従業員のやる気という「不確実なもの」に依存した経営は、成果が不安定になり、それを補うために過剰な働き方や厳しい管理を招きやすい――東京都立大学の高橋勅徳准教授はそう問題提起します。人は幸せに生きるための手段として仕事をしているのであり、一人ひとりの幸せを前提に経営を組み立て直すべきだというのです。
前編では、低リスク・低投資で好きなことを仕事にする「そこそこ起業」と、ライフスタイル・アントレプレナーシップを紹介しました。後編では、高橋准教授が企業家研究の先にたどり着いた、経営学そのものへの問題提起を取り上げます。
本記事では、高橋准教授へのインタビューをもとに、潜在的なニーズに依存する経営の危うさ、手元の資源から事業を組み立てる「野生の経営感覚」、顧客が産業を変えるという婚活産業の研究、従業員のやる気に依存する経営への疑問、そして中小企業こそ経営の前提を見直すべき理由について解説します。なお、本記事は高橋准教授の問題提起を紹介するものであり、経営や人事のあり方にはさまざまな考え方があります。
この記事でわかること
・「潜在的なニーズ」に依存する経営が、無理な投資と過剰な働き方を招く理由
・手元の資源から事業を組み立てる「野生の経営感覚」
・顧客の想定外の使い方が産業を変える――婚活産業の研究から
・従業員のやる気に依存する経営への疑問
・中小企業こそ「人が多い大企業」とは違う経営を考えるべき理由
取材協力:高橋 勅徳 氏
東京都立大学大学院 経営学研究科 准教授(取材時)。神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了、博士(経営学)。沖縄大学法経学部専任講師、滋賀大学経済学部准教授、首都大学東京大学院社会科学研究科准教授を経て現職。専攻は企業家研究、ソーシャル・イノベーション論。第4回日本ベンチャー学会清成忠男賞本賞、第17回日本NPO学会賞優秀賞を受賞。著書に『ソーシャル・イノベーションを理論化する』(文眞堂)、『婚活戦略』(集英社)、『なぜあの人は好きなことだけやって年収1000万円なのか? 異端の経営学者と学ぶ「そこそこ起業」』(集英社)、『アナーキー経営学』(NHK出版)、共著に『制度的企業家』(ナカニシヤ出版)など。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
「潜在的なニーズ」に依存する経営の危うさ
高橋准教授は2024年に『アナーキー経営学:街中に潜む野生のビジネス感覚』(NHK出版)を著しました。新しい商売をつくるとき、目の前にあるものを基盤に事業を組み立てるのが、昔からある人間の経営感覚のはずです。ところが、いつの間にか経営学は、世の中に潜在的なニーズがあり、それを掘り起こすことを前提にしてきたと高橋准教授は指摘します。
- まだ見ぬ顧客や潜在ニーズという、不確実なものを基盤に事業を組み立てる
- そのためにリスクのある投資をし、リスクのあるお金を借りる
- 意地でも売上を上げなければならなくなる
- 従業員に無理な働き方をさせることになる
高橋准教授は、こうした経営スタイルが当たり前とされ、それを前提に経営学が体系化され、大学教育でも推奨されてきた結果、社会全体、会社全体を不幸にしてきたのかもしれないと問いかけます。実際には、新しい事業をつくって製品を製造している企業の多くは、すでにあるものを模倣している企業だというのです。
手元の資源から事業を組み立てる「野生の経営感覚」
一方で、お金はそれほど稼いでいなくても、幸福に生きている起業家もいます。高橋准教授は、そこにまったく異なる経営の基準があると考えました。
| 一般的に推奨される経営 | 野生の経営感覚 | |
|---|---|---|
| 出発点 | 見えない潜在ニーズ | 目の前にあるもの、手元にある資産 |
| 投資とお金 | 大きな投資、リスクマネー | 自分の生活が成り立つ範囲で組み立てる |
| 働き方 | 必死に働く | 好きなことをして、楽に経営する |
| 目指すもの | 大きな稼ぎ・成長 | 自分と周りの幸せ |
出典:高橋准教授への取材をもとに編集部作成
野生の経営感覚は、本来多くの人が持っている力のはずなのに、経営学が歪めてきたのかもしれない――高橋准教授はそう考えています。同書は神戸大学の経営学入門の教科書としても使われているといいます。
顧客の想定外の使い方が産業を変える――婚活産業の研究
高橋准教授は、欧米の経営学で主要な基礎理論の一つとされる制度派組織論を土台に、企業家の行動を読み解く研究にも取り組んできました(共著『制度的企業家』)。その延長で取り組んだのが、2021年の著書『婚活戦略』(集英社)です。
自ら婚活を経験する中で、高橋准教授は、日本で生まれ急成長した婚活産業に、研究に足りなかったパーツがあることに気づきました。それは顧客の側の都合です。
