もはや、日本においても長期雇用を前提とした働き方は過去のものとなりつつある。これに合わせて、個人にとっても人生やキャリアを選択するための情報や選択肢が増えつつある。言い換えれば、個人が仕事において自己決定・自己選択できる自由度が高まってきていると言える。こうした時代の流れを逸早く予見していた研究者がいる。組織論の第一人者として個人を尊重する組織の研究を手掛ける、同志社大学の太田肇氏だ。その研究成果を基に、講演やメディア・著書を通じて、新たな視座を提起している。

今回は、今後個の働き方と組織のあり方がどう変わっていくのか、人事変革に挑むためのキーワードは何かを語ってもらった。前編では、『ジョブ型』移行への疑念やこれからの人事の役割などを聞いた。

01今の時代において、
『ジョブ型』が最適な
システムであるかは疑問

昨今の人事を取り巻くトレンドで何か気になる点がございますか。

三点あります。私が一番違和感を持っているのは、世の中全体に『メンバーシップ型』から『ジョブ型』への動きが顕著なことです。それ自体は、当然な潮流だと思うものの、あまりにもこの二つの類型に現実を押し込んでしまおうとするところに疑問を感じます。

二点目は、ある程度流動性を前提にしたマネジメントに移って来ていることです。例えば、もう今の時代は転職もありうるということで、それを見越してマネジメントを行っています。また、一旦退職した社員を今度はカムバック制度のような形で迎え入れる企業も増えて来ています。さらには、退職者との関係をアルムナイと言いますか、そういうネットワークを構築して活用していこうといった動きも出て来ています。

三点目は、副業を認める企業が急増していることです。これは、『ジョブ型』が導入されたことで副業の容認にも繋がっていると思います。こうした点に特に注目しています。

『メンバーシップ型』から『ジョブ型』への移行が、“既定路線”として語られつつあることにどのような印象をお持ちなのか、もう少しお聞かせください。

確かに、『メンバーシップ型』が特にIT化やグローバル化によって、徐々に限界が見えてきました。そこにコロナ禍が起きて、いよいよ『メンバーシップ型』では限界があると多くの経営者の方たち、あるいは世の中全体が思い始めたと思います。ならば、大きな流れとして『ジョブ型』だとそちらに一斉に舵を切っています。そこに、私は違和感を覚えているのです。

理由は二点挙げられます。まず一つ目は、そもそもこの『ジョブ型』が日本企業、あるいは日本社会に適合するのかどうかという点です。常識的に言って、私は幾つかの大きな壁があると思っています。それを実感されて、最近では『ジョブ型』を日本式ジョブ型であるとか、ハイブリッド型だとかデフォルメして日本に適用しています。現象面としてそこに問題があるのではないかと感じています。

二つ目は、もう少し視野を広げてみるとこの『ジョブ型』が果たして今の時代、あるいはこれからの時代にとって、最適なシステムかどうかというところに私は疑問を持っています。

※『ベンチャー企業がぶつかる「10億円の壁」をどう乗り越えるか!』のシリーズでは、ジョブ型雇用のメリット・デメリットについてもご紹介しています。併せてご覧ください。
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今回は、ジョブ型雇用のメリットを取り上げる。10億円の壁を乗り越えようとする時には、大きな武器になる雇用スタイルであることは間違いないです。
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「ジョブ型雇用をすると、他の職務への人事異動ができなくなる」と指摘する人もいる。果たして、それは事実と言えるだろうか。今回は、そのような懸念を取り払うためにも、デメリットをテーマとする。

 

02人事の役割は
『インフラ』であるべき

ところで、太田先生は「戦略人事」をどう捉えておられますか。

戦略人事には両面があると思います。確かに、経営戦略があるので人事も戦略的に行うと言うのは、理に叶っているとは思います。他方で、あまりにも戦略が先行してしまうと個人の持っている能力を活かせなかったり、あるいは個人のキャリア志向との間に乖離が出て来たりする恐れがあるのではないとか心配しています。

戦略が先行することによって弊害が生じるということですか。

そうです。ご存知のように日本の場合、従業員を簡単には解雇することができません。ただ、戦略というのは当然ながら、その時々の経営環境・社会環境・時代環境などによって変わってきます。それに応じて、従業員はいわゆるリスキリングをするとか、あるいは配置を変えられてしまいます。

特に、『ジョブ型』になって来ると、もうそのジョブでキャリアを形成するわけですから、そことのマッチングをどうするのかと言う点が心配になってしまいます。

となると、戦略人事が日本企業に定着することは良いことなのでしょうか。それとも、弊害があることをしっかりと理解した上で取り組まなければいけないとお考えなのですか。

後者です。いくら、戦略人事が大事であるからと言って、諸手を挙げてそちらに飛びついていくことは、どうなのかと思うということです。

一般的には戦略人事が日本企業にもっと定着していかないといけないという考えがあります。「そうではない」、それは思い込みだと言うことですか。

そうです。そういう意味では、冒頭で述べた『ジョブ型』への移行と同じかなというところがありますね。

「戦略人事」は日本企業に定着しつつあるとお考えですか。

私が聞いているところによると、もちろん戦略人事の重要性は理解しているものの、「なかなか壁が厚いなあ」と実感されていて、まだ一歩を踏み出せないでいる企業が多いようです。

