人的資本経営を推進していくためには、組織として社員の能力開発や専門性の向上をサポートしていく必要がある。だが、その一方では、せっかく育成しても転職が一般化してきた現代では若手人材や優秀人材の流出も後を絶たない。

いずれも、経営や人事にとっては大きな課題と言える。どう取り組んでいけば良いのであろうか。その解決に向けて、働く人のキャリアとそれに関わる組織のマネジメントを研究しているのが、青山学院大学経営学部教授の山本 寛氏だ。インタビューの前編では、人事を取り巻くトレンドで注目されるポイントやジョブ型雇用の行方、人事に今求められる役割などを伺った。

01働きがいと
リスキリングに着目

昨今の人事を取り巻くトレンドで何か気になる点がございますか。

二点あります。一つ目が、「働きがい」への注目です。二つ目が「リスキリング」になります。まずは、働きがいからです。働き方改革は、だいぶ前から多くの企業で行われていると思います。この改革の枕詞として必ず出て来ていたのが、労働生産性の向上です。働き方改革の1丁目1番地は長時間労働の削減、残業時間を減らすことです。それから正規の方と非正規の方の不合理な差別をなくしていく等々だったと思います。これを要約すると、働きやすさの向上となります。どのような属性や考え方をお持ちの方も長く働き続けることができるような環境を作っていくと言うことです。

ただ、色々な調査結果を見ますと、働きやすくなったから労働生産性が上がるわけではなくて、もう1本の柱として働きがいが必要だと考えています。働きがいとは、働いた後に、本人が自分にとってプラスの効果を感じること。例えば「働いて良かった」とか「今日は上司に少し褒められて自分も少し成長したかな」と思えることです。もちろん、少子高齢化が構造的にずっと続いていく日本では、本当に生産性を考えていかないといけません。その時に、今までどうしても働き方改革が追求されてきましたが、今後は働きやすさと働きがいを高めていく、この二本柱でやっていくと方が良いと思っています。働きやすさの方は、まだ不十分とはいえ、少しは改善されて来たかもしれません。むしろ、今注目されてるのは、働きがいをさらに高めていくことです。

現在のトレンドとどう繋がるかと言うと、二点ほど考えられます。まずは、若手社員は数年前まではワーク・ライフ・バランスを最も重視していました「残業が少ない」「できれば転勤がない」などです。ただ、今非常に重視するのは報酬、給料、お金だと思います。また、以前から引き続き言われていたのが「成長実感」です。仕事によって自分が組織人・業界人として成長していくことだと思っています。これと結びつくのが、働きがいが得られることだと思っています。

もう一つが、「人的資本経営」です。すなわち、人的資本に関係する情報を開示していく時に、それだけではなくて、自社の人的資本の価値・質を高めていくことをメインに考えていく必要があります。そこに結びつけるために一番今やっているのは何かと言えば、従業員エンゲージメントの調査・測定とその向上です。それに一番近いのが、働きがいだと思います。この二点から、働きがいは現代で注目されていると思っています。

リスキリングについてはいかがですか。

リスキリングに関しては、学問分野によってアプローチの仕方が違うと思っています。これは昔の流れでいうと、いわゆる学び直しの一環です。と言うことは、学び直しとリスキリングは同じだと言われる方も多いと思います。経営学的な立場から言うと、リスキリングは欧米で始まった流れで、いわゆるDX経営に社員が対応していくために、会社が就業時間内に行う能力開発と限定されていました。それが、日本にも広がって来たと思っています。

私ももちろん、DXやAI、ITに関する最低限のスキルは全社員が持つ必要があると思うのですが、それ以外にも各社員が色々な専門性を見つけて高めていくためには、他の分野にもどんどん広げていく必要があります。どうしても、学び直しやリスキリングだけに終わってしまうと、中途半端な印象があります。何故かというと、リスキリングをしてどうなるか、どうするか、本人にどういう影響があるかという結果・効果を考えないといけないからです。

ということは、会社にとっては、これから色々な仕事で必須になるITやAIに対応した仕事ができるように、しかも可能であれば全社員ができるようになっていくこと。それから、会社目線だけではなくて、本人にとってみるとそのスキルを身に付けることによって、自社内で評価されてリストラされずに長く仕事を続けられるエンプロイアビリティ(企業に雇用される能力)を高めることができ、他社への転職も可能となります。いつでも他社でも使えるスキルを身に付けないといけないという、成果をきちんと把握したリスキリングに広がっていく必要があると思っています。