| これまでの企業家研究・マーケティング | 婚活産業の研究で見えたこと | |
|---|---|---|
| 顧客の捉え方 | 企業にとって都合のよい消費者像を想定する | 顧客は、企業の想定とは異なる創造的な使い方をする |
| 産業の形成 | 企業家が新しい製品・サービスをつくり、模倣企業が続いて産業ができる | 想定外の使い方をする顧客まで飲み込む形でイノベーションが成立している |
出典:高橋准教授への取材をもとに編集部作成
マッチングアプリや結婚相談所をつくった企業家は、幸せな結婚を増やそうとサービスを設計しました。しかし実際には、より良い条件の相手に常にアクセスできる環境が利用者の行動を変え、婚活をこじらせて課金を続ける人や、本来の目的とは異なる使い方をする人まで含めて産業が成り立っている。企業家ではなく、サービスを受ける顧客の側の創造的な使い方が、産業を変えていく――高橋准教授はこれを、ゲームのユーザーの裏技的な遊び方などとも重ね、オープン・イノベーションの一環として捉えています。
この研究は、自分自身を研究対象とし、小説やノンフィクションのように描くオートエスノグラフィーという手法で書かれています。高橋准教授は、これもベンチャー研究の一環だったと語ります。
従業員のやる気に依存する経営への疑問
高橋准教授は、組織開発やモチベーション、リーダーシップ、キャリアを重視して「やりがいのある仕事」「よい職場」を演出する今の経営スタイルは、一言でいえば従業員のやる気に依存した経営だと指摘します。
| やる気に依存する経営で起きること | 内容 |
|---|---|
| 成果が不安定になる | やる気という不確実なものを基盤にしているため、パフォーマンスが安定しない |
| 過剰に働かせる | 不安定さを恐れて、過剰な働き方を求めがちになる |
| 管理が厳しくなる | 同時に、管理もどんどん厳しくなる |
| 従業員が身構える | 個人の夢と会社の目標を無理に一致させようとすると、従業員は反発するか、騙されたふりをして「そこそこ働く」ことを選びがち |
出典:高橋准教授への取材をもとに編集部作成(高橋准教授の問題提起)
人間は、そもそもサボります。仕事より好きなものがあるからです。
――高橋准教授
そこで高橋准教授が提案するのは、最初からやる気に過度な期待をせず、最低限の労力を組み合わせても経営が回る仕組みをつくることです。全員が最低限しか働かなくても売上が上がる会社をつくるのが経営者の責任ではないか――高橋准教授はそうした問題意識で、次の著作の準備を進めています。従業員も楽になった分、自分がどう生きるかを考える必要が出てくる、とも語っています(やりがいに頼りすぎる組織の危うさは、久保真人教授の解説記事でも紹介しています)。
やる気だけに頼らず仕組みで成果を出すには、まず仕事の役割や中身を明確にし、誰が担っても回る形に整えることが出発点になります。
役割と業務を明確にし、「仕組み」で回る組織へ
従業員のやる気だけに頼らず成果を出すには、仕事の役割や中身、求める水準を明確にし、業務を整理して組み合わせることが大切です。JOB Scopeでは、職務の定義から評価・報酬までの全体像をまとめた、ジョブ型人事制度設計のためのフレームワーク資料を無料で提供しています。
中小企業こそ経営の前提を見直すべき理由
高橋准教授は、企業家研究の原点に立ち返り、企業家とは本来、好きなことを自分のために使う存在だと言います。経済学者シュンペーターも、企業家を「創造の喜び」や「私的王国の建設」のために会社をつくる存在として描いていました。それなのに、いつの間にか社会も会社も、人の夢ややる気を第三者がどう利用するかという話になっている――人の心は他人が支配できるものではなく、そうした不確実なものを基盤にした経営は失敗しやすい、というのが高橋准教授の考えです。
| 大企業 | 中小企業 | |
|---|---|---|
| 人の数 | 多い | 少ない |
| やる気への依存 | 人が多い分、やる気のある人の数も多く、頼ることができる | 「資金が足りないからマンパワーで」と考えがちだが、人が少ない分、やる気頼みは成り立ちにくい |
| 高橋准教授の提言 | ― | 大企業とは別のやり方を考える必要がある |
出典:高橋准教授への取材をもとに編集部作成
好きなことだけをやりたい、人に言われた仕事はやりたくない――それが人間の本性であり、それを前提に経営を考えよう。Z世代は自分の幸せを普通に追求しているだけであり、そうした個人を前提に経営を組み立て直す必要がある、と高橋准教授は語ります(中小企業経営者の働きがいについては、山本聡教授の解説記事でも紹介しています)。
よくある質問(FAQ)
