自前主義とは、自社でつくったものに高い価値を置き、他社の技術やノウハウを低く見る考え方です。東北大学の藤原綾乃准教授は、自前主義はかつて日本の製造業の成功を支えたものの、技術の進化が速く世界的な協働が欠かせない今、日本企業に必要なのは「閉じること」ではなく「開くこと」であり、その鍵が人や技術、知識の行き来、つまり「技術流動性」だと語ります。
世界のGDPランキングでの日本の順位は下がり続け、「失われた30年」という言葉にも慣れてしまったかのようです。日本企業に、再び成長する道はあるのでしょうか。
本記事では、技術者の国際移動をデータで分析してきた藤原准教授へのインタビューをもとに、日本社会に広がる「静かな諦め」と「心理的な鎖国」、新著『技術獲得のグローバルダイナミクス』に込めた問題意識、外の知を取り入れて革新を生んできた日本の歴史、そして自前主義から脱却して日本企業の潜在力を生かす道筋を解説します。
この記事でわかること
・日本社会に広がる「静かな諦め」と「心理的な鎖国」
・自前主義とは何か――かつての成功と、今通用しにくい理由
・外の知識や技術を取り入れたときに、日本のイノベーションが進んできた歴史
・新著『技術獲得のグローバルダイナミクス』に込めた問題意識
・日本企業が持つ潜在力と、再生の鍵となる「技術流動性」
取材協力:藤原 綾乃 氏
東北大学大学院 経済学研究科 准教授(取材時)。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了(技術経営戦略学専攻)、博士(工学)。大阪大学大学院国際公共政策研究科 特任助教、文部科学省 科学技術・学術政策研究所 主任研究官、日本経済大学 准教授を経て現職。専門は技術経営戦略論、国際経営論。技術者・研究者の国際流動化、イノベーション、知識移転を研究している。著書に『技術流出の構図――エンジニアたちは世界へとどう動いたか』(白桃書房、2016年)、『技術獲得のグローバルダイナミクス』(白桃書房、2025年)。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
「静かな諦め」が広がる日本――今こそ踏ん張るとき
藤原准教授は、「失われた10年」「失われた20年」と言われた時期と比べ、社会の空気が変わったと感じています。当時は「まだやり直せる」という期待感がありました。しかし今は後退が続き、諦めが広がっているというのです。
かつて日本のGDPが世界2位から3位に下がったときは大きな話題になりましたが、さらに順位を下げることが見込まれても、今は「そうでしょうね」と受け止められがちです。藤原准教授はこの状態を、綱引きで綱から手を離そうとしているようなものだとたとえ、「静かな諦め」が社会に浸透していると指摘します。だからこそ、今こそ踏ん張るべきだというのが藤原准教授の提言です。
内向きの空気と「心理的な鎖国」
藤原准教授は、日本社会に二項対立的な考え方が漂い、分断が閉塞感を強めていると感じています。「失われた20年」のころには、オープン・イノベーションや「技術立国として力を取り戻す」といった前向きな空気がありましたが、今はそれが薄れ、内向きで閉鎖的な空気が広がりつつあるといいます。
藤原准教授は、こうした空気を「心理的な鎖国」、あるいは「イノベーションの鎖国」と表現します。日本が、誰かが得をすれば誰かが損をするという「ゼロサムの罠」にはまっているのではないかと懸念し、社会全体で技術とイノベーションのあり方を考えるべき時期にあると語ります。
前著『技術流出の構図』から、新著『技術獲得のグローバルダイナミクス』へ
2016年に刊行した前著『技術流出の構図』では、日本の電機メーカーから、アジアの大手電機・電子企業へ移った技術者を、特許データを使って分析しました(その内容は、藤原准教授の1回目のインタビューの解説記事でも紹介しています)。現場のエンジニアからは「自分も同じようにヘッドハントされたことがある」といった声が寄せられ、実際の動きとデータが一致していることへの関心が集まりました。政策に関わる会合にも呼ばれるようになり、「海外に出た人材が再び日本企業で働く循環をつくれないか」というアイデアを求められることも増えたといいます。
2025年に刊行した新著『技術獲得のグローバルダイナミクス』(白桃書房)は、前著とはじめからセットで構想していたわけではありません。前著の刊行後、海外でも反グローバリズムや人材の移動を制限する動きが強まり、国内でも内向き志向が広がりました。そうしたなかで、「日本がどのような技術獲得戦略をとるべきか」を問い直す必要から、書かざるを得なかったといいます。
