>日本企業再生の鍵は技術流動性(前編)
プロスポーツの世界でもこんなことが良くある。チームが連敗し始めた時には、「これはいけない」「何とかしなくては」と危機感を高めるが、10連敗ぐらい続くと戦う前から、「今日も負けるんだろう」「もう勝てないのではないか」など思い込んでしまう。いわゆる、負け癖が付くということだ。これは、今の日本経済や日本企業の停滞ぶりにも言えることかもしれない。競争力の目安となる世界GDPランキングの順位は、下がる一方。坂道を転げ落ちている。もはや、日本企業に未来はないのか。その問いかけに対して、膨大なデータと実証分析に基づき、日本企業の道筋を提言しているのが、技術経営戦略論やイノベーション論を専門とする東北大学大学院の藤原 綾乃・准教授だ。新著『技術獲得のグローバルダイナミクス』(白桃社)の発刊を記念して、話を聞いた。インタビューの前編では、失われた30年の現状や新著執筆への想いなどについて語ってもらった。

01日本は今こそ踏ん張らないといけない
日本は失われた10年・20年どころか、もはや「失われた30年」(バブル経済崩壊以降に始まった日本経済の長期的不景気)と称されています。この現状をどうご覧になられますか。
失われた10年・20年と、それから今の「失われた30年」を見ると、少し様子が変わって来たと私自身は感じています。失われた10年・20年と言っていたときは、「何となくまだやり直せる」「再復興できるのではないか」といった期待感や空気感が社会的にあったように思います。しかし、今ここに来てずるずると後退していて、もはや諦めてしまっている感じです。その空気感が、失われた10年・20年のときとは、だいぶ変わって来た気がします。
例えば、日本のGDPが2位から3位に転落したときには、もっと大騒ぎしたと記憶しています。しかし、今や4位どころか5位になろうとしているという話を聞いても、「まあ、そうでしょうね」という感じで受け入れてしまっています。この反応そのものが、今の日本の空気を象徴しているように思います。その空気感の違いが、「失われた30年」と失われた10年・20年との違いではないかと思っています。
例えて言うなら、綱引きのロープでずるずると負けてしまっていて、もはやロープを手から離そうとしてしまっている……そんな“静かな諦め”が、社会に浸透しているのではないかと感じてしまいます。そうではなくて、「今こそ踏ん張るべきではないか」というのが、私からの提言です。
その空気感の中に何があるのかと考えたときに、参院選が行われたばかりということもあるのですが、いわゆる日本人優先なのか、外国人優先なのかみたいな、二項対立的(二つの概念が矛盾や対立の関係にあること)な考え方や空気感が社会に漂っているように思います。そうした分断的な見方が、社会全体の閉塞感にも影を落としているように感じています。
加えて、失われた20年と言われていた時期は、もう少しオープンイノベーション(企業が外部の資源を活用して新たな価値を創造すること)という言葉であったり、「皆で新しいイノベーションを作っていこう」「技術立国としての力を再び取り戻そう」といった前向きな空気感も、まだ残っていたように思います。それが、ここ最近は「外国人だけが得をするのは許せない」といった雰囲気や、「まずは日本社会の中での分配や支援を優先すべき」といった内向きな空気感が、じわじわと台頭している印象があります。「失われた30年」という空気感の中に含まれている閉塞感や諦念のなかで、私たちはいま、社会としての選択を迫られているのかもしれません。
前著『技術流出の構図:エンジニアたちは世界へとどう動いたか』(白桃書房)を執筆された手応え、さらには読者の反響をお聞かせください。
『技術流出の構図:エンジニアたちは世界へとどう動いたか』という書籍は、実はすごく反響が大きかったです。どういう反響があったのかと申しますと、まず1つは、いわゆる同じような立場にある現場のエンジニアの方たちから、「自分も同じようにヘッドハントされたことがある」「転職を促す電話が掛かって来たことがある」など、「実際の動きとデータで見えることが、すごく一致している点が興味深い」というような感想を講演会の後や、あとは大学にお手紙をいただくこともあるなど、かなりの反響が寄せられました。
次に、この書籍の中では日本の電機メーカーから韓国のサムスン電子やLG、中国のファーウェイや鴻海精密工業などのようなアジア企業に転職した人たちを分析しました。その分析結果を見て、「今度は自動車産業についても調べてほしい」「医薬の分野でもやってほしい」といった形の反響もありました。
さらに、政策に関するさまざまな会に呼ばれる機会も増えました。その中で言いますと、「一度海外に出て行ったとしても、再び日本の企業で働いてもらえる循環みたいな形はできないか」ということで、「いろいろとアイデアを欲しい」というような形で反響をいただくこともありました。

02新著『技術獲得のグローバルダイナミクス』に込めた想いとは
藤原先生は、2025年7月に新著『技術獲得のグローバルダイナミクス』(白桃社)を執筆されました。当初から前著とセットでとお考えでいらしたのですか。
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「技術獲得のグローバルダイナミクス」白桃社