Q. 従業員のやる気に頼る経営の問題点は何ですか?
A. 高橋准教授は、やる気という不確実なものを基盤にすると成果が不安定になり、それを恐れて過剰な働き方や厳しい管理を求めがちになると指摘しています。個人の夢と会社の目標を無理に一致させようとすると、従業員が反発したり、表面的に従ったりすることにもつながるとしています。
Q. 「野生の経営感覚」とは何ですか?
A. 高橋准教授が著書『アナーキー経営学』で示した考え方で、見えない潜在ニーズではなく、目の前にあるものや手元の資産を基盤に、自分の生活が成り立つ範囲で事業を組み立てる経営感覚のことです。本来多くの人が持っている力だとしています。
Q. 潜在ニーズを前提にした経営はなぜ危ういのですか?
A. 高橋准教授は、不確実な潜在ニーズを基盤にすると、リスクのある投資や借入が必要になり、意地でも売上を上げるために従業員に無理な働き方をさせることになりかねないと問題提起しています。
Q. 顧客が産業を変えるとはどういうことですか?
A. 高橋准教授は、婚活産業の研究から、企業家が想定した使い方とは異なる、顧客の創造的な使い方が産業のあり方を変えていくことを示しています。企業にとって都合のよい消費者像だけを想定するのではなく、顧客の側の都合も含めて産業を捉える必要があるとしています。
Q. 中小企業はどんな経営を目指すべきですか?
A. 高橋准教授は、人の多い大企業はやる気のある人に頼ることもできるが、人の少ない中小企業はやる気頼みが成り立ちにくいため、大企業とは別のやり方を考えるべきだとしています。人は好きなことをしたいという本性を前提に、最低限の労力でも回る経営を考えることを提言しています。
まとめ:一人ひとりの幸せを前提に、経営を組み立て直す
- 潜在ニーズという不確実なものに依存する経営は、無理な投資と過剰な働き方を招きかねない
- 手元の資源から、自分の生活が成り立つ範囲で事業を組み立てる「野生の経営感覚」がある
- 顧客の想定外の使い方が産業を変える。企業に都合のよい消費者像だけでは産業は捉えられない
- 従業員のやる気に依存する経営は成果を不安定にする。最低限の労力でも回る仕組みを考える
- 中小企業は大企業と同じやる気頼みではなく、人の本性を前提にした別のやり方を
人は幸せに生きるための手段として働いています。高橋准教授の問題提起は、やる気や不確実なものに頼るのではなく、一人ひとりの幸せを前提に経営を組み立て直すことで、会社も働く人も幸せになれるのではないかという問いかけです。
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一人ひとりの働き方や価値観を尊重しながら、組織として安定した成果を出すには、役割や評価、業務の仕組みを自社に合わせて整えることが大切です。DEFiDEの「JOB Scope」は、人事コンサルティングと人事クラウドの2軸で、経営に直結する戦略人事の制度設計から組織への定着までを支援します。
▶ 前編:「そこそこ起業」とは?低リスク・低投資で好きなことを仕事にする「ライフスタイル・アントレプレナーシップ」(内部リンク)
▶ インタビュー全文:人々を幸せにする経営学を極めたい(後編)(JOB Scopeマガジン)