02人的資本の情報開示は
企業価値の向上をもたらす

戦略人事や人的資本経営がバズワード的に取り上げられています。
どうご覧になられていますか。

一般に組織現場で使われてきた戦略人事は、一言で言うと、経営戦略に適合した人事のことを意味します。経営学的な立場から言うと、戦略的人的資源管理と表現されます。それと同じ感覚ですね。経営戦略と人事戦略を適合・連動させていくということであれば…。

正確に言えば、戦略的人的資源管理にはもう少し違う要素もあります。一つ目の要素は、人事はスタッフ部門であり、専門知識を得られる専門家の集まりで、業績に直結するライン部門ではないと言われていたのですが、それが明らかに企業業績に直結すると言うことと、それから能力開発を重視すると言うことが、プラスされる点です。実は人的資本や人的資本経営が、本当は経営学の立場から出てきて欲しかったものの、若干別の立場の方から出てきてしまい、経営学の仲間の中では「先に取られてしまったが、我々がだいぶ前から研究していた領域である」という気持ちがあります。

上場企業では人的資本の情報開示も義務化されました。こうした動きは企業価値の向上につながり得るものなのでしょうか。

もはや、いわゆる財務情報だけで、企業を評価できなくなっています。株主を中心としたステークホルダーも「本当にこの企業は伸びていくのか」ということを把握するための情報として非財務情報を重視するようになりました。そしてその大きな部分を占める、人に関する情報に注目しています。それらの情報をできるだけわかりやすく、客観的に過去からの流れも含めて開示をして、さらにその価値が上がっていることがストーリーとして見える企業に対して、「この企業は力を入れているので、今後伸びるだろう」と判断し投資をしていくという流れは自然のことだと思っています。



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03ジョブ型雇用は
日本である程度は根付く

ジョブ型雇用に関してはどのような見解をお持ちですか。

色々な企業で導入されるようになってきて、逆に「我が社はメンバーシップ型雇用だ」と言うと、トレンドに遅れている印象があります。もちろん、全体から言うと、全てではないですけれども、ある程度は広がってくるだろうと考えます。欧米型をそのまま取り入れるかどうかということもありますが、企業の中の仕事がより専門知識、専門性が求められるようになりました。企業としても、今やっている職務を職務記述書という形できちんと整理をして、その職務に必要な人はどういう人で、どんな経験や資格を持っている必要があるかをもとに人を雇用していく形が、定着しつつあります。

背景にあるのは欧米の流れだけではありません。AIやロボットがどんどん導入されてきて、いわゆる単純繰り返し労働はそちらの方に移行して来ているからです。人が自分の力を活かせるのは、AI等で簡単には追いつかないような専門性が求められる仕事だという流れがあると思います。

実はジョブ型雇用、メンバーシップ型雇用の前に、日本でも職種別採用という施策があって、かなり進められていました。今後のジョブ型雇用の行方を占う一つのポイントとして言えば、途中から導入する企業はあると思います。その場合、現在勤めている社員の仕事をどういう風に変えていくのかということと、また例えば本当に同じ分野で、ある程度自分の専門性を活かした仕事をやっていくのかということ。それから幾つかの調査で報告されて来ているのは、新卒採用でも広がりつつあることです。以前からこういう動きが見られています。これまでは「白紙の状態で来てください」「入社後に企業が責任を持ってOJTや自己啓発支援を行い、できる社員にしていきます」というスタンスであったのですが、今後は「会社に入る前に大学教育としてきちんと自分の専門性もある程度確立して、それなりに勉強しておいてほしい」ということが言われるようになります。キャリア教育や学生のキャリア意識に与える影響がどうなっていくかも、ジョブ型雇用の今後を占う一つの要素だと思っています。

山本先生は、ジョブ型雇用は日本に根付くとお考えですか。

ある程度は根付くと思います。これは、成果主義の時も同様でした。「成果主義が日本に根付くのか」と言われて、その後出てきた議論が「日本型成果主義がある」ということでした。今どうなっているのかという、検証が行われているようで行われていません。ジョブ型雇用についても今後どうなっていくのかと問われれば、ある程度は広がっていくし、受け入れていくことで意識も変わっていきます。ただ、全てそうなるかどうかはまだわからないということです。

