もはや、日本においても長期雇用を前提とした働き方は過去のものとなりつつある。これに合わせて、個人にとっても人生やキャリアを選択するための情報や選択肢が増えつつある。言い換えれば、個人が仕事において自己決定・自己選択できる自由度が高まってきていると言える。こうした時代の流れを逸早く予見していた研究者がいる。組織論の第一人者として個人を尊重する組織の研究を手掛ける、同志社大学の太田肇氏だ。その研究成果を基に、講演やメディア・著書を通じて、新たな視座を提起している。
今回は、今後個の働き方と組織のあり方がどう変わっていくのかを聞いた。後編では、『分化』『自営型』『健全な家族主義』など、太田氏が提示する人事変革に挑むためのキーワードを解説してもらった。(前編はこちら )
01個人の視点や意思を
引き出す必要がある
現状、日本企業は個人を尊重する組織になりえているのでしょうか。どう評価されますか。
私は、「なっていない」と思います。色々な切り口があります。例えば、個人の能力を活かすということでは『自律型社員』であるとか、最近ですとタレントマネジメントなどと言われています。これらは、どちらかと言うとまだ組織視点、企業視点なんです。
世の中には、タレントマネジメントを研究されている研究者が沢山います。皆さん、企業と個人が伸ばそうとしているタレントが一致していくという前提に立たれているものの、実際には、企業側から見た適材適所であって、必ずしも個人が伸ばそうとするものと一致していないのです。
ですから、たまたまですが、2022年に私が行った調査の中で、「仕事に関する知識や技術、特技など、自分が得意なことでも隠すことがありますか」という質問を投げかけてみました。44.6%の方が「ある」と回答していました。この数字が、まさに象徴しています。つまり、本当は個人としては「伸ばしたい」、あるいは「これが得意だ」と思っていても、それを伸ばすこと、発揮することが、会社にとって歓迎されない場合があるんです。両者が一致しないと言うことだと、本当のタレントマネジメントにはならないと思っています。
やはり、個人の視点に立つタレントマネジメントを考えないといけないという話ですね。実際に、人を尊重する組織を目指すためには人事はどこから着手すべきだとお考えですか。
幾つかあります。一つは個人の視点、個人の意思から出発すべきだということです。今の例ですと、会社から見た適材適所というよりも、やはり個人の側から見て「これを伸ばしたい」とか「ここの部署に行きたい」という意思を引き出す必要があります。もちろん、皆が同じ部署に集中してしまうと、組織として成り立ちません。そこには、一種の競争原理のようなものが働くようになると思います。
欧米でしたらジョブポスティング、日本でも社内FA制度が導入されつつあります。中国では、いわば集団お見合いのようなものを行っているそうです。たとえるなら、プロ野球の現役ドラフトのような感じです。取りたい部署と移りたい人とがいて、集団的にマッチングを図るわけです。組織の中に一種の市場原理みたいなものを取り入れていくというのが、理にかなったやり方だと思います。
02『分化』がなされていないからこそ、問題が生じる
先生が提唱されている代表的なキーワードには『分化』もあります。どのような考えなのでしょうか。
まずは、『分化』とは何かですが、その前に未分化から説明しましょう。未分化というのは、個人が組織や集団に溶け込んでいることを意味します。いわば、埋没していることです。『分化』はその逆です。一人ひとりの能力や貢献度が集団や組織から分けられる、英語で言えばアイデンティファイできるということです。
物理的に分けたり、あるいは認識的に分けたり、制度的に分けたりとさまざまな側面があります。
「『分化』が、日本において個人や組織のあり方にとって非常に重要なキーワードになる」と指摘されています。その意味合いをお聞かせいただけますか。
現在、日本では色々な問題が起きています。その根源にあるのは、『分化』が成されていないということ。すなわち未分化のところであると思っています。逆に言えば『分化』をすることによって、多くの問題が解決されると思っています。テレワーク一つを取り上げても上手くいかないのは、やはり集団単位で行う仕事が多いので、皆一緒にいないと仕事が回らないのです。
