一橋大学 名誉教授 米倉 誠一郎氏インタビュー記事(前編)
日経平均株価が4万円を超えるなど、活況を呈しているかに見える日本経済だが、実態としてはまだまだ閉塞感が漂っている。名目GDPも今や4位。さらに、来年には超高齢化社会が一気に加速する2025年問題も待ち受けている。こうした時代にあっても日本に、そして世界にパワーと元気と勇気を届けているのが、一橋大学 名誉教授、デジタルハリウッド大学大学院 特命教授の米倉 誠一郎氏だ。「日本には日本の良さがある。世界に勝つためにもその良さを磨き上げていこう」と説く。そんな米倉氏がインタビューの前編では、日本企業における経営陣や人事の問題点を語った。
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01雇用は
大事にしてきたが
投資は怠っていた
日本企業
日本においては、人的資本経営を巡る議論が活発です。どのような論点があるとお考えですか。
二点あります。一点目は日本企業はヒトを大事にすると、1980年代や90年代には言われていました。今さらなぜ人的資本経営などと騒いでいるのかと言えば、確かに雇用は大事にして来たものの本当に「ヒト」を大事にして来たのかが問われているのだと思います。
二点目は、大企業の財務諸表を見るとこの20年間に投資していないことがわかります。収益は上げつつも内部留保や株主配当が高い。一方で、この20年間、あるいは30年間近く、賃金が上がっていません。それは、可処分収益の中で人にもモノにも投資をしてこなかったということです。特に技術や大きく変わった20年間日本企業がやって来たことに問題が生じているわけです。
整理すると、雇用は大事にしたけれどもヒトに投資をして来なかったということ。もう一つのポイントが、この目まぐるしく変化する社会は、最も適応能力の高いヒトに投資しなくて対応できるほど生易しくはなかったということです。どんな機械よりも人間の適応能力の方が高い。その適応能力を高めておかないと、機械さえ使えないという状況になってしまいます。大きな背景は、この二つだと思います。
人的資本経営の実現に向けて、どのような取り組みが考えられますか。
まず、人的資本経営とか、パーパスやイノベーション、ジョブ型など、そういう曖昧な言葉を使うことをやめることです。「問題は何なのか」と言うことです。
資本(カネ)は経営の根幹ですが、ヒトはそれよりも大事です。それを今更、何が人的資本経営などと言っているのかです。パーパス経営も何を今更です。企業が目的や理念を持たなければいけないのは当たり前です。「イノベーション経営」という言葉に至ってはもう最低です。何を言っているのかわかりません。そういう曖昧な言葉に逃げて、経営本来の「研究開発に投資をし、付加価値創造と差別化を進め、高い競争力で高い収益を上げる」、そんな基本的なことができていない。だから、世界の時価総額トップ50の中に日本企業はもはやトヨタ自動車しか入っていない。「イノベーション」とはそうした高収益企業を創り上げる「手段」であって「目的」ではない。僕に言わせれば、ウェルビーイングでさえ手段であって目的ではない。「高収益企業の創造」が目的であって、その達成のためにはウェルビーイングな状況が最適だということだと思うのです。日本は一生懸命雇用を守って来たけれども、本当にヒトを守って来たのかは疑問です、本当にヒトを大事にするのであれば、時と場合によっては雇用さえ守らない必要があります。自社で抱え込んでいたら能力を自由に発揮できないと思ったら、その人たちを解放し、ベンチャー企業や中小企業などどこにでも行って良いという体制になっていなければ、社会全体が豊かになるわけがありません。雇用の流動化でさえ、人的資本経営の選択肢だということです。
人的資本経営の目的は高収益企業を創り上げることであり、そのためには人的資本に投資することと、社内外の適材適所を見極めることです。
人に投資という事では、技術変化のスピードとスコープがそんなに大きくない場合は、社内研修やOJTを中心に年次を重ねていけば何とかなりました。ただ、日本企業はこの20年間で社内研修でさえ少なくしてしまいました。今後はこうした社内研修を充実することも重要ですが、最近の人的資本経営の前提は人的資本の所有権は会社ではなく、個人にあるという事です。従って、個人が外部研修を受ける、専門機関や大学院に行くというケースが基本になるといえます。そういう個人のスキルアップに対して企業は適正な資源配分ないしはサポートをする必要があります。あるいは、新たなスキルを外部から導入することも必須です。これは人材を囲い込むことを中心に考えてきた日本企業にとっては勇気の要ることですが、流動化に備えるに上でも重要です。