| 観点 | 前著『技術流出の構図』(2016年) | 新著『技術獲得のグローバルダイナミクス』(2025年) |
|---|---|---|
| 問い | 日本から海外へ、技術者はどう動いたのか | 日本はどのような技術獲得戦略をとるべきか |
| 分析の対象 | 日本の電機メーカーからアジア企業へ移った技術者 | 日本企業に流入する外国人技術者とその活用 |
| 伝えたいこと | 「日本は人材の流動性が低い」と言われるなかでも、グローバルな人材移動の波は確実に来ている | 外国人技術者の活用がイノベーションを活性化し、経済成長や雇用にもつながる可能性 |
出典:藤原准教授への取材をもとに編集部作成
新著の動機は、感情的・道徳的に「外国人を大切にしよう」と訴えることではありません。外国人技術者の活用がイノベーションを活性化し、結果として経済成長や雇用にもつながりうることを、データと分析で冷静に示すことにあるといいます。
日本のイノベーションは「開いた時期」に進んできた
新著で藤原准教授は、珍しく歴史的な視点にも踏み込みました。イノベーションが起きた時期は、外部の知識や技術を柔軟に取り入れた時期と重なる――そのことを伝えたかったからです。
| 時代 | 外部の知識・技術の取り入れ方 |
|---|---|
| 古代 | 遣隋使・遣唐使を通じて、大陸の制度や文化、技術を取り入れた |
| 江戸時代 | 鎖国のもとで、技術革新は停滞した |
| 明治時代 | 「お雇い外国人」を招いて制度や技術を導入し、急速な近代化を進めた |
| 戦後の高度経済成長期 | 欧米の技術を導入し、国産化して成長につなげた |
出典:藤原准教授への取材をもとに編集部作成
日本はこれまで何度も、外から知識や技術を取り入れ、自国流にアレンジして革新を生むという波に乗ってきました。新著のタイトルの「ダイナミクス」には、そうした歴史の繰り返しや力学の意味が込められています。「まずは日本人エンジニアの処遇を考えるべきだ」という声もあるだろうとしたうえで、藤原准教授は、二項対立を越えて俯瞰的・未来志向で議論するための材料を示したかったと語ります。
自前主義とは――かつての成功と、今「開く」べき理由
自前主義とは、自分たちがつくったものに高い価値を置き、他社の技術やノウハウを低く見る考え方です。藤原准教授によれば、1970年代から90年代には、この自前主義がうまく機能し、自社内で研究開発を完結させるクローズド・イノベーション型の体制が成功に結びついた面もありました。
| 観点 | 1970〜90年代 | 現在 |
|---|---|---|
| 技術の進化 | 比較的ゆるやか | 速い |
| 有効だった体制 | 自前主義・クローズド・イノベーション | グローバルな協働、外部の技術や知見の取り込み |
| 日本がとるべき姿勢 | 自社内で磨き上げる | 「閉じる」のではなく「開く」 |
出典:藤原准教授への取材をもとに編集部作成
しかし今は技術の進化が速く、グローバルな協働が欠かせません。アジアの企業が躍進するなかで、日本がとるべき姿勢は「閉じること」ではなく「開くこと」だと藤原准教授は言います。ただし、「日本人がダメだ」「日本人だけではダメだ」と言いたいわけではありません。閉鎖的なマインド、つまり心理的な鎖国が成長を妨げているという問題意識です(日本企業のイノベーションが停滞する理由については、原田勉教授の解説記事でも紹介しています)。
技術流動性とは――知を「つなぐ」ダイナミズム
藤原准教授は、日本企業再生の鍵を技術流動性に見いだしています。技術流動性とは、単に人や技術が移動することではありません。知を「つなぐ」ダイナミズムのなかで価値を創造するための鍵です。海外の一部で反グローバリズムが強まっていても、日本までが内に閉じるべきではなく、世界との接点を広げることが求められていると藤原准教授は言います。
外部の知見や多様な人材を取り入れるには、自社の組織や人事の仕組みが、異なる背景を持つ人を受け入れ、力を発揮してもらえるものになっているかを見直すことも欠かせません。
多様な人材を生かす組織づくりを相談する
外部の知見や多様な背景を持つ人材を取り入れ、力を発揮してもらうには、採用、配置、評価、育成の仕組みを見直すことが役立ちます。DEFiDEでは、人事制度や人材マネジメントの課題について相談を受け付けています。
