人的資本経営を推進していくためには、組織として社員の能力開発や専門性の向上をサポートしていく必要がある。だが、その一方では、せっかく育成しても転職が一般化してきた現代では若手人材や優秀人材の流出も後を絶たない。いずれも、経営や人事にとっては大きな課題と言える。どう取り組んでいけば良いのであろうか。

その解決に向けて、働く人のキャリアとそれに関わる組織のマネジメントを研究しているのが、青山学院大学経営学部教授の山本 寛氏だ。インタビューの後編では、リテンション・マネジメントに向けた有効な施策やキャリア・プラトー現象が人的資本の最大化にもたらす影響、専門性意識の高まりなどを伺った。(前編はこちら another-window-icon

01最も有効な
リテンション対策は
コミュニケーションの
活性化

山本先生は、働く人のキャリアと組織のマネジメントを研究されています。どのような経緯があったのですか。

実は私は、職業適性の研究からスタートしています。どういう分野に合うかみたいな研究です。自分でハローワークに行って適性検査を受けたこともありました。その後、会社の中での昇進の研究を経て、転職の研究に移っていきました。私自身が転職を経験していることもありますが、終身雇用で一つの会社でずっと何十年も勤めあげるパターンが大きく変わってきたからです。

そういう変化を一番象徴する言葉がキャリアなのではと考え、「キャリアは何によって変わるのか」を研究してみようと思ったのです。キャリアはどういう会社に入ってどんな仕事をするのか、そこでどういった教育訓練を受けるのかなどにも影響を受けますが、やはり「本人がどうしたいか」という意識によってかなり大きく変わってきます。それが「キャリア意識」ということです。そこで社員のキャリアやキャリア意識に対して組織がどういうマネジメントをすれば良いのかを、大きな研究テーマとして捉えるようになりました。

近年、ますます重要性が高まる若手人材・優秀人材のリテンション対策として何をお勧めになられますか。

Slide1(スライド作成:山本寛教授)

対策は幾つかあります。最も重要なのは、「コミュニケーションの活性化」です。比較的自由に物が言えて、それに対して同僚が少しは率直な意見を言ってくれて、反論もできる。今流行の言葉で言うと「心理的安全性」だと思います。コミュニケーションの活性化のためには、縦と横と斜めの三つが必要だと思っています。

縦のコミュニケーションで一番重要なのが、「1on1ミーティング」。上司と部下との定期面談です。これを活かさない手はありません。最も望ましいのは、離職の兆候をキャッチすることです。若手社員からすれば、いきなり10歳以上も歳が違う上司に自分が希望するキャリアを言うはずがないのは明白です。関係を構築するには時間がかかると思います。そのために、1on1ミーティングで必要なのは上司が傾聴に徹することです。自分が喋ったらおしまいと思わないといけません。それに仕事の進捗の話は禁句です。「一週間前に頼んだ件はどうなったか」「今季の目標は大丈夫だよね」といった話は部下からしたら聞かれたくもありません。

縦でもう一つ言うとすれば、「職場懇談会」です。中堅・中小企業であれば全社単位でも良いです。職場の全員が集まる場を作り、そこで社員が普段感じていること、考えていることを自由に発言してもらうのです。ただ単に聞くだけというのは良くありません。それなら、やらない方がましです。せっかく、そういう場を設けるのであれば、若手からの意見に対して現状ではどう考えているのか、その後の対処過程や方針等を経営サイドからきめ細かにフィードバックする必要があります。

横のコミュニケーションで最近割と多いのがスマホのアプリや社内チャットツールなどを使っての「ピアボーナス」です。職場の仲間が良い行動をしたら、褒めてあげたり、少額ながらボーナスや、SDGs(持続可能な開発目標)のポイントを支給するという仕組みです。従業員が少な目の企業では、家族をオフィスに招待して社員ぐるみで交流する「ファミリーデー」も効果的です。

斜めのコミュニケーションで言うと、社内の部活動やイベントをお勧めします。どうしても若手社員は数年在籍すると同じ部署内の先輩に部署内のことを相談しにくくなります。そうした時に別の部署に知り合いを作っておくと、相談がしやすいです。なので、部活は良いと思います。イベントと言いましたが、昔みたいな社員旅行はもうやめた方が良いと思います。