実は、最初からワンセットで考えていたわけではありません。前著『技術流出の構図:エンジニアたちは世界へとどう動いたか』は、2016年2月に刊行しました。このときは、ちょうど第一次トランプ政権の誕生前であり、いわゆる「反グローバリズム」の動きが世界的に顕在化する少し前でした。最初にトランプ政権が誕生したのは、2017年からですからね。第一次トランプ政権の段階では、わざわざ国境に壁を作って、鎖国的なことをやろうみたいな流れがあったかと思います。今まさに、第二次トランプ政権のもとで、大学研究者や留学生に対する制限など、より強い鎖国的傾向が出てきているように思います。
ただ、先ほどお話ししたように、日本の社会にも「外国人か日本人か」といった二項対立的な空気感や、内向き志向の高まりがじわじわと広がっていると感じています。そうした中で、ふと振り返ると、あの前著はまさに、「日本は人材の流動性が低い」と言われてきたなかで、それでも日本にもグローバルな人材流動の波が確実に訪れているということを、データを通じて示そうとしたものだったのだなと、あらためて感じています。
そして、今回の新著『技術獲得のグローバルダイナミクス』は、現在の空気感の中で、いま一度「日本がいまどういう技術獲得戦略を取るべきなのか」を問い直す契機として書かざるを得なかった、と言えるかもしれません。
反グローバリゼーションの流れは、世界的ではあると思うのですが、日本も今鎖国的なことをやっている場合なのか、いわゆる二項対立で外国人なのか、日本人なのかみたいな、ゼロサム(全体の利益や損失の総量がゼロになる状況)の罠みたいなものに嵌ってしまっているのではないかと思ってしまいます。そうではなく、日本全体として、日本の技術をどうしていくのか、イノベーションをもう一度日本から次々と出していくには、どうすればいいのかを、社会全体で考えるべき時期なのではないかと思っています。そのことを、いわゆるデータを使って表現できないか、示すことができないかなと思ったのが、『技術獲得のグローバルダイナミクス』を書いたきっかけになります。
私が本書で伝えたかったのは、決して「もっと外国人を大事にしましょう」といった感情的・道徳的な主張ではありません。そうではなくて、データを用いて冷静に現実を見てみよう、ということです。たとえば、外国人技術者の活用は、結果的に日本企業のイノベーションを活性化し、めぐりめぐって日本の経済成長や雇用にもつながる可能性があるのではないか。そのことを、数字と分析をもって示せないかという想いが、この「失われた30年」という時期に『技術獲得のグローバルダイナミクス』を出そうと思った発端です。
新著を通じて、読者に最もアピールされたかったポイントは何でしょうか。
やはり伝えたかったのは、「このままずるずると後退してはいけない」「ここで踏ん張ろう」という思いです。そしてそれを感情論で終わらせるのではなく、データを通じてもしっかりと示したいと考えました。
加えて、本書では私としては珍しく、歴史的な側面にも触れています。というのも、執筆を進めるなかで、日本社会の中にじわじわと広がりつつある“鎖国的な姿勢”とも言える空気感に強い危機感を抱いたからです。このいわゆる、日本人社会に広がりつつある“心理的な鎖国”や“イノベーションの鎖国”とも言える内向き思考や閉鎖的な空気感に対して、あえて問題提起をしたいと考えました。
その際に、単にデータで訴えるだけではなく、歴史を振り返ってみても、いわゆるイノベーションが起きてきた時期というのは、外部からのさまざまな知識や技術を柔軟に取り入れた時期と重なっているのではないか、という視点を提示したかったのです。たとえば江戸時代の鎖国期には技術革新が停滞し、明治以降に外部の知識や技術を積極的に取り入れたことで、急速な近代化と技術発展が進みました。
このようにデータだけではなく、歴史も、「開かれた時期こそが前進の原動力だった」ことを示している。だからこそ、今いちど日本全体で踏ん張るべきだということを言いたかったのです。
藤原先生は、これまで歴史的な視点を絡めて見ていくことは、あまりなかったのですね。
そうですね、これまではどちらかというと、人材の流動化をデータ中心に分析してきました。ただ今回の新著では、私としては珍しく、歴史的な潮流にも意識的に目を向けています。
たとえば日本はこれまでにも何度か、「外からの知識や技術を取り入れ、自国流にアレンジしてイノベーションを生み出す」という波に乗ってきました。古くは遣隋使や遣唐使に始まり、明治維新における「お雇い外国人」による制度・技術導入、そして戦後の高度経済成長期には欧米からの技術導入と国産化の成功などがその好例です。
今回の書籍では、そうしたイノベーションの波が繰り返し訪れてきた歴史を踏まえたうえで、では「今の日本は次の波にどう乗るべきなのか?」という問いを投げかける契機にしたいという想いがありました。
そして、タイトルにある「ダイナミクス」という言葉には、まさにそうした歴史的な繰り返しや力学を含意しています。日本がその波を見極め、正しく乗っていけるのかが、いま問われている——そんなメッセージを込めました。