日本企業の潜在力――「翻訳して取り入れる力」は今も強み
踏ん張れば、日本企業にチャンスはあるのでしょうか。藤原准教授はチャンスはあると考えています。世界の第一線では、米国の大手テック企業でインド出身の経営者が増え、半導体分野でも台湾やシンガポール出身のリーダーが多く活躍しています。日本にも可能性は十分にあるはずです。
一方で、日本には「自分がそうしたポジションに就くなど考えたこともない」「世界で成功する姿を想像できない」という空気があり、挑戦する前に諦めてしまっていることを藤原准教授は問題視します。内向きな精神性を見直し、多様な背景を持つ人が力を発揮できる土壌を整えれば、日本にも再びチャンスが巡ってくるといいます。
| 日本企業の潜在力 | 内容 |
|---|---|
| 現場力・改善力 | 自前主義のもとで成功を収めた背景には、日本の製造業・ものづくり企業の現場力と改善力があった |
| 粘り強さ・連携する力 | 粘り強く取り組み、組織内外で連携する力も成功を支えた |
| 翻訳して取り入れる力 | 外部の知識や技術を自らの文脈に「翻訳」して取り入れる姿勢は、昔から日本企業が持つ重要な潜在力 |
出典:藤原准教授への取材をもとに編集部作成
「失われた30年」と言われていても、日本がかつてアジアで一定のリーダーシップを発揮してきたことは事実です。「日本人だから」という枠を超え、日本ならではの強みを生かす姿勢こそが、未来を切り拓く鍵になると藤原准教授は語ります。
よくある質問(FAQ)
Q. 自前主義とは何ですか?
A. 自社でつくったものに高い価値を置き、他社の技術やノウハウを低く見る考え方です。藤原准教授によれば、1970年代から90年代には自前主義やクローズド・イノベーション型の体制が日本企業の成功に結びついた面もありましたが、技術の進化が速い現在は、グローバルな協働が欠かせなくなっています。
Q. なぜ今、自前主義からの脱却が必要なのですか?
A. 技術の進化が速く、自社だけで研究開発を完結させることが難しくなっているからです。藤原准教授は、アジアの企業が躍進するなかで、日本がとるべき姿勢は「閉じること」ではなく「開くこと」だとし、閉鎖的なマインドである「心理的な鎖国」が成長を妨げていると指摘しています。
Q. 「心理的な鎖国」とは何ですか?
A. 日本社会に広がる内向きで閉鎖的な空気を、藤原准教授が表現した言葉です。二項対立的な考え方や「ゼロサムの罠」によって、外部の知識や人材を取り入れることに消極的になり、イノベーションが停滞していることへの問題提起です。
Q. 技術流動性とは何ですか?
A. 人や技術、知識が組織や国境を越えて行き来することです。藤原准教授は、技術流動性は単に人や技術が移動することではなく、知を「つなぐ」ダイナミズムのなかで価値を創造するための鍵であり、日本企業再生の鍵だとしています。
Q. 日本企業にはどんな潜在力がありますか?
A. 藤原准教授は、現場力、改善力、粘り強さ、連携する力に加え、外部の知識や技術を自らの文脈に「翻訳」して取り入れる力を挙げています。遣唐使や明治のお雇い外国人、戦後の欧米技術の導入など、日本は外の知を取り入れて革新を生んできた歴史を持っています。
まとめ:「閉じる」のではなく「開く」ことで、日本の強みを取り戻す
- 日本社会には「静かな諦め」と、内向きで閉鎖的な「心理的な鎖国」が広がっている
- 自前主義やクローズド・イノベーションはかつて成功を支えたが、技術の進化が速い今は「開く」ことが求められる
- 日本のイノベーションは、遣唐使、明治、戦後など、外の知識や技術を取り入れた時期に進んできた
- 技術流動性とは、人や技術の移動にとどまらず、知を「つなぐ」ことで価値を生むダイナミズム
- 現場力、改善力、そして外の知を「翻訳」して取り入れる力は、今も日本企業の潜在力である
では、企業は実際に、どのようにして技術流動性を高め、外国人技術者の力を生かせばよいのでしょうか。後編では、多様な視点を交わす対話の場づくり、外国人技術者の強みを引き出す受け入れ方、日本語要件の見直し、そして生成AIがもたらすチャンスについて紹介します。
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▶ 後編:技術流動性を高めるには?外国人技術者の強みを引き出す対話の場と受け入れ体制、生成AIで下がる言語の壁(内部リンク)
▶ インタビュー全文:日本企業再生の鍵は技術流動性(前編)(JOB Scopeマガジン)