。つまり、今働き方改革もあって、若手の育成がすごく難しくなって来ています。ハラスメントにも配慮しないといけないので、うかつに怒ることもできない。そんな状況の中、「やはり育成は一対一でやった方が良い」「だから管理職の皆さん頑張ってね」というのが、今の基本的な流れです。この方法に限界があることは、経営者も人事部門も皆さんわかっているのではないか、でも代わる方法がないのでとりあえずこの方法でというのが現状だと、捉えています。
例えば、「本当のことを言えば、僕はこの仕事は好きではない」と部下に言われたとしても、課長クラスの管理職には別の部署にその部下を異動させる権限は持っていないことがほとんどです。そうなると、「色々あると思うけれど、まずはここで頑張らないと」としか言えません。「いつの日にか私はこういう仕事をやりたい」という強い気持ちがある人のキャリア形成を会社として支援していくことを意図していなら、例えば配置や異動の権限を持っている人が話を聞くことが必要です。その辺りの切り分けがないまま、色々なものが管理職に丸投げされていると思っています。
会社にとってのキャリア自律の意義は、社員が仕事に対してより自律的・積極的に取り組むことになることです。つまり、キャリア自律と日々の仕事に対する自律性はリンクしているということです。これを逆に捉えれば、日々の仕事に対して自律的に取り組んでいる社員は、キャリアに対しても自律的に取り組むと言えます。部下に対して、日々の仕事に自律的に取り組む姿勢を獲得させるのは管理職にしかできない仕事です。部下のキャリア形成支援として、管理職しかできないこと、管理職がやった方がいいこと、管理職以外がやってもいいこと、といった形で整理することが必要でしょう。
経営者や人事が、管理職に任せ過ぎているということですね。
今、1on1を導入する企業が増えていて、社員と個別で話すことを重視する流れがあります。では部下と個別で話すことに適しているのは誰かとなると、管理職になるのは当たり前なのですが、これを根拠に全部管理職に任せ過ぎではないでしょうか。管理職も新たに任された仕事に必要となる能力開発をやっているかと言うと、忙しくてそんな時間もないのが実態です。武器を持たない状態で管理職が頑張っていると言っても良いくらいです。もちろん、中には管理職としての適性が不足している人がいる、意欲が低い人がいるという問題はあるでしょうが。それを差し引いても、現時点でキャリア形成支援の多くを管理職に委ねるのは結構大変なのではというのが、私の個人的な意見です。
そこはどう解決していけば良いとお考えですか。
企業の人的資源の余裕度によって対応が異なるでしょう。人的資源に余裕がある大企業は、社員の相談に乗るスキルの高い人材や、キャリアコンサルタントの資格を持ってる人たちを起用することで社内に相談体制を構築することができるでしょう。一方、人的資源に余裕がないことが多い中小・中堅企業であれば、外部のキャリアコンサルタントを活用する方法もあります。仮に1社で契約するほどのニーズがないなら、幾つかの企業と組んで一人のキャリアコンサルタントと契約するやり方も考えられます。自社で何とかしなければという考えにこだわる必要はありません。
アウトソーシングでも良いのですね。
そうです。国もキャリアコンサルタントの活用に向けて、色々な施策を展開しています。外部のキャリアコンサルタントを活用するのも1つの方法です。
04仕事の魅力が
なくなった管理職、
若手や女性も敬遠モード
現状では、管理職がプレイングマネージャーとしてあれこれ背負っていて疲れ果てています。そんな姿を見かねて、「管理職になりたくない」と尻込みする若手や女性が多いです。どう捉えていますか。
3つの理由があると思います。まず、管理職という仕事の魅力の低下です。今お話のあった多忙さや過負荷が魅力の低下の中核的な理由です。次に、「キャリアとしての遠さ」もあるでしょう。大企業だと課長クラスには40歳前後で昇格します。キャリアに対する関心が高い分、不安も高い20代半ばの若手にとって、この会社での15年先を想像することが難しくなっています。15年後にこの会社にいることさえイメージしにくいなか、ここで管理職をするということが、自分のキャリアにどのような意味を持つのか、といったことがイメージしにくく、管理職に対して前向きに捉えることが難しくなっているように感じます。
さらに、仕事上のチャレンジの少なさも一因だと考えています。仕事では「失敗経験が大事だ」と多くの人々が指摘しますが、現状が逆に失敗経験をさせにくくなっている気がします。管理職になるということは、1つの大きなチャレンジです。日々の仕事でなかなかチャレンジングなことをしていないと、管理職になって自分は何をしてみたいかを思い描くのは難しい気がします。
女性に限定して考えてみましょう。企業で管理職になる年代は30−40歳代が多いです。この年代では、育児を担う方が多くなります。育児をしながら働き続けることはできるようになったけれど、そこでさらに多くの責任を持つ管理職として働くことのハードルが高いのは事実です。子育てしながら管理職として働ける環境やキャリアパスを作っていくことが必要です。
坂爪 洋美氏
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
慶應義塾大学文学部卒業。民間の人材サービス会社の勤務を経て、同大学大学院経営管理研究科博士課程単位取得退学。博士(経営学)。和光大学を経て2015年から現職。専門は人的資源管理・組織行動論。近著に『シリーズダイバーシティ経営 管理職の役割』(中央経済社、2020年、共著)、「管理職の役割の変化とその課題 ──文献レビューによる検討」(『日本労働研究雑誌』、2020年、単著)などがある。