昨今、日本企業も中長期的な企業価値向上を意図して、人材を資本と捉える経営手法に注目している。人的資本経営に対する関心度の高まりは、まさにその象徴的な流れと言えそうだ。だが、現状においてはその重要な資本をどこまで大切にできているかというと疑問を抱かざるを得ない。ワーク・ライフ・バランスにしても、ジェンダー平等にしても他の先進国と比べて大きく遅れを取っている。何をどう着手していけば良いのか。その分野の第一人者である同志社大学政策学部政策学科 教授の川口 章氏に、アドバイスを求めました。後編では、日本においてワーク・ライフ・バランスが遅れた理由やジェンダー平等の現状などについて語っていただきました。
前編はこちら another-window-icon

01日本は労働に対する
価値観を変える必要がある

日本は残業に対する規制が緩いだけでなく、労働生産性も低いです。2023年のドル建ての名目GDP(国内総生産)では、ドイツに抜かれて世界第4位となりました。残業時間が規制されることで生産性は上がるのでしょうか。

残業時間の規制が厳しくなると、企業は無駄を省こうとすると思います。例えば、日本は無駄な会議がとても多いです。海外であれば、トップダウンの会社が多いので上の人が決めれば良いことを、日本はだらだらと会議をしがちです。良く聞くのは、海外の会社と交渉している人がその場では何も決められず、「持ち帰って検討します」と言って帰ったと言う話です。そういう無駄な時間を使う経営の仕方を変える必要があると思います。

まだまだ日本には、「長時間労働が美徳だ」みたいな雰囲気が残っています。

確かにそうです。夜の8時、9時を過ぎても働いている社員がいたりすると、「あの人は熱心だなあ」などと、遅くまで働く社員が真面目だという価値観がはびこっています。そこは変えていかないといけません。

どうして、日本と北欧では価値観が大きく異なるのでしょうか。

私にも良くわからないですね。なぜかというのは。ただ、変わり得るものだと思います。ドイツも少し前までは、男女の役割分担がかなりはっきりしていました。イタリアは今でも男女の役割分担がかなり明確にわかれていて出生率も低いです。先進国では、日本とドイツ、イタリアの出生率が低くて、「日独伊三国同盟の呪い」とまで言われていました。ただ、いつの間にかドイツは出生率が上がってきていて(2022年1.58)、女性活躍も進んでいます。女性の首相が登場したほどですからね。

その意味でも、ドイツのように残業時間を短くするなど色々努力していけば、人々の考えも価値観も変わっていくと思います。そうしないと、日本に未来はないのではないでしょうか。特に、年齢が上の人たちの価値観を変えないといけません。日本は年功序列で、年長者が制度を決めたり、評価したりしていますからね。

ただ、誤解がないように補足しておくと、ヨーロッパでも管理職は結構長く働いています。週の労働時間が48時間という規制が適用されないからです。当然ながら、罰則もありません。なので、日曜日に働いている管理職も珍しくありません。管理職は収入も多いですし、年齢的にも子育てがある程度終わってる人が多いです。だから、休日出勤ができるのかもしれません。

02終身雇用は崩壊へ。
新たな雇用の
在り方が求められる

ジョブ型雇用に関してはどのような見解をお持ちですか。

ジョブ型の名付け親と言われる、独立行政法人労働政策研究・研修機構政策研究所長の濱口 桂一郎氏が言うような米国のブルーカラー労働者に代表されるジョブ型雇用という定義からすると、日本が今動いてる方向は違う気がします。日本的雇用は、終身雇用制を基本にして経営を行っていくというやり方です。しかし、それは今や段々と崩壊しつつあるという面では、日本のメンバーシップ型雇用は変わりつつありますし、変わらないといけないと思います。新たな雇用の在り方をジョブ型雇用という名前で呼ぶかどうかは、その定義によります。どのような言葉を使えば良いかは正直わかりません。

ただ、確実に言えることは日本の終身雇用で対象となるのが正社員だけだということです。ただし、その正社員の割合が近年ますます減って来ています。ここ数年はそうでもありませんが、長期的に見ると正社員が減って非正規が増える傾向にあります。

現状、ジョブ型雇用になりつつあるどうかはわかりませんが、終身雇用は崩壊しつつあると言って良いでしょう。元々、終身雇用は男性が働いて女性が家庭を守ることを前提としていた時代の雇用制度です。なので、それはこれからの新しい時代には合わない気がします。

03労働時間の短縮と
家事に対する
意識の変革が急務

川口先生は、ワーク・ライフ・バランスとジェンダー平等を研究されています。日本においてワーク・ライフ・バランスの定着が遅れた理由は何だと思われますか。

やはり、残業時間の規制が緩いことが要因です。それと、ジェンダー役割(男性や女性などに求められる責任や仕事、社会的に帰する態度や行動様式)といいますか、男女の役割が他の先進国からは信じられないくらい異なっているのも問題です。

例えば、最新のOECD(経済協力開発機構)の統計を見ると、日本における1日当たりのアンペイドワーク(無償労働、そのほとんどが家事・育児)は男性が41分、これに対して女性は3時間44分でした。女性は男性の5.5倍のアンペイドワークをしています。OECD諸国で日本に次いで男女格差が大きいのがトルコで4.5倍、韓国が4.4倍と続きます。OEXD諸国全体の平均が1.9倍ですので、先進国の中では日本、トルコ、韓国が飛び抜けて男女の家事時間の格差が大きいと言えます。これは、言い換えると男性が家事をしていないということです。

