米の高騰が続いている。政府は備蓄米を放出したが、一向に収まる気配はない。いわゆる「令和の米騒動」だ。各地の米どころでは、増産を目指す動きもあるが「農業従事者の高齢化が進んでいる」「後継者がいない」「利益が出にくい」など、現場はさまざまな課題を抱えている。果たして日本の農業は、大丈夫なのであろうか。そうした社会課題の一助に繋がるかもしない取り組みが、同志社大学のゼミ活動を起点に始動した。どんなプロジェクトなのか、日本の農業にどのようなイノベーションをもたらす可能性があるのか。同志社大学商学部 教授の太田原 準氏に聞いた。インタビューの前編では、農業のイノベーションに着目した背景やプロジェクトの全容などを語ってもらった。

01問いからスタートし、構想を育て社会に実装

太田原先生は、技術経営の観点から様々な産業の動態を研究されておられます。そもそも、技術経営に着眼された経緯をお教えいただけますか。

私は、2007年4月同志社大学商学部に准教授として着任しました。当時、MOT(技術経営:Management Of Technology)が流行していて、商学部も私を採用したことを機に「技術経営論」という科目を設けました。それを担当することになったのがきっかけです。

ただ、色々違和感がありました。輸入学問だったからです。それに、MOTはそもそも未利用の資源・技術に溢れた大企業の中央研究所や大規模大学の研究室、研究部門、理系学部から始まっています。「これだけの特許や技術が揃っているのに、なぜ儲からないのか」「どうして日本企業に負けるのか」という声が、1980年代に米国内で高まり、「技術活用の仕方を工夫しよう」ということで立ち上がった研究分野なのです。ですから、先に技術ありきで、「こんな技術を持っているけれど何とか事業化ができないか」というところからスタートしています。そういうものだと、私も捉えていたわけです。

ただ、そんな切り口で授業をしても、学生は基本的に文系ですから技術を持っているわけではないので,未利用技術の活用といってもピンと来ません。それで、「困ったなあ」と学部の同僚の先生方に色々と相談をしていたんです。その中のお一人に、現在はもう退職されたのですが、佐藤郁哉先生(一橋大学名誉教授)という社会学や方法論の分野の碩学がおられました。その佐藤先生が、強調されていらしたのが「リサーチ・クエスチョン」の重要性です。

ポイントは何かと言えば、自分自身や社会について批判的な視点で問いかけをすることです。「これで良いのか」「なぜこうなるのか」「このままで良いのか」などと。最初は自分自身の問題から始まるのですが、それを社会的な問い、他者が共感する問いに発展させていく研究をしていくことが、特に社会科学や人文科学では大事だという議論をされていて,私も深く共感しておりました。

その中で、私自身が着目したのは文系学生ならではの問いをどう設定するかでした。そこに力を入れていくことが大事なのでは、と考えたわけです。つまり、問いからスタートして構想に育てて、そして社会に実装していく。こういうプロセスで技術経営を教えたいと方向性が段々と固まっていったわけです。

問いから始まるとはどういうことかと言うと、文系の学生には技術の裏付けがありません。しかし、技術は誰かが持っていますし、社会のどこかにあります。問いを起点に,その技術を探り当てていく、あるいは獲得していくというスタイルで新事業を作ったり、起業したり、そういうプロセスで技術を教えようと考えたのです。これは、私のオリジナルではありません。佐藤郁哉先生から得た刺激、気づきのおかげです。それが私の大きな裏付けになっています。

02リサーチ・クエスチョンから始める技術経営と出会う

技術的経営の観点とは、どのような考え方なのでしょうか。

二つの考え方があります。一つ目は「テクノロジープッシュ」(技術の発展や進歩が新たな製品の開発の刺激剤となり、イノベーションが起きること)です。MOTは、1981年に米国マサチューセッツ工科大学ビジネススクールで設けられた技術経営コースから始まった科目、研究分野です。大企業や大規模大学の技術在庫、すなわちまだ商業化されていない技術を何とか事業化して市場価値に転換できないかという問題意識からスタートしています。ですので、まだ使われていない技術を市場で価値を生む商品やサービスに転換して、収益モデルあるいはビジネスモデルを構築し、その後も知財を守り、そして競争優位にしていく。そういう流れが標準的な観点になります。

でも、私はこれとは別の考え方をしています。リサーチ・クエスチョンから始める技術経営です。端的に言えば、「ニーズプル」(事業上のニーズや顧客ニーズなど、技術に対する特定のニーズに牽引されるような研究開発)です。自分の問題意識や社会課題をこうすれば解決できるのではないかというリサーチ・クエスチョンから始まり、それを解決する技術を後から探したり、獲得したり、作り出したりするプロセスになってきます。その後は、テクノロジープッシュと一緒です。私は、こちらの観点を授業で教えています。