こうした個人をベースとした人的資本等に関しては、人事の役割が重要になります。その意味で、日本企業の人事は弛んでいたと思います。ヒト・モノ・カネ・情報と言えば、とても大事であるものの、真剣にプロの目から考えていたのはおカネだけではないでしょうか。資本効率であったり、投資ポートフォリオなどに関してはプロの人材が当たっています。しかし、ヒトはどうですか。プロのHR人材が人材育成・適材適所などを本気で考えて来たとは思えません。
適材適所だと口では言って来たものの、本気でというよりはある種科学的根拠に基づいてやって来たのかということです。世界的なコンサルティングファームであるマッキンゼーの最重要経営資源は基本的にヒトしかいません。その人事部がすごいのは、社員一人ひとりとの1on1面談を年間トータルで百数時間も行っていることです。これは米国本社の話ですが、1on1面談を終わる頃には、「ヒューマンリソースマネジャーが自分のことを自分の母親より知ってくれている」と社員が言うそうです。
マッキンゼーは世界最高峰とも言える優れた業績を上げています。やはり、重要な資産はヒトしかないという彼らの特性の中で、人事部がいかに適材適所を見つけていくかを真剣にやっていると改めて教えられました。そういう意味では、日本企業は適材適所に向けて人事部がもっと真剣に時間を使わなければいけないと思います。そうなると社員の真のスキルや欠けているものの理解が進み、その上での適材適所あるいはスキルアップ・プログラムが見えてくるのです。
02トップのマネジメントが
アップデートされていない
日本企業の人事は流行りの言葉や概念に踊らされるところもあったりします。
特に日本人は横文字を有難がります。ウェルビーング経営、パーパス経営にしてもしかりです。そんなのは、日本人には当たり前でした。それが、この20年間で当たり前ではなくなっています。おかしいと言っても良いほどです。ある意味では、スキルアップされていないと先程言いましたけれど、トップのマネジメントスキルが最もアップデートされていないですね。
トップのアップデートをどういうふうに進めていけば良いのでしょうか。
トップこそジョブ型と言うか、やはり能力でトップになっていかないといけません。それも、2年や4年ぐらいではできないです。例えば、世界170カ国で事業を展開するゼネラル・エレクトリック(GE)は、130年間もの歴史があるのですが、歴代のCEOは10数人しかいません。平均すると、一人で10年以上CEOを務めていることになります。日本はどうですか。設立から30年、40年ほどの会社でもこれまでにCEOが7人、8人いることは珍しくありません。4年前後で社長が交代しているわけです。こんな短期間の在任ではアップデートができるわけがありません。もう、そんなお神輿経営はやめるべきです。
もう一方で、これはもう全社員に共通するのですが職位に見合った対価を払うことです。「日本のトップマネジメントは弛んでいる」という意見が寄せられると、経営者側から「それだけの給料をもらっていない」との声が聞かれたりします。米国トップの70億円とかいうのは、それはやり過ぎだと思うものの、日本の重要な経済基盤である企業経営を担う経営者はやはり世界水準の賃金をもらってそれなりの責任を果たすべきです。
「1億円以上の役員報酬をもらっていると開示しなければいけない。それが嫌なんだ」と言っている経営者もいますけれど、僕からすると「何を言っているんですか」と言いたいです。米国大リーグの大谷選手の年俸を知っていますか。しかも、その金額がオープンにされています。もうプレッシャーは相当高いと思いますよ。でも、それをやらなかったらプロではないわけです。野球もGDPの中に占める比率は企業がGDPに占める比率に比べれば微々たるものです。その企業のトップを担う人間の役員報酬額が開示されて、その責任を衆人環視の元で遂行していくのは大事ですよ。
僕もしっかり見るまでは薄々でしか気づいていなかったのですが、最近PBR(Price Book-Value Ratio:株価を1株純資産で割った数字)が1倍以下の銘柄が発表されました。これも開示されて良かったと思っています。だいたい、東京証券取引所のプライム市場に上場する企業の約60%が解散価値の方が高いなんてあり得ないです。すぐにでも経営を辞めて、その会社を売却した方が株主に対する価値が高いだなんて。そんな体たらくな経営をして来たのです。経営者は、それで本当に責任を果たしたと言えるのかと聞いてみたいです。