経営戦略と人材戦略が連動していくために、人事部の役割がどう変わるべきであるとお考えですか。

人事の役割とは、これからは『インフラ』だと思っています。個人が段々と主役になってくると、今までのように人事主導で採用し、そしてローテーションを行うと言う考え方が通用しなくなります。個人がついて来れなかったリ、スキルを発揮できなくなったりするからです。

むしろ、個人が自らキャリアを形成し、能力を伸ばしていく。それをサポートする、あるいは場を作ることが人事にとって重要になると思います。そういう意味で、『インフラ』だと申し上げたわけです。

太田先生は、ご著書『仕事人と組織―インフラ型への企業革新』(有斐閣)で、「今後は『インフラ型組織』が拡大していく」と指摘されています。『インフラ型組織』と人事部の役割を改めてご説明いただけますか。

以前から、「会社は個人が活躍するために自己実現をする場」であると良く言われてきました。そういうことを言われる経営者の方が多数おられます。そうなると、組織は場だと言えます。だからと言って好き勝手に個人が行動してしまっては、組織としては成り立ちません。

やはり、そこは一つの方向性を定義して、企業の方向性と個人の望む方向性をマッチングしていく、マッチングさせていくことが必要になってきます。ただ、基本的には良い組織というのは、今までのように会社が個人を囲い込んで、その中で安定するのではありません。それよりも、場を提供してその上で活躍してもらうというスタイルになっていくと思います。特に、今後はデジタル化などによって組織の壁がだんだん薄くなっていきますから。それが、私が説く『インフラ型組織』のイメージです。

問題は、『インフラ』の中味だと思います。かつては、機械や設備などのハードが重要でした。しかし、これからは情報であるとかネットワーク、あるいはお互いに刺激し合うような仲間の存在、さらには個人個人が顧客や市場と対峙して仕事をするようになってくると、それをサポートしたり、後ろ盾になったりするような役割を果たす存在が必要になってきます。ある意味個人はまだまだ弱いからです。これを含めて『インフラ』だと思っていて、その役割を担うのが人事部だと言いたいのです。

『インフラ』としての人事に向けて、どんな課題が想定されますか。

やはり、一番の原点は従来の『メンバーシップ型』からの転換でしょうね。『ジョブ型』になるかどうかは別にしてですが…。つまり、メンバーとして採用したら、あとはもう企業主導のマネジメントで配属・異動していくというスタイルから脱却する必要があると思います。

03個人を尊重する組織作りが今求められている

太田先生は「個人を尊重する組織」を専門に研究されておられます。研究の概要をお聞かせください。

これまで組織と言うのは、企業あるいは経営者の視点から組織を構築し、マネジメントを行うのが常識でした。私はむしろ、個人の視点から出発して、その次に組織があるという順番です。

結局、個人が能力を発揮しないと組織は動きません。これは組織の原点に立ち返ると、米国の経営学者であるチェスター・バーナードが提唱した組織論に『権限受容説』があります。これは、権限と言うのは本来、上から命令を下すものですが、結局は個人がそれを受け入れないと権限も効力も発揮しないという考えです。最終的に決めるのは、個人だということ。私の研究も、そこに通じるところがあると考えています。

先生はなぜ、個人の視点から出発しようとお考えになられたのですか。

もともとは、私自身のキャラクターだと思います。ただ、それがたまたま今の時代が個人から出発しないと本来の力を発揮できず、それが結果的に組織の利益に繋がるのではという時代になってきたということです。

個人を尊重する組織を作らないといけないと前々から思っていました。その考えを一番最初に世の中に対して提唱したのは、1996年でした。中公新書から『個人尊重の組織論―企業と人の新しい関係』を出版したんです。まだ、当時は世の中がそちらの方向に動いてはいなかったので、「こうあるべきだ」と言うに留まったのですが、最近は多くの方々から「先見の明がありましたね」とお褒めの言葉をいただけています。私からすると、先見の明というのは大げさで、たまたま世の中の動きが近づいてきただけだと感じています。

後編に続くanother-window-icon

組織論の第一人者が語る、個の働き方と組織のあり方を巡る新たな潮流~変革へのキーワードを抑えよう(前編)
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太田 肇氏

同志社大学 政策学部
大学院総合政策科学研究科
教授

兵庫県出身。経済学博士。日本における組織論の第一人者として著作のほか、マスコミでの発言、講演なども積極的にこなす。近著は、『何もしないほうが得な日本-社会に広がる「消極的利己主義」の構造』(PHP新書、2022年)、『日本人の承認欲求-テレワークがさらした深層-』(新潮新書、2022年)など。『プロフェッショナルと組織』で組織学会賞、『仕事人(しごとじん)と組織-インフラ型への企業革新-』で経営科学文献賞、『ベンチャー企業の「仕事」』で中小企業研究奨励賞本賞を受賞。他に著書30冊以上。

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