太田原先生は、元々どのようなバックグラウンドだったのですか。

私自身は、院生時代から自動車産業の研究にずっと従事していました。メインは本田技研工業(以下、ホンダ)の歴史研究です。財閥系の企業とホンダのような戦後にスタートアップした企業とでは、もう最初から違っています。財閥系は欧米で先行して商業化された技術を国内市場に導入したり,軍事技術をどうやって民生用に活用するかというアプローチからスタートしています。しかし、ホンダの創業者である本田宗一郎は、「日本はなぜ戦争に負けたのか」「なぜ軍隊の下請けではダメなのか」「これから自分は何をすべきなのか」という問いから始まり、戦後の焼け野原の中で苦労する人々のために、無線機の発電用エンジンを自転車に取り付けた、通称“バタバタ”を作ったのです。そこから、ホンダの事業が始まっていきます。まさに、「大衆のために何が必要なのか」という問いが、ホンダの礎となっているわけです。私自身はホンダの歴史のスタートをニーズプルの観点から評価しています。

03イノベーションとは必要なアイデアや技術を必要な人に届けること


日本企業にはイノベーションが乏しいと言われて長いですが、太田原先生はそもそもイノベーションをどう捉えておられますか。

イノベーションとは、新しいアイデアや技術を必要としている人に届けることです。つまり、事業化することですよね。必要としている人に届けることが、重要なのです。利益は後からついてきます。この視点が抜けると事業は上手くいかなくなってしまいます。だから、まずは届けることを私は重視しています。私自身、今まさにそれを実践しているところです。

日本企業のイノベーションは、なかなか加速していません。どこに課題があるとお考えですか。また、日本企業がイノベーションを加速するためのご提言をお願いします。

“草の根イノベーション”に立ち返ることを提言したいです。「こうしたら良いのに」と思うことは誰にでもあります。しかし、「なぜそう思うのか」「もしやってみたらどうなるのか」「やらないとしたら何が変わるのか」「その変化を量的に測るとどうなのか」までを考え実行しようとする人はあまりいません。でも、“草の根イノベーション”(個人の仕事や暮らしに根付したイノベーション)はそれを習慣的に実行することです。

2006年にノーベル経済学賞を単独受賞されたコロンビア大学「資本主義と社会研究センター 」所長のエドモンド・S・フェルプス先生は、そのような生き方は生産性を上げるからというよりは幸福度を高めるからという理由で復活させたいと議論しています。興味のある方は『なぜ近代は繁栄したのか――草の根が生みだすイノベーション』(みすず書房)をご覧ください。

でも、私は先生の言うことはどこでも当てはまると思いますし、イノベーションを何か宿題のようにやるべきだと押しつけるより、「こちらの方が良いのでは」という程度で自分の生活の一部にしていくことがベターだと考えています。

04包摂型のイノベーションこそが、草の根イノベーション

太田原先生が“草の根イノベーション”をどう捉えているのか、もう少し解説していただけますか。

私は、イノベーションを中心に技術経営に取り組んでいます。生産性が向上すると所得向上に結びつきます。だから、イノベーションをどんどん盛んにしないといけません。それに関しては、私も他の識者と同じ意見を持っています。

もちろん、生産性を上げるだけだと所得が上がらないこともあります。そこは補足しておかないといけません。分配政策(富裕層などから所得や富を移転したり,企業の労働分配率を上げること)を適切に行うことを前提として、所得向上にはイノベーションが必要だというスタンスです。ただ、イノベーションには収奪型と包摂型の二つがあります。これは、2024年のノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグルとジェームズ・ロビンソンが『Why Nations Fail(国家はなぜ衰退するのか)』『技術革新と不平等の1000年史』(いずれも、早川書房)などの著書で提唱した概念です。

簡単に説明すると、収奪型のイノベーションを続けていると限られた富豪を生むだけで社会は豊かにならない。包摂型にすればイノベーションの成果が社会に行き渡り豊かさにつながるという考えです。これには、僕も以前から同様のスタンスで研究を手掛けています。例えば、AIが発展することで人間の仕事を奪うのではないかと危惧されていますが、それだけでは収奪型の典型です。同じAIを使うにしても,包摂型であれば,労働力を補完して労働者の能力を引き上げるために使うことができます,後者のアプローチが包摂型イノベーションです。