ですから、まずは経営者自身が役員報酬を開示し、それからあらゆる情報も開示して、自分自身がこの次に何をどうしていくかも主張していくべきです。このところ、中期経営計画も形骸化しています。パーパス経営だとかイノベーション経営だとか、わけのわからない言葉のオンパレードです。はっきり言えば昔の日本企業の方がはっきりしていました。
「2030年までにシェアを32%にする」「経常利益率を16%にする」…、そういうことを言えば良いのです。「それができなかったらどうするのか」と怖がってしまい、「我が社はパーパス経営だ」と言い出しています。本当に「何を言っているんですか」と言いたいです。経営者なのですから、覚悟を持って「こういう経営をやっていく」と宣言すべきです。「数字ばかり言われても困る」と反論されるかもしれませんが、数字は経営の基盤です、さらに数字を上げるためには大変な努力をしなければいけません。
そういう意味では、重要なのはトップです。トップが「これをやっていくんだ」と言い出せば、人材を甘やかしていくわけにいきません。メンバー一人ひとりも何をやらなければいけないかが明確になってきます。そこは、まさに適材適所です。自ずとファイナンスの人間は、「我が社が最も資金効率が高いのか」と考えるでしょうし、R&D部門は「新商品の比率をどうやって上げていくか」と真剣に考えていくようになるはずです。
その点、3Mは凄く良い会社です。売り上げの50%が3年以内に開発された新商品でなければ、事業部長は更迭ですよ。同社にはポストイットをはじめ、さまざまなロングセラー商品があります。ただ、過去に頼っているだけの事業部長ではいけないのです。もちろん、目先の売り上げを作ることは重要です、しかし一方で、新商品を売り上げの中に入れなければいけないとあれば、開発にも目が向くわけです。そうした意味で、日本企業は真剣さが足りなかったのではないかと思っています。
03経営者は覚悟を持つべき
日本人経営者の中でも、覚悟を持たれている方はいますか。
創業経営者が伸びてきましたね。例えば、ファーストリテイリング 代表取締役社長の柳井 正さん、ニデック代表取締役会長の永守重信さんは覚悟があると思います。それに貪欲さも共通しています。忘れもしません。柳井さんは売上が3000億円ぐらいの時に、「もうすぐ1兆円にするから」と僕に断言していました。僕は、「アパレル企業がそう簡単になれるわけがないじゃないですか」とコメントしたのを覚えています。「とんでもない会社にするんだ」という執念がありましたね。
柳井さんに聞いてみてくださいよ。「パーパス経営をしていますか」と。恐らく、「やっていない」と言うのではないでしょうか。その代わりに、「この会社を世界一のアパレル企業にする」「日本における売上比率を10%以下にして、世界ポートフォリオをこうする」と発言する気がします。
他には、産業機械メーカーの前川製作所代表取締役の前川 真さんも素晴らしい経営者です。同社は大型冷凍庫やロボット解体技術など、さまざまなソリューションを持ち合わせているのですが、「それでも足りない」ともっと自分たちの存在意義を示していかなければいけないと考え、社員に対してもより良い待遇を施そうとしています。そういう経営者が良いですよね。そうした意気込みは日本の大手企業には、なかなか感じられません。
覚悟に溢れる次世代を担う経営者を育成していかなければいけません。米倉先生への期待も大きいのではないでしょうか。
は、は、は。僕は外野選手ですよ。経営者は格好良いことを言わなくても良いのです。簡単ですよ。「会社を引き継いだら経常利益率をこれだけ上げる」「この商品のシェアをここまで高める」「そして、日本で一番高い給料を支払う会社になる」と言えばいいのですよ。イノベーションとかパーパスとか言わなくてもいい。
その点、キーエンスはすごいですね。平均給与が2300万です。それを公言して実行してノウハウをどんどん詰め込んでいます。徹底していると思います。
2023年度から人的資本の情報開示がスタートしました。初年度の開示状況をどう分析されますか。
あまり見ていないのですが、開示することは重要です。統合報告書も大切です。ただ、それに振り回されずに、開示していないことが恥ずかしいという状況になってきたことは良いと思います。
この一年を見てどうですかとの質問ですが、これは2年や3年の話ではありません。やはり、2030年、2040年、もっと言えば2050年に日本の企業社会はどうなっているのかという意味を込めて皆さんに開示してもらいたいと思います。今出てきたものがどうだとか、ああだこうだと言っても僕はしょうがない段階だと思います。傾向としては、人的資本や統合経営の中で社会に対する責任やSDGsに対する責任として、企業が実績や情報を開示していくのは非常に重要な役割だと思います。