02成長実感と成長予感、
貢献実感をセットで
味わえる職場に

他にはどんな施策がありますか。

若手社員に「成長実感」と「成長予感」、「貢献実感」の三つを味わってもらうことです。成長を求めない人は多分いないと思います。マズローの欲求5段階説で一番上のところ、自己実現にも近いと思います。

まず最初は評価されることです。人は、自分に対する評価は他人からの評価の2割増しだと言われています。なので、時々褒めてもらえたとしても、まだまだ足りません。人はもっともっと上司やOJTリーダーに褒めてほしいし、見てもらいたいのです。それによって初めて自分の成長を実感できるからです。面白いもので、忙しくずっと働き続けている時には成長実感を持てません。むしろ、仕事を終えてうちに帰ってホッとしている時に、感じられたりします。それからもう一つ、成長実感は一年に一度持ってもらうのでは長すぎます。できれば一カ月に一度なり、細かい単位で感じられるようにすることが大切です。

また、成長実感だけでも駄目です。人間は将来への見通しのもとに、現在働くという特徴があるからです。それで重要なのが成長予感です。一番良いのは、1~2年上の先輩がキラキラ輝いていること。やりがいのある素晴らしい仕事をしていて、さらにワーク・ライフ・バランスも良くて、それなりに収入も得ていると、「自分もああいう先輩みたいな人になりたい」と思います。要は、自分の「目標的な存在」です。これは、見通しを考える上で絶対必要です。

さらに、成長実感と成長予感だけで良いかと言うと、そうではありません。組織に対して貢献実感を持てることも大切です。「この仕事をやってくれてすごく助かっているよ」「君だから、この仕事を頼んだんだよ」などと言ってあげる。そうしたことが積み重なると、自分自身も成長するし、周りにも良い影響を与えられます。確実に会社へのエンゲージメントが高まりますし、リテンションに繋がります。

もう一つのお勧めの施策は、管理職の仕事を減らすことです。近年はプレイングマネジャーが増えており、管理職は多くの仕事を抱え疲れ果てています。部下からすると、まさに負のロールモデルそのものであったりします。「あんな課長にはなりたくない」ということで優秀人材が辞めてしまうわけです。だから、管理職の働き方を本格的に考えていかないといけません。権限委譲を進めるなどして、仕事をできるだけ減らしていくのと同時に、管理職の方にはある程度余裕を持って仕事をしていただきたいです。

例えば、自分のデスクに座っているとしたら、まず部署全体を見回してみてみること。今は、見渡す余裕もなかったりします。ひたすらパソコンに向かって作業をしたり、会議に出てばかりになっていませんか。

もう一つ必要なのは、管理職自身が片腕を作ることです。管理職と若手社員は、どうしても年齢が開いているので本音を引き出しにくかったりします。それに部下の数が多かったりすると、毎日全員と話すことは無理です。なので、部下との間に入ってくれるキーパーソンたちに代わりにウォッチしてもらい、皆の動きを知ることがとても大切になってきます。

これも実は自分の部署における戦略なのです。戦略をどういう風に練っていくかを考えていくためにも、余裕を持っていただきたいと思います。



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03キャリア・プラトーが
企業価値の最大化を
阻害する

山本先生は、「キャリア・プラトー」に関する研究もされておられます。キャリア・プラトーとは何なのでしょうか。それを考えることが、人的資本の最大化にどう結びつきますか。

プラトーは直訳すると「高原」です。なので、キャリア・プラトーとはキャリアの停滞状態を表します。最初は昇進の停滞が指摘されました。頑張って課長や部長まで上がったけれども、そこから先が停滞する。すなわち、現在以上の職位に昇進する可能性が非常に低下してしまうことを言います。

次に出てきた類型が仕事のマンネリ化です。人間は専門性が特に高い仕事でなければ、2~3年で覚えてしまいます。なので、長期間同一の仕事を続けているとどうしても繰り返しになってしまい、新たな挑戦をしたり、より良い方法や新しい方法を取り入れて改善していくことができなくなります。この状態もキャリア・プラトーです。

もう一つは私が拡大型と名付けているタイプです。仕事があまりにも多すぎて、能力を越えてしまい、新たな挑戦を考えることもできないということがあります。優秀な新入社員が入ってきて、数年で潰れるケースがこれです。優秀なので仕事がどんどん来ます。でも、経験がないので失敗することもある。その繰り返しで潰れてしまうというケースです。