分かれていないとアウトプットで評価することができません。必然的にインプットで評価せざるを得なくなってしまいます。インプットというのは、どれだけ頑張っているかです。しかし、テレワークの場合には部下の働く姿が見えません。なので、管理職は不安になってしまいます。さぼっていないかどうかを監視せざるを得なくなってしまうわけです。
他にも、ジェンダーギャップの問題やガラスの天井(組織内で幾ら素質や実績を持っていたとしても、性別や人種などを理由として昇進を阻まれてしまう現象)なども、これも分かれていないことに根差しています。結果的に頑張りだとか曖昧、抽象的なもので評価してしまい、それが結果として例えば、女性が不利に扱われるといった不満につながるケースが多いです。
あるいは、成果で見られないので何とか頑張っているところを見せようとすると、遅くまで残業をせざるを得ないとか、休暇がとれないということが起きがちです。諸々の問題がここに集約されると思います。裏を返せば、これを分けることによって解決できると思います。
太田先生は、2018年頃から「組織のマネジメントや評価において『分化』を進めていくべきだ」と力説されておられました。コロナ禍を挟んで、この5年で『分化』の進展ぶりはいかがでしょうか。
残念ながら、あまり進んでいないと思います。「そこに問題がある」という認識が薄い気がします。ただ。『ジョブ型』を導入しようという機運が盛り上がっているのは良い傾向です。
『ジョブ型』というのは、『分化』の一つの手段ですから。そういう意味では、少しは進んでいるということです。
03『自営型』の推進が
日本企業の『分化』を
加速させる
今後ますます『ジョブ型』が導入されることで、『分化』が日本企業において進んでいくと理解して良いですか。
『ジョブ型』は、これからの日本企業にとって良い方法だと思っています。ただ、ベストではないんです。
ならば、何がベストになるのかが気になりますよね。私は『自営型』という言葉を使っています。いわゆる、自営業の自営です。同じように『分化』するわけですが、ジョブといった機械的な切り口ではありません。むしろ、まとまった仕事を個人で受け持つという、言ってみれば自営業者の集団のようなイメージです。
それは、個人がそれぞれの専門性・プロフェッショナリティを発揮し、会社に依存しない関係を作り上げていくということですか。
そういう点もありますが、ITの進化によって個人の守備範囲が広くなってきているということです。例えば、米国のシリコンバレーや中国・台湾などを見ましても、個人で会社の中に在籍していても、本当に自営業者のようにまとまった仕事をする働き方が広がってきています。例えば、「このプロジェクトは自分が担当する」とか、「この商品は開発からマーケティングまで自分が見る」とか…。
これは、海外だけでなく国内の製造や建築、情報、出版などの業種にも広がって来ています。営業の仕事にもです。中には、そうした現象を捉えてこれを『ジョブ型』と呼んでいる人もいます。ただ、私としてはこれは『ジョブ型』とは明らかに違うと思っています。
実は、そのあたりも含めて解き明かしたいと言う意図もあって、今秋早々ぐらいに『自営型』をテーマとする本を出版したいと準備しています。
「『自営型社員』を目指そう」「『自営型社員』を増やそう」というメッセージですね。現状での個人の意識はどうなのでしょうか。
ある調査結果によると、「過半数が転職や独立はしない方が得だ」と捉えています。それが、実態です。もはや、個人の意識を変えてもらうだけでは『自営型』は実現できません。仕組みを変えないといけないということです。
今の仕組みのままであれば、何もしない方が得なんです。『メンバーシップ型』、終身雇用のもとで働いていた方が得だとわかっているので何もしようとしません。挑戦しないのです。なので、仕組みを変えようということです。
『自営型』になると、個人は企業に何を求めるようになってきますか。
一番大きいのは、自由度だと思います。自由に仕事をさせてもらえているということです。これについては、最近の流行語として『ジョブクラフティング』(従業員が主体的に仕事を設計し直す取り組み)という概念があります。つまり、職も自分たちで作っていくと言う考えです。これも自由度に近いと思います。