人的資源管理の観点から言うと、ジョブローテーションが残るかどうかが鍵になってきます。例えば、今就活を控えている3年生や4年生に、「ジョブローテーションをどう捉えるか」と聞くと比較的マイナスのイメージを持つ人が多いといえます。ただ、極端な話、大学院の工学研究科、つまり修士課程で機械工学を勉強してきた人が、自分がやっていたことを40年間ずっと専門分野として続けられるかと言うと、なかなか難しいと思います。

企業が求めている仕事、職務にあった人を採ったとしても、違う職務に変わることは良くあります。欧米でも、一つの分野しかやっていないかというと、そればかりではありません。米国の会社でもジョブローテーションという言葉を使わなくても、実際には異分野の仕事を経験させることはあります。それが米国のファスト・トラック・プログラム(早期の選抜・抜擢を可能にする特別な育成システム)には組み込まれています。そうすると全部一つのジョブのもとでずっとやるジョブ型雇用ガチガチのものが大半になるわけではなく、ある程度は柔軟性を持った形だと思っています。

日本型のジョブ型雇用と言う形がありえるかもしれませんね。

結局日本型と言うのは、融通無碍・変化がありうることだと思います。日本型の成果主義も同じでした。日本には現場重視という考えがあります。例えば就業規則や労働協約、それから職務記述書ができてきて、それに基づいた労働契約を、労働者と経営者が結ぶと言う形だけというのは、完全に欧米式です。実際それで進むは進むものの、現場の仕事はそれだけではありません。やはり、変わっていくので少し融通無碍に手伝ってもらう、すなわちチームワークやタスクフォースを作って、少し別の仕事をやっていくことになります。そうなると、自分の専門分野以外のことはやらない、他のメンバーへの協力もしないといったガチガチのものではなくなる気がします。自分自身の専門性自身も変わっていきますからね。

04個別管理への対応が
人事により一層求められる

不透明さが増す時代において、人事の役割がどう変わりつつあるとお考えですか。

これは、もう一つに絞って良いと思います。「個別管理への対応」がより一層求められて来ています。もはや給与、ベースアップの設定方式が春闘である程度決まるとか、モデル賃金に基づいて会社に入って何年の人がどれぐらいと言うのが、だいぶ前から崩れて来ています。年次で決めるのではなくて、価値観を含めて、ますます社員一人ひとりが多様化していますので、それぞれに寄り添ったマネジメントを、人事としてやっていかないといけないと思っています。

そのための一つのキーが、「AIの活用」です。これまでは入社して何年とか、場合によっては大卒・高卒みたいなものも含めて、一つの大きな塊でまとめないといけませんでした。とても、一人ひとりの違いなんて言っていられなかったのですが、技術が進んだこともあって、本人に関する情報をもとに個別化した対応が形の上ではできるようになっています。

一例を挙げますと、社内異動です。配置転換の時には、その部署で必要なことはどういうことか、どんな人が合うかなど、事前に必要な資質や適性を、AIを活用して事前に把握しておいて、合致する人を異動させる必要があります。ミスマッチは、入社時点だけの話ではありません。異動のタイミングでも、大切になってくるわけです。

その背景にあるのは、国の方針として求職者に対する情報開示が、これまでは採用時点で例えば、どんな仕事内容や条件なのかの開示だけで良かったのですが、これからは入社した後に転勤があるのか、将来的にどんな仕事に就く可能性があるのかという、いわゆる社内でのキャリアについての情報も出さなければいけなくなって来ています。ますます多様なものが求められると、同時に一人ひとりの考えることも、本当に違うということで、それも属性ではなくて、価値観となると、個人情報でもありますし普段はなかなか聞けません。しかし、その人が持っている就活の軸やDNAみたいなものも含め人事はある程度把握した方が良いです。そうなってくると、まさに個別管理しかありません。人事についてはそれだと思っています。


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山本 寛

青山学院大学 経営学部 教授

青山学院大学経営学部教授(人的資源管理論担当)。博士(経営学)。メルボルン大学客員研究員歴任。働く人のキャリアとそれに関わる組織のマネジメントが専門。日本経営協会 経営科学文献賞などを受賞。大学では、人的資源管理論とキャリアデザイン論を担当。主な著書は『連鎖退職』、『なぜ、御社は若手が辞めるのか』、『「中だるみ社員」の罠』(以上、日経BP社)、『自分のキャリアを磨く方法』(創成社)、『人材定着のマネジメント』(中央経済社)など。2023年2月に『働く人の専門性と専門性意識』(創成社)を出版。

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