ノルウェーでインタビューを行った際、共働き夫婦に「家事分担をどうしていますか」と聞いたら、ほとんどの人が「フィフティ・フィフティだ」と言っていました。それが理想のカップルだそうです。だから、それぐらいにならないと労働時間の短縮や意識の改革は難しい気がします。労働時間を短縮して、男性の家事・育児をしやすくする。そして、日本人の意識が変わって、男性が労働時間の短縮を求めるようになる。この両方が起こらないといけないと思います。

今後、日本企業がワーク・ライフ・バランスを推進していくために何をすべきであるとお考えですか。

ワーク・ライフ・バランスに関して日本企業には色々な問題があるとは言え、希望がないわけではありません。日本生産性本部「2017年度 新入社員 秋の意識調査」によると、男性新入社員の約8割が育児休業の取得を希望しています。ところが実際には、17.13%しか取っていません(2022年度雇用均等基本調査より)。政府としては、2025年までに50%まで高めたいと考えているようですが、現状では若い人の意識は変わりつつあるものの、それに企業が追いついていないようです。

それでも、上場企業に限って言えば多少は進んでいます。日本生産性本部「有価証券報告書における人的資本開示状況」を見ると、男性の育児休業取得率が2割未満の企業は14%に過ぎず、取得率が5割以上の企業が45%あります。今後はどんどん上がっていくことでしょう。女性が8割ぐらいですから、できるだけ早く男性も同じ割合になってほしいです。

それから、もう一つ問題なのは育児休業の取得期間です。男性の場合は取得者の半数以上が2週間未満です。一方、女性取得者の95%が6か月以上取得しています。男女とも6か月以上取るのが理想です。それに近づくには、子育てをきっかけに家庭内の役割分担を変えていくことが、大事ではないかと思います。子供が生まれて新しいファミリーが増えて、新しい生活が始まります。それまでは、それほど大した家事はないものです。しかし、子供が生まれると育児も含めた家事時間がすごく多くなります。その時に男性がもっと家事をするようになると、意識を変える非常に大きな機会となります。やはり、最初の子供が生まれた時だと思います。

だから、企業がすべきなのは若い男性社員の「育児休業を取りたい」という希望を叶えることです。それによって、どんどん変わっていくと思います。

04男性社員もワーク・ライフ
バランス制度を
利用しやすい職場に

ところで、日本のジェンダー平等の現状をどう捉えておられますか。

これはまだまだ遅れていますね。先程から紹介している日本生産性本部のレポートを見ると、女性管理職の割合が非常に低いです。女性管理職比率が5%未満の企業は全体の48.2%、15%未満が84.1%を占めています。特に大企業の方が低いです。これは今に始まったことではなく、ずっと昔からですけれどね。中小企業の方が、女性管理職が多いです。

どこから変えたら良いかというと、私が思うのは、ワーク・ライフ・バランスの施策は女性の定着にとって非常に効果があります。ただ、ワーク・ライフ・バランスを進めたら女性が活躍するかというと、そうとは限らないのです。むしろ、女性の活躍が進まなくなるケースさえあります。

なぜかというと、ワーク・ライフ・バランスの制度を導入すると、それを利用するのがほとんど女性だからです。その結果として、男性にしわ寄せが行くことになります。女性は休んだり、勤務時間を短縮したりできますが、男性はなかなかできません。それで男女が平等に昇進したら男性は不平等だと感じてしまいます。これが原因ではないかと思います。やはり、ワーク・ライフ・バランスの制度を男性がもっと利用しやすくする、そういう職場風土を作っていくことが女性の管理職を増やすには一番大事だと思います。

最後に中小・中堅企業の経営者や人事責任者へのメッセージをお願いします。

大企業よりも中小企業の方が、「わが社は働きやすい会社です」と情報開示した時の効果は大きいと思います。なぜかというと、統計を見ると中小企業は、ワーク・ライフ・バランスの施策があまり整っていません。ただ、すべてとは言い切れません。中小企業は非常にばらつきが大きいですから。働きやすい中小企業であるなら、上場していなくても、積極的に情報開示をしたら良いと思います。例えば、「男性の育児休業取得率が100%です」「有休取得率は90%です」などと…。そういう情報をどんどん開示していただくと良い人材が集まりやすいと思います。

大学生にも「ベンチャーや中小に行きたい」人がいます。心配しているのは、「働きにくいのではないか」「給料が安いのでは」…、そういうところです。働きやすさに自信がある会社は、そうした情報を積極的に開示していただければと思います。例えば、厚生労働省が運営しているWebサイト「両立支援の広場」(https://ryouritsu.mhlw.go.jp/ another-window-icon)でも情報開示が可能です。それらを利用して働きやすさをアピールしていただけると大きな効果があるでしょう。

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川口 章

同志社大学

政策学部政策学科 教授

1958年香川県生まれ。1982年京都大学経済学部卒業。1984年京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。1991年オーストラリア国立大学Ph.D.(経済学)。メルボルン大学経済商学部講師、追手門学院大学経済学部教授などを経て、2004年より同志社大学政策学部教授。ジェンダー経済格差を生み出す社会構造の分析について研究している。主な著書に『ジェンダー経済格差』(勁草書房)、『日本のジェンダーを考える』(有斐閣)。

【お役立ち資料】
『ジョブ型人事制度設計のためのフレームワークとは』
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