この包摂型のイノベーションこそ、“草の根イノベーション”だと捉えています。一人ひとりがイノベーションの成果を使う側になるだけでなく、小さくても良いので自分の仕事や生活を通じてイノベーションに関与できるアプローチであると私は定義しています。

その意味で言うと、“草の根イノベーション”には二つの意味があると言えます。一つは、ある天才や巨大企業によるイノベーションではなく、普通に暮らしている人であれば誰であっても実現できるイノベーション。もう一つは、誰かが作ってくれたシステムや仕組みを活用することで、自分たちの日々の生産性を高めていくイノベーション。これも私は立派なイノベーションだと思っています。いずれかの形で、“草の根イノベーション”に関わっていくことが、とても大事になってきます。

 

05生産性の高いセクターからの移転に取り組む

太田原先生は、自動車産業の研究から自治体経営やスマート農業の研究へと拡大されておられます。どのような経緯があったのですか。

自動車産業の研究は、今も継続しています。特に、ホンダの歴史に関する研究は私のライフワークですので、一年に一本は論文を書くようにしています。ただ、私の中では工業と農業とを分けるという考えが、もはやなくなって来ています。

以前ですと、農業は天候などに左右されてしまい、不確実性が非常に高いとか、圃場が広いので多くの労働者を雇って働かせたとしても監督できないということで、企業型経営における生産管理や労務管理上の難しさが指摘されていました。今日では、そうした課題もかなり解決されつつあります。例えば、ビニールハウスや工場の中で野菜を栽培することによって、天候を心配する必要はなくなりました。また、テクノロジーの力によって農作物の環境管理もしやすくなっています。労働者の労務管理もまだまだ課題がありますが,システムで解決できる方向が見えてきています。。こうしたテクノロジーの活用という前提があっての認識です。

その上で、私自身の研究の流れとしては、生産性が高いとされるグローバル型製造業から生まれてきたさまざまな経営手法や管理の仕方を自治体や農業などといった生産性の低いセクターに波及させていきたいという考えがあります。これは、私が考えた流れではありません。米国などで、1980年代からもてはやされたNPM (new public management:新公共経営)という理論の流れです。これは、非営利組織や法的セクター、政府、役所、病院、学校などが製造業のさまざまな経営手法を学ぼうという動きです。日本では、2000年代から広がって来ています。
最初の例が、三重県庁の取り組みです。職員をトヨタ自動車のTQM(Total Quality Management:全社員が品質に対する意識を共有し、品質を継続的に改善していくためのマネジメント手法)部門に一年間出向させて仕事の仕方を学んでもらい,県庁組織に展開しました。後に続く自治体が次々に増えています。現在,科学技術助成事業(科研費)のプロジェクトで,DXの普及メカニズムと自治体の効率性や生産性との関係を検証しています。

次は何かとなると、その一つが農業です。こちらは、生産性の低いセクターの代表と言えます。それで、研究テーマとして浮上してきました。シンプルに言えば、生産性の高いセクターからの技術移転、経営手法の普及という観点で研究に着手しました。

 

06担い手不足が日本における農業の課題

まずは、スマート農業の研究を手掛けられていますね。

7年ほど前にヤマハ発動機から委託され、農業におけるドローンの利活用の可能性を研究しました。当時、既にドローンを使いこなしていた農家は,併せて農業支援クラウドサービスも導入し、蓄積データを使ってPDCAサイクルを回していました。「これはすごい」「今後もっと進むだろう」と思ったものです。ただ、ドローンやスマート農業を使いこなしている人たちは、それほど多くはいませんが、政府や大学の支援がなくても,企業家としてどんどん自走していけることに気づきました。

他方、問題なのは後継ぎがいないような小規模農家です。取り残されるだけです。耕作放棄地がどんどん増えていってしまう。ここをどうにかしないといけないと考えました。
かつらぎ視察

それが、現在の日本の農業における課題になるのでしょうか。

そうです。最大の問題は担い手不足です。人がいなければ幾らポテンシャルとして生産性を上げるテクノロジーがあっても、それは実行には移されません。つまり、生産性を上げる手段があって、かつ労働力があって初めて“生産力”が担保されるわけです。

例えば、日本には中山間地で零細農業を営む人が沢山います。平均年齢が73歳ぐらい。もう数年後には、後期高齢者になるような方々なので、耕作放棄が進んでいます。それらの農地がすべて手放されたら、日本の耕作可能地は現在の半分になると見込まれています。問題は、その担い手をどう確保するかです。その上で生産性の向上を検討していかないと圃場(農作物を栽培する農園)そのものがなくなってしまいます。もう待ったなしの状況まで来ています。