04ジョブ型経営だと
言ってごまかすな
ジョブ型雇用に関してはどのような見解をお持ちですか。
逆に、「ジョブ型雇用って何ですか」と僕は言いたいです。曖昧な言葉で逃げているだけです。要は、成果主義ですよね。「終身雇用を辞めた」「終身雇用をいつでも辞める」「いつ入社しても良いし、いつ辞めても良い」「途中入社もあり」…、そういう風に雇用体系を成果ベースに大きく変えるとことだと思います。これは当たり前のことです。一方で、「うちの会社は成果主義はしてません」、「うちは給料を全員平等に毎年上げています」、「絶対に解雇をせず、一生雇い続けます」などとイマドキ実践できるのであれば、逆の意味でそれはそれで良いですけれどね。
「ジョブ型雇用と言ってごまかすな」ということです。それは、終身雇用や年功序列を辞めるということですよね。違いますか。だったら、それを言えば良いじゃないですか。「ジョブ型雇用をやっています」とか言うから、ごまかしているように聞こえてしまうのです。年功序列ではなくて、職能に応じての雇用であり成果主義だということです。
ただし、成果型はこれまでの雇用体系に比べて難しい。成果には見えない部分もあります。だから、人事部が凄く重要になってくるわけです。例えば、サッカーの得点王を探すのは簡単です。しかし、実際にはゴールを決めた選手にボールが行くよう誰かがサポートをしています。さらには、その前に誰かが出した縦パスが利いていたかもしれません。そこまで見なかったら監督と言えないのです。だから、成果だけを見てて良いのかということ。成果が出るプロセスも見ておかないといけません。「それに対して我が社ではしっかりと手を打っている」と言えたら、社員はハッピーですよね。
縁の下の力持ちであっても、この会社はしっかりと評価してくれるわけですから。これがジョブ型というよりは「真の成果主義」なのです。世間の皆さんが言っているジョブ型は、基本的には「年功序列を辞めます」「成果主義を中心にやります」という話です。それを、ジョブ型と誤魔化すからいけないのです。
本当の意味での成果主義型の経営は大変です。なぜなら、社員一人ひとりの目に見えない貢献を見ないといけないからです。誰がどこでどういう活躍をしているのかをしっかり見極めないといけないのです。私の上司であり師匠であった一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生は、僕に「飲みに行こう」とは言わなかったです。「今日は豊かな暗黙知を共有しに行こう」なんて言いながら飲みに誘ってくれました。これって大事なことです。やはり、場を共有すると人間の暗黙知が良くわかります。残念ながら、最近はそういう機会がどんどんなくなって来てしまっています。そんななかでも、成果主義型の経営にシフトするというなら、人事部は今まで以上に社員が会社に対してどんな貢献をしているのかを本気で見ていかないといけません。だから易しいことではないのです。
ジョブ型雇用は今後、日本企業に広がっていくとお考えですか。
広がるんじゃないですか。ただ、ジョブ型雇用と言うから質問がぼやけます。むしろ「成果主義が広がりますか」ということです。逆に言えば、成果に応じた給料を支払わない経営なんかがあり得るのでしょうか。問題は、成果が見えない仕事をどうするかです。会社では8割ぐらいを占めます。それを評価するのは並大抵の仕事ではありません。だから、問われているのは成果型雇用ではなく、経営の仕方、トップの在り方、人事の能力であると言いたいです。
米倉 誠一郎氏
一橋大学 名誉教授
デジタルハリウッド大学大学院
特命教授
一橋大学社会学部(’77)および経済学部卒業(’79)。同大学大学院社会学研究科修士課程修了(’81)。ハーバード大学Ph.D 歴史学(’90)。1982年〜2017年一橋大学イノベーション研究センター助手を経て助教授・教授。2008年より2012年まで同センター長。2009年~2019年日本元気塾塾長。2012年~2014年プレトリア大学ビジネススクール(GIBS) 日本研究センター所長(Academic Director)を兼務。2017年~2024年法政大学大学院教授。2020年よりソーシャル・イノベーション・スクール(CR-SIS)学長。2021年より世界元気塾塾長。2024年よりデジタルハリウッド大学大学院特命教授。