もちろん、こうした話をすると「まずは日本人エンジニアの処遇を考えるべきだろう」といった反応もあるかもしれません。でも、そうした二項対立的な発想にとどまらず、もっと俯瞰的に、未来志向で議論する必要があるのではないかと強く感じています。だからこそ今回は、あえて歴史にも目を向け、今まさに何が問われているのかを立体的に考えるための材料を提示したいと思いました。

03心理的な鎖国に陥りつつある日本を危惧
先ほどから、藤原先生は「ここが踏ん張りどきだ」と強調されておられます。まだまだ踏ん張れば、日本企業には可能性があるのでしょうか。中には、「冷静に見てもう厳しいのではないか」みたいな発言も耳にします。藤原先生は、踏ん張ればチャンスがあるとお考えなのですね。
私は、ここで踏ん張ればチャンスはあると思っています。たとえば、いま世界の第一線では、アジア出身のリーダーたちが次々と台頭しています。米国のグローバルテック企業を見ると、最近ではインド出身の方がCEOに就任するケースが増えています。また、半導体分野でも、台湾やシンガポール出身のリーダーが数多く活躍しています。こうした現状を見ていると、日本にもまだ十分に可能性はあるはずだと感じます。
一方で、日本では「自分がそうしたポジションに就くなんて、最初から考えたこともない」「世界で成功することを想像できない」という空気がどこかにあるように感じます。つまり、挑戦する前にあきらめてしまっているのです。でもそれは、本当にもったいないことだと思います。
このような“内向き”の精神性を見直し、多様な背景を持つ人々がそれぞれの力を発揮できるような土壌を整えることができれば、日本にも再びチャンスが巡ってくるはずです。たとえ「失われた30年」と言われようとも、かつてアジアにおいて一定のリーダーシップを発揮してきたことは確かです。今後は、「日本人だから」という枠を超えて、日本ならではの強みを活かしていく。そうした姿勢こそが、未来を切り拓く鍵になるのではないかと感じています。
藤原先生は新著で、日本企業再生の鍵は技術流動性であると指摘されておられます。なぜ、そうお考えになられるのでしょうか。外国人技術者との協働は、もはや不可欠なのでしょうか。
日本のイノベーションの歴史を振り返ると、1970年代から90年代にかけては、いわゆる自前主義(自分が作ったものに高い価値を置き、他社の技術やノウハウを低く見ること)が功を奏していた時期がありました。当時は、いわば“クローズド・イノベーション”型の体制がうまく機能し、それによって成功を収めた部分も確かにあったと思います。
しかし現在は、状況が大きく変わっています。技術の進化はますます速くなり、グローバルでの協働が不可欠な時代です。先ほど申し上げたようなアジア勢の躍進を前にして、日本がとるべき姿勢を考えたとき、それは「閉じること」ではなく、むしろ「開くこと」だと思っています。
もっとも、技術流動性や外国人技術者の活躍ということを語るときに、「日本人がダメだ」とか、「日本人だけではダメだ」とか、そういう話をしたいのではありません。先ほどもお話をした通り、「心理的な鎖国」とも言えるような閉鎖的なマインドが、いまの日本の成長を妨げているのではないか、という問題意識を持っています。
だからこそ、日本は今、外からの技術や知見をうまく取り入れつつ、自国の底力をもう一度示していく——そのようなフェーズにあるのではないでしょうか。技術流動性とは単に人や技術が移動するという話ではなく、知を“つなぐ”ダイナミズムの中で、日本が再び価値を創造するための重要な鍵だと考えています。
たとえ欧米の一部の先進国で反グローバリズムの動きが強まっているとしても、日本までが同じように内に閉じてしまうべきではないと思います。むしろ、いまこそ外に目を向け、世界との接点を広げていくことが求められているのではないでしょうか。
藤原先生は新著で、日本企業が持つポテンシャルを解き放つ必要性も強調されておられます。日本企業は、どのようなポテンシャルを有しているのでしょうか。
もちろん、自前主義で割りと成功して来た部分はあると思います。その背景をもっと細かく見ていけば、例えば現場力や改善力、あるいは粘り強さとか、あとは連携する力が大きく作用していたと思います。
特に日本の製造業、ものづくりの企業では、そういう部分がすごく上手く機能したと思っています。それを先ほどお話ししたような、歴史的な観点と紐付けて考えた場合には、いわゆる外部の知識や技術を上手に取り入れて、それを自らの文脈の中に翻訳して取り入れるという、その姿勢は実はずっと昔から日本企業が持っている重要なポテンシャルなのではないかと考えています。こうした強みを、今あらためて見直し、活かしていくことが求められているのではないでしょうか。

藤原 綾乃氏
東北大学大学院
経済学研究科 准教授
東京大学大学院工学系研究科博士課程修了(技術経営戦略学専攻)。東京大学で博士(工学)を取得後、大阪大学大学院国際公共政策研究科・特任助教、文部科学省 科学技術・学術政策研究所 主任研究官、日本経済大学・准教授を経て現職。専門は、技術経営戦略論、国際経営論。主に技術者・研究者の国際流動化やイノベーション、知識移転を研究しており、著書に『技術流出の構図: エンジニアたちは世界へとどう動いたか』(白桃書房、2016年2月)、『技術獲得のグローバルダイナミクス』(白桃社)がある。