現状では、土地や技術は十分にあります。ないのは、担い手です。ただし、労働力も本当はあるんです。それが、農業に向かっていない、向かわせる仕組みが整っていないと言って良いでしょう。

07農業支援の現場に立ち、ボトルネックに気づく

太田原先生は農業の課題を解決するために、農業労働力支援アプリ「アグリコ」の開発プロジェクトを立ち上げられました。その背景をお聞かせください。

スタートラインは、ゼミ生の研究です。どうしても、文系の学生が技術経営をテーマとした卒業論文を執筆したとしてもさわりの部分で止まりがちです。簡単なアイデアでも良いので、プロトタイプを作り必要としている人に見てもらい、フィードバックされるところまで実装したいと思っていました。それで、チャンスを伺っていました。ただ、そこまで意欲やバイタリティがある学生たちのグループは、なかなか出て来ませんでした。

そんな中、たまたま2024年3月に卒業したグループに妥協を知らない学生たちが揃っていました。実は、彼ら・彼女らは最初に恋愛やお見合いといったマッチングアプリに興味を抱いていました。やはり、若者ですからね。ただ、さすがに結婚アプリの研究で終わらせるわけにはいきません。そこで、「今一番マッチングを必要としているのはどこだろう」と考えてみたのです。そのときに、「農業ではないか」という仮説が浮かんで来ました。早速、農学系の大学院を出られた龍谷大学の眞鍋邦大先生に聞いてみたところ、「JA全農おおいたに花木正夫さん(現・全農ふくれん営農直販部次長)というすごい人がいる。その人がやっていることを、とにかく見に行きなさい」と教えてくれたんです。そこで見たものが、今のプロジェクトの出発点となりました。

花木さんは、どんなお考えをお持ちであったのですか。

花木さんの構想は、農家がいずれはなくなることを前提にされていました。今のままであれば、一部の企業と非常に優れたアントレプレナーが農業を手掛けて生産性を上げていくスマート農業(ロボット技術やICT等の先端技術を活用し、超省力化や高品質生産等を可能にする新たな農業)は残ったとしても、それ以外の人は誰も農業をやろうとは思わないと言うのです。それでは日本の農業は衰退してしまうので、極論を言えば皆が少しずつ農業に関わる9.1農業を提唱されていました。働く時間のうち,本業9割,農業1割に使おうという運動です。まずはその第一歩として農家の代わりに農作業を請け負う事業を展開されていたのです。

請負業とは、派遣やアルバイトなどの雇用とは違います。例えば、大分県の山間部には、年を取り農業を続けられなくなったり、後継ぎがいなくて離農せざるを得ない人たちが沢山います。その人たちから依頼されて、農作業を代わりに行うチームを作り、責任を持って栽培から出荷まで必要な作業を代行するわけです。そうしたビジネスを、花木さんは試行錯誤しながら軌道に乗せていました。私たちがお会いしたときには、もう3年ぐらい続けていて、農業に従事する労働者を年間で延べ2万5千人も農地に供給していました。

学生たちもその話を一通り聞きながら、日頃私が「生産管理論」の授業で教えている通りに請負業における仕事の流れや,モノや情報、おカネの流れを書き出していました。花木さんの話だと、「Excelと紙ファイルで管理してシフトを組んでいたら、担当者が仮に24時間体制で働いても年間で2万5千人以上もの労働者は処理できなくなってきている」と言うのです。それもそのはずです。シフトを組むにあたっては、「技術のわかるリーダーは誰か」「過去にどんな作業を経験しているのか」「どういった作業ならできるのか」「本人がやりたくない作業は何か」「誰と一緒に仕事をしたくないか」「誰が車を運転できるか」など、ものすごく多くの考慮すべき項目があります。それらを踏まえて実働可能なチームを作っていかないといけません。

しかも、農作業を請け負っているJAのパートナー企業もメインは土木作業の会社であったりします。事業の多角化の一環として農業に手を出しているのでシステムに精通した社員はいません。ごく普通の中高年社員が大変な想いをしてシフトを組み、車にスタッフを載せて出発していくわけです。その様子を見た学生が、「このボトルネックを解消しない限り、この事業はこれ以上伸びないな」と言い出したのです。それで、まずはデータを取ってシステム化に着手することにしたわけです。


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太田原 準

同志社大学
商学部 教授  

専門分野は経営史、技術経営論。自動車産業を対象とした経営学・経営史の実証研究を行う。
2001年3月京都大学大学院経済学研究科修了(経済学博士)。龍谷大学、立命館大学非常勤講師や東邦学園大学専任講師、助教授を経て、2007年4月同志社大学商学部准教授に就任。
2013年4月から現職。

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