人的資本の価値最大化との関係でお話をすると、多くの組織で指摘されているのが管理職になれる人が本当に減って来ていることです。本当に管理職になれなくなっています。これは組織のフラット化といって、意思決定を速くするために課長職を全部なくす企業もあったりします。でも良い面だけではありません。やる気のある中堅層が貯まってしまい、辞めていきかねません。それから、仕事に関して言えば、とにかく非常に忙しい、または同じことの繰り返しで考えなくてもできてしまうとなると、誰もがモチベーションが低下し、成長実感も感じられなくなります。

人間は少しチャレンジングで刺激がある仕事でないと能力が伸びませんし、成長実感がない日々が続くとモチベーションが低下します。結果的に業績が低迷するということで、人的資本の価値の最大化の阻害要因になってしまうと思います。

04社員一人ひとりの
価値観や専門性に
寄り添う必要がある

山本先生は、2023年3月に『働く人の専門性と専門性意識―組織の専門性マネジメントの観点から―』(創成社)を刊行されました。どのような問題意識から、この書籍を執筆されたのですか。また最もアピールされたかったことは何ですか。

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働く人の専門性と専門性意識―組織の専門性マネジメントの観点から― another-window-icon

三つの状況があると思っています。一つ目が、企業間の競争が激化している中、多くの企業が社員の知識とか専門性を重視するようになって来ています。二つ目が、実際に現場で働く人に聞いても、ただ単に仕事で使うアプリとかそのバージョンが変わるだけではなくて、専門性が求められるようになったことです。そして、三つ目が働く人自身が、専門性の向上を志向するようになって来たことです。こうした状況を踏まえて、この本を執筆しました。

また、読者に最も伝えたかったのは専門と専門性の違いです。例えば、医者と弁護士の専門は実質的に違います。それに、餅は餅屋に任せるということで専門以外のことを自分は知らなくてもいい。難しくてわからないということで、どんどん自分と関係ないと思われる専門分野には関心を失いがちです。ただ、専門性は全然別です。仮に自分は今専門的な仕事をしていないと思っていても、将来はこういう分野で活躍したい、こういうスキルが必要だという話になってきます。そこで重要なのは、まず自分の専門分野を決めること。そして、その専門分野を高めていくことです。これは誰であってもやっていかなければいけないことだと思っています。

ジョブ型雇用や人的資本経営もしかりです。結局は専門性だと思います。専門性という軸で会社と人が結びつくことなのです。もう一点は、専門職の方も含めてですが、専門分野は最近細分化がかなり進んでいます。もう細かくなりすぎているくらいです。それで良いのかという問題もありますが、働く人が自分の専門分野を決めてその分野で専門性をゼロから少しでも高めていくことは、誰でもできます。そこに重点を置いていくべきです。さらに、この本では社員の専門性を高めていくために、組織が能力開発などの観点から何をやっていくべきか、何をしない方が良いかも述べています。

最後に中小・中堅企業の経営者や人事責任者へのメッセージをお願いいたします。

人的資本経営と言われる観点で言うと、もしかしたら、すべての企業がすぐには義務化とはならないかもしれませんが、将来的には自社の人に関する情報を外に開示しながら企業価値を高めていく取り組みを、どの組織もやっていかなければならないと思っています。そうした流れに、しっかりと対応していただきたいです。

個別管理の側面から言えば、中小・中堅企業は大企業よりも社員一人ひとりの違いに寄り添ったマネジメントができる可能性が高いと思います。コミュニケーションもしかりです。どこも人材不足の中だけに、非常に重要となる現在の社員の方に丁寧に寄り添うようにしてほしいと思います。

山本先生、貴重なお話をありがとうございました。


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山本 寛

青山学院大学 経営学部 教

青山学院大学経営学部教授(人的資源管理論担当)。博士(経営学)。メルボルン大学客員研究員歴任。働く人のキャリアとそれに関わる組織のマネジメントが専門。日本経営協会 経営科学文献賞などを受賞。大学では、人的資源管理論とキャリアデザイン論を担当。主な著書は『連鎖退職』、『なぜ、御社は若手が辞めるのか』、『「中だるみ社員」の罠』(以上、日経BP社)、『自分のキャリアを磨く方法』(創成社)、『人材定着のマネジメント』(中央経済社)など。2023年2月に『働く人の専門性と専門性意識』(創成社)を出版。

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