二つ目は、組織の枠の中に閉じ込めないでくれということです。副業を認めてもらうというのもその一つです。また、途中でスピンアウトして独立する、のれんわけのような制度もあります。それから、飛び出して起業するというケースもあります。ですから、個人のキャリアを組織の中に閉じ込めないでもらいたいというのが、一番の狙いだと思います。
太田先生は、欧米だけでなく中国や台湾などにおける組織のあり方も研究対象とされているのですね。その理由も教えていただけますか。
アジア的なある意味曖昧なものにこそ、人間の能力を最大限に発揮できるヒントがあると感じているからです。
確かに、かつては中国や台湾はいわば開発途上であるという見方をしたところもあります。ただ、IT化によってアナログ的なものがデジタル的なものに急激に変わってくると、むしろこれからはアナログ的なものの強さに注目せざるを得ません。そうなってくると、中国や台湾、あるいは日本の得意なものというか、隠れた強みが活かせる時代になって来ます。
そうせずに、欧米の方向ばかりに向いているといつまで経っても欧米に近づくことはできるかもしれませんが、対等になったり、追い越したりすることはできないと思います。
ここで、少し毛色の変わった質問をさせてください。最近は、ChatGPTが話題です。多くの経営者やビジネスパースンが注目しています。これが組織のあり方や個の働き方に何か影響を及ぼす可能性があるとお考えですか。
結論から申し上げると、「及ぼす」と思います。まずは、個人の価値観や能力に対してある意味、根本的な認識の転換を迫ると捉えています。極端な言い方をすれば、もうChatGPTでこなせるような能力は必要ないと言うことです。
といって、「ChatGPTの上を行く能力を身に付けなければいけない」という言いたいわけではありません。それでは、ハードルが高くなってしまいます。逆に言うと、人間であれば誰でも人間特有のものを持っているわけです。そういう意味では、今まであまり日の目を見なかった能力であるとか、優等生だと言われなかった人たちにとっては逆転のチャンスがあると思います。
04広い視野から個人と関係を築く『健全な家族主義』を期待
組織の変革と人の成長に向け、人事部はどのようにリーダーシップを発揮して行けば良いとお考えですか。
個人を組織に囲い込んで庇護し、思うように育てようとする『パターナリズム』的な人事部像から脱却する必要があります。会社が、あるいは人事部が人を雇用し組織が望ましいと思っているイメージの方向に育てる。そういう考え方は段々と通用しなくなっていくのではないでしょうか。
最後に、中小・中堅企業の経営者にメッセージをお願いいたします。
私が良く言っているのは『健全な家族主義』です。家族主義と言うのは、ある意味日本社会の土壌のようなところがあります。特に中小企業の場合には、そんな家族主義経営を多数掲げています。ただ、家族主義と言いながら、今はどちらかというと自分の会社の中にいる時は、とにかく家族のように大事にしていても、従業員が「辞める」と言ったら、もう手のひらを返したようになります。まるで裏切者のように扱っています。
本当の家族主義であるならば、家族と同様なのでたとえ会社を離れることになったとしても付き合いは続けていくはずです。それが本来だと思います。
実際、中国や台湾などを見ると退職者との関係は円満です。しかも、良い方向に繋いでいます。ですから、日本もこれからは個人としての人間を見て行ってほしいです。それは、会社の中にいる時だけ大事にするのではありません。もっと広い視野から個人と関係を築いて、直接的ではなくても間接的に自分たちの会社の仲間を作ってもらい、それによって事業を広げ共存共栄を図る。そのような視野の広い家族主義に変わってもらいたいと思います。
太田 肇氏
同志社大学 政策学部
大学院総合政策科学研究科
教授
兵庫県出身。経済学博士。日本における組織論の第一人者として著作のほか、マスコミでの発言、講演なども積極的にこなす。近著は、『何もしないほうが得な日本 -社会に広がる「消極的利己主義」の構造 』(PHP新書、2022年)、『日本人の承認欲求-テレワークがさらした深層-』(新潮新書、2022年)など。『プロフェッショナルと組織』で組織学会賞、『仕事人(しごとじん)と組織-インフラ型への企業革新-』で経営科学文献賞、『ベンチャー企業の「仕事」』で中小企業研究奨励賞本賞を受賞。他に